脱出装置は橘が改造して装着したと思ってる人が多いけど、何で「震電」に射出座席なのか分かってない

既出かもしれんけど、「震電」に射出座席付けてたのは機体形式が普通と違ってエンジン・プロペラが操縦席の後ろにあるから

当時は日本も米英も、脱出する時はパイロットがキャノピー開けて機体を蹴って飛び出して落下傘降下してた

しかし、先尾翼式の震電でそれやると、大直径ペラに吸い込まれてミンチになるので、史実の震電はエンジン支持架またはプロペラ延長軸かプロペラハブを爆薬で吹き飛ばす想定をしてたけど、一機だけ完成の試作機には装備されてなかった

また、地上に不時着する場合でも、大重量のエンジンが慣性で前進してきて押しつぶされる

当時射出座席を実用化してたのは技術先進国のドイツだけで、それもやはりパイロットの後ろにジェットエンジンやプロペラが回ってるHe-162やDo-335などわずかな機種でエンジンに吸い込まれるのを防ぐために付けられたのがほとんどだった

震電が少数実戦配備されてたというフィクション設定にしたついでに、ドイツとの技術交流で射出座席の実物も少数潜水艦で輸入されてたという設定なのだろう

橘はその注意書を見て気づいただけで、彼が敷島を助けるために組み込んだのではない筈

あるいは、敷島機には射出座席が省略されてたのを、射出機構を見つけてきた橘か本来あるべき仕様に戻したということはあり得るかもしれないけど

とにかく、あの射出座席での脱出は震電だかれ成り立つのであって、あれが零戦だと、操縦桿を何とかして固定→キャノピー開ける→座席の上に立ち上がる→機体を蹴って脱出といくつもの手順があって絶対に間に合わない

こんなこと、ミリオタじゃなくても、昔飛行機プラモ作ってた世代ならみんな知ってるとと思うけど