北野 うし(1873年9月 - 1963年)粉問屋を営む北野鶴藏の娘
義太夫の太夫となり、芸名 竹本八重子

北野徳次郎 という息子がいたが1923年1月小宮さき と結婚後同年8月18日に徳次郎が虫垂炎で急死
替わりに うし の実の甥(おい)で腕の良い漆職人(後にペンキ職人)正端菊次郎を1925年8月17日婿に迎え北野家を継がせた

さきは 重一、 安子、  勝(まさる)、 大(まさる)、 武(たけし)、という5人の子を産んだ
勝(まさる)がすぐに死んだため次の子に同じ発音の大(まさる)と名付けた

したがって血縁的に言うと北野うしは北野菊次郎の実の叔母(おば)であり
北野さきの前夫北野徳次郎の実母

ということは、ビートたけしは在日朝鮮人で確定