モーツァルト 交響曲第41番 ジュピター
モダン楽器でもピリオド楽器でも名演がたくさんありますね >>350 内緒だけど、オマイ以外は全員玄人だよw アーノンクールのモツ交39〜41番のCDについて意見 を言っている人が上に結構いるが、どうせならもうちょっと 詳しく、どのオーケストラとの演奏なのか言ってもらいたい。 ロイヤル・コンセルトヘボウ盤(1982〜1984年録音)なのか ヨーロッパ室内管弦楽団盤(1991年録音)なのか ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス盤(2012〜2013年録音)なのか ロイヤルフィル,ジェーン・グローヴァー のCD買ったんだかすげー良いフルートが少しでかく感じるけど。 >>358 最近の意見なら最新録音のウィーン・コンツェントゥス・ムジクス盤なんじゃないの? アーノンクールのモーツァルト39〜413大交響曲は聴いてて疲れた。 毒入りというかなんというか。みんな微妙な顔になってたのが印象的だった。 39番から41番は連作であり、続けて演奏されるべきだ(アーノンクール)というのは 中間となる40番(ト短調)が、39番(変ホ長調)に対して属調の平行調 41番(ハ長調)に対して属調の同主調 とリンクしていることからも、なるほどと思う。 連作ってのはいいが、どして続けて演奏する必要があるんだろ >>363 3曲はある男の一連の物語になっているみたいなこと、 クラシックの迷宮で解説してた モーツァルトには42番以降の交響曲も作って欲しかったなあ 『ジュピター』を聞いていると、 明るくて、音楽の節目節目がハッキリとしていて、 構築美という言葉が確かに似合うなと思う。 シューベルトの『未完成』は全体がボヤボヤーとしていて、 『ジュピター』とは別世界を感じる。 きらクラ!で第4楽章聴いた。 改めて超名曲だと思った。 >>372 アバドのは初めてきいたけど、意外と良かった。 ジュピターは何度聞いてもしょうもない曲だな 39番やプラーハの方がまだましだな とにかく外面的で浅過ぎるんだ まあ、モーツアルト自体がガキで大人になれなかったから、そういう音楽しか書けなかったんだ ハイドン、モーツアルトの交響曲は退屈な曲ばかり ベートーヴェン、ブラームスのような感銘を受けない 俺は最近、ブラームスよりもハイドン・モーツァルトのほうが好きになってきたな。 ブラームスはとにかく重いんだ。交響曲にしても室内楽にしても。 >>378 中二ならそう感じても致し方あるまいw >>379 やっとちゃんこの味がわかってきたようだなオッサンw 生で聴くと、終楽章は宇宙の運動を宇宙の外から眺めているような気になる 第4楽章の輪唱みたいなのはフーガというのですか?対位法というのですか? 音大出身の方教えて下さい。 N響実演で第4楽章最後のトランペットが安っぽく鳴って脱力したのを覚えてる >>383 百瀬のティンパニも下品だった タンタンタンじゃなく バンバンバンだから この曲あまり出来がいい曲とは思わないけど モーツァルトよく聴く人でそう思ってる人他にもいるかな? >>392 死の直前アントワープの大聖堂でルーベンスの画を見た際のネロの感動感激に通ずるものがある。 >>390 ああ俺もそうだよ。 39番、40番、41番の3曲の中でこの41番が最も垢ぬけない野暮ったさがあるよな。 終楽章も31番パリや35番ハフナーの方がずっと洒落ていて良い。 >>390 >>395 そうかなあ。 俺はこの曲の第4楽章だけは間違いなく特筆ものの曲だと思うけど、みんな捉え方は人それぞれなんだね。 モーツァルトのステレオタイプなイメージとは違ってるからな その辺りは好き好きでしょ。 つーか、モツがもう数年生きてれば、この曲の評価も違ってたかもね 第2楽章を聴いてると、なぜか切ない。 遠い昔、若き日の青春時代。学校の先生、クラスの級友、マドンナ・・・ でも思い出の場所に行ってそれらの面影を探しても今は何もない。 町の風景もすっかり変わってしまった。そういう虚しさを感じてしまう。 爺だけどw 確かにモーツァルトの第2楽章はみんな切ないね。 でも交響曲だったら第40番第2楽章のほうがいいと思う。 あんな哀しい第40番第2楽章が初夏の高原のような感じとは驚きだ 聾にはそんな具合いに聴こえるんだね。 初めて知ったよ。 テンポ設定によってはずっこけに聴こえることもありうるかと。 >>408 フランダースの犬みたいな暗い話は好きではない 小公女セーラも、ラビニアの陰湿なイジメが好きではない 赤毛のアンが好き 41の良さはわからないけど モーツァルトしか聴けない >>399 今は何も無い。なんか切実デスね。 でも、わかります。 出だしの三つが 思いっきり出た屁に聴こえる。 さすがモーツァルト 宇宙の始まりのようなビッグバン的なものを感じるよね。 朝の一発目のオナラをするとき 続けて第1楽章が脳内再生する おそらく同じキーW ド!ソラシド!ソラシド!ですね。CメジャーでMacの起動音と同じで清々しい感じですね。 >>418 ビッグ・バン・ブーム by ホール&オーツ >>417 >>419 サンクス 秀逸なギャグだとトッカータとフーガみたいに 以前のようには聞けなくなるのだが 全くもってくだらないやつだとそれがなくて 安心して下さい、すぐ忘れられますって感じが良い >>403 初夏の高原を、まさか「高原の御嬢さん」みたいな爽やかな感じで受け 止めているんじゃないよね? 春愁とは違うけど、高原の白い霧がかかった静かな安らぎの中に感じる ある種のもの哀しさ。 あるいは、全く違うけど、シェーンブルン宮殿のイメージ。 40番がマリーアントワネットの死後に作られたのか知らんけど。 あるいは、全く違うけど、シェーンブルン宮殿のイメージ。 40番がマリーアントワネットの死後に作られたのか知らんけど。 ↓ 訂正。これは41番の第2楽章の方かな レコード芸術:名曲名盤500(2015年5月号P39) 【262】モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551(ジュピター)(1788年) 1位.アーノンクール指揮ウィーンコンツェントゥスムジクス(2013)(12点) −NML未配信 2位.アバド指揮モーツァルトO (2006)(5点) http://ml.naxos.jp/work/4463602 3位.セル指揮クリーブランドO(67)(4点)−未配信 3位.ブリュッヘン指揮18世紀O(2010)(4点) http://ml.naxos.jp/work/3544416 3位.ベーム指揮ベルリンPO(62)(4点) http://ml.naxos.jp/work/4380531 ちょっとあんた、嫉妬して、妬んでますねー。大体、わたしゃー、嫉妬、妬み、無縁でしたね。 あの〜、よく「上から目線」とか、感じたことをそのまま書いているだけなんですが。リーマン生活が10年間だけでしたので、その辺の空気がいまいち…なんですよね。 「モーツァルトK.333・1楽章」 26小節(34.123.131小節)がいいですねー。これこそ左手と右手の対話ってもんです。もう弾いてて浮き浮きしますね。こういうところは本当にモーツァルトはいいですねー。 2小節前に「sf」で左手が二分音符2音+付点四分音符2音、右手が付点四分2音があるでしょ。その前の19〜23小節が難しいんですね。どうも旨くいかない。 「1〜8小節は少し遅めに優しく初め、9小節からリズムに乗り加速してゆく」のが私流です。 ピアノ弾きだして解ったんですけどねー、楽譜見ながらピアノを弾くなんてーのは不可能ですね。そりゃあ、最初は見ますよ、「あー、こーなってんのか」てね。 だけどねー、目で音符追いながらやってた日には音楽になりませんよ。もう指に覚えさせ、あとは気持ちを指に伝なきゃ、音楽にはなりません。 目で楽譜を追っかけるなんてーのは誰かの実演や録音を聴きながらする事じゃあないんですかねー? ベートーヴェンって人はそれは偉い人ですが、モーツァルトってーのは弾いていると身体が浮き浮きしてきますねー。K.333・1楽章。 モーツァルトはこういうところは本当にいいですねー。 あたしゃーねー、オーディオに2億掛けましたがねー、そもそもステレオの音が気になるなんてえのは「やられている」んですね。 音楽ってーもんはそんなもんじゃありません。最初にハイドンがパッと入ってくりゃあガーガーいってようと聞こえやしないんですよ。 ハイドンを聴こうとしていくら機械をよくしたってハイドンにはならんですよ。 聞こえてくる音ってものはね、神経質になればどーにもしょうがないもんです。 しかしね、あー、音楽ってもんはそんなもんじゃありません。先のものを見てりゃあね、こっちはどう聞こえようが構やしないんです。 ハイドンであれショパンであれ、どこかでパッと聞こえてくればほんの2〜3小節くらいで「あ、ショパンだな!」って分かる。 それがステレオだろうがSPだろうが構やしないんです。たとえザラザラの音だろうと、私はショパンを発見することができます。そのマズルカをはっきりと聴いちゃう。 聞こえてる訳じゃあないよ、でもね、「あーこりゃあすごいもんじゃー」って感動はちゃーんとあるね。この感動は決して耳から来てるもんじゃない、音波に乗ってないんですから。これはみーんな内から来ている感動ですよ。 そーゆーところが無ければ音楽ってもんは聴けませんよ。「あー、音楽ってもんはこういうもんじゃな」って解ったことがあるんですよ、もう20年以上も前の事ですよ。 そりゃあ、私はドビュッシィーって人は好きですけどねー、まあ、地方人ですね。秋田(失礼)の踊りみてーな、まあパリだからパリの踊りになったかもしれねーが。ベートーヴェン!ベートーヴェンがどうしてベルリンの踊りですか!? そういう事ですよ、私が言いたいことは。 前にもどこかに書きましたがね、あの人はみな精神で音を聴いているんです。あの人には音は聞こえないんです。 その晩年のベートーヴェンの仕事ってーもんを誰よりも最初に理解したのはワグナーですよ。 宇野 功芳先生の「モーツァルト奇跡の音楽を聴く」を入手した。 この曲の推薦盤。ワルター/ウィーン・フィル[オーパス蔵]。 ワルター/ニューヨーク・フィル[SC]。ベーム/ウィーン・フィル[Orf]。 カザルス盤[SC]。ブリュッヘン盤[Ph]。インマゼール盤[ZZ]。 ベーム/ベルリン・フィル[DG]。以上、7枚を推薦している。 最近まで木曜日も休みを入れ、念願の週4日の仕事だったのですが…… 英検2級を目指す中2女子生徒、親御さん、校舎長のたっての願いで、この子一人の為に「1:1の授業」をする羽目になってしまった。 繰り返しますが今の職場は「生徒が講師を指名するシステム」ですので受けざるを得ませんでした。 私の休日は日曜日と月曜日です。半日はトレーニングに汗を流し、20代の体型、柔軟性、切れを維持することに努力しております。 片手懸垂、180度開脚、膝関節からの金的上段中段下段蹴り、パンチ、スピードのある弧拳等。 今日は午後5時過ぎ〜9時までの仕事ですから午後一でトレーニングに出掛ける予定です。 ラファさん、今晩は。 それにしても、生徒さんの GDP also treats money the same no matter whom it goes to. の訳、 「ある国における商取引の総計にすぎなないGDPでは、お金が富裕な人に渡ろうが貧困な人に渡ろうが、その意味が失われ、金額だけが一人歩きするのである。 従って、GDPはその国の豊かさを示す尺度にはなり得ない」 は実に素晴らしいですね。 「従って、GDPはその国の豊かさを示す尺度には なり得ない」が一番重要なことでありますが、私の 「お金がどこに行こうがGDPにとっちゃ同じこと」では、 直接その意味が出てこない。 こじつけで出すものではなく、しっかり書かなくては なりません。 完敗です。 高校生でそこまで分かっているというのはさすがに ラファさんの生徒さんですね。 初めて会った時16歳だった「水原希子そのままのシロガネーゼ」、『i』さんが予備校を辞めて塾を立ち上げなければ、その出逢いは無かった。 私の人生でも唯一無二の思い出となったその後の5年間。 いきなり「モーツァルト レクイエム 怒りの日が聴きたい」と言い…… 新宿/ディスクユニオンで一緒に探し、君は「これがいい」と鳥の羽が拡がるカラヤン盤を選んだ。 いつでも連絡は取れるが取らない。思い出を大切にしたいから。 クラ板の達は『ケチをつける/罵倒する/嫌悪する』ことが目的で書き込みしてますので、あー言えば上祐よろしく、何を言っても無駄なのですね。 お嬢弟子さんや私に対するイメージ(彼らの切ないほどの願望なのですが)がすでに固定観念として出来上がっておりますので…… その固定観念に反する言動は必ず屈折しデフォルメされて受け取られる。 現実のお嬢弟子さんや私が、その固定観念と異なる予感がするやいなや『全力で反撃を開始し出す』人達なのです。 固定観念と異なるのが余程の困るのでしょう。恐怖感すら抱いている節がある。 一昨年位までは此方もフィクションを交えて相手をしておりましたが、さすがに飽きまして、今は専ら……… 『ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/ヴォイス・オブ・ザ・シアター アルテック』 にて、ミレニアムさんと国際政治(主に軍事)やオーディオ談義をしております。 関連スレッドに「ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/大英帝国の栄光タンノイその11」もあり、こちらは私の日記帳のような按配なのですが…… 粘着「理屈と膏薬は何処にもつく」親父に付きまとわれ、現在は放置しております。 醜い嫉妬心剥き出しの童貞さん、一千万円以上の年収を与える者に社会が要求してくることを知らなければ、アリス・「紗良」・オットは理解できませんよ? 何故、少女達は私に着いてくるのか?進学後も社会人になってからも相談が来るのか? そして今も私の肉体を激しく求めるのか? そろそろ認めなさい。 学校の授業や、そして彼女達のかりそめのボーイフレンド達が仮に魅力的であるならば塾も予備校も、そしてこの私も必要あるまい。 高校の担任が私に「知識は大事だ」と言った。私は、百科事典に出てることなら調べれば済む、知識は「何故」大事なのか?と問うた。 もっともらしい事を言ったような記憶だけはあるが、「もっともらしい」という記憶しか残ってない。そして、セックスに関しては、学校では教えない。その快楽を享受する方法を。 私なら「金になるからだよ」と、はっきり本当の事を伝える。そして性行為とは、生殖本能であり、動物には全て備わっている本能だよと、実践を通して性の手ほどきをする。 聖アンデレ協会で独り『ムーンライト・ソナタ・一楽章』を演奏するホロヴィッツのように、処女(おとめ)である少女達の女性器を愛撫し、私の逞しき男根で貫く。 30年お世話になっている予備校では、「内は株式会社だ、結果がすべてである」と。痛快でしたね。望む所です。 トップが右といえば左、解るんですよ。結果、3年目には校舎長、その後7年間で社長賞3回。ハワイ!、ロス!、バンクーバー!でしたね。 入社3年目の夏のボーナス百万円。そして、関係を持った少女達は一千人。私に合ってる会社であった。 しかし、やはり「組織」。この組織ってものが、私には耐えられない。「3年待て」の指示に従い、晴れて円満退社第1号となり講師に。 1年目だけは退社時の年収八百万は保証してくれた。あとは、数千万になるか、戦力外になるかは自分次第。そして今がある。 講師としての激動の20年間を経て、私はいま人生という山の下山の八合目の見晴らしを眺望しております。 「K.466を」「K.488を」「K.595」をこの手で弾くことを夢見て。 あらたな目標は人生をより豊かなものにしてくれます。 再度、申します。何故、生徒達が私の男性器を「まるで神であるかのように見つめてくれる」のか… そろそろ認めなさい。 よござんす?私の男根を、彼女達は崇めているのですよ。 「構想は、宛も奔流も様に、実に鮮やかに心のなかに姿を現します。然し、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、 私とてもこれに一指も触れることは出来ません。(略)こうして出来上がったものは、邪魔の這入らぬ限り私の魂を昂奮させる。すると、 それは、益々大きなものになり、私は、いよいよ広くはっきりと展開させる。そして、それは、たとえどんなに長いものであろうとも、 私の頭の中で実際に殆ど完成される。私は丁度美しい一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に、心のうちで、一目でそれを見渡します。(略) 一旦、こうして出来上がって了うと、もう私は容易には忘れませぬ・・・・・」 ご存知、Jahnによって保障せれたモーツァルトの有名な手紙の一節であるが、「頭の中に丁度一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に」音楽が その全体が鳴っているところが大切なのである。私がそうだからである。 私も全くモーツァルトと同じなのである。 ソリスト、協奏曲のピアニストやヴァイオリニスト、指揮者がスコアを暗譜していることは常識である(私の不出来な妹のようである西本も音楽に入り込み、しばらく してスコアを5〜6ページ演奏中に捲ってましたっけ)。オーケストラの団員は目を閉じてという訳にはゆくまい、当然である。私は、ソリスト 、指揮者(オケの団員に指示を与えることはままあるにせよ)、聴衆に関して言っているのである。私はオペラでさえ目を閉じて聴くと・・・ 目の前の張りぼて、イメージと異なる歌手たちが邪魔なのである。私は「一幅の美しい絵を見る様に」音楽を聴きたいのである。 室内楽やオケの団員は共同作業であろう。相手の音に呼応しながら音楽を紡ぎだす音楽であろうから。 しかしながら私はピアニストである。音楽を弾き始めるまえに聴衆の存在は消えて、ひとり清里の聖アンデレ教会の蝋燭の炎が燈る一室で目を閉じ、一音一音に 集中しながら「悲愴を」「月光を」「エリーゼのために」を弾くことでしょう。 今日はこの数時間、ある曲を聴きながら亀頭を擦り続けている。 もう片方の手指に乳首にからめつつ…… 『モーツァルト/ピアノ協奏曲23番k.488 2楽章(限る内田&テイト盤(420 187-2)/グード&オルフェウス室内盤(WPCS-10145))』 この曲はわたしにとって、モーツァルトの中でも(=この世に存在するすべての音楽の中でも)五本の指に入る大切な曲でなのであるが、その魅力の源泉は?となると答えに窮してしまう。 男娼の肛門の美しさやら、膣とは違うペニス締め付け、その官能的な溜息、喘ぎ声やら私の性的嗜好のあれやこれやの実相とか言ったイメージが浮かんでは消えたりするが、何のことはない、repeatを掛けたままマスターベーションの快感に数時間動けずにいる。 かつて「わたしが腹上死したらお経は要らない、この曲を流して欲しい」と頼み、今もその心境に変化は無いが、心境の源が変化しつつある事が少なからずわたしを驚かせている。 もっと沢山の男娼たちの肛門の中を私の精液で満たしたいのだ。 年齢を重ね、若かりし頃とは違った快楽に溺れる、そう言ってしまうと身も蓋もないが、7分余りの曲が数時間の自慰行為のBGMに堪え、尚聴きながら、亀頭の裏筋を刺戟し続けていたいと言うこの感情は何処からやって来るのか?自分でも整理出来ずにいる。 ピアニストとしてのわたしですが、わたしは楽譜を見ることなどあり得ません。楽譜の「音符を一音一音目で追い掛ける」なんてことしていても、聴衆の魂にダイレクトに訴えかける音楽にならない。 指が完全に覚えてこそ「想いを指に伝えられる」んです。 小学5年生〜中学3年生の頃、バンド組んでエレキギターを弾いてたことありました(ダイヤモンドヘッドとかベートーヴェンの運命とか、中学の卒業お別れ会で体育館の壇上で演奏しました)が、楽譜なんか無かったですよ。 人から指使いだけ習い、あとはもう練習、練習、練習。 その後ですよ、自分の想いを指に伝えるのは。 ピアノはタッチ一つで想いが変化します。テンポはもう決定的に曲のイメージを支配します。 一音一音、音符を目で追い掛けながら…なんて、有り得ませんね。 もう一度申します、わたしは「中学のお別れ会で体育館の壇上」で演奏したんです。 どうせあなた達は、performance とは無縁の方々でししょ?わたしのレスを否定する、晶子さんのヴァイオリンに「どうのこうの言う」ことなど、百万年早い。 出直してらっしゃい。 佐藤天彦名人のモーツァルト「交響曲第41番 ジュピター」 2016年7月28日 複数の主題が最終盤に集約する点が将棋と共通 クラシック音楽を聴くのが趣味で、時々コンサートにも足を運びます。最近は忙しくて行けていないのですが、一時は月に4〜5回もホールに赴いたことがありました。中でもオーケストラが好み。 華やかではっきりした旋律、楽器同士の掛け合いを体感できるのがいいですね。趣味が高じて、成人してからピアノを習ったこともあります。触れる機会こそ少なくなったものの、今でも電子ピアノがそばにあります。 目覚めは中学生の頃。修業時代、対局のため、故郷の福岡から大阪に通う際に、新幹線の車中でラジオで聴いたドボルザークの「交響曲第9番 新世界より」がいいなと思ったのがきっかけでした。 それ以来、バッハ、ベートーベン、メンデルスゾーン、ヘンデルなど、いろいろな作曲家の作品を聴きましたが、モーツァルトの「ジュピター」には一番感動したことを覚えています。モーツァルトの良さは、どの曲も聴くシーンを選ばず、いつ聴いても気持ちいいところですね。 モーツァルトに限らず、対局中のふとした瞬間に、クラシックが頭の中で流れていることがあるように思います。局面が進んだ夕方ごろなどに、そのタイミングに応じた曲が……。 それでも大事な勝負の前日には、気持ちを整えるために思い入れのある「ジュピター」はよく聴いています。特に第4楽章が好きです。いくつかの主題がフィナーレに向かって集約され、一体となって昇華していく感じ。 いい意味で奇をてらわないところが、自分の将棋の指し方と共通しているかもしれません。 ◇ さとう・あまひこ 将棋棋士。1988年1月、福岡市生まれ。2006年プロ入り。2016年5月31日、羽生善治名人との第74期名人戦七番勝負に4勝1敗で勝ち、名人位を獲得。同日九段昇段。 ◇ http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016072123411.html >>440 棋士にはクラヲタが多いな。 中原誠、青野照市、モーツァルトのように早逝した山田道美、 その盟友だった加藤一二三はともにクラシック好き 佐藤康光はヴァイオリンを演奏したはず >いくつかの主題がフィナーレに向かって集約され、一体となって昇華していく感じ。 ブル5の感想も聞いてみたい 将棋のプロ棋士ってめちゃめちゃ頭いいからな。 その中でも頂点の名人だったらなおさら。 Brahms Sym 1 C Sym 2 D Sym 3 F Sym 4 E ♪ C 〜 D 〜 F 〜 E 〜 ♪ モーツァルトの交響曲《ジュピター》の第4楽章が好きです。 あの、のぼっていく感じがいい。 これまでに多くのCDや生演奏を聴いてきましたが、王道はベーム/ベルリン・フィルです。 小学六年生の時、はじめて手にしたモーツァルトは、カール・ベーム指揮ベルリン・フィルの「四〇番」「ジュピター」の一枚。 カラヤンと同じ黄色いグラモフォン・レーベルだし、ベルリン・フィルだから間違いないだろう、という子どもらしい単純な理由で、親にねだって買って貰ったのだ。 いやあ、本当に夢中で聴いた。 何度聴いたか分からない。 特に「ジュピター」のフィナーレ。 ド−レ−ファ−ミのテーマが畳み掛けるように繰り返されながら頂点に昇りつめて行くことに熱狂した。 小学校2年生のとき学校から帰るとよくレコードかけて聞いていた 39番も好きだった。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる