『蜜蜂と遠雷』に対する直木賞選考委員の高村薫氏の選評
「登場人物に深みがない点で不満が残った。一般に天才とは、何かしら目覚ましい
結果があるのみで、周囲の目には内実がブラックボックスでしかありえない人間の
ことを言う。言い換えれば十分に言語化できないということであり、だからこそ天才
の姿を描くのは困難なのだが、作者はそのことに悩んだ形跡がない。かくして本作
では、自分の楽器すらもっていない放浪の天才少年が、演奏前に指ならしすらせ
ず、いきなりコンクールで聴衆の喝采を浴びるという、特異な情景が楽しげに繰り
返し描かれるに留まっている。また、数十曲もの楽曲とその演奏を言語化する困
難にも、作者は力業で挑んでいるが、どんなに大量の比喩が重ねられても、そこ
から音楽は立ち上がってこなかった。これは端的に、言葉の連なりが音楽の響き
をもってくるような文章には仕上がっていないということだろう」