朝鮮の歴史を紐解くと、初期の高麗朝を除きほぼ全てに渡って中国歴代王朝の属国としての地位に甘んじてきた。
その有様は、事大主義(小国が大国に媚びへつらって生きていく主義)に代表されるように千年属国朝鮮の悲惨な姿を現している。
しかしながら当の朝鮮は事大主義に生きることを選択し、それを誇りとしているのだから何をかいわんやである。
朝鮮のこの事大主義は、時には何と朝貢を受ける中国王朝の方が、迷惑がる事もあった。
例えば、宋の時代に、宋王朝は北方の契丹人や女真人に国境を脅かされており、その為莫大な貢ぎ物を契丹人の遼王朝、女真人の金王朝へ送ることにより国境の安定を図っていた。
ところが、こんな時代でも当時の朝鮮高麗王朝は、宋に対し朝貢と册封を要請したきたのである。自分から宋に朝貢させて欲しい、册封して欲しいと頼んでくるなど、これぞまさに筋金入りの属国根性である。
宋王朝は先の北方の強国から誤解を受けかねないと、この朝鮮の朝貢に難色を示したことが当時の史書に記されている。
さらに朝鮮の事大主義は益々エスカレートしていく。高麗王朝から王位を簒奪し、李氏朝鮮初代の王となった李成桂は、王位につくやすぐさま、当時誕生したばかりの明王朝に伺いを立て国号を決めて貰っている。
この時、李成桂は、箕氏朝鮮の旧号「朝鮮」と李成桂の生地「和寧」の二つの名前を持ち出し、明の太祖の朱元璋から「朝鮮」の国号を使うことを許されている。
世界史の中で様々な国が存在するが、他国に自国の国号を決めて貰った国など、後にも先にも朝鮮ただ一カ国である。
本来ならこの一時を持って、朝鮮が中国の属国であった事を、何よりも物語っているのだが、韓国人はこれでもまだ朝鮮が中国の属国であったことを認めないのである。