ROMA/ローマ【アルフォンソ・キュアロン】
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アカデミー賞受賞、アルフォンソ・キュアロン(『ゼロ・グラビティ』、『トゥモロー・ワールド』、『天国の口、終りの楽園。』)監督・脚本の最新作。
監督自身の幼少期の経験に基づいた『ROMA/ローマ』は、メキシコシティのローマ地区に住む中流階級の若い女性クレオ(ヤリッツア・アパリシオ)の物語。
キュアロン監督はこの作品を通して70年代のメキシコで起きた激動の年の出来事をつづる。幼少期に影響を与えた家長の女性たちに想いを寄せながら、愛、勇気、希望、変革、家族について力強いタッチで描く。
自分を育ててくれた女性たちへの想いをこめた監督のラブレターともいうべき作品。
公式サイト
https://www.netflix.com/title/80240715
予告編
https://youtu.be/aHH9PNUxzY8
https://youtu.be/K7QMFDVROEI
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ >>201
そう、冒頭からただならない映画な感じがビンビン来るよね。 ゼログラビティと同じ衝撃があるよね
「え、これどうやって撮ったん」って
しかもちゃんと流れる水の音や床のパネル、飛行機の影等順序立てて情報を開示していって観客の興味を引いてる
それがドラマ的文脈としてハッキリと機能してる
なんじゃこの映画ってド肝抜かれたわな >>204
この作品はパンアップする場面が最初と最後以外ない
どの場面もカメラを横に振るパンだけ
それで空間を表現してるわけだけど
映像の編集では「空抜け」という空を映して場面転換するバラエティやドラマやアニメでも定番の手法があるけど
これは基本的に空と空をリンクさせて別々の空間と繋げる文脈で使われる
例えば、ある場面から空にカメラを振って「10年後…」というような時間の繋ぎ方も可能
空はどの国もどの時代も不変だから。
そう考えた時、冒頭の床のタイル、流れる水でクレオの日常を表現しながら、床に映った空と飛行機というのは「普遍」を現してると思う
最後も、クレオの日常は終わらない。荷物を運ぶ日常的な動作で終わる
それでカメラは空を映して、飛行機が飛んでいき「リボ(キュアロンの実際の乳母の名前)へ」と出る
つまりこの場面で、映画の語りは「現代の視点」を孕んだことになる
空と通り過ぎる飛行機というのは今の時代、どの国でも見られる
つまり「空と飛行機」は現代と過去を繋げるモチーフなんだと思う >>205
それってキュアロンのインタビューから想像しただけの解釈じゃ?
映画本編を観ただけの観客にとっては
現在のキュアロン自身が過去を振り返ってる映画だということも
乳母の本名すらも分からないはず >>207
俺がこの映画に関して調べたのはタイトルの意味と乳母の名前だけ
キュアロンのインタビューなんて読んでないよ
本編だけ見てもこの映画が過去の別の国の話ということと
最後の「○○へ」という定番の手法が現代の視点を孕んでることは理解出来るでしょ
そこからこの程度の文脈察せられると思うけど
全く無駄がないからねこの映画。むしろ意図はかなり分かりやすい 自分が観る前の情報は完全な実話なのに半自伝的って間違った情報だった
キュアロンって技術にばかり目が行くけど実は叙情的だし直球の感動打ち込んでるつもりなんだよ
頭が良過ぎてベタな表現を嫌い、メタファー多いから素人は映像は凄いけど…とか体感型ムービーとかいうけど、
じゃあ何で体感出来るかっていえば映画の中の主人公の苦痛や恐怖や不安を皮膚感覚でヒリヒリ感じさせることが出来るからでしょ
それには当然あの凄い撮影、音響が必要だけどキュアロンが描きたいことがキュアロンの人間性なんだよ
至る映画で胎児、出産シーンを描いてるのは子宮=地球への回帰願望 俺は別に実話だとかも知らなかったし
キュアロンの経歴とかも全然知らんかったけどね(ゼログラしか見てないし)
背景なんて知らなくても映像を読み解く力さえあれば十分意図のわかる映画だと思うよ
少なくもと派手な場面もなく作為的な物語展開もないドキュメンタリーチックな作品てのは見てりゃわかるし
映画の見方を知らない、大作系しか見ない人だと見方がわかんないだろうけど
それは勉強すりゃわかるようになる話だから >>205
飛行機についていえば、俺は世界とローマという街を繋ぐものと感じた。
単にキュアロンの回想的な閉じた世界の話ではなく、歴史の中での当時のメキシコの時代性を意識させるモチーフなのかなと。 >>208
「リボ」がキュアロンの乳母の実名と知ってると言う事は、
つまりこれがキュアロンの過去の話ってことも知ってるわけで
それらを踏まえたうえでの飛行機の解釈はただのメタ妄想じゃないか?
もっと映画内だけで完結してる意味が込められてるはずなんだけどな>飛行機 >>212
上にも書いてるけど本編だけ見てりゃ「昔のどっかの国の誰かの話」ってのは汲み取れる
実際俺は前情報全くなかったから
そんだけの情報があれば意図してるものもわかる
>>211のように、何かと何かを繋げるブリッジモチーフだってのは大体の人が思うこと
時代とか国とか歴史とか、その範囲が人によって違うだけで 最初は床に映っていた飛行機が最後は空を飛ぶっていうのは単純にクレオの心の変化を表しているもんだと思ったけどな
最初は下を向いていたのが最後は上を向くってすごい分かりやすい表現じゃん >>213
調べなければ「リボへ」の意味すら分からないんだから
調べた人が「本編だけ観れば分かるはずだ」と言っても説得力ないぞ >>214
最初と最後だけならそういうスッキリした解釈もできるんだけど
途中のカラテ師範の背後にも飛行機飛んでるんだよ
師範が手を広げるのとシンクロするみたいにw
あれが一番謎 あと、飛行機ってこの作品のなかでは他の場面でも飛んでるんだけど
それもやはり日常性を現してると思うね
あの変な稽古のシーンの後ろでも飛行機飛んでるんだけど
あの場面はクレオの生活圏からハッキリと離れた場所だよね
で、クレオはやきもきしてるのに彼氏はなにくわぬ顔で変な儀式やってる
どの空にも何にも影響することなく飛行機がゴーッて通ってる
冷徹にすら感じる普遍性、日常性の象徴だと思う
>>215
だから映画の最後に現れる「○○へ」ってメッセージはド定番で
今まで映像で表現してたものにいきなり文字の表現が介入するのだから
そこで映画の語りが多次元性を孕んだなんてのは感覚として理解出来るって。 ちなみに、映画の構成としてもこういう「最初と最後を同じ類の場面で挟む」のはサンドイッチ方式と呼ばれる定番のスタイルで
これも変化を強調したい時に使われる手法
この作品は途中流産や離婚といった劇的な出来事を通過するけど
結局は最初と最後が同じ場所、同じようなシチュエーションで終わる
どんなことがあっても日常は流れていく、どの時代にもどの国にもそういう普遍性があるという表現
撮影や音響の迫力からいっても、決して過去のおとぎ話としては描いてない
例えばデモの場面で彼氏と鉢合わせても特に何も起こらなかったり。
あの場面も「彼氏は彼氏で別の日常を生きてる」という奇妙さを描いてる
それは、人種や立場を超えた繋がり、理解という映画のテーマにもシンクロする >>217
「リボへ」だけじゃ監督が誰かに贈った映画という事しか分からん
そこから監督の過去話とか乳母の実名とか分かれというのは酷だ
あと飛行機の解釈はやはりピンとこないな
キュアロンが「飛行機入れると画がキマるんだよ」とか言いそうな気がしてきた >>219
誰も監督の過去話だとか乳母の実名だということがわかるなんて言ってないよ
俺は映画見終わった後「で、ROMAってなんやねん」と思ったしw
ただこの映画に込められたイメージはしっかり伝わったし大傑作だとも思った
「ピンとこない」なんて言われたらそれまで >>214
俺はそういう成長や変化の表現って解釈はないかな
この映画の構成自体がそれを否定してるから
映画の脚本ってのは「変化」ってのが最も基礎的な条件
ほとんどの作品が変化を描く
それを踏まえたうえでこの作品のような「変化したようでしてない話」がたまに出てくる
クレオは別に冒頭、鬱屈した生活を送ってたわけじゃない
友達と遊んで、彼氏とパコパコして、実は結構お気楽な生活をおくってる
解雇の危機とか流産とか、出来れば経験しないにこしたことはない
最後だって別にそんな成長したとか前を向いたなんてこともないと思う
この映画で描かれた時代、人々は日々を生きるだけで精一杯だったから
変化とか成長とかはこの映画に一番無縁な要素だと思う
時代も国も人種も「変わらない、変わってない」ってことが一番表現したかったことだと思うから
この世界の片隅にに似てると思う。あれも中盤大きな劇的出来事を通過しつつ
最初と最後は日常で挟む、北条家の同ポ演出で普遍性を表現してたから >>216
あれは暴動銃撃事件へ繋がっていく当時のメキシコ情勢、先住民系メキシコ人の貧困からの捻れた解放への願望、
