1〜4番には歌曲が援用されていて明らかだけど、声帯の感覚や機能がマーラーの交響曲
に占める要素は見落とせないね。声楽のフレーズを器楽に置換する様がみれる。
器楽的交響曲に向かう5〜6番も亡き子やリュッケルト歌曲集が短い引用ながら顔を出す。
9番10番もほんとに短いけれど歌うようなフレーズが多数。歌曲の大家らしい巧みな旋律の交響曲。
大地の歌は8番を作曲していた時期と重なる。
中期の器楽的交響曲の後に歌曲の熱が発展して出てきたのかと推察してみる。
楽曲のなかで歌を器楽に、または器楽を歌に置き換えてみるのはマーラーの場合意味があるだろう
大地の歌では歌手の声はオーケストラのパートとして聴きたい。幸いにも私はドイツ語がわからない