ナラタージュ有村架純その4
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それを葉山先生が救ってくれたらしいのだがその経過がよくわからなかった 小説の泉は映画の泉より饒舌で明るく活発な女の子という感じだった 行定勲監督が小川プロデューサーを訪ねた時はたしか脚本を携えていた たぶん舞台は東京のままで高校も大学それとなくわかるような感じに描かれていたと思う その脚本が実際映画になる際どのくらい変わっていたのか分からないが
泉の様子はやや暗くなり饒舌ではなくなり活発というほど活発ではない女の子になっていたようだ 小川プロデューサーに見せた脚本から撮影に入った脚本までにどれくらい変わったかな 場所を東京ではない架空の街にしたのは小川プロデューサーだ 松本潤の起用を提案したのも小川プロデューサーだ 実現させたのは行定勲監督だがね 二階堂ふみちゃんのおっぱいが見れるというので行った 二階堂ふみちゃんのおっぱい
綺麗なおっぱい 程よい大きさのおっぱい
全裸の立ち姿も横からだが見せてくれた お尻もいい 暴力はいじめによるもの
設定は高校生だけどみんな無理があるんだよなあ でも仕方ない 要するに理解しなくてもいい感じろという映画のようだ 上杉柊平扮する観音崎というデカイ高校生が
高校を舞台に暴力にセックスに暴れまくる映画なんだ 暴力を振るうのもコイツだけセックスするのもコイツだけ
八面六臂の大活躍 コイツが主役なんだ こいつに暴力を振るわれるのが
漫画から抜け出したような端正な顔立ちの吉沢亮扮する山田一郎くん 上杉柊平25歳185cm 吉沢亮24歳171cm
殴りまくり蹴りまくる でも素手なので死にはしない 倒れている山田一郎をいつも助けに来るのが二階堂ふみ扮する若草ハルナ 若草ハルナは観音崎の元カノ
二階堂ふみと上杉柊羽平が全裸でやっている場面もある
ここで二階堂ふみちゃんのおっぱいやお尻が見れる 山田一郎はホモなんだ 観音崎にいじめられるひとつの理由ではある 若草ハルナがやらせてくれないので欲求不満になり暴力を振るう観音崎は
同級生の土居志央梨扮するルミを犯しヤリまくるのだった 土居志央梨25歳168cm 脱ぎっぷりの良さはデビュー当時から有名 フェラありシックスナインあり
デカイ観音崎に負けない豊満な体を惜しげもなく駆使して大活躍
ヒロインはこの子 立派なR18 ちなみに火だるまで落下する田島カンナ役の森川葵ちゃんは脱ぎません 二階堂ふみちゃんのおっぱい見たさに行ったのは間違いないがもう一つ
ナラタージュと同じ小川プロデューサーと行定勲監督がコンビを組んだ映画だから 行定勲監督はなんかナラタージュのストレスを思いっきり発散してるみたい 小川さんがブロデュ-サ-としてどの程度関わっていたか知らない ともに高校が舞台の映画だが授業の場面はゼロ
先生は葉山先生とちょっとだけ出てくる体育の先生だけ プロデューサーの前にエグゼクティブプロデューサーというなんだかわからないのがいる その前にいる製作者は金を出してる人か出してる会社の代表らしい 100館ほどの公開館数では仕方がないと言えばそうなんだが
興収一億にも届きそうもないコケ具合 せっかく裸を晒して奮闘した女性陣に行定勲監督は謝らなくてはいけない 有村の濡れ場を期待してがっかりした人はこっちを見てください 合わせて一本だから リバ-ズ・エッジの舞台を定時制高校に設定すればよかったんだ なってるのかな? 昼間に授業を行う定時制高校もある
制服は私服で年齢の行った生徒も多い 部活なんかも普通の高校と同じように行われている 普通の高校では嘘っぽさ満載だが定時制高校ならこの登場人物達でも納得 服装はともかく過激な言動は真面目な定時制高校から抗議を受ける恐れ有り 営業妨害で訴えらりたら困るからどんな高校かはっきりさせずにぼかしたのかな 原作岡崎京子 脚本瀬戸山美咲 音楽世武裕子
どうせなら監督も女性にすればよかったのに 監督 壇蜜
撮られるのが上手い壇蜜さんは撮るのも上手い AV女優と映画女優の違いはセリフを喋ればすぐわかる たどたどしいAV女優のセリフは萎える
上手な映画女優のセリフは興奮する 数少ないセリフがうまいAV女優の一人が蒼井そらさん ひよっこに米屋の娘役で出ている伊藤沙莉さんがナラタージュに出ていた 泉をプ-ルに突き落として笑っているいじめグル-プのひとりが伊藤沙莉
場面ははっきり覚えているがそう言われなければ分からない ナラタージュではセリフはなく写ったのも一瞬だけだったが
ひよっこでは有村とも絡む役でセリフも多く芸達者なところを見せている 主役ができるような役者をチョイ役でつかう
社長ができる器の人を守衛に使っているようなもの
ちょっと違うみたいかな 才能に恵まれているのか 運に恵まれているのか 人に恵まれているのか
何だかわからないがとにかく恵まれている 夜自分のアパ-トに帰るときスト-カ-みたいなのにひつこく跡を付けられ
怖くなって小野くんに助けを求めた 喧嘩したばかりの小野くんがおかしなことを言うので
苛立った泉は衝動的に葉山先生の家に向かった なんとか葉山先生の家に着いたとき折りよく帰ってきた葉山先生はボロボロの泉を見てびっくり こんな夜遅く自転車は危ないからと躊躇するがそれなら歩いて帰るという泉に仕方なく貸す 映画では葉山先生が呼んでくれた富山ナンバ-のタクシ-で帰る泉 自転車で高校まで通勤していたことが分かって何か葉山先生が実在するように思えた 自転車のサドルにまたがる泉 自転車のペタルをこぐ葉山先生 なんかいいなあ でも自転車で向かい風は辛い 人生行きも帰りも向かい風 映画夏美のホタルは主人公河合夏美の人格を原作の小説と変えてしまっているが
ナラタージュの主人公工藤泉の人格は変わっていない もうひとりの主人公葉山先生は人格が変わるというほどではないが結構
おやっと思う違いがところどころにある 漫画にしろ小説にしろ原作がある脚本及び演出で一番やってはいけないことは主人公の人格を変えてしまうこと 主人公の人格を変えてしまうと原作と映画は似て非なるものになってしまう 映画化を承知した時点で原作者はどうなろうと覚悟をすれば済む 主人公のファンがいる
ファンにとって主人公の人格が変えられるということは殺されたと同じことなのだ 内田康史さんという方の
映画はこうして作られる---映画プロデュ-サ-の仕事という記事を読んだ だいたい思っていたことから大きく外れることはなく特に興味があった監督とプロデューサーの関係について
監督は作る人プロデューサーは売る人だがプロデューサーは両方できる方が望ましいといっている 意外だったのは撮影したフイルムを切り貼りして一本の映画に編集するという作業があり
当然監督がやるものと思っていたが必ずしもそうではないということ それが編集権なんだが監督がやるのかそのほかの例えばプロデューサーがやるのか
あらかじめ決めておかないと揉める場合があるとも言っている 編集によってはまったくべつな映画になってしまうので編集は大切な作業らしい
クランクアップから上映までかなり間が空いているのは特別な事情がある場合意外は手間のかかる作業だかららしい まず最初に企画立案という作業から始まるがナラタージュの場合
行定勲監督が脚本を持って小川真二プロデューサーを訪ねてきたところから始まった プロデューサーの目で脚本を読む プロデューサーの目と監督の目は違うんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています