【老いて益々】田中長徳ファンのスレ Part6
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いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに 生前葬やったみたいだし、本人が良ければ良いんじゃない。 >>235
借物だから売れないんだろ
じーさん本人のならとっくにヤフオク行き >>243
生前喪やって香典ドロボーで食い繋いでるんか?
哀れだねぇ〜(涙)
そこまで落ちぶれたとは…
ところで、このジイさんを持ち上げてた取り巻き連中は何処行ったんだ!?
長徳さんの本でクラシックカメラの素晴らしさに目覚めました!とか言ってたのいっぱいいたじゃん。 今年の春ごろから噂されているフルサイズの理子のおっと間違えたペンタックスのGRと言うのはもう出ないみたいですね。
あれだけ自分から話題を出していたのに。
ペンタックスから相手にされないから腹いせに書いたのか。
今更フルサイズのGRなんてだから、まあどうでも良いけど。 何度も言うけど
結局ここにはニワカトーシロな朝鮮人しかいないことが良くわかるよね
ニワカトーシロ朝鮮人が先輩風吹かせていて失笑しかない 1970年代前半の写真雑誌はおもしろい
1975年くらいからは独特の暗さと閉塞感
1980年代になると急激に中味スカスカになる >239 名無しさん脚 2017/11/24(金) 16:55:12.63 ID:i5PBRr/E
>レチナハウスのM月さんはもうかなり前に亡くなってますよ。亡くなる時は大変苦しんで家>族も見ていられない状態だったようです。
>東カメのある方を最後まで恨んでました。
↑
なんだこれ? 東京カメラ倶楽部というと、田村彰英、田中長徳、平カズオ(故人)、飯田鉄が
理事だったな。 望月孝って、デジタルに詳しいカメラマンがいたけど、いまは
どうしているんだろう。 違う。
望月良二さんだ。
青山でレチナハウスをやっていたが
閉店して病が再発して亡くなったよ。 やっぱり人間って1度大病しちゃうとダメだよな。
だいたいその後数年以内で亡くなってるよね。 >>269
望月さんはトリウムレンズ大量に仕入れたため放射能でやられたと聞いたが 開運業してて癌になったけどカメラ屋開いた事がニフティサーブ時代話題になった。
でも銀塩カメラの終焉と共に店も。暫くしてM月さんも亡くなった。
ごく身近の人の話だと壮絶な末期だったみたいで怖くなった… 前衛美術の旗手として頭角を現し、小説家として芥川賞を受賞、エッセーでも「老人力」という流行語を生むなど幅広く活躍した美術家・作家の赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい<本名・克彦=かつひこ>)
さんが26日午前6時33分、敗血症のため東京都内の病院で亡くなった。77歳。葬儀は近親者で営む。喪主は妻尚子(なおこ)さん。
1950年代末から無鑑査の美術展に出品を始め、60年、同世代の芸術家と「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。既成の価値観や表現にとらわれないオブジェを発表した。
63年には故・高松次郎、中西夏之さんと結成した「ハイレッド・センター」で、さまざまなものを梱包(こんぽう)する立体作品を発表。都心部でのパフォーマンスを通し、東京五輪を前に急変する社会に疑問の一石を投じた。
63年に千円札の片面を原寸大に印刷し、個展の案内状デザインに利用したことが、後に「通貨及証券模造取締法違反」に問われ、「犯罪か芸術か」をめぐる「千円札裁判」として注目された。
70年、最高裁で執行猶予付き有罪が確定した。
70年代には「尾辻克彦」のペンネームで小説の執筆も開始し、81年、「父が消えた」で芥川賞を受賞。
また、老化の兆候をポジティブにとらえたエッセー「老人力」(98年)がベストセラーとなり、翌年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
散歩を愛し、路上観察を提唱したほか、日本美術の面白さを分かりやすく説く文章やトークが人気を集めた。2006〜10年、本紙夕刊(東京本社紙面)でコラム「散歩の言い訳」を連載。
著書に「超芸術トマソン」「千利休」「東京随筆」など。直木賞作家の赤瀬川隼さんは兄。
11年の胃の全摘手術以降、体調が悪化。25日夜、容体が急変したという。18日から東京都の町田市民文学館ことばらんどで個展を開催中。
千葉市美術館でも28日に美術展の開幕を控えていた。 「どういう事情なのかは知らないが、赤瀬川源平氏も田中長徳氏も、
いつのころからか中古カメラ市には姿を見せなくなっていた。」
(「ブームはどう始まりどう終わるのか」第4章ブームの終焉 中川右介著岩波アクティブ新書)
赤瀬川氏はともかく、もうひとりの方は何だったんだろうね。 >>280
単純に飽きたんだと思う
赤瀬川氏も「そうか、単に古いカメラなんだな」と気づいたら冷めたみたいな事書いてたな
確かに「ズミクロンは!」なんて踊らされてたのがバカらしくなった >>283
>確かに「ズミクロンは!」なんて踊らされてたのがバカらしくなった
徳島の阿波あほ踊りよりはマシだろ >>280
赤瀬川氏についてはその通りだとおもう。迷いから「解脱」できた。
もうひとりについては、あれだけ不義理と不人情を重ねたのだから、
どの面下げて、になったんじゃないの? 排他的だよね
昔オフ会とか行ってたけどカメラの事で別にツルむ必要ないし
冷静に考えたらバカバカしくて皆行かなくなった
いい歳したオッサンがカメラ市にゾロゾロ集団で行くのは今考えても恥ずかしい…… >>287
Yねえ、口にするのも汚らわしい、というとこだね。 >まぁ我々がメーカーさんとお付き合いして提灯記事を書くよりもはるかに紳士的
な〜んて憎まれ口のようなことがとどめの一撃だったんだろうね。
もう、どこからも相手にされない。 メーカー、金持ち友人、取巻き、あらゆる方面から総スカンを食らった今の文章は清々しいね。毒まみれ。 >>295
20年近く前かな?カメラ板が大炎上した
自分の功名心の塊だけな、思い出すのもおぞましい下衆な爺が肖像権無視、個人情報垂れ流しで暴れまわり色々な人を巻き込んで大騒ぎになった
大顰蹙だったよ >>278
M月さんが店を仕舞う時、古くからのカメラ仲間が片付けを手伝い終わりに近くでささやかな慰労会をやったんだ
色々話したんだがなんか人間不信になってて酷くやつれてた印象が今でも心残りとしてある そういや、M月さんが亡くなって久しいけど懐かしいね。
あんな誠実な人が普通に生きられないなんて、世の不条理を感じたよ。 スレ違いだけど懐かしいネタが並んでるな
Y縣氏がアルパカ氏のスレを立てたのはいいが
コテハンのまま立ててバレてしまって
中古カメラ市でアルパカ氏に胸倉掴まれてすごまれたという話には腹抱えて笑った。
M月さんの日記はそれこそ「インターネットを始めて」最初の頃に愛読してた。
毎日グラフの別冊にレチナハウス開店までの手記が載っててそこには前職や病気の事も詳しく書いてあり
日記で意味が分からなかったことも理解できた。
まだ子供さんも小さかったようだし、亡くなったのは気の毒だったな。 >>309
なに?
アルパカ氏とY縣氏って対立してたの? どちらが正しいかは当時を知る人の答えは1つだ
本当に他人を陥れたり陰口がヒドイ爺だった。 人のカメラをぶつけたり落としたりしても謝罪の1つも無いからな ! ! 落として機能の一部が欠けようが、或いは光漏れのカメラになってしまおうが
フィルムを入れてフィルムに露光できるなら、それはカメラだ、な〜んてザレ言を口にする輩なので、虫するに限るよ。 >>314
そんな考えだから、ヤフでポンコツ売りつけておいて恬として恥じなかったんだ
納得 光漏れのカメラで撮影した光線引きのフィルムによるプリントも、現場の光をストレートに記録した写真なのだ、とする前衛芸術家。 今インスタではゼロコマ目の半分感光した写真が流行っていたりするから一概に否定できないよ。何が流行るかわからん >>316
光線漏れが作画意図通りだったら芸術、
そうではないのだから単なるデタラメ もう亡くなった方々だから
悪く言うのはやめましょう 亡くなったって、誰のことを言っているのか分かってんの? ある日、コムラー500mmでゴミも一杯写ったスカイツリーの映像を残したエプソンカメラがオークションに並ぶんだ。 >>309
そんな事してたから相手にされないんだね 今になって冷静に見てみると、単なる品格の欠片もない俗物的な爺さんだったんだな。
そんなヤツの本を中古カメラ市のサイン会に有り難がって並んでたのは何だったんだろう。 金欠悔し紛れで新製品批判繰り返し
エプソン引っ張り出してきて自慢 >>327
教祖というのは洗脳が解けてみれば、ただの小汚い爺さん。 ホントにそう思うね。
あの爺さ、文章もそんなに上手くないぜ。
同じ事何回も書くし飽きる。 >>332
奴は「文章もそんなに上手くない」どころか、日本語がおかしい 爺さんの原稿に赤入れしていた編集者が湧いてきていますね 写真もうまくない。
文章も下手くそ。
ルックスもヒドイ。
性格も悪い…
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