外界とさえ繋がらなければスペイン人に植民地化されずに済んだというメタファー、
白人以外は貧困に苦しみ次第に麻薬カルテルに染まっていくメキシコの貧困層の狭い世界から豊かか広い未来への憧れ
飛行機は外国に繋がるもの
飛行機と無縁の貧困層
下向きの水に移る飛行機 (苦痛)
ラストは階段を上がっていくクレオの頭上の遠くを飛行機(日々は変わらずとも第2ステージへ踏み出す)
それ全部かな >>221
成長や変化っていうのはもちろん生活の事をさしているわけではないよwもっと精神的なことな
最後が何も前進してないとか何を見てたんだってかんじだわ。まぁ何も感じ取れなければ何も変わってないように見えるのかもね >>218
流産ではない
父親であるクソ男に銃で脅された精神的ショックによる破水で暴動で病院につくのが遅れた為の死産
父親が俺にまとわりつくな!って恫喝して、さらに暴動銃撃事件で殺されそうになってみろ
あの男は勝手はクレオに種付けして勝手に殺したんだよ
クレオ自身もそんな状況で生みたい訳がないから望んでいたけど
女性の出産や妊娠の過酷さへのリスペクトといつの世も存在し続ける女を性の道具にしか思わない男の普遍的な悲劇をキュアロンは描いてる
綿密なクレオさんへのインタビューだから実話だけど すまん
ちょっと興奮して誤字だらけになった
勝手に種付けして作物という子供を育てるつもりはないから、若葉を引っこ抜いて命を奪った行為だと思う
2回も威嚇して殺すと脅されたら心と体に連動性はなくてもあの混乱の状況下では死産になっても不思議じゃない
自分の子と下手をすればクレオさんまでほぼ直接手を下して殺そうとしたようなもの
望んでたというのは逆で、ラストの海での告白「産みたくなかった」という望まない出産という意味
死産と流産では全然違う
あれは明らかに殺されたんだよ >>223
いや、まあクレオの精神内で多少前進したというのは勿論わかってるけどね
脚本のセオリー的に、この作品はロバート・マッキーが分類するアークプロットタイプでなくミニプロットタイプなんで
そんな主人公の変化には重きを置いてないよって話
クレオって主人公は特殊なんだよ。何をするにもボーっと突っ立ってるだけ
これ、片隅の時も言われたことがある。庵野秀明が「あの主人公が気に入らない。ボーっとしやがって」とか言われた
こういう主人公は変化をしない。したようでしてないって形を取る
例えば、電話って記号の使われた方を見ても、最後あまり変化してないということは強調されてる
冒頭クレオがしてる電話は秘密の会話として扱われて
奥さんがしてる電話を盗み聞きして激昂される
最後は、クレオが奥さんへの電話を取って、受話器を拭いて渡す
結局こき使われる関係性は変わってない
別に何かを解決したわけでもないし何かを成したわけでもない
客観的にはただ単に目の前の障害を取り除いただけ
史実的にもクレオがその後一人前に幸せになったかと言うとそうじゃないしね >>227
こいつダメだわ
キュアロンの思いを何も分かってない >>228
どうして?
この映画が変化に重きを置いてないのは明白だけど
普通の脚本だと何か命題を背負わせてその成否で何かを語るのがセオリーだけど
クレオは何の命題も背負ってないからね
これも片隅と同じ構造 >>229
これはキュアロンが母親より慕ったクレオさんに贖罪のつもりで作った極めて個人的な映画
もちろん完全な実話なんだから起承転結も成長物語である必然性もない
ことさら、それを悪意をもって観る審美眼に人としての歪みを感じるわ
愚鈍なら苦労をしても仕方がないみたいな
キュアロンは植民地化したスペイン系白人を代表して大好きだった先住民系メキシコ人であるクレオさんに何も苦労を知らなくてごめんなさいという思いで撮ったの
ということはカルテルも含め、トランプに壁で移民制限を受けようとしているメキシコ先住民全てを庇っているんだよ
トランプの政策が実現してしまえば、キュアロンのようなインテリしかメキシコ人はアメリカに移民出来なくなるからね >>230
すまないが、質問と答えがリンクしてないよ >>231
成長物語である必要がないのになぜ指摘する? >>232
?
だから「これは成長物語じゃない」って言ってるじゃない
じゃあ>>214みたいに下向いてた人が上向いて歩いてく映画だっていうの?
それこそ偽善じゃないの。俺はそんな安っぽい手法で乳母への想いを綴った映画だとは思わなかったが >>233
親が君を育てる時どの位喜んでどの位覚悟して震えたか分かる?
クレオさんはたった1人で殺すと脅された男の子供を生んで育てなきゃいけなかったんだよ
あの家政婦の環境でどう子供を幸せに育てる自信が持てる?或いはなぜあんな男の子供を愛す自信が持てる?
これから待ってる子育てから解放されただけで彼女は楽になれたんだよ
成長なんかしなくていい
生きたかったんだよ クレオさんは
男は本当に馬鹿だな >>234
会話が一方通行な人ですね。言いたいことはわかるけど論点が違うんですよ ちなみにひとつだけ言わせてもらえば、クレオさんは成長したよ
妊娠するということは仮に死産だとしても妊娠したことがない女性には分からない不安や体調変化、クレオの場合は局所麻酔か或いは麻酔なしで帝王切開という痛みを経験したんだから
それだけで、彼女はもう前とは違う この作品はまず建築の使い方が非常に象徴的
クレオ達使用人と主人の生活空間がしっかり分けられてる
あの犬の糞が転がりまくってる廊下はその中間地点。映画はこの空間から始まり終わる
あの廊下は色んなメタファーを背負わされてる。旦那がゴツゴツした車で神経質に車庫入れするのはレイプ的な表現だし
犬の糞を掃除するクレオの日課=日常の象徴としても使われてる
あそこから見た空は、クレオにとって全てなんだよ
クレオは一生の大半をあの空しか見ることがない
それが床に反射したものであれ、カメラが空を向いたものであれ、結局あの「場所」という呪いが解けることはない
確かに映画のなかで多少の前向きさが見せるが、結局根本は変わってない
それがあの時代、あの人々にとってのささやかな幸せだったんでしょう
あのどこか物悲しいラストをただを上を向いたなんて捉えるのは逆に失礼だよ
それこそ彼女らの境遇をわかってないんじゃないの >>237
あなたの視点はクレオに固定しすぎなんだよね
この作品はそんな個人だけを描いた作品じゃない
変化を重視しないわりに登場人物はかなり多いほうだからねこれ
俺はキュアロンが丹念に描いたあの世界全体を論じてるんだよ。そこがあなたとの違い 自分が人の話を聞かず見方が偏ってるのを「相手の物分りが悪い」とはね…
ちなみに俺はあなたが言うことを否定はしてないよ。確かにそれも物語の一面としてあると思ってるよ
でも総体としてはそこに重点はないと思うって話 ちなみに>>230で言ってる「実話だから起承転結も成長物語も必要ない」ってのは大きな勘違い
ハリウッドの脚本のことを全然わかってないように思う(そもそもアッチでは起承転結なんて言葉使わない)
だってこの作品、脚本は物凄い出来いいからね
オスカーにもノミネートされてるから
構成は物凄くしっかりしてる。三幕構成(こちらでいう起承転結)もきっちり守られてる
変化しない主人公の変化をしっかり描いてる
クレオ個人だけを描いた作品でもない。クレオの周辺の人々もちゃんと描いてる
キュアロンの私小説的な見方が過ぎるとこの辺りがわからない
脚本賞にノミネートされてる事実を無視してる 全然話通じないやつがいるなw
映画をこういう見方で語るやつはやっぱ触れないに限る だってさ、あんだけ空間や場所を丹念に描いた作品でさ
「場所が動いてない」ってことの重みがわかんないんでしょ?
ただ単にカメラ振っただけなのにさ、上向いた前進したって言われてもなぁ
カメラの動きが「最小限」に抑えられてたの見えなかったのかなぁ 上向いた前進したって誰が言ったんだよ
素直ぬ名乗り出ろ >>244
結局単純なのは君なんだよ
誰がどんなレスしたか確認もせず自分の指摘してる動かないカメラワークがこの映画のすべてみたいな価値観の押し付け この連投ぶり、スリー・ビルボードのスレと似た状況になってきたな すべて、なんて一言も言ってないけどね
まあ表現として非常に限定的な手法を使ってそれで物を語るってスタイルを取ってるんだから
カメラワークは非常に重要な伝達手段だとは思うが
誰かさんは結論ありきで誰の話もまともに聞かないってのはわかってるからこれは独り言 アカデミー賞って劇場公開しないとだめなんだろ?
アメリカじゃ要件分はやったんかな 一応アリバイ程度には上映したらしい
でもなあ アカデミー賞はやっぱり映画館での上映を前提とした作品から選んで欲しい気がする
アメリカ人でも映画人でもない人間が言うのも何だけど
時代スか >>250
同感。外国語映画賞は当確だろうけど、作品賞はなあ。 ていうかこういう事態になると外国語映画賞と作品賞でダブルノミネートする意味がわからない。
作品賞にノミネートされたら外国語映画賞は除外するべきだろう だってそれだけ優れてるんだからしょうがない
除外したら外国語映画賞は作品賞以下ってことになってまうやないか 何をどう好意的に解釈してもストーリーだけは普通だよね
朝の連続テレビ小説みたい >>250
アメリカ人でも、例年のアカデミーノミネート作品を
全部映画館で全て観る事ができるのなんて
ほんの一握りの都市生活者だけだよ
アート系作品なんて、地方都市はおろか
都市部郊外でも掛からないのはザラ
ウディアレン作品ですら、
上映された事もない都市は全米にいっぱいある
だから映画館主の組合や、スピルバーグみたいな
オールドスクールな映画人のNetflix批判は的外れもいいとこだよ
そもそもアカデミー会員がノミネート作品を
送られてきたビデオ→DVD→鍵つき配信で観て判断してるんだからさ >>253
外国語映画賞は注目されにくい海外の良作を掬い上げる意味で設けられてる賞だろう?
個別の部門でもノミネートされるような注目度が高い作品は十把ひとからげの外国語映画賞に入れる必要はないはずだ
両方に含める意義ってなんだよ? >>257
あまりにも優れているし、外国語映画でもあって要素を満たしているから外すルールがないのと必ずどっちか獲らせる保険かな >>247
あちこちに出没するいつもの人やろ
触らないのが一番 >>237
え!?
クレオは帝王切開しなかったんじゃない?
結局頭が出てきたから自然分娩で、縫ったのは会陰切開したところでしょ
普通の自然分娩は麻酔無しだし、会陰切開もメス入れるケースと裂けるままのケースが有るけどどちらも麻酔無しで縫うよ メキシコ映画ってレベル高いな
これからはメキシコ産を中心に見るわ WOWOWのドキュメンタリーでやってたけど、キュアロン、デル・トロ、イニャリトゥの所謂スリーアミーゴスに刺激されて、メキシコ映画界は活性化してるみたいね。政府も力を入れてるらしい。 死産の赤ん坊を蘇生しようとするも叶わず諦めて
遺体を布に包む医師たちの淡々とした手際の良さは何なんだ?
本当の産婦人科医を役者に使ってるのか?
あとクライマックスの海のシーンはどうやって撮ってる?
本当に子供が波に呑まれる寸前のように見える
そんな命がけの撮影する訳ないだろうけど >>263
本当の医師じゃなくてもできるでしょ布に赤ちゃんササっと包んだだけじゃん
見れば1発でできる人もいるし役者なら何回か練習すればできるでしょ、そんな難しいことか?
CGじゃないなら海のシーンはダブル使ってるか、使ってないならあの程度の波で足つきそうな所だから水泳訓練すれば余裕
撮影だからもし何かあった時のためにレスキューダイバーやマリンジェットや医師&AEDもスタンバイしてるかな
子役は下でダイバーとエア吸って待機しといてクレオが来たらダブルと交代とかもできるね
実際はどうか知らないけど >>264
いや、赤ん坊の蘇生措置やってる間もずっと1カットで撮っててコンビネーションも完璧なんだよ
役者ならよほど訓練したんだと思うが、
そもそも主役からして幼児教育の学位持ち、演技は素人を起用して台詞もほぼアドリブだったらしく
そういう手法を取る監督なら産婦人科医も本職を使ってる気がするんだわ >>237
麻酔無しで帝王切開してたら最悪の演技
あんなハアハアで済むわけがない 出産シーンは普通に役者だと思うなあ。
それはそうと、アカデミー賞いよいよ今日だね。
作品賞いけるかねえ。 >>263
海のシーンは足元に橋を作ったとかなんとか
長回しも長回しに見えて実は編集で繋げてあったりするらしい
繋ぎ目とかまったくわからないけども >>248
この監督の映像ってビデオゲームを実写で再現してるだけって感じで一度も凄いと思ったことないわ >>271
本職じゃないキュアロンが撮影賞獲った瞬間にそれ言うってなかなか面白いジョークだな ストーリー以外は最高の映画だな
ストーリーが陳腐過ぎて眠くなる
でも名作 >>271
ローマは今までと違って監督本人が撮影してるが? >>273
だからそれだけの監督ってことだよ
頑張ってゲームみたいな映像を実写で撮りました!
ただそれだけ TwitterでRomaって入れるとboringって出てくる・・・ >アカデーミー賞 外国語映画賞は『ROMA/ローマ』
お目出度う。「万引き家族」でなくてよかった。デキが違う。 外国語映画賞受賞オメ!
ネトフリ映画としても快挙だな >>278
結構賛否両論な感じなんだね
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=roma%20boring&src=typd
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) まあ世界観にハマれるかどうかが全てだからな
ハマれなきゃ退屈な映画でしかないだろう 監督賞だけでもNetflix的には大勝利じゃないかな
普通のスタジオはキュアロンのアイディアに金を出さなかったんだから 作品賞は残念だったね
何気にネトフリ作品の難しさ感じたが、3つ取れたし良かった あの内容じゃさすがに作品賞は無理だよ
テレンスマリックほど権威があるわけじゃあるまいしw まあ外国映画賞貰ったし、ネトフリ映画も審査対象だと言われたようなもんだから良かったよ >>287
「あの内容」ってどの内容よ
発表前はどこもこれが最有力予想だったが >>10
うむ100人隊長復活かと思ったら違って、
メキシコ舞台言うから麻薬カルテルものかと思ったら違って
二重に予想外されたw
メキシコ革命時代の女性の苦労話・・・見る気がせん >>287
テレンスマリック苦手なんだよなぁ
シンレッドラインとポカホンタス実写版しか見てないけど映像詩的表現が痛々しく感じてしまう
その他監督たちの映像詩的表現は好きなんだけど、痛々しく感じてしまうのはテレンスマリックだけ 観る気もないクセして何故かここに来る人、前にもここに来てたな
まさか同じ人か いやここに来て>>1読んでから内容を知り見る気がしないという観想持ったわけでw
最初から内容知ってたらおっしゃるとおりスレ覗いてないよ
しかしスレ読み返してたら映像表現に相当こだわっているとのことで興味わいてきたよ
とまぁこのように人の意見に影響されやすい性質でもあるので機会あったら見ておこうかなと ROMA受賞記念にまた観ようかなと思うけど、初見でクレオさんに感情移入しすぎて所々で泣き過ぎて気軽に2回目観ようかなって映画でもない。
自分にとって大切な1本になったのでオスカーは本当に嬉しい。 主役のお手伝いさんは、先住民と征服者スペイン人とのハーフの末裔ということでいいのかな。
家族、親族より濃い関係を作れるのは同じ釜の飯を食うと、同じ恐怖体験をもつだな。 >>294
映像だけはすごい。それ以外、ストーリーは陳腐なありきたりな話。
退屈だって人も多いと思う。
監督の実体験に基づいているそうだから、そらあまあつまらないストーリーも当然なわけだよ。 この映画を映像だけの映画だと思ってる奴は間違いなくストーリーを見る眼もない
脚本賞にもノミネートされてるっつうのに >>297ははやくNetflixに加入できるといいね 近年稀に見る人間ドラマである
脚本と映像の完成度は驚嘆に値する
ビクトルエリセを次ぐ者それはアルフォンソ・キュアロン ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています