なんでマーラーの交響曲全集に
大地の歌が入ってないことが多いの? 大地の歌も一応交響曲でしょ? ウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて 「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強い。 はいスレ終了 初演・出版前にマーラーが死んじゃったから、なおさらぼかされちゃったんだろうね 演奏の出来は半分以上歌手次第だし指揮者としては出来れば全集に入れずにすませたいんじゃねえの?w >>121 まったく説得力なしw >>122 こちらのほうが、うーん、なるほどなあ〜と思わせてくれるし楽しい 残念ながらオレがどうするかはオレが自分で決めることだ 交響曲「大地の歌」 はいこれでスレ終了 マーラーがちゃんと番号を付けなかったせいでベートーヴェンの戦争交響曲や チャイコフスキーのマンフレッド交響曲とかと同じ扱いになったんだよな つまりマーラーが悪い 悪いも何も交響曲認定なんてされなくていいし あれはDas Lied von der Erdeという曲ですから 認定とかw そういう話題じゃないし バカじゃねーの マーラーは、大地の歌を「交響曲」に分類しなかった。 「9」という数字を避けたとも言われるが、結局シンフォニー9番を完成させた。 8番は、ありゃどう見ても大規模なカンタータだが、マーラーが「交響曲だ」と 言ってるので、なんの文句もなく交響曲。言ったもん勝ちかも? 「大地の歌が交響曲だ」と言い張るのは、マーラーの意図を無視した行為。 むしろマーラーを冒涜している。 要するにだ マーラーの意図を無視し冒涜しているのは一体どっちなんだということ >>134 ウィットのセンスがないよ 誰も答えないから、教えてほしいんだよ謙虚に 「大地の歌」は、詩のテクストに寄り添って作曲された比較的自由な形式をもつ作品とみなされることも多いが、 作曲家・音楽評論家の諸井誠は、「大地の歌」を交響曲としてとらえる立場からこの曲の構造分析を行っている。 そのような視点で見るとき、ソナタ形式で書かれた第1楽章、緩徐楽章の第2楽章(諸井によればこの楽章もソナタ形式)、 そして第3楽章から第5楽章までを一つのまとまりとみなすスケルツォ風の部分、そして最後にシリアスで充実した内容を持つ最終楽章という、 伝統的な4楽章構成の交響曲の姿が浮かび上がってくる。 ID:15Q8PovI と ID:L/o7MmO1 は非生産的なのでID変わっても黙ってろ 作曲家の戯言と2chの戯言はたしてどちらの方が真実か?w 少なくとも大地の歌が交響曲としての内実をもつのは確か。 >>117 >交響曲第7番 「夜の歌」 >大地の歌 「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」 これが全て 国際的にはこう ■Symphonie Nr. 8 (Es-Dur) in zwei Satzen fur groses Orchester, acht Solisten, zwei gemischte Chore, Knabenchor, und Orgel. ■Das Lied von der Erde Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. ■Symphonie Nr. 9 (D-Dur) in vier Satzen fur groses Orchester. >>140 >交響曲としての内実をもつのは確か 何の根拠も示さず勝手に認定する馬鹿w >>137 のおやじの戯言と同レベル 誰もそんな根拠の無い意見を採用しない 「国際的」ならいろいろ当たるべきだろうけど、 まあ、まずはドイツ語圏からだろうな 引用先なんてここしかないし ”国際的”だけどなぁw http://www.gustav-mahler.org/english/ 突っ込んだつもりなんだろうけどw ウィキぺディアにも乗ってる題名を国際的とか偉そうにw そこのホームページで大地の歌についてなんでマーラーが番号付けてないのか 説明してるの?してるんだったら通訳よろしくね。国際派さん まさか出来ないことはないよね?w 出典は書くものでは? 突っ込んだ訳ではない、常識的なこと 一先ずお礼を >>147 何を貼っても非難したんだろうねおまいさんは 頑固じじいに何言っても仕方が無いな Synphony"Das Lied von der Erde”なんて表記は日本以外で見たこと無い 非難するならそっちが国際的にはそうではないという根拠を見せてくれよ 無いということを証明するのは困難だからね international gustav mahler societyだから 「”国際的”だけどなぁw」て書き込んだんだけどな つまんねーやつ >>148 >出典は書くものでは? ここ2chだぜ?w 誰が出典なんて書き込みながらレスしてんだよ このスレにすら見当たらないのに揚げ足取り杉 お礼は有難い 結局マーラーがこの曲に番号を付けなかった理由はわからないの? >Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. これで交響曲だって結論が出て話は終わりって事? そいうことですね 「ノーサイドにしましょう、・・・もう」 ウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には 「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていない このウィキの記述にある決定版総譜の校訂をしたのが >>146 のウィーンの国際マーラー協会なんだけどなw >>157 いやいや、結局とどのつまりは>>153 で正解です >>157 素朴な疑問なんですが、なんでそのように思ったんですか? >>142 の引用した国際マーラー協会のサイトの曲の説明に Symphonie とあるわけですから 曲名に交響曲がつかなくても曲の認識としては(少なくとも国際マーラー協会では)交響曲であるということでしょう? 違います? >>159 しかし>>155 にある通りその国際マーラー協会が校訂したウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には 「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていない。このことに対する説明がサイトで言及されていれば多少納得いくが また国際マーラー協会の曲にたいする解釈には昔から少なからず異論や異議はとなえられて来た。 つまる所国際マーラー協会といえど絶対とはいえない、1つの指標ではあるが、そこがこんなあいまいなことをしてる時点で この曲の形式に対する疑問は決着が付いていないと言える。 まあ俺としてはアルマの回想にある 「この夏の間中ずっと、彼は熱に浮かされたようにハンス・ベートゲによって翻訳された テキストをオーケストラ歌曲 (Orchesterlieder) に作曲し続けた。その作品は彼の手に よって規模をだんだん拡大させていった。個々の歌詞を結びつけ、間奏曲をつくり、そ うやって拡大された諸形式は彼の大もととなる形式 (Urform) 、すなわち交響曲へと姿を 変えていった。」 この話通り始めはオケ付きの連作歌曲を作ってたらいつのまにか交響曲になっちゃて どっちつかずだしエピソードも怖いから番号を付けなかったんだと思う。 マーラーにとっては別にどうでも良かったんじゃないか >>159 そのサイトから抜き出して並べたのが>>142 日本語に訳したのが>>117 何が 交響曲「大地の歌」だよw 何が根拠なの?www あれはDas Lied von der Erdeという曲(歌があるから歌曲) 何で 交響曲「大地の歌」なんて勝手に言いたがるの?マーラーはそんな題名にしていないのに ねぇ何でなの? 自分自身が信じ込んできたことが否定されると不快だからなだけでしょ? 何だよその頭の固さは 馬鹿の典型 大地の歌(変則的で例外的な一種の交響曲)ではあるけどね 交響曲ではないな どうでもいいが曲からして第8番と第9番の間にくる交響曲ではないよね >>162 題名に交響曲と付けているなんていっていないのに 何を興奮してるんですかね? 初版のスコアには交響曲と但し書きしてある(柴田南雄「グスタフ・マーラー」154ページ)。 そしてマーラー自身はその後改訂も初演も出来なかったんだから マーラが書いた但し書きのSynphony"Das Lied von der Erdeは尊重されるべき >>165 > マーラが書いた但し書きのSynphony"Das Lied von der Erdeは尊重されるべき 本当にSynphonyと書いてあったなら笑えるな。 但し書きじゃなくて落書きじゃんw バルトークのオケコンも協奏曲にしちゃう人が落書き尊重派w >>162 歌があるから歌曲、ってw 交響曲と呼ばれたらアンタ何が不都合なの? ねぇ何でなの? 自分自身が信じ込んできたことが否定されると不快だからなだけでしょ? 何だよその頭の固さは 馬鹿の典型 いかに下品で無理のあるもの言いだったかが伝わればそれでいいんです >>166 >>149 の書き間違いをそのままコピペしちゃったんだろうねえ >>166 >>172 大いにワロタ 確かに落書きだね、それw >>175 >>149 はすぐ訂正入れてるし主張が逆だろ オレが149ですよん 交響曲「大地の歌」の根拠はまだなの? 曲全体の構成と楽章のなかの展開の形式、構築の仕方、 全曲通じての各種モティーフの扱い方、 などなどからこれはやはり交響曲だね 変則的で例外的な一種の交響曲、というのはまあ当たってるな 歌曲 なげーけど。 復活の第3楽章、第1番の第1,3楽章なんて、 交響曲の一部でございますってか? 大地の歌は、長い長い歌曲集 オーケストラ伴奏歌曲風の交響曲 間違いなく交響曲 異論は認めない、これが分からないやつはトーシロ 第4番の第4楽章とか歌曲だもんね どこかでマーラーは歌曲と交響曲の境目が曖昧なんて書かれてたけど そもそも音楽自体にそんな分類はないわけで これがマーラーの音楽というだけなんだよな 大地の歌は交響曲だ!とか、違う!とか何の意味もないかもね >>181 そんなに交響曲風かねぇ 判ったように何も理解していない>>180 が何か言ってるけどw 誰も交響曲の定義なんてしていないのに”展開の形式”だとよw こいつの頭の中では第8番ってどうなってるんだろう? ”異論は認めない”とか思考が停止した馬鹿の常套句w ↑と訳知り顔の馬鹿が自分だけはわかってる風を吹かせておりますw どうでもいいじゃん マーラーだってどうでも良いと思ってたんじゃないのw 初心者は交響曲ってのに飛びつくからな。 歌曲扱いよりはメディアの売り上げが良かろう 他の交響曲にいわれのないタイトルくっ付けたのと同様 オレ様はベテランであって 初心者の青臭い無知な奴らとはとはステージが違うんだぜ〜 などとは失笑もの メディアの売り上げ云々などとは噴飯もの 曲全体の構成(例;長大な両端楽章で中間楽章をはさむ形式は2番、3番、7番が既に存在)、 楽章のなかの展開の形式や構築の仕方(例;第一楽章は変奏的有節形式とソナタ形式の融合)、 全曲通じての各種モティーフの扱い方(例;A-G-E-C)、 などなどからこれはやはり、歌と題された 『交響曲』 だね 異論は認めない、これが分からないやつはトーシロ 楽曲の特徴とカテゴライズをゴッチャにしてるトーシロ マーラー自身が交響曲だと意識して作曲していたことの証の一端を 客観的に示しただけのこと ゴッチャにしているとしかとれないトーシロは大人しくしてたほうがいい 第8番は交響曲じゃない!とか主張しときゃいいのにw 何で交響曲に定義なんてないのに”モティーフの扱い方”なんて言ってんの?アホ? 長大な両端楽章?大地の歌だけ特別に最後だけ長いだろw 2番3番7番って全楽章歌曲の大地の歌とは全然違う そもそも2・3・7番はマーラーが交響曲として番号を振ってる 大地の歌ってピアノ版もマーラーが同時に作曲してる 亡き子をしのぶ歌と同様にね 歌曲だからね 交響曲「亡き子をしのぶ歌」 まあトーシロが頑張って書いてるようだが その割には苦しまぎれ全開で屁理屈満開だな、ばか?あほ?痴呆? 交響曲なのになぜ番号を振らなかったかが、この曲の興味深い点なのだが そこを考察するという知的遊戯を放棄したことが、今一つおまえの残念なところかな 物事を見た目でしか判断できない表層的思考のおまえは もう少し音楽含めた知的体験を積み重ねないといかんな あ、異論は認めんから、返レスはもう不要だよ 新たな考察の内容を示したら良かろう >>200 IDが変わる前に書き散らして逃げる気まんまんだなw チ・キ・ン・野・郎ww あ、異論は認めんから、返レスはもう不要だよ w 作曲したことのあるやつなら これが歌曲ではないことだけは分かると思う バーンスタインの旧プロジェクトも、大地は含まれていないと考えるのが自然 >>204 え?w 交響曲と言えるかどうかを議論しているのであって 歌曲であることは間違いねーよw >>193 結局こういう馬鹿は結論ありきだからこんな主張をするんだよな これ歌曲としての構成の仕方(笑)云々と言い出すと結論は歌曲になる 「大地の歌」は普通に歌曲集でしょ。 嘆きの歌はどうなるの? >>101 は確かにその通りだ ID:ihSb6I7U は冷静で論理的かな 「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」 「Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo.」 「変則的で例外的な一種の交響曲」 という表現はまあそうだろうね、Wikiの記載も公平で正しい見解かな 曲名は「Das Lied von der Erde」と呼ぶことに特に誰も異存はなかろう 歌曲集派の言い分は、オレがそう思うからっていうのしかないのが 説得力がなくて議論としてはなかなか辛いところだ また交響曲派からの質問には答えずにスルーしているのもかなり辛いところだ というか発展性のある議論をする中身が提示されない感じ スコア紛失にて失礼 その、テノール…云々… のサブタイトル(?)どこに書いてありましたっけ? おおthx その添え書きはマーラーの自筆譜にあるということですな? なんかとっくに既出↓みたいなのでこの話題は終了でw 648 :名無しの笛の踊り[sage]:2008/02/24(日) 19:42:45 ID:/8y+aGMd 言語の本来持つ「音楽性」ってのを考えると、「大地の歌」の「交響曲」ってのは 「歌曲集」の発展形態しての、交「響」曲だわな。 そうすると、マーラーと同時代の指揮者が「大地の歌」=「歌曲集」として取り上げた 「直感」は正しいと言わざるを得ない。 よく、マーラーの「交響曲全集」に「大地の歌」が入って無いのはおかしいって意見が あるけど、何か違和感を感じる(入れるんなら「歌曲全集」だよな・・と?)。歌曲の 側面から見ないと、ピアノ伴奏版や今盛んに演奏されてる室内楽版の意義も見出せない 気もする。 マーラーの「交響曲全集」に「大地の歌」を入れない指揮者の意図ってのを、もう一度 考える必要があるのかもな(無いのかもしれないけどw)。 指揮者の直感VSマーラーの但し書き 指揮者は時に作曲者の意図を無視する 自身指揮者だったマーラーはよく解ってたはず read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる