なんでマーラーの交響曲全集に
大地の歌が入ってないことが多いの? 大地の歌も一応交響曲でしょ? お前は大地の歌を交響曲全集に含めなかった指揮者や企画担当に猛抗議すべき その 「意志(遺志)」 や 「証言」 を証拠立ててな たとえこのスレで大地が交響曲と確定したところで、交響曲全集に大地が含まれるようになるなどまるで期待できないこの現実… 作曲者の意志は絶対なのがクラシックのはずだが? 但し>>477 情報 >>474 >表記をなくせないでいるのはなぜなの? ピアノ伴奏版があるから クレルヴォはそもそも交響曲とすら書かれていない 作曲者の意志が踏みにじられた好例として、この件も猛抗議したらいい 大地の歌が歌曲と主張する人はベートーヴェンの第九も歌曲と主張するんだろうな でも確かにそう言いたくなるような酷い演奏も多いからそれはわからないでもないw 誰一人としてそんな主張はしていない マラ4は歌曲!なんて主張をしている者もいない マラ8は作曲者が交響曲と言ってるから交響曲という主張は見られる 何でベト9は歌曲と主張する人がいると考えたの?文盲は大変そうだな ベト9の第4楽章には合唱パートがあるのは事実だけどね 大地の歌が歌曲であるのと同様に ハ _ ___ ‖ヾ ハ / ヽ ‖::::|l ‖:||. / 聞 え | ||:::::::|| ||:::|| | こ ? | |{:::::‖. . .||:::|| | え | _」ゝ/'--―- 、|{::ノ! | な 何 | / __ `'〈 | い ? ! /´ /´ ● __ ヽ ヽ / / ゝ....ノ /´● i ` ー―< { ゝ- ′ | 厶-― r l> | ∠ヽ ゝ-― `r-ト、_,) | レ^ヾ ヽ>' ̄ LL/ 、 / .l ヾ:ヽ ` 、_ \\ ' l ヾ:ヽ ト`ー-r-;;y‐T^ | ヾ `ニニ「〈〉フ /‖. j 全集に入っていないから交響曲ではない、では根拠に乏しいなあ 全集に入れるかどうかなんて、後世の指揮者やレーベル会社の意志でしかないからなあ ボケてる?釣り? 私は交響曲“全集”を作った。 私の「意志」で3番は含めなかった。 なんて事があるかよw 諸井三郎「楽式の研究」第IV巻でも「マーラーのソナタ形式」の章で交響曲として挙がっているのは 番号付きの9つの交響曲だけで、大地の歌は歌曲扱いだし。また早い時期のマーラー全集である バーンスタイン、クーベリックなどの全集でもいずれも大地の歌は含められてない(バーンスタインは 全集完結後数年して大地も単独で録音したが)。これらのことからして、少なくとも一定層の専門家ですら 大地の歌は交響曲でないという認識があったことは事実だろう。それが正しいかどうかは別として。 6曲共に題名が付いてるよね アレグロモデラートみたいな音楽用語じゃなくて 交響曲と主張する人がドイツ語を言葉と認識していないのは既知のことですがw これを交響曲とするならするでどうでもいいですけど、かなり特殊で例外的な交響曲になりますよね 誰がどう聞いても交響曲だし歌曲じゃない、なんてことはまず言えない >>493 狭い範囲での事例を淡々と述べられているんだと思うけれど それは諸井三郎氏によるソナタ形式の捉え方の個人的見解による楽曲分析力の浅さを語っているだけかもしれないし 彼の中での結論ありきによる研究とも取れる=想定した結論に一定の論理を与えるための分析というのかな ここで急に諸井三郎氏だけを持ち出してくるなら、柴田南雄氏や諸井誠氏や他の評論家も出してこないとだめだよね 全集の話は既にかなり話が出ているし、逆に全集を入手しようとして大地の歌が入っているものも結構あるので 番号付き交響曲とは別に捉えたいという意思は感じられても、交響曲とみなしていないかどうかはまた別の話だよね 交響曲の範疇か、単なる連作歌曲集か、を論じるためのはネタとしてはちょっと違うかもしれないね >>494 ドイツ語云々と無駄に挑発するなよ、書いてる内容がただの揶揄に見えてくるよ そういえば第三番にも各曲ごとに標題(タイトル)付いてたね 結局先入観をなくしたいという理由で後からなくしたけども、マーラーの作品にはそういう事例は早くからあるようだよ 他にもあったよね、第二番四楽章に「原光」、第八番も標題付いてるんだよね、違ったっけ かなり特殊で例外的な交響曲、という表現は適切だと思うよ 交響曲の範疇で捉えてる人もそのことは認めた上で発言していると思うしね 誰がどう聞いても交響曲だし歌曲じゃない、なんてことはまず言えない、というあなたの主張の存在も理解できる つまりマーラーがそれだけ大きく拡大発展させた形式を創り出して、作品として成立させたということだよね ツェムリンスキーもこの流れの後に続くことができたし 誤った情報は良くないからと思うんでいちおう参考に書いておくけど バーンスタインのグラモフォンへの録音には ・Eine Symphonie fur eine Tenor- und eine Alt-(oder Bariton) Stimme und Orchester ・Symphony for tenor, contralto (or bariton) and orchestra クーベリックのAuditeへの録音には、 ・Eine Symphonie fur eine Tenor- und eine Alt-Stimme und Orchester ・A Symphony for Tenor and Alto Voices and Orchestra と明記されているよ 自分に不利な情報に対して目をつぶるのは子供のやることw 「ソナタ形式楽章を含む多楽章の管弦楽曲」という交響曲の定義を前提にした場合、 中期の純器楽3曲(5・6・7番)は典型的な交響曲であるし、8番の第1楽章もソナタ形式の 構造を持っているが、大地の歌に関しては第1楽章もソナタ形式というのは無理がある。 提示・展開・再現の構造、そして副主題が内部調で提示され原調で再現するといった 構造を大地の歌の第1楽章に見いだすことは出来ない。 大地の歌形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの) 第1楽章(ソナタ形式) 呈示部(第1節) オーケストラ導入部「アレグロ・ペザンテ」 1 15 a 主部(1〜2行)(力いっぱいに) 16 32 経過部(3行)「テンポI」 33 52 d-g 副次部(4〜5行)「同じテンポで」 53 80 リフレイン(6行)「とても落ち着いて」 81 88 呈示部展開反復(第2節) オーケストラ導入「テンポI スビト」 89 111 主部(1〜2行) 112 125 経過部(3〜4行) 125 152 a-B-Ces 副次部(5〜7行) 153 182 es リフレイン(8行)「ア・テンポ とても落ち着いて」 183 202 as/As 展開部(第3節) オーケストラ導入(主部・副次部展開)「ア・テンポ」 203 260 f 第1部分(1〜2行) 261 284 第2部分(3〜5行) 285 325 再現部(第4節) 主部(1〜3行) 326 352 a 経過部(3〜5行) 353 368 リフレイン(5〜7行) 369 392 A/a 後奏 393 405 実際にはループしてるんじゃなくて まともな根拠を示せない歌曲厨が涙目で粘着してるだけ だから終わるはずもない 実際にはループしてるんじゃなくて まともな根拠を示せない交響曲厨が涙目で粘着してるだけ だから終わるはずもない とも言える >>503 それは絶対ないなw だめだよ、そういう嘘を書くのは。 交響曲派からはさまざまな根拠が示されているんだからそこはきちんと受け止めないとさ。 まともな人が最初から読めば分かる話だから別にいいけどさ。 但し書き以外大したもんはねーだろw 伝聞、憶測 但し書きがあるだけ有力だけどな 歌曲派のほうの発言には浅い知識や思い込みからくるねつ造もあるし 相手を揶揄したり罵倒したり言い返したりといったものがほとんどを占めてて そもそも自ら根拠らしきものを示そうという意思が感じられないんで そりゃいつまでも議論は発展しないし、終わらないよ。 まあ、ここでの言い合いについては正直心の中では白旗なんだが、 自分としては歌曲だという信念があるから、今さらあげた拳はおろせない状態で 結局ずーっとわざと煽り続けているんだと思うけどさ。 第9の第1主題が告別の引用から始まってるあたり 続編として意識している という指摘は完璧に的を射ているしな このスレはあなたにとって役に立ちましたか? ○ 非常に役にたった ○ 役にたった ○ どちらともいえない ○ 役に立たなかった ○ 全く役にたたなかった ● チンコすらたたなかった なんでgdgdにしてスレ伸ばそうとするのかね?>>>509 ラロのスペイン交響曲を交響曲とみなさないのと同じように 大地の歌を交響曲とみなさない見解があって当然。 ただ交響曲全集に入ってないと残念に思う。 そこで問題です。 ブリテンのチェロ交響曲は、交響曲でしょうか協奏曲でしょうか? じゃあこうしようぜ。 交響曲でもいいから全集には含めない。 歌曲じゃないとかいうアホな主張の根拠は全く示さないくせに勝利宣言w 歌曲である根拠も何も大地の歌はどう聴いても歌曲だろうがよw 子供の不思議な角笛が歌曲である根拠だって示せないんだからって交響曲なのかよw ピアノ伴奏版はいつまで経ってもスルーするんだよな 次のレスではちゃんとスルーせずに触れろよ(←重要) >>142 にあるように但し書きについては歌曲派が書いたものなのに いつの間にか国際マーラー協会のことを知らなかった交響曲派が根拠に使ってるしもううんざりw 曲の展開が云々はどうしたんだよw さっさと判るように説明せーよ 第4番の第4楽章も取り出して聴いたら歌曲だろ? 曲の展開云々があるからあれは歌曲とは言えなくて交響曲か?w 大地の歌が交響曲だろうとどうでもいいがあれは間違いなく歌曲だっつーのw S2tkMbTdが暴れてるときいてSACDスレから飛んできました! それはともかくとして、 ソナタとアナライズできる楽章があるから交響曲風の歌曲ってのはダメですかねぇ? 糞をこね回して・・・その臭いを嗅いでエクスタシーに浸る・・・ ここでグダグダなレスして喜んでいる連中はそんな程度だな・・・ ・・・おまえら・・・スカトロとかわらんな・・・ これのCD買いたいんだけど何かオススメある? 今ワルターかバーンスタインかで迷ってんだけど >>519 ワルター、ニューヨークフィルのステレオ盤をお薦めします。神演奏です。 >>520 ステレオもあったのね ウィーンフィルのやつよりいいんだ? 俺もワルター&NYPのステレオに一票。 皆DECCA盤が良いって言うけど、良さが解らんよ。 >S2tkMbTdが暴れてるときいてSACDスレから飛んできました! 頭悪そう・・ 交響曲のただし書きがあるので 例外的に交響曲としましょう。 ピアノ伴奏版があるならもう結論は出てるじゃん オケ版→交響曲 ピアノ伴奏版→歌曲 ところでピアノ伴奏版では歌がない楽章はどうしてるの? このスレって大地の歌に歌がない楽章があると思ってる馬鹿が交響曲だと主張してるんだよね 指摘しても無駄 人のレスを読んでないから 曲の展開とかで交響曲と決まるとか言ってたんだからオケ版が交響曲でピアノ版が歌曲なんて矛盾してるし 大地の歌は聴いててかったるいからもう15年くらいマトモに聴いてません。 でも生活になんら支障はないんで助かってます。まだ聴かなくてもイケそうだな。 >>519 録音、リマスター、含め高品質なのはテンシュテット盤のHQCDだと思います。歌詞対訳無しだが1200円は安い。シンフォニックな盛り上がり。 歌曲集的な解釈で聴きやすいのがカラヤン盤。ソリストもコロとルードウ゛ィヒと超一流。通常盤、歌詞対訳付き1200円。 やっぱり演奏抜きには語れないよねぇ スコアの単なる記号だけで論議してるからいつまで経っても不毛な循環を繰り返すだけ 大体マーラーの時代には既にそういう厳密な分類は破綻をきたしているのを忘れちゃダメ >>519 録音、リマスター、まで含め高品質なのはテンシュテット盤のHQCDだと思います。歌詞対訳は付いてないが1200円は安い。 歌曲集的な解釈で聴きやすいのがカラヤン盤、ドイツ語の一言一句がハッキリと聞き取れる。ソリストも超一流で安心して聴ける。通常盤、歌詞対訳付き1200円。 >>531 >大体マーラーの時代には既にそういう厳密な分類は破綻をきたしているのを忘れちゃダメ マーラー自身が進んでそれにとどめを刺したという感じだなw 交響曲でもあり、歌曲でもある。 どやw 交響曲ではなく、歌曲でもない。声楽ソリストとオーケストラの協奏曲である。 どやww doredemoