プロになるまでの長ーい道のり編

1969年 山口県山口市で豊かな自然に囲まれすくすくと育っていた・・・はずだった。
16の自分に疑問を感じることもなく、理数系の進学校に入学していた俺は、
日がたつにつれ、周辺とのギャップに違和感を感じはじめていた。
毎日ジレンマを感じつつも、そんな心の隙間を音楽でうめていたように思う。
洋楽のレコードに夢中になっていた俺は、その縁で山口出身の異色ドラマー
“ドラビデオ”で知られる「一楽儀光」氏に出会う。ドラマーになるきっかけを作ってくれた人だ。
ある日、彼の誘いで偶然座らせてもらったドラムセット。
その時に初めて思い切り踏み込んだバスドラムの一音、「ドゥン!!」
今も昨日のことのように思い出せる。頭で身体で感じることができる。
ある日、すごいドラマーが山口下関にくると聞いて、生のジャズライブを初めて聴きに行った。
それが、我が恩師、故「日野元彦」氏(以降 トコさん)だ。
その演奏を聴いて「これだっ!!」と稲妻のような衝撃を受けた俺は、
瞬間「トコさん」の弟子になるんだ!と心に決め、興奮冷めやらぬまま勝手に上京を決意していた。
まずはトコさんの弟子だった光市のジャズドラマー「久原朗揮」氏に付いて学び始める。
この後はどんどんJAZZにのめり込み、特に「Miles Davis in Berlin」のレコードを聴きまくり、
Tony Williamのシンバルレガードに聴き惚れていた。
19歳、バイトバイトバイトを重ね、やっと上京するチャンスがめぐってきた。
何のコネクションもないまま、思いつきで東京に出てきた俺は、
トコさんの経営するライブハウス「六本木alfie」に通い詰めた。