えるのおじさん、
関谷純周りの話の改変が個人的には一番受け入れ難いな。

関谷純は騒動の名目上のリーダーに仕立て上げられて、
挙句、ボヤ騒ぎの責任を押し付けられて退学させられたのであって、
声を上げられなかったから悔やんだのであって、

映画の関谷純は、古典部の部誌の名に「氷菓」駄洒落で思いを託した、
後輩・郡山養子により二号序文で描かれている関谷純とは、全く別物だぞ。

映画で分かり易くなったと評価する人が居るけど、
あの英雄然とした関谷純は、アリスえるよりも違和感が有り過ぎるぞ。