○北野 

よく言うんだけど、数学できない人が文学とか映画は撮ったらだめ、つくったらだめというのは、
「映画における因数分解」というような言い方をするわけ。ファクタライゼーション、要するに、Xという殺し屋がいる。
Xが、Aという人、Bという人、Cという人を殺すときには、映像的には、A×Xというシーンを撮らなければいけない、
同じようにB×X、C×Xというシーンを撮らなければいけない。
それでXは、A・B・Cとかかわるわけ。因数分解になると、Xという人が拳銃を持って血を流して歩く。ただ歩くだけ。
その歩いている中にAの死体、Bの死体、Cの死体をただ映す。
そうすると、Xはこういう人を殺したとなるわけよ。細かくいちいち撃つシーンを何回も使わなくてもいい。
それは、X(A+B+C)で、だから因数分解になるわけ。
2乗とかルートというような、強引にルート的な映像をつくる。
そういうのが無感覚になっている人もいるけど、数学的に解釈すると、そういうふうになるというかね。
 映画は世界基準というか劇場の基準で、1時間50分ほどで終わらないと、1日4回回せないので、長い映画を撮っても映画館が困っちゃうわけ。
3回しかできなかったら、1回分の入場数400人がだめになるから。そうすると、だいたい1時間50何分で頭の先から終わりまでやっていく。
でもその中に、下手したらひとりの人生を描くときもある。どうやって外してエッセンスを見せるかの勝負なので、
そのエッセンスはファクターだから、それをどうやって映像に焼き付けて、それを中心に前後の話を想像させるかとなってくる。
どうやってエッセンスだけ抜くか。