>>251
メモ用紙そのものが既製品らしく見える
それは工業化されて販売されたものかとおもったから

デュシャン以前では作家が直接的に描いたり石材を彫ったものが美術だった

どれも似ているものがないといことの反対で既製品を用いることはデュシャンの泉によって正当化されたものだから似ている部分があると思う

そしてデュシャンに似ていることがARTではないし、デュシャンがARTを拡張したことでARTはさらに人の手によって自らを拡張すること自体を肯定的に捉えた

その意味で近代以降の美術はデュシャンに通じていると思う