2に関しては「「視聴者が作家の手段や演出に気づかない」のではなく
「文句を付けようとする声のでかい連中が作家の手段や演出に気づこうとしなかった」結果だろうと


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マサムネ内記
ある作品を見て、「作家はこう言いたかったのだ」=主題追求に囚われてしまう。

読書感想文では推奨される書き方ですが、映像作品でそれを推し通すのは困難です。
何故か?

映像作品は複雑ゆえに、主題追求で収まらないからです。
主題を発生させる構造、伝える手段まで言及しないとダメだからです。

主題追求は、作品を論ずる時の常套手段と考えられていますが、それは作品理解の一端に過ぎない。
映画やアニメ等の映像作品では、文学とは違う手段で、視聴者の感情を動かすことが出来る。
その手段の追求から、最終的に主題を導くのであれば、「映像作品たらしめるもの」を論ずることが出来ます。

ここで『けものフレンズ』『けものフレンズ2』を考えていくと。

それぞれの作品を論ずるに
「主題ありき」
「作家はこう言いたかった」
を前提に考え出すと、両作品の構成要素が違い過ぎる点でどうしても戸惑いが生まれる。

成功/失敗の作品の違いはあるのです。

何をもって失敗とするか?
1つは「視聴者に伝わらない部分があった」とする見方です。

『2』では多くの人が拒絶反応を示した所がある。
これを「必要な演出だと気づかせる/納得させる」ために、脚本家や演出家には多数の手段が用意されている。

その伝え方に失敗したということ。

では、『2』は失敗しているのではなく、
「視聴者が作家の手段や演出に気づかない方がダメだ」
とすると、これは大変問題なのです。

映像作品は
〈作家〉?〈作品〉?〈視聴者〉
の通信が良好な時に相互理解がありますが、通信障害は視聴者のせいだ、という考え方になってしまう。
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