流れをぶった切って思ったことをカキコ

・キリスト教の大本であるヨーロッパからも発祥地パレスティナからも、
日本は地球の裏側ではないが最も遠く、布教の最終地点ではないか?
・日本以外のほとんどが、ヨーロッパの人々から見て野蛮人として映る人間ばかり
だったのに、奇しくもこの一番遠い国に魅惑的な文化が存在していた
・日本はそこそこに強かったが、鉄砲を大量に売ったために益々手ごわくなった
侵略するのなら、鉄砲など売らなければ良かったのに何故か売ってしまった
・古代ローマで大迫害を受けたキリスト教達は暴力において厳しかっただけで、
知恵では負けていない自信が圧倒的にあっただろうが、日本において暴力も厳しいが、
論戦において言い負かされてしまうのではないかという体験はキリスト教徒達にとって
初めてだったのではないか?
・「神はなぜ沈黙しておられるのか」と遠藤周作は考えたが、この沈黙が黙殺や黙秘や
放置プレイなどの意味に近いものとして、近代に発明された概念だとしたら?
江戸時代の実際のキリスト教徒達は、そんな風には考えなかったということはないか?
・論理的に神は存在すると考えて信じたのではなく、神が働きかけ、その働きを圧倒的に
感じたためにその人々が信じていた可能性もあるのではないか?

質問や批判は面倒くさいから多分答えない