沈黙 SILENCE 3
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>>313
いや、面白いじゃんこの映画
世の中ラブライブやバット対スーパーを10回観る奴もいるんだから
驚くこともないだろ このスレは再利用スレみたいですが
これまでのスレのリンク誰か貼ってもらえませんかね
最近終了前に滑り込みで鑑賞したので気になります >>313
2回見た直後に舞台挨拶あるやつにも行けたから3回になったんだよ。
でも他にも3回4回見た映画あるし >>315
リンク貼ったところでDAT落ちして読めないからログ速で検索するがよい(神) >>314
各キャラの心理を想像しながら見ると相当おもしろいよね
しかもどの立場に立って見ればいいのか定めづらいのもいいところ
日本と言ってもあんな弾圧がある国は相当違和感あるし
もう一回見たいな
それと町山智浩の解説がすごかった イントロだけ聞いたのだけど、エリア・カザンがフェレイラでありキチジローである、と? 浅野忠信の「淵に立つ」も観た。
沈黙よりもさらに暗くて怖い映画。
なんであんな映画作ったんだろう? >>322
最初感心して聞いてたけど、勝手にいい話作ってないかって疑い始めた どんな話してた?聖書の内容にも触れてるなら買いたい >>318
原作三回読んでましたが傑作でしたよ
原作はもうちょっと腐臭漂う地獄絵図みたいなイメージでしたが
映画はセットも素晴らしく、美しい撮影で見やすかったですね
俳優もみんな素晴らしかったです
キリストの顔が浮かんでくるところとかどう演出するのか気になりましたが
絵画を使うのはなかなか上手いな、と
キリストの声は誰がやったのか気になりましたね
ラストのオリジナルもありです
この映画に関わった人、みんな尊敬します
何とか製作費回収できたらいいですね スコセッシが映画を志した頃の目標であり師匠と仰ぐエリア・カザンに
捧げるような内容だとか言ってたんだろう
本人が言及してたわけではないから、断定すべきではないよなぁ エリア・カザンって波止場の?
何かカザン復権のためにアカデミー賞だかをあげる導きをしたとかは聞いたけど、本作と何か関係あんの? 詳しく聞いてないんでアレだけど
カザンが赤狩りで密告をしたっていう事実と
ユダに対する許しや共感という、沈黙が持つテーマが一致してるってことかな? 流れをぶった切って思ったことをカキコ
・キリスト教の大本であるヨーロッパからも発祥地パレスティナからも、
日本は地球の裏側ではないが最も遠く、布教の最終地点ではないか?
・日本以外のほとんどが、ヨーロッパの人々から見て野蛮人として映る人間ばかり
だったのに、奇しくもこの一番遠い国に魅惑的な文化が存在していた
・日本はそこそこに強かったが、鉄砲を大量に売ったために益々手ごわくなった
侵略するのなら、鉄砲など売らなければ良かったのに何故か売ってしまった
・古代ローマで大迫害を受けたキリスト教達は暴力において厳しかっただけで、
知恵では負けていない自信が圧倒的にあっただろうが、日本において暴力も厳しいが、
論戦において言い負かされてしまうのではないかという体験はキリスト教徒達にとって
初めてだったのではないか?
・「神はなぜ沈黙しておられるのか」と遠藤周作は考えたが、この沈黙が黙殺や黙秘や
放置プレイなどの意味に近いものとして、近代に発明された概念だとしたら?
江戸時代の実際のキリスト教徒達は、そんな風には考えなかったということはないか?
・論理的に神は存在すると考えて信じたのではなく、神が働きかけ、その働きを圧倒的に
感じたためにその人々が信じていた可能性もあるのではないか?
質問や批判は面倒くさいから多分答えない あらあらw
町山の解説はスコセッシ=キチジローがメインというかスコセッシの信仰や弱さなどを主軸にしてるから別に的外れでもなんでもないと思うけど
弱さ=カトリックなのに離婚数回、ドラッグ溺れなどね
フィルモグラフィなども絡めてね
映画のテーマである裏切り、罪、赦しが普遍的なテーマだという話だからキチジローであれスコセッシであれエリアカザンであれ出鱈目ということにはなりえないけどね
それらが映画のテーマじゃないというなら、へえそうですかとしか言えないけど >論戦において言い負かされてしまうのではないかという体験
ないない。日本人側の質問もザビエルの書簡なんかに残ってるけど、「キリスト教初学者のよくある質問」レベル。
ザビエルもこれをもって日本人を褒めてたりするけど、おべんちゃらだろう。
>近代に発明された概念だとしたら?
「神の沈黙」は旧約聖書のヨブ記ですでに議論されているテーマ。 >>331
それだけ聞くとこんどは偉く普通の解説だな。気になるから買うわ。どうもです >>333
まあ普通といえば普通なのかなあ
映画沈黙に興味あるなら買って損はないと思うけど1時間半くらいあって200円で情報量多いし
それに同意することや異論があることも理解する前向きな方向であることに変わりなし キリスト教はすげぇけど守れねぇよ〜みたいなテーマはもう『最後の誘惑』でやってるからな。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でも拝金主義のクソさが分かっていながら惹かれてしまう人間の愚かさみたいなことを描いてたし。
だいたい誰が解説してもその辺は一致すると思う。 町山は映画を映画で語りすぎ
他の教養がないから牽強付会に結びつける >>330
>「神はなぜ沈黙しておられるのか」
本当に「存在してるんだよな⁈」という疑いの意味か?
在る前提で「Eli, Eli, Lema Sabachthani?」の意味か?
で変わってくる >>315
マウスがイカれてコピペできない
沈黙 サイレンス SILENCE 13 2ch
で検索 >>325
すごいな、原作未読だからためになったぜ
読んでみるよ
アリガトー 町山さんは、ロドリゴがモキチやキチジローとおでこくっつけるのは
「波止場」からと言っていたけど
塚本晋也さんがラジオであれは役者のアドリブでやったって言ってたから
それ自体は直接監督の指示ではないみたいだ
でも自然にそうなるように監督が仕向けたのかもしれないけど >>340
個人的な意見として「〜じゃないか?」「〜かもしれない」ならいいけど、沈黙にエリア・カザンを断定的に結びつける映画評なら少し嫌だな 「これを見て私はエリアカザンを思い出しました」じゃなくて
「これはエリアカザンの影響です」
っていう批評はちょっとねえ… でも実際に解説聞くと「思い出しました」なんてレベルの話じゃないなとは思うよ 町山はいつも最初は断定、それで的確な批判が来ると微妙に修正してくるw
上杉隆に似てるかも 作品の理解を深めたいなら、Eテレの心の時代、沈黙から50年って番組がおススメ
youtubeにあるし youtubeで見たかった沈黙関連の動画2つ消えてしまった
やっぱ早く見んとだめだね ロドリゴが最期まで信仰を棄ててなかったとして、火葬って当時のキリスト者にしたら「肉身の蘇り」を諦めるって事になるんじゃないのかな? >>350
そうだよ。全てを諦めても内面の信仰は残ったということでしょ。
典礼や教会を捨てても信仰はあり得るのか、という問いかけかと。 >>351
遠藤は自身が転宗(プロテスタント諸派)すれば良いだけなのに、何故わざわざカトリックに異を唱える様な事をしたのか >>352
後の作品でコルベ神父を書いてるように、極限状況での信仰のあり方を探ってたんだと思うよ。 >>353
「その人の代わりに私が死にたいです。」
ロドリゴにはそれさえ許されないという… モキチ、ガルぺみたいに信教の為カッコ良く殉教出来ない
キチジローやロドリゴの様な弱い人間のこそ神は福音を与えると
作者が考えるのなら真宗の悪人正機に通じる思想で
別にキリスト教である必要は無い >>356
それが当時機能してなかったのは何故か?
ボンズが利権闘争に奔走してたからじゃないの? いやあプロテスタントは浄土真宗ほど徹底してないから。
浄土真宗は「どうせ阿弥陀仏が救ってくれるから悪をしよう」という人でも救う(いわゆる「本願ぼこり」の議論)。
プロテスタントはここまで徹底していなくて、「信仰は心の中で信じてるだけではなく、態度で示せ(これもできなければ悔い改めなさい)」と要求する。
カトリックはさらにこれを超えて「いかなる場合も信仰を貫徹して天国にふさわしい人格になれ」とまで要求する。
カトリックに比べれば甘いというだけで、浄土真宗ほど甘くはない。 大衆にとって神は常に「沈黙」していた。それは「受け取れる資質がなかったから」だ。
この映画に予言者は登場していないので、神の言葉を「受け取れない」のは、当然である。
パードレは予言者ではない。これ重要。
予言者に沈黙した場合も、それに文句を言うのは不敬である。
人間が文句を言うのは不敬である。 >>354
他にも色々見ちゃったよ
やはりモキチのシーンすごいなあ >>362
それな
日本人が勝手に作った造語だから
「預かるっていう意味でーす!」とかな
prophetにそんな意味ないから 旧約のイザヤもエレミヤも、堕落した人間に
「このままだとこうなる、ああなる」と、未来を予言したわけよ
proってそういうこと
「神から授かった」というなら分かるが、「神から預かる」ってのは一部の日本人キリスト者の解釈な
ちなみに予も預も、元々は同じ字だから せめてπροφητείαで解説してくれよ 預も予も単なる異字体なのに、預言は神からの言葉、予言は人間の言葉とか
デタラメ広める奴いまだにいるんだよな。
そういう俺定義の誤用広めるのやめてもらいたい。 >>367
ギョーカイ用語て感覚でいいんじゃね
わかりやすいと思うけど
原典どーのだとヘブライ語やら勉強しなきゃだし >>352
「異を唱える」とまでは行かないと思う。
自分なりに納得できるものにしたかったという気持ちはあっただろうけど。
カトも中に入るといろいろあるんよ。 >>370
ロドリゴを牢屋から乱暴に引きずり出して縄をかけた半裸のマッチョ あれ高山だったのか
全然気づかなかった
ああいう役でもプロレスラーや相撲取りとか
たくさんの大男呼んでオーディションしたのかな 英語版wiki見たら、映画の出だし、ロドリゴとガルペがヴァリリャーノと語るシーンは場所がマカオだって書いてあるんだけど、
ヨーロッパの町じゃなかったっけ? 原作はポルトガルから始まり、ベレンを出港するけど、ヴァリニャーノに会うのはマカオだね タイムリーな題材と思ったけどアメリカ人は
この世界観にスッとは入っていけないみたいだね
鎖国や禁教の時代感はもちろんロドリゴ側のイエズス会やポルトガルも?って人が多いんだね 原作にいるもう一人の仲間が映画では抹消されてるのがかわいそうだった >>356
テーマ的には鎌倉仏教と同じだよな
遠藤周作は当然それを踏まえてキリスト教に話を移し変えただけ
ここで神学をどうたら言ってる人間はピントがズレてるし哀しいかなスコセッシも全然分かってないだろう 神学って言ってもここで議論してるような神学ってキリスト教の入門の入門ぐらいのところだぞ。なんか誤解してないか 「.高度な神学」という場合、公理はカテキズム?聖書? あれ?調べたらヴァリニャーノって慶長11年に死んでるな。
ロドリゲスらが来たのは寛永16年…
キアラン・ハインズが演じたのは誰だったんだ? ヴァリニャーノの背景はマカオの聖ポール天主堂
これ↓の8番目の写真
http://www.ciaranhinds.eu/movie.php?cle=mov111
これ、実際にここでロケしてたとしても外景はCG処理済みってことなんだろうね(建物も階段も周囲もキレイすぎる) >>389
メイキングでそのシーンの様子が見られる
ブルーバックで撮影してる
https://youtu.be/SKlaIUTF8rk >>391
お前、上司が「りんぎしょ」って言ったら「それは百姓読みで、ひんぎしょが正しいです」とか言っちゃうのか まあ、言っちゃってるんだろうな
んでも暖かく見守ってあげましょうや、愛ですよ愛! キリスト教の文脈では、預言と予言とでは意味するところが違うよね、って話 映画『沈黙−サイレンス−』本編映像”神と仏陀”
https://www.youtube.com/watch?v=P-L93I2R1Lc
「何も学ばない。話せた日本語は「ありがたや〜」だけ。言葉も文化も食べ物も、日本の全てを軽蔑していた」
ファーザー・カブラルのような傲慢な屑ハクジンは現代にも大勢おるな
ハクジンはどうしようもないよ
>カブラルは、日本人を黒人で低級な国民と呼び、その他、侮蔑的な表現を用いた。
>かれはしばしば日本人にむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人(ジャポンイス)だ」というのがつねで、
>日本人に対して、日本人が誤った低級な人間であることを理解させようとした
なんやコイツ・・布教する気ないだろ。。
吊るせばよかったのに 大友宗麟が日向国に出兵してこれをキリスト教化しようとした時に大友軍に同行した宣教師がカブラル。
目論見がうまくいってたら日本の一部を丸々切り取るというフロイスやヴァリニャーノどころじゃない成功を収めていた可能性もあった。
実際にはこの戦で大友は島津に負けて衰退の一途を辿るんだけども。 既出だったらすみません。
捕らえられる寸前のモキチにロドリゴが額をつけていた様子をガルペがずっと見ていのってどういう意味かな?
ロドリゴよりも信者を救いたいという競争心から、海に投げ込まれた信者を助けようとして無理をしてしまったとか? >>402
>モキチにロドリゴが額をつけていた
まったく個人的には「堅信」だ、って感じた。
見ていた、ってのはあまり印象に残ってないから想像で言わせてもらえば、立会い人的な思い?!
>競争心
それでは死ねんだろ、と思う 原作では踏んで良いと言うロドリゴを咎める目で見ていたという描写があるから
予告ではその場面だと思ったんだけど微妙に違うんかね 原作未読だけど、原作がそうなら映画でも踏襲されてるはず いや映画だと、踏んだらダメってガルペははっきり言っちゃうから、そこが小説でいう咎める目で見るというのに相当する
から
映画版では目の意味は違ってくるかなと あの顔は
おいおいよくやるよって感じであまり良い印象に見えなかった 何があってもモキチは絶対に信仰を棄てない事は解ってた(感じてた)。
違う言葉で言えば死ぬ事は解っていた。
そういう時、人はどんな別れ方をするのかな ロドリゴが「踏んでいい」と口走った直後だから
ガルペから見てロドリゴが信徒に同情しすぎて道を踏み外すんじゃないかと危惧してるんだと思った
実際その通りになるわけだから ガルペはストイックなんだろうなあ、あまり迷いもなさそう
ロドリゴは元々無自覚に葛藤抱えてそうだった ゴリゴリのストイック(原理主義)な神父がロドリゴの立場だったら、穴吊りの人達に「神の為に死ねるなら誉れだろ」くらい言って、絶っ対に踏み絵しないんだろか? >>411
そうだろうね。痛み苦しみは神が与えたもうた試練、と解釈して。
実際穴吊りでの殉教者も多数だし。 ポルトガルからやって来る途中で確実にゴアに立ち寄ったロドリゴが、
現地の教会が異端審問でユダヤ人やヒンズー教徒を取り締まってる(火刑含む)
ことについては何の葛藤も感じなかったのだとしたら、どこまで自己中で
鈍感なの、という話でね。
時期的に取り締まり自体は緩んでいたとは言っても、摘発は宣教師にとって
重要な職務ではあったんだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています