ナラタージュ有村架純その4
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有村架純が母子家庭だったことはファンであればみなん知っていること たしか有村が中学一年の時別れたらしい
有村も高校に入ってから掛け持ちで週5位の割りでバイトをしていたという 有村の場合お金のことより両親がしょっちゅう喧嘩をしていたことが心を傷つけたようだ 葉山先生は両親の喧嘩のことは話していない
じゃれあうような喧嘩ならいくらしてもいいけど傷つけあうような両親の喧嘩は子供の心に深い傷を負わす 葉山先生が話さないのは記憶がないのか言いたくないのかどちらかわからない
あるいは子供の前では喧嘩しなかったかもしれない 葉山先生の場合両親の喧嘩より嫁姑のせめぎあいが深刻だった
最後は火付けまで至ったのだから 苦労して育ててくれた母をないがしろにはできない葉山先生 同居はできれば避けたいと言っていた結婚相手を説得して同居することにした葉山先生 結婚して一年ほどたって葉山先生がわかったことは
母は僕が思っているよりも強く、妻は僕が思っていたよりずっと弱かったということ と作者は書いてるが葉山先生は分かっていたのだ二人の力関係を、
わかっていたけどわからないふりをして火を付けさせてしまったのだ ちょうどひよっこで牧野親子が
気がついていたのに気がつかないフリをして由香の母親を過労で死なせてしまったのと同じ 気がつかないフリをしていたなんて言えないよね
とうとう最後まで牧野親子の口からそのセリフは出てこなかった 葉山先生も分からないフリをしていたなんて泉に言えないよね
ほかの恥ずかしいことはことは言えても 「その後母はそのとき親身になって世話をしてくれた人と再婚した」と葉山先生が言ったとき
「奥さんとは それっきり別れたんですか」と泉が訊いた このとき葉山先生は嘘を言った
後にその嘘を泉がはげしくなじったが話の流れからことさら嘘をいう気は葉山先生にはなかったのではないかと思う うんって頷いただけで声を出してうんと言った覚えはないんじゃあないかな 別れたことにしたほうが収まりがいいじゃあないか位の軽い気持ちだったに違いない 葉山先生という人は神経質そうに見えて実は物事を軽く考えるタチの人ではないかなあ 嫁が火をつけたことより
母親が再婚してくれ自分が面倒見なくて済むようになってやれやれと思ってるみたい つい先日テレビで撮影場所だった富山県の高岡と氷見の町並みや人柄なんか見ることができた そのまま架空の街でなく現実の街として
表舞台で良かったようないい雰囲気の街なんだ ひよっこに出てくる売れない二人の漫画家の出身地の設定が高岡なのは不二子・F・不二雄さんの出身地がここだから 大伴家持に由来する万葉まつりなんかもあり歴史も古い由緒正しい街なんだ 正面切ってここを舞台にしたなら全く違うナラタージュになったのは間違いない 出来上がったナラタージュはそれはそれでいいんだけど 高校生姿の有村架純が昼間この街を歩いてるところ見たかった 川沿いを陰気に会話しながら歩く葉山先生と泉が
新装なった富山銀行の本店の前を歩けば明るく未来を語れたのに 東京から逃げてきた先生と自殺願望を抱えた女子高生が出会いともに再生する物語でもよかったんだ プロデューサーは架空の街にこだわり監督は不倫物語にこだわったのかな 氷見からの海越しにみえる立山連峰は素晴らしい 一度実際に見てみたい これを撮ったのはたぶん3月頃で雪をかぶった山々が実に美しい ナラタージュの撮影は6月頃なのかはっきりわからないが
6月頃ならもう雪はあんまりなく頂きにちょっと残っているくらいなのかな 葉山先生のお母さんが幾つなのかはしらないが葉山先生は34歳だったかな
だとすれば二十歳で生んだとしても54歳 いい具合に結婚相手が見つかり都合よく結婚できましたね お母さんが結婚したから元の鞘にもどる話ができたんだろう 事件のあと母は一人で家にいられないほど怯えていたと葉山先生は言う まあ小説だから細かいこと言ってもねえ 大筋が面白ければいいんだ 映画では放火場面がでてきて葉山先生の妻美雪役の市川実日子さんの鬼気迫る演技が見れた 小説では結構細かく書いていたが映画では嫁姑の話はそれだけだと記憶しているけど 葉山先生は泉の前ではウジウジしてはっきりしないみたいだけど他ではけっこう闊達なんだよね 前に小野くんも言ってたよね葉山先生はどっちかというと明るく前向きな人だって 細部のリアリティが大きな虚構を支えるって言うけど映画ではどうなんだろう ひよっこの感想を書いてるうち
物語が始まる前のことと物語が終わった後のことに興味を持つようになった ナラタージュではやっぱり主役の二人
葉山先生と工藤泉の過去に何があったか知りたいし生い立ちも知りたい 知りたいけど教えてくれるはずもなし勝手に想像するよりない 母子家庭でいつもお金に困っていた みんな遠方にいる親戚は裕福でもなく頼りにならなかった 高校に入ってバイトをいくつも掛け持ちでやったとか
でも大学には行けたんだ そのへんのことはよくわからない よくわからないというより書いてない
いきなり大学を卒業してからという話になった 小説では卒業間際川沿いを歩きながらの会話だけど
映画で川沿いを歩いている場面で何を話したかほとんど覚えていない どうも場所が特定できないから時間の経過も前後もあいまいになってしまうようだ レンタルで見た。若い頃は失恋の寂しさから自分を崇高してくれる男と付き合ったりは良くある話し。で、やっぱ、つまらなくなり別れを告げると当然激怒りして面倒な事に。 危険を知らせ電話してるのに、ここぞとばかりにダダこねるような男なんて、そりゃ冷めるわなと。バイクあんだろみたいな。 結局、皆、片思いだったという話し?
皆というか葉山先生は違うか。 >>805
工藤泉は愛を求めただけ
愛は惜しみなく奪う
奪われるのが嫌な葉山先生が逃げ出しただけ >>806
他人事とは思えないダメさ加減の小野君を坂口健太郎が好演している 映画は映画館で見るのと思っていたけど必ずしもそうではないみたい 映画館で7回見た映画をレンタルで見たらわからなかったところがよくわかった すぐ巻き戻して見れるからだと思うし
表情なんかも停止して見れるから顔中舐めるように見ることができ楽しい でも映画館で見ていると
あれ今の場面どうだったのかなもう一度と巻き戻しを期待してしまう自分がいる
集中力に限らず便利さに頼って五感がだんだん退化しているのかも ヒトは生き続けるために五官を退化させ五感を鈍くしているんだ それにしても都会の高校生工藤泉といい田舎の高校生谷田部みね子といい
それぞれの高校生姿になんの違和感もない有村架純 特に葉山先生に付いて川辺を歩く泉の表情は子役を使っているかと思えるような幼さ ビデオを見てはっきりわかったのは
その一回目に歩いた時の会話は奥さんが家の物置に放火したことだった 「奥さんとは、それっきり別れたんですか」と訊く泉に
うんと頷いた葉山先生は映画では「別れた」とはっきり言った ところが小説では うん と言っただけで別れたとは言っていないのだ ふと思ったのは 俳優さんは撮影に入る前に
台本は当然読むだろうが原作があれば原作も読むのかなあということ まあ読む人と読まない人とがいると思うけど
読むほうがいいのか読まないほうがいいのかどっちだろう ちなみに
小説では川沿いの道を歩きながら云々とあるが
映画はどう見てもゴミだらけの川辺で道ではないよね 汚い川沿いからすぐ広い海に出たね 何か象徴しているのかな ちょっとよそ行き風のノ-スリ-ブでの服を着た泉と小野君が
芝居を見た帰り食事をするため入った店のテ-ブルに向かい合って座った 場面場面の衣装は誰が決めるんだろう 脚本家が指定するのかな
指定する場合もあるかもしれない この場面はどうしてもこんな衣装でとか でも殆どの場合監督と衣装係が相談して決めるような気がする ノ-スリ-ブで胸元は上品にえぐれ肌に優しくまつわる生地で作られたワンピ-スを着た泉 むっちりしたむき出しの二の腕は男なら誰でも触りたくなるエロさ いてもいないって答えちゃうよなあ そして部屋に誘った 靴を作っているから見て欲しいと誘った
小説には全くなかった靴作り こういうのが映画的なんかな 靴を見に行く 女が男の部屋に行く正当な理由になった そしてあらかじめ泉に合わせて作っておいた靴を履かせ抱きしめた いままで何回も見ててわからなかったことを音声ガイドが教えてくれた 運転席に座っているものの泉が運転しているとは見えない まっすぐ前を向いて黒目が動かない
運転していれば黒目はバックミラ-やサイドミラ-を見たり前方の飛び出しなど注意して常に動いている それに今まで一度も運転している姿を見せていないとこみるとたぶんペ-パ-ドライバだろう 普段運転している者でも雨が降ってる夜は怖い
自殺行為と言いたいがほかの車をまきぞいにしかねない他殺行為だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています