(続き)
かくしてニューオリンズ・ジャズはジャズの原初型として極めて重要な存在ながらも、ニューオーリンズのローカル・ミュージックに止まりました。
ジャズがポピュラーミュージックの範疇に入っていくのには集団即興演奏は適してなかったのです。この理由は色々と考えられます。
そのひとつは前回述べましたが、もう一つの理由として演奏の成功率の低さがあったのではないかと思います。
みんなで踊りながら盛り上がるには演奏の瑕疵をそれほど気にする必要は無いでしょうが、シカゴのような大都会にでてクラブや闇酒場で演奏する
ようになると必然的に鑑賞音楽としての要素が強くなりメロディーラインを追いにくい集団即興演奏が敬遠されるようになったのではないかと思います。
それから演奏される曲目も変化しました。ニューオリンズ時代によく演奏された宗教的な曲は演奏されなくなり、変わってヒットミュージカルのヒット
ソングが中心となって行きました。
そこでルイ・アームストロングが1920年代のシカゴを中心として栄えたジャズの牽引車となり、今日私達が聴いているジャズの基本フォーマットを創る
訳ですが、その話は次回に。(なかなか本題に入れませんが筆力が足りないだけで、別に他意はありません。悪しからず)