沈黙 SILENCE 3
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同じスコセッシ監督のディパーテッドでは
アイルランド人が主人公で
イタリア人はなんだかしょうもないチンピラみたいな扱いだったな >>562
ああ町山が紹介してたなそういや。観てみようかな 話変わるけど、
前にキチジローは窪塚だとイケメン
すぎるので江本拓がいい、という人が
いたけど、
今日、映画の番宣で江本見たけど、
共演者の小栗旬より背が高くて、スタイル良くてビックリした。
小栗、岡田と並んでも遜色なし。
あっちの人が見たら窪塚と変わらんと
思う。 寧ろ、窪塚のほうが痩せてて、
屈折した感じだから、キチジロー向きだと思ったわ。
江本、身長183もあって体格良すぎw このスレ荒らしまくってた国士さまって今どこで暴れてるんだろう Bill nye っていうアメリカのでんじろう先生みたいな人が宗教を否定しまくってて面白い >>569
960 : 名無シネマ@上映中2017/01/19(木) 15:10:51.22 ID:rqdi3LQF
キチジローって窪塚って言うより柄本佑みたいなイメージだったんだけどな。
961 : 名無シネマ@上映中2017/01/19(木) 15:37:54.49 ID:MQToBq4l
あってはいるが出た瞬間「こいつは裏切る」みたいな臭い出し過ぎな気もする
962 : 名無シネマ@上映中2017/01/19(木) 16:18:39.22 ID:rqdi3LQF
出た瞬間からって、柄本佑に凄い失礼な気がするけど、原作でも登場した瞬間から裏切りそうな雰囲気プンプンだよね。
963 : 名無シネマ@上映中2017/01/19(木) 17:19:37.33 ID:VkUwyNei
窪塚もすぐ裏切りそうじゃん 今夜の探検バクモンで隠れキリシタンを取り上げますね 窪塚のキラキラした目がいいんだよな
柄本じゃ目が死んでて そうそう、柄本は卑屈な顔してて合わない
窪塚の、アフォっぽいけどまっすぐな目がよい 柄本だと普通に裏切ってるだけのクズ野郎にしか見えないぞw でも柄本佑って、見た目普通じゃん。
もっと変態チックなのか、と思ってた。
弟と混同してたわw our load って言ってたし沼に負けてもカブレラも最後まで芯は折れなかったんかな 要はこの作品はキリスト教のような素晴らしい宗教()が根付かなかったのは日本の文化や国民性のせいと言いたかったのか?
だとしたらさすがくっそ下らん文化論だな
しかもそれを日本語も喋れず日本に住んだ事もないキリスト教圏の人間が撮るとか面の皮厚過ぎだろ その点については「沼」と表現して断定を避けてる。つまり観客・読者の解釈に委ねてる。 どこが断定避けてんだ。言ってるまんまだろw
一昔前の左翼史観とキリスト教信者の変な選民意識が混ざり合って拗らした感じよな
そしてそれを外人が映画化して日本人が喜ぶという何とも形容し難いマヌケな構図
ウヨの自画自賛とは真逆だが同じくらい気色悪い キリスト教を自国流にアレンジしちゃったのが気に食わないって話だろ
そしてそれがニポーン文化全般に及んでるのが嘆かわしいって言いたいんだろ
で、世界中に広まった素晴らしきキリスト教が広まらなかったのもそういう日本人特有の異質で救いようの無い腐った沼気質のせいだってわけだw
もう泣けてくるな
こんな発想でいる限りキリスト教は永遠に定着しまいよ 日本特殊論が気に食わんって話?
よくわからんが自分の子供に詩羽楊(じばにゃん)とか生愛(りばい)とか名付ける奴の心にはなんか沼的なものを感じるな俺はw むしろキリスト教は素晴らしいと思っていた人が
キリスト教に疑いを持つ話だと思うんだが 最近知ってびっくりしたのは遠藤周作がテイヤール神父のキリスト教解釈に心酔していたらしいということ。
テイヤール神父は進化論をもとに人類の進化の到達点がキリストにあるという解釈をしていた人で、もちろんカトリックからは異端扱い。
(ちなみにこの思想が『2001年宇宙の旅』を介して『エヴァンゲリオン』に影響を与えている)
それと『深い河』においては転生思想も肯定しているらしい(俺は未読)。
これももちろん通説的な聖書解釈とは反する。
『沈黙』ではそれほど異端という印象は受けなかったけど、本人の思想は割と少数説に属するものだったのかもしれない。 >>582
名前忘れちゃっった
クワイガンジンの人 >>587>>588
日本以外にもインドや中国等でも根強い宗教があった場所ではキリスト教はそれほど広まらなかったし
結局キリスト教が広まった国ってアフリカや東南アジアやアメリカ大陸で民族浄化やそれに近いことをして文化を破壊してから布教したのが成功しただけだし(インディアンなんかそれでもアミニズムを信じ続けてるし)
言うほど日本が特殊なわけじゃないんだよな
俺はこの映画はキリスト教西洋人と仏教徒東洋人の宗教観の違いとして楽しんだわ 沼地に咲く蓮が仏教の象徴みたいな話って劇中にもあったっけ? 沼ってのは仏教とは限らんよ
遠藤周作以前に芥川がその問題を取り上げてて、
そこだとキリスト教の神だけじゃなくて、ブッダのほうも日本の風土にアレンジされて
もとの仏教とは似ても似つかぬものになってるって言われてる
儒教だっておんなじだってさ
隠れの信者たちにも、明治以降カトリックになった人と隠れに戻った人がいた 日本の仏教ってほとんど宗教の役割果たしてないからな。坊さんも生計維持の仕事になっちゃってるし、単なる商品。
アマゾンがお坊さん便作ったときに有効な反論できなかった辺りからもこれがうかがえる ついでに言うと、日本のマルクス主義ってのもそうだったんだろうねえ
毛沢東思想とか、金日成のチュチェ思想とか見ると、マルクスとはずいぶん違うみたい
日本じゃ弱かったから、あまり目立たないけどね >>584
>その点については「沼」と表現して断定を避けてる。つまり観客・読者の解釈に委ねてる。
英語圏で沼ってめっちゃ悪い比喩だぞ
日本語でも同じだと思うが
差別だ偏見だ、と大騒ぎする奴もアレだが、こういうナイーブすぎる解釈している奴もなんかバカだよなあ、と思っちゃう >>584と>>600は別に対立しないのでは。悪いイメージの中で解釈の余地は残したってだけじゃない? 言われてみればマルクス主義もそうかもなぁ。チュチェ思想ほどではないけど。
日本資本主義論争とか今見ると相当バカバカしいし。 キリスト教も仏教、儒教もこの「沼」のなかでは本来の姿が変えられてしまうってことだよね
だからダメなんだというのは言い過ぎだけど、
別のものになっちまってるって自覚するのは多分大事なことだと思うよ
じゃあその「沼」とかいう日本的霊性とはなんなのさって話になるけど、
よかれあしかれ「なにごとのおはしますかはしらねども」なんで、
論理的に突き詰めて考えるのが日本人には苦手なんだよな
それもよかれあしかれで、けっこう楽なところでもある 芥川龍之介作「神神の微笑」
青空文庫 → ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
おやすみなさい >>600
原作で遠藤が沼って書いてるから、英語圏とか関係ない そもそも、当時の宣教師が信仰していたキリスト教が「本当のキリスト教」だという物語の前提が異常(というか、端的に言って「間違っている」)なので、
沼がどうこうという比喩は検討するのも
馬鹿らしいのです。
日本が沼なら、ヨーロッパも沼。西ヨーロッパのキリスト教も、西ヨーロッパの各地域の土壌でそれぞれに変質した、西ヨーロッパに固有の「特殊な」信仰にすぎない。 >>606
言ってしまえばそういうことなんですよね
ただ、それは棄教(神を否定)を奨める文脈でのことなので、ここで言われる変質(宗旨替え、宗派替え等)とは問題の重大さが異なるのだと思いますよ キリスト教が拡散する段階でその土地土地の土着宗教者に対して色々やってそうだがねぇw
宗教てのは異民族支配のための最強のツールでもあるからな 史実はともかくとして、キリスト教が広まると植民地支配に都合が良いって理屈がいまいちよく分からないんだよな。
仮に江戸初期に布教が成功して、日本人の大多数がクリスチャンになったとして、そっからどうなるんだ? そんな美味しい状況になって当時の野心満々な西欧諸国が果たして見逃してくれるかどうか
結局純粋な信仰心も利用され野心と宗教的使命感に駆られたどこぞの大名が幕府打倒とか言い出すのがオチでしょ キリスト教って多少不満があったとしても時の政府に従いなさいって教えでしょ(ロマ書)。
暴力も基本的には否定してるし。それどころか敵を愛しなさいとまで言うし。
それに内部分裂が狙いなら、不満分子を焚き付けた方が効率良い気がする。
布教ってかなり効率悪い手段だと思うんだけど キリスト教と言っても、当時、
カソリックのポルトガル、スペインとプロテスタントのオランダ、イギリス
は敵対してたんだよ。
島原の乱でも、オランダは幕府側について、海から原城に砲撃したんだろ?
西洋vs 日本の視点でばかり見すぎ。 小学生上級の歴史では、キリスト禁教と鎖国について、キリスト教は神の前での平等を説くから、
徳川の封建制度に都合が悪かったと教える教師が多いね。少なくとも40年前の僕の担任はそうだった。
高校くらいになると、早い奴は中学生で、その理屈はおかしいだろうと気付くわけだ。
仏教でも、仏の前ではみな同じと元々、説いてるのだし、スペインやロシアのようなキリスト国だって
絶対王制だったり、農奴がいたりするのだから。
禁教と鎖国は、矢張り西欧による植民地化への警戒だろうね。
300年後に、同じ警戒から、幕藩体制の打倒運動が起こるわけだ。 なんか議論を眺めてて思ったけど、植民地政策にとって布教は「されてるといろいろ都合がいい」ぐらいのもんで、「必須」とか「最強」ってほどのものでもないのかなぁと。 そんな神の教えに忠実に従う人間なんていつの時代も極々少数でしょ
神の名を掲げて殺しあうのが紛れもない人間の歴史の一部分なわけで
確かに西洋全般で語るのは雑だったが、その中のどれかが食い込んでくるのは明白だろうな その不満分子を焚き付ける手段が布教なんじゃないの? うーんやっぱり影響は間接的な気がする。あったらいいかなレベル。
「神の教えに忠実に従う人間なんていつの時代も極々少数」なら広める意味ない気がするし。
不満分子たきつけるなら武器やるか扇動した方が早い気がするし。 当時のヨーロッパに、宗教を侵略のための道具視する明確な意識があったわけではないんだよ。
異教徒は異教徒であることをやめなければならない、というのは、信念なの。そのことに異論の余地なんてない。
そういうのと同時に、敬虔なキリスト教王権の保護下に元異教徒たちの土地を置いてやるという「恩恵」を与える、
という意識が同居してるわけ。
現代人の「飽くなき欲望」「拡張主義」みたいな発想を当時の人達に投影して考えるから、理解を間違えるんだよ。 宗教が侵略行為の歯止めになるどころか、逆に手助けし正当化するためのものに結果的になっていたわけか >>619
それは大日本帝国の八紘一宇と同じで
ほんとに信念として、良いことと信じて行動していた人もいれば
それを隠れ蓑にして儲けようとする連中もいっぱいいた
むしろそいつらの方が多かったかもな
結局のところ日本が欧米に侵略されなかったのも
植民地として大して旨味があるところではなかったという単純な理由だろう
宗教的にもビジネス的にも 映画上映館にプログラムとともに原作、関連する本が売られている。
中でも遠藤周作の講演を活字化した「人生の踏み絵」はおすすめ。作者自身の解説がユーモアたっぷりに語られる。
それにしても、カドカワで売られてる本が新潮だらけなのは、カドカワが太っ腹なのか。 思えば日本が徳川300年を満喫してた間、他のアジア諸国は植民地にされ苦しんでたわけだよなぁ
宗教も奪われ反抗すれば虐殺され異人種だから支配層と同化もできずそれが数百年・・・
鎖国という手は結構ギリギリの選択だったのかもな >>623
列強を本気で侵略に踏み切らせず、ギリギリの綱渡りで上手く線引きした平和を300年…
徳川幕府ってスゲーぞw 同時期の中国や朝鮮も海禁政策で同じようなことやってるから別に特別でもないやんけ 民間人の移動や物流がほとんど機能してなかった朝鮮半島とは比べ物にならないよ そういう歴史的背景にほぼ触れず、日本が当たり前の防衛策とってキリスト教が広まらなければ日本の特殊な民族性のせいって論法
欺瞞と独善の塊みたいな映画だな とにかく日本と日本社会が差別と憎悪にまみれてることにしたい人たちがいるからね 日本人は当時も好奇心が旺盛だった
それまで地球が球体だとまで考えれなかったのは数学的知識が
欠け過ぎていたのが大きかったのかもしれず、一度それを得てしまうと、
常に、その先はどうなっているかとか妥当性とか考えないと気が済まないので、
狂信よりも実証に至る事を選ぶ確率が高くなるのでは?
その意味では宗教にとっては沼で、俺はその事は誇りに思う
http://www.xavier.jp/xavier/xavier_remark.html >>627
映画って、原作に沼の表現があるじゃん。それを忠実に描いただけだし、
キリシタンを放置したら国が壊れる、日本が沼で何が悪い、と言わんばかりにイッセーが宣教師を論破してたやん。
>>628
過去に師事した、ポルトガルの宣教師が日本人を馬鹿にしてて、日本語を覚えようともしなかった、と浅野忠信がゆうてたやん。差別的だったと。 イッセー最後は萎んじゃったけどあれ論破してたんか・・w
そもそも日本人が書いたからってバイアスかかってない事にはならんよ
ま、この監督も日本人が原作者ってことを錦の御旗にしてたからこんな映画作れたんだろうけど 錦の御旗って、そもそも日本人を
批判するために作った映画じゃないから。 >>632
言い含めて、懐柔してたじゃん。
日本人らしいねじ伏せ方だよ。 この映画を日本蔑視とか日本特殊論の映画だと言う人はよっぽど欧米コンプレックスが強い(欧米が上で日本が下という負け犬根性が強い)んじゃないかと思うわ
すごくフラットな感覚で作られてるのに
欧米の基準が全てと思っているロドリゴに通詞が語っていることとか読解できないのかな?
それともキリシタン弾圧のシーンで日本人が残虐って思われちゃう!ヤダ!って馬鹿センシティブなのかな?
弾圧なんて世界史では至る所でいつの時代にもあって、キリシタン弾圧なんて対外政策の選択として珍しくない考え方 体が萎んで腹立たしそうに立って懐柔してたのかアレ
禅問答のような喩え話で背景薄っすら説明してフラットワロタ
羊の目も便利なもんだ たしか、萎んだ時の経緯は、
井上「平戸に行ってきたが、そこの大名だったかに関する面白い話を聞いた
妻以外四人の妻候補だったかと別れたという話」
ロドリゴ「一夫一妻で良いことです」
井上「四人はスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスだな、分かるか?
日本には日本の宗教があり、それ以外は必要ない」
ロドリゴ「日本の宗教以外で妻を一人だけに絞ってみては?キリスト教会を妻としてみれば?
キリスト教は愛の宗教です」
井上「醜女に愛される迷惑を考えろ」
ロドリゴ「醜女とはキリスト教の事?」
井上「(かなり溜めるように間を置いて)そ・う・だ、この日本には、
キリスト教は広まらない」
ロドリゴ「いいえ、広まらないのは、それを邪魔する人達がいるからです」
井上「わしのことを言っているのか?お前は日本の事が分かっていない」
ロドリゴ「あなたこそキリスト教の事が分かっていない」
井上→ここで萎む
「世間ではキリスト教の事を邪教だと言っているが、わしは必ずしもそう思っていないぞ
」
世話する小僧のような人を呼んで、体を掴んで立ち上がろうとしたが、足がしびれていて、
やつ当たりだろぷか、その人の頭を扇子で叩く
立ち上がり、去り際に
井上「醜女に愛される迷惑をよく考えることだ」
かなり違っているとは思うけどこんな感じじゃなかったかな あ、一つ思い出した
醜女の愛じゃなくて醜女の深情けだったと思う >>638
井上は元クリスチャンだからロドリゴの言ってることは重々承知なんだよね
ロドリゴの葛藤を過去に自分でくぐり抜けてるからこその日本は沼発言
井上はキリスト教だけでなく日本にも若干失望していたのかもしれない
映画にも原作にもその描写はないけど >>613
島原天草の乱は一般的にはキリシタンが率いたとされているけど、
実際には浪士やら農民やらの名も無い烏合の衆もたくさん寄り集まって反乱したんだってな
その中で所属として一番判別しやすいのがキリシタンだったからキリシタンの反乱って思われてるだけで >>640
井上が日本に失望してる描写がないってそんなことないでしょ
原作では「日本とはそういう国だ、どうにもならん、なあ」
ってとこだし
映画ではセリフ変わってたけど最後の「歓迎する」の場面が同じ意味でしょ 見てないけどラストサムライの渡辺謙みたいなもんだろ お茶の間に、あの穴釣りやら、水磔やら火炙りはキツイでしょw いまどきのドラマって、映画じゃ過激すぎて出来ない描写やるためのものだと思うので
ネトフリかHBOで超えぐいドラマ版やったらええんや BSだと変なしがらみ無いだろうから実況は盛り上がるだろうな 今キリシタンものを連続ドラマにするだけのカネがあるなら、誰も沈黙は選ばないでしょ。内容がデタラメすぎるもの。
高山右近とか、天正遣欧使節、不干斎ハビアンあたりに手を出すと思う。あるいは三浦按針か支倉常長(&ルイスソテロ)だろう(当然「侍」を原作にはしない)。 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
もし興味ある方は読まれて下さい。
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
遅ればせながら観たけど良い映画だった
宗教の話ってより普遍的な道徳観念の話だと感じた ときどきトンチンカンなズレた感想が上がるだけのスレになったな キリスト教も仏教も詳しくないから下手なこと言えないなあと
ただこれを反日反日叩いてたのが国家神道カルトの人達なんだなってのぐらいは分かったよ それこそトンチンカンな妄想でしょ
反日とまではいわないまでも、そうとう拗らした映画だよ キリスト教を異常なまでに嫌がるネトウヨこじらせたのがうるさいなあ
ネトウヨの実体不明なご本尊こそ、胡散臭いじゃん いっそ二次大戦中、東南アジアの某国で神道を広めんと奔走する日本人神主でも映画化したらどうだろ
もちろん日本が起こした戦争や植民地支配はほぼまったく触れずに神主の善意と宗教的熱意だけ前面に出してな
戦争末期、日本が後退しだしレジスタンス勢力が盛り返し神道帰依者を迫害しだす
野蛮な反日アジア兵に拷問され神道を捨てる憐れな現地民。
この国は沼ダー腐ってるーと言いつつ神主も結局耐えられずレジスタンスに協力することに
やがて現地の娘と結婚し歳をとり東南アジアの某国で人生を終える神主
でも彼は実は最後まで神道を捨てては無かったのです・・・(終)
ウツクシイ物語だなぁ 神道にそんな葛藤があるなら受けるかもしれないけど、神道って「もののあはれ」的なサムシングでしょ
消えゆく事がさだめの宗教で奔走とか有り得ないよ、それは教義に背いてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています