西洋絵画は美術ではなく工学
西洋の絵は建築物の一部であって、視覚芸術ではない。
いまだ彼の地には美術は存在しないのだ。 東洋絵画は美術ではなく工芸
と言うのは大昔から言われてたけどな つまり、実は美術など何処にも存在していないってことか
これは案外核心を衝いてるかもな 否定神学ってやつですかね
もう神は死んだでいいじゃない 建築物の一部であって独立した視覚芸術じゃないって言うのは、
日本の障壁画や襖絵や屏風絵を指して外人が言ってた話だしw どっちの人間も自己肯定しようと必死ってことかな
西洋人は写実厨で絵の本質がわかってないみたいな意見もあったし 西洋の絵は写実というより建築物に近い。美学じゃなくて工学の
一部としての絵画なんです。彼の地に「美術」の概念が芽生えたのは
日本の美術を知ってからだろう。それまで宮殿や神殿を「構成する」
視覚的な物語から、はじめて印象派という美術そのものがうまれた。 デッサンで三次元をあらわす時点で誰でも解る話だと思うが。
お互い借り合いっこしてるんだよ。
明治以降逆に日本が参照する側になった。
足りない部分を補い合う、スケールが違うだけで人間関係と一緒だろ。
俺はそれそのものの姿こそ美術的だととらえるがね、学歴厨くん。 あくまで建築空間(三次元)を表す西洋絵画と
美術として二次元空間にこだわった日本とは違うだろう 西洋絵画は「図」の域を出ることができない。
そこに「構造的にあるもの」を表すものが彼らにとっての
絵画だからだ。
だが日本の美術は違う。二次元の美術を三次元の図の
上位概念として表している。
三次元の説明で終わる西洋絵画は美術ではない。
図である。 美術としてこだわったってだけじゃなくて、ああいう描き方しかできなかったのが実情だろ。
日本美術は技法が説明。
歴史というのはいつでも必然だととらえたほうがいい。
この場合欧米化したという事実である。
でなければ今の日本に何の希望も持てなくなる。 上位概念もなにも、当時国内に3次元画が無かったのだから比べようがない
3次元の説明、「構造的にあるもの」を表すものが西洋にとっての絵画(だった)という考えは的を得ていると思う。
同機能をより簡単、精密に果たす写真が発明されてから、絵画はその役割を断念し大きく変わってしまった。そんな流れを見れば明らかだ。 じゃあその後に西洋がどうなったかと言えば、>>7も結局は徒花に終わった
そして近現代において西洋のアートは再び学問になった
論理的に考える傾向の強い彼らの場合、どうしても学問的学術的な所に帰結してしまうんだろう
まあそこが欧米の連中の凄い所でもあるけど、
一方、欧米よりも問題なのは自分達の立ち位置すら見失ってしまっている日本の方だな >>13西紀1000年ころや鎌倉時代の
似絵や山水画は?あれは三次元の絵画じゃないのか。
それが生まれてもまだ二次元にこだわっている以上
「三次元の図よりも二次元の美」に絵画表現で
より上位概念にして成立させたとはいえないのかな。
それと西洋に三次元の絵画が生まれるのはダビンチなどの
軍事工学を担っていた工業技術が作図と
結びついてなので西紀15世紀ころ。むしろ西洋の方が
三次元図画については成立が遅い。 >>14その「建築物の材料としての絵図」が写真という新たな建築材料が生まれることで
滅んだのは事実で、だからもとより美術という概念がそもそもなかった
西洋美術はそこでまるごと滅んだのでは?
>>15写真の登場で滅んだ西洋の絵画が学問になったってどういう意味?
現代アートなるものは裸の王様サギの手法を使って資金洗浄を堂々と
やってるだけで学術じゃないよ。 ただ、単に三次元で風景を描いた、人物を描いたという点なら
ポンペイ遺跡のモザイク壁画(世紀200年頃)やドイツの
ブリューゲルの絵画(世紀1000年頃)も先行してあるので
彼らはそれから先ずっと三次元で絵画を表現することになり
それ以外の方法はなかった、とも言えるのかな? >>13そういえば日本の文化大革命(明治維新)以後の、
油絵、西洋建築といったものは抜かして、たとえば
日本画や伝統工芸などで「西洋化した」のは
なにがどうそうなったのかな。特に日本画。これが仮に西洋化したとすると
明治以後の日本画は西洋絵画なのかね。 一理あるとは思うのだが、戦中、戦後の作品を金だ裸の王様だ。でぶったぎって思考停止はいただけない。
共感はしなくていいが、金に執着せず、一応作品自体を理解する努力はして欲しいかな。話の本筋には無関係だが 膠に岩絵の具…の意味での日本画は、西洋絵画に対抗するため明治時代に開発されたものだよね。
西洋絵画ではなく、対西洋絵画かな?
もちろん感化されて洋画に励むようになった人たちも沢山いるが、洋画の連中と対立する形で存在していた。
唐絵が日本に伝わって同じものを描いて、そのうちある人たちが日本のアイデンティティを意識して、ある要素を特化、改変して「大和絵」を確立したみたいに、今も昔も似たような流れだね
西洋化された訳じゃないが、外からアイデンティティについてプレッシャーがなかったら、日本画も大和絵も出来なかった訳だ。 >>22写真の登場で滅んだ西洋絵画をなんとか蘇生させようと努力して
結果できなかった残骸が現代アートの黎明期、そしてそれは後に「この
美しさがわからないんですか、見識眼のある人にはわかるのですが」という
裸の王様を元にした詐欺あるいは資金洗浄の手段になったのは
紛れもない事実だろう。仮にそうだとすると西洋絵画は2つの道のりがあった。
まず18世紀頃にフランスの画家によって写真技術が実用化され、
西洋の画家は一気にその立場がなくなった。なぜなら当時の彼らは美術家じゃ
なくて製図家(肖像画家)・建築家として職を得ていたに過ぎないからだ。 一部の職を失った「三次元の製図家」は二次元を意匠する
印象派などとなり美術家となろうとしたが
それは徒花におわり実を付けずに終わった。さらに時間が下ると
キュビズムなどが生まれる。これはよくいう画面に三次元の
立体を表した革新的表現方法じゃなくて単に三次元を力ずくで
二次元表記した際の矛盾を表現したにすぎない三次元から
二次元空間への移行の過程なのだ。しかし結局のところ
三次元の図画製作方法しかなかった西洋画はこれ以上進めず
息絶える。ないものはないのだ。彼らの三次元の表現技術は
写真という「技術」によって滅んだ以上、美術足り得なかった
のは当然である。更にこの後は現代アートという「西洋絵画の
亡霊」を巧みに利用して見えない美(存在しないもの)を学問などと
言ってみたり、資金洗浄に利用させたりしているのが
西洋絵画の現状なのである。