2007/1/19

煙などが立体的に描かれる必然性は観測者と対象の距離によって決定される。
雲は近づけばただの霧であるように規模の小さい、それこそ触れるほどの距離にある煙を
物体として処理してしまうちぐはぐさには虫唾が走る。

煙を描こうとするのではなく、煙が巻き起こっている世界を描こうとすること
常に単一光源を意識された美しい立体
余計な中割など不要とするあまりにも無機質な発想
まるで世界にしか興味がないよう。情感は欠如。
巨大さ、と言う服をまとった時間を操る、あまりにも巧みに
立体構造よりも色の面、俯瞰したときの相を取る
物理世界は段階ごとにいくつかのフェーズが存在する
”われわれが普段目にしている規模”がテクスチャとしては無限大であるため
どうしても個々の物体の質感にとらわれがちになるが
(逆に極小世界では極大世界と同じような法則が支配している)
規模が拡大するほど、物体としての特性は雲散し、単なる「総体」としての様相を呈すことになる。
そうなれば、水、煙、雪、石ですら大概同じ理論に基づいて物理演算が可能になる。
規模の大きいシーンばかりを担当するのは彼がそういった総体としてのフェーズを特に好むからだろう。
小さきものに興味などないのか。


過剰にランダマイズされた影面、コントラストと明度、ガンマ値、オフセット露出と言う撮影領域への侵犯、
色差のコントロール、触ったら形が変わりそう、ふにふにしている、やわらかい、さわりたい、ざわれそう
単純化されてはいるが、人間に効率よく刺激を与える要素を決してその手から漏らさない。
あたかも絵でも動きですらなく、眼球にタイムラインとともに焼き付けられる
すべての印象を紙に現像しなおすことを生業としているよう。それはアニメーターの仕事か?


彼の描き方は止揚に基づいた部分が薄い、いったいどこからその着想を得たのかわからない
うつのみやさとるによって一度は地動説が受け入れられたのに、
磯光雄を誤って解釈した人のせいで天動説が息を吹き返してしまった。
痛みもあるでしょうが今一度パラダイムシフトしましょう。みなさん。