1963年、ジョアン・ジルベルトが伝説のジャズマン、スタン・ゲッツとアルバムを制作する間、彼女はニューヨークへ同行し、スタジオで通訳として手伝った。バンドが『イパネマの娘』の英語詞を録音することになったとき、ボーカリストが必要だったが、彼女は恥ずかしそうに、私が歌います、と言った。
エンジニアのフィル・ラモーンは2012年、Jazzwaxにこう語った。「プロデューサーのクリード・テイラーが、すぐにでも曲を完成させたいと言って、部屋を見渡したんだ。アストラッドは、英語で歌えると言って志願した。クリードは『素晴らしい』と言った。彼女はプロのシンガーではなかったが、あの夜、そこに座っていた唯一の犠牲者だった」
練習の時間はほとんどなかったが、アストラッドの超然とした色気のあるボーカルは、「すれ違う人たちを振り向かせる長身で日焼けした若くてかわいい」女の子の雰囲気を完璧に表現していた。
この曲は瞬く間にヒットし、グラミー賞の年間最優秀レコード賞を受賞することになった。
アストラッドはこの曲(スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルト名義でリリースされた)にクレジットされておらず、彼女は通常の120ドルのセッション料しか受け取らなかった。