【訃報】カメラばあちゃん増山さん死去【徳山村】
ばあちゃんに使われたカメラ、幸せだなぁ・・・
漏れの防湿庫にずっと眠ってるカメラたち、ゴメンヨ・゚・(つД`)・゚・ >>50
ttp://oda.minidns.net/movie/data/up0006.mp2 >>52
ありがとう。ただいまダウソ中です。...あと2時間以上。
なんだか回線重なので消さないでくださいませ。 観れました。
>>52さんにも、そしておばあちゃんにも重ねてありがとう。 増山さんのお名前を耳にしたのは大学を卒業してしばらく経ったころでした。
そのころは、生意気にも、写真家になれたらと思っていました。
しかし、ダムに沈む村を何とか残そうと、小さなカメラを手に走り回り、
子供たちからお年寄り、道端の小さな花まで一所懸命撮っておられる姿を
テレビで見たとき自分がいかに甘いかを思い知らされました。
写真を撮る本質を見せられた思いがしました。
こころよりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
3/14 火 NHK総合 23:15 23:45 [S][文]発見ふるさとの宝[最終回]500冊のアルバム▽1年振り返る
3/15 水 NHK衛星第二 11:15 11:44 [文]発見ふるさとの宝[終]
S][文]発見ふるさとの宝[最終回]
2006年3月14日 23:15〜23:45 NHK総合
オマイラ、見ようぜ。 切り口が甘い。がっかりだ。
あとテロップでいいから、亡くなったことに一言あってもよかったろうに。
収録後でもそのくらいは出来たはず。 俺も。この婆さんの写真はツボにはまりすぎる。
とても本屋では見れない。 >>59
切り口はともかく、最後まで見ない気の短さにはガッカリだ この人の写真見たとき
反射的にいい写真だと思ったなぁ 写真集を村のみんなに配ってたんだね。
写真はもちろんだけど、見返しに書かれたおばあちゃんの上手な字もびっくりした。
なんか人柄が出てるよなぁ。
ご冥福をお祈りします。 「上手な字も」 → 「上手な字にも」
失礼しました。 アラーキーの「写真ノ話」って本に、写真の撮り方とか写真とは何かということについて、母親が
死んだときと、父親が死んだときに撮った写真を引き合いに出して語ってる部分があってさ、
一部分だけ抜粋すると、
(前略)
アタシが見たくない、彼も見せたくない、残したくない顔は、切っちゃうわけ。長患いで情けない顔に
なっちゃってるからさ。こういうときの顔撮ってると、ずっと残っちゃうから。忘れたければね、顔を
撮らなきゃいいんだよ。写真撮るとね、どうしても思い出しちゃうから。
で、顔をトリミングする。切っちゃう。フレームアウトする。
(以下略)
さっきの番組で増山さんが同じようなこと言ってるのな。
「悲しいところや悪いところは一つも撮っとらん。」「写真は残るから」(以下略)
上手く撮ろうとか考えてないとも言ってるけど、それでいて心構えみたいなもんがアラーキーと同じような
境地に到達してるのな。凄い写真が出来るわけだわ。
あちゃー、そんな番組やってたのか。見逃しちゃったよぅ。
「ブロアーといえばジャンボハリケーンだろ!」なんて読んでる場合じゃなかった。 >>68 まだ大丈夫。今日11:15からBSで再放送がある。 >>68
おまえ、面白い奴だな
俺は録画したから今夜ゆっくり見るよ。 >>67
というか、ある意味アラーキーより写真の真髄に到達した人だったと思う。 やっぱり、写ってる本人に喜んでもらえるような写真がイイよね。
変にシリアスぶったカン違い写真は大キライ。 アラーキーは、生と死って事言ってるけど、増山さんの撮った写真にも
生と死が写ってるな。村の死や故郷の死、生まれ故郷で死にたいという老人の
気持ち。そういった死に関する色んな物事が写ってる。でも写ってる村人の
姿は生き生きとしてる。 ばあちゃんの写真とか見てると、銀塩だデジタルだ、カメラだレンズだなんてグダグダ言ってるのが
馬鹿らしく思えてしまう。 >>74
まったく同意。
婆さんの写真を見るたび、
何故写真を撮るのか、何のために撮るのか、いつも自問させられる。
そして、誰かに巧いって言ってもらいたいからとか、とりあえず絵になりそうだから
って理由でシャッターを切っている自分を見つけるんだな。
写真を撮るということの本当の意味を教えてくれたように思うよ。
>>73
>やっぱり、写ってる本人に喜んでもらえるような写真がイイよね。
撮る趣旨が多様である以上、良くも悪くも色々な写真があるけど
自分が撮った写真で、ほんの一瞬でも人を幸せな気持ちにさせる
ことができたら、激しくいいなと思う。 朝日新聞の日曜版「be」で紹介されていた事があった。
もうネットでは見る事は出来ないみたいだけど。 婆さんの写真は決して技術的に巧い物ではなかった。
でも、そんな事はどうでも良い。
この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
こんな事出来る人、どれだけ居るだろうか?
少なくとも「大御所」竹内敏信や「脱がせ屋」篠山紀信には逆立ちしても出来ない事だろう。
人として生まれてきて、その生きた証を残せる人って凄いと思ったよ。
もとより婆さんより「もっと」凄い物を残してる人がいるのも承知している。
だからと言って婆さんの所行を卑下する事は出来ない。
少なくとも俺には婆さんほどの物を残す事は出来ない。出来そうにない。
改めてご冥福をお祈りすると共に、(会った事無いけど)お別れの言葉。
「やったね婆ちゃん」
訃報聞いた日にAmazonで注文して、今日届いた。
>>79
>この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
なんか感動した 大御所の写真にはちっとも憧れない。ただ、これでもかって言うほど念入りにやっているであろう自分の
足を使ったロケハンの積み重ねは、一生見習わなくてはいけないと思う。
脱がせ屋さんの写真は、ブツ撮りのフィギアみたいだ。何が悲しゅうて生きた人間をフィギアみたいに
写さなきゃならんのかが俺にはわからん。果てしなく痛々しくてもトレカメやもえたそのヌードのほうが、
生きている人間が感じられるぶんだけずっとオモシレエ。
アマチュア写真倶楽部の作品展とかをたまにみると、変に上手く撮ろうとしてる写真ばっかで凄く寂しい。
それと、フォルテアやベルビアで撮ったと思われるキモイ発色の写真が目立つ。あんな癖のあるフィルムを
脊髄反射で使ったら良くなる筈の写真までダメになる。
そういうのと比べると、増山さんの写真は被写体への愛と被写体が持つ命が伝わってきてしかも作風が上品
で好きだ。写真には、撮影者自身が投影されると知らされる。ヘボ写真を性懲りも無く雑誌に送り続ける以上、
自分も心して撮らないといけないといけないと思う。 >>81
村の様子を写真で残せと、天命が下りたんだろうとおもう。 天命なんて霊感的なものではないだろう
婆ちゃんの写真は消える故郷と出征したまま帰ってこなかった旦那への想いが結晶化したもんだよ ・゚・(ノД`)・゚・ 今日、初めて写真を見た。
なんか、季節の空気や村人の体温が伝わってきそうな写真ですね。 >この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
たづ婆ちゃんが何をなし遂げたのか正確に表現しやがったなこのやろう。
写真やってる人間に対して最高の賛辞だと思うぜ。 昨晩テレビでやってたのか・・・
ちゃんとラテ欄チェックしとかんと駄目だな。見たかった。
もう10年ぐらい前に中京テレビかどっかが徳山村を取り上げたドキュメンタリーをやってて、録画したんだけどテープが行方不明(つД`) ピッカリコニカ等開発に携わったコニカの内田さんが,このおばあさんのように
カメラを使ってもらうと開発者冥利に尽きるとおっしゃってた。
増山おばあちゃんのご冥福をお祈りします
そしてコニカミノルタのカメラにも…
さっき「徳山村写真全記録」が届いた。ホントいい写真集だと思った。
その後、アラーキーの「センチメンタルな旅 冬の旅」を本棚から引っ張り出して見た。
被写体への愛情と生と死が、どちらの本にも溢れていると思った。 「徳山村写真全記録」買いました。
村の人々や風景はもちろん、ダム工事で働く方々にも
優しい思いやりの言葉・・・ただただ感動です おかずと言うより、日本酒を一杯飲りながら見てると…最高のツマミになる。
寧ろ、日本酒がツマミか… 昔、なんとかピカソで見たなぁ。
写真集を数年前に買った。すげぇよかった。
弘法は筆を選ばず。 今週読売夕刊追悼抄で下の写真つかわれてた
晩年のようだが何使われてたのかな
亡くなった日にもテレビの取材が入る予定だったとか
ttp://show.yomiuri.co.jp/photonews/photo.php?id=9193 もう9年も前のカメラなのか…漏れも今でもブラックを愛用してるよ。 ピッカリ(C35 EF)以外のも使ってたんだ。
それともプレゼントかな? ずっとC35 EFだと思ってた・・・
使ったこと無いけど、これも良い描写するんだよね? >>92
おかずになるかどうかは分からんが、酒の肴にはなる。
あれがあれば、下戸の俺でも二合は飲める。 最後のビッグミニにしてコニカ最後のコンパクトカメラの名機か。 ばあちゃん、カメラのことは分かってないかもだけど、
ちゃんと使いこなしていたな〜。
有名な写真家がよくワークショップやってるけど、ああいうのにばあちゃんが参加してたら
もっと良い写真が撮れてたのかな いや、逆にすかした、いかにもな絵になって、
あの素朴であるからこそ、伝わるものが消し飛んで、
つまらない田舎の写真になってしまうような希ガス。
7万枚撮り続けたってことは、けっこう頑固なのかもよ。
技法を習ったからって、そんなに変わらないような気がする。 徳山村写真全記録を読了。
運動会での偶然撮れた流し撮りや、梯子に登ってガクガクブルブルしながら撮った神社の祭礼の写真と
いったほほえましいエピソードにほくそ笑む一方で、白い布で巻かれた墓石、重機で倒される家屋や
木々といった村の消滅を否応なしに意識させる写真を見せられて衝撃を受けた。
このころ小学生だった子供達もいまでは三十路以上か…
ところで写真のデート部分が横長にかぶっている写真が頻繁にあったが、あれはどうやったら
そう写るのだろうか…故障?
そういえばピッカリやジャスピンコニカの開発者への内田康男さんへの賛辞も文中にあったな。
ちなみに今の徳山ダムの進歩状況
http://www.water.go.jp/chubu/tokuyama/ 写真のデート部分が横長にかぶっている写真は
開発者がそれを見て、ギャーーー、公開しないで!
と言ったらしい。
ちなみに、畳2枚だかに伸ばした写真は、ピッカリは
レンズに手抜きをしていないという証明として、度々
開発者が講演のネタにしたらしい。 畳二枚か、すごいな。
俺はさいきん、デジタル一眼レフの画質に飽き足らず
6x9判カメラを買ったところだよ。
私用で集合写真を撮ることが多いもので。 しかし60超えてからの7万枚ってすごいな。
40代で20分歩くのすら苦痛になった今の俺って・・・ 1ヶ月の現像代が20万超えてて年金突っ込んでたという話だからね。
このおばあちゃんの写真見て
写真ってホント撮る人によって良くも悪くも写るという事を知らされた
腕じゃないんだね おばあちゃんに教えられました このばーちゃんの写真を見て思うのは
ただ綺麗で、冷たい、つまらない、商売人やコンテストの写真より、
製品として見れば酷い出来だが、確実に村への思いが伝わってくる。
こういう写真こそ本当の意味で「上手い写真」と言うのだろう。
真の芸術とはこういうものかも知れないな。 写真には、撮った人の人格が写るってのは
本当だと分かるよね。
悪い例だと、内田ユッキーの写真に出てくる人は
みんな不安げだったり怯えていたり、すごく不幸を感じさせる。
被写体を威圧しちゃいけない。 そろそろ過剰なばーちゃんまんせーがキモく感じてきた >>122
確かにね。自分の慧眼をひけらかしたり、他の写真を皮肉るために
引き合いに出されたら、婆さんも浮かばれまい。
婆さん自身「良い作品を撮ろうと思ったことはいっぺんもない」と言ってるわけだし。
泰然自若・唯我独尊、まあ、どっちも芸術(芸術家)のスタイルだ。感じ方は人それぞれだ。 今初めて亡くなったことを知りました。
ショックです。
1月頃だったか、NHKの深夜便で徳山村の昔話を語る肉声も聞いたばかり。
出征したご主人とは最後まで会えなかったわけだけど、天国ではきっと
会えるでしょう。
ご冥福をお祈りします・・・ 昨日写真集注文しますた。香典つーかなんつーか。冥福お祈りします。 俺も尼損からギフト券が来たので
買っちゃおうかな。 誰でもピカソに出たとき、世界のキタノに、アングルがいい云々と言われて、
は?????って顔をしていた。
アングルなんつう言葉を考えて撮った事などないのだろう。
でも、結果がよけりゃ、いいじゃん!
撮る時、被写体の首から上が切れないようには気をつけていた
ようだけど。 >>128
ユー買っちゃいなよ。
マンセーするつもりは毛頭ないが、目の保養になります。
身近な人間や風景を撮るときの基準というか目標もできた。 被写体である村人達のやさしい顔が素晴らしい。
婆ちゃんへの気持ちが、そのまま写真に残ってる。
そうかと思えば重機に倒される桜の木の美しさと残酷さはどうだ。
狙ってとれる写真ではないなと思うよ。テクニックじゃない、
現場の現実が写っているよ。ネがカラーのショボい画質を
忘れさせる衝撃があるな。
じいちゃんへ残したい、後の人に残したいという気持ちが、
ばあちゃんに写真を撮らせたんだろうな。
ばあちゃんのこと、忘れないよ。合掌
>>129
あの番組最初はふーんてな感じでみてたんだが
カメラ構えかた瞬間”このばあさんただものではない”オーラだしてたぞ。 >>133
ワロタ.
ケド、 ナゼカ スコシ ナミダ ガ デタ. あのへん、膨大な水の重量で活断層が影響を受け、
地震が起きる可能性があるらしい。 >>140
眉唾物の話だな。あまり真に受けないほうが良いよ? 写真集に出てる運動会の写真、初めてピッカリを手にして取ったという写真
バッチリ流し撮りが決まってるんだが..... >>144
膨大な枚数撮ってたそうだから、決まってるのもあるでしょう。
でも、良いのが撮れるまで何度もチャレンジするっていう精神は
アマチュアフォトグラファーの鑑だよね。 >>140
まあ根尾谷断層なんてのも近所にあるけど関係ねえべよ
黒部ダムはダムの水で高熱隧道の温度が下がったが