関ヶ原有村架純その3
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上方で納会なんかが終わる時手打ちといった言葉が江戸に伝わり
江戸は武士社会だから手打ちはまずいので手締めになりそれが逆輸入で上方に伝わったが
そのまま使うのも癪に障るので大阪締めと言うようになったらしい この手締めが大坂締めになった経緯の資料が全く見当たらないので困っているとその道の史家が言っていた 本当に困ったふうにその資料が全くないと何度も言っていた史家 勝海舟だったかな 文書なんていい加減なもんだ全く当てにならねえと言っていたのは いい加減なものと前提の上でそれをもとに想像力を働かせるのが歴史なのかな 資料があったらあったでその解釈を巡っての論争 楽しそうだね 役者が早口で怒鳴り倒す芝居で何を言っているかわからないと不評の映画関ヶ原だがわからなくてもいいと言っているのが監督 原田監督が早口の芝居を役者たちに強制する中で唯一
役所広司さんだけは好きなように芝居をしてもらったと言っていた 役所広司さんはいい加減な芝居ができると思ったからだが
この場合のいい加減というのはいい塩梅という意味で適当ということではない 資料にいい塩梅という評価はないだろう あるのかな? もし関ヶ原をアニメにしたとしてセリフはどうするのかなそこが一番興味がある 映画と同じように怒鳴り倒すのかそれとも聞き取れるようにしゃべるのかどっち エロイとこもグロイとこも全くないからアニメにして中高生にも親子ずれにも見てもらえるから
ひょっとしたら実写より客が入るかもね ひょっとしたら役者も何か感じるものがあるかもしれない ただ
有村架純だけはあのままじゃあないかそんな気がする 有村のいいところも悪いところも全部含めてファンなんだから 有村のいいとこも悪いとこもは頑固なとこ それが可愛い 本読みもおろそかにしない
ハワイ旅行から帰った翌日に本読みがあったので予約をすべてキャンセルして本読みに備えた これが有村のスタイル いい加減なことは自分に許さない それでこれまでやってきたのだからこれからもそれで行けばいい ただいい加減でいいよって天命が言ったように聞こえたらいい加減にしたらいい 自分のスタイルを変えるのは大変だ 無理に変えたらおかしなことになる いろんな人がいろんな事を言う
中には何らかの下心があっていうやつもいる ただ原田監督は有村の魅力を十分引き出せたとは言えない 場面も役者もおびただしい数を見なくてはならない監督だから
有村に関わっている時間は脚本の段階からあまりなかっただろうと推測する だから有村主演の初芽が中心になって回っていくような戦国絵巻のラストが関ヶ原 大河的に時間をかけたテレビドラマ 乾坤一擲やる度胸はどこにもなさそう さいしょの刑場の場面 バタバタして状況がよくわからなかった 三成の苦しい立場だけはわかったが初芽のことはよくわからなかった 三成はあの場の責任者だったのか違うのかもわからない 途中で島左近を追ったのを見ると責任者ではなかったとも思えるが
ねじふせた初芽を誰かにあずけられたのはやっぱり責任者だったのかな 三成と秀吉の間に信頼関係はあったのかなあ わからない いい加減な資料を頼りに想像する それこそ想像しがいがあるというもんだ 収支がどうなっているか知らないがとにかく立派でした これからはどんな映画でもとりあえず褒めることにした どんな映画でもといったけど
有村架純が出ている映画しか見ないんだからとやかく言う資格なしかな そういえば有村以前戦国時代にタイムスリップする時代劇めいた映画にでていたんだ あれが時代劇かどうかわからないがユウチュウブで断片的に見た気がする 信長が出てきたんかな殺陣の場面なんか一応経験しているんだ だいぶ前だから本人は出たことは忘れてないだろうが場面は覚えていないかも どこまで出た映画なりドラマの場面覚えているのかな俳優さんは 俳優も自分が出た場面はほとんど覚えているに違いない 覚えていたからってどうということはない でも覚えているに違いない もう時代劇も現代劇もないあるのはアニメ映画と実写映画 でも有村架純は実写映画 ほんとうはただ単に映画と呼ぶんだが の最後の女優になるかも なんかそんなようになりそうな気がしてきた最後の女優有村架純 最後の映画女優有村架純と書いたが映画は亡くならないよ 和服の裾がいたずらな風に煽られ膝くらいまで見えたらエロイ 今度の関ヶ原では全然そうゆう場面がなかったのは原田監督はもう…… 天正10年(1582)に信長が命を落としたとき49歳だった その時 天文6年(1537)生まれの秀吉は45歳だった ただ秀吉の生まれについては不明な点もある その時 天文11年(1542)生まれの家康は40歳だった その時 永禄3年(1560)生まれの三成は22歳だった 信長の妹於市御前が浅井長政に嫁ぎ後の淀殿を産んだとき三成は八歳だった ここから始まり本能寺を経て関ヶ原までがひとつの物語なのだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています