ウォン・イルファン(H.B.アンダーウッド)教授は、日帝が韓国に及ぼした功労は鉄道や学校の建設ではなく両班階級(
李氏朝鮮時代の支配階級)の破壊だとも言ってます。
 李朝末期の韓国は、政治が乱れに乱れていた。宮廷は国民の大多数が生活苦に喘いでいるのをよそに、政争に明け暮れていた。役人や、両班はみな私欲にかられて、
自らの栄達と蓄財のみを求めて、弱い民衆を摂取することだけしか考えなかった。そのために社会道徳が乱れて、精神も文化も経済も疲弊した。売官売職は普通のことだった。
どこでも賄賂がまかりとおった。黄金の力と暴力が支配していた。 政治は不正行為の別名しかなかった。民衆への収奪が極限に達していた。
いつもハルサリ(その日暮らし)を強いられていた庶民は、こき使われるだけこき使われ、乱暴されるだけ乱暴されて、まったく希望をいだくことができない日々を送っていた。
社会が停滞しきっていた。火賊や山賊と呼ばれる盗賊が横行していた。火賊は村を襲うときは放火して、その混乱の中で略奪したためにそう呼ばれた。
日本人は徳川幕府末期の日本について大いに誇ることができようが、情けないことだが、韓国人としては李朝末期については何一つ誇ることができない。 
                   
「醜い韓国人」光文社 著者 朴泰赫
京城(ソウル)に朝鮮総督府が置かれ、朝鮮には日本から日本人の税金によって莫大な資本投下が行われた。欧米の植民地が搾取を目的としたものであったのに対し、日本は朝鮮を自国同様に扱ったのである。
朝鮮の七大名物は、糞、煙管、シラミ、姑生(キ−セン)、虎、豚、蝿。朝鮮総督府は初潮前の姑生(キーセン)を禁止し、ロリコンの楽しみを奪った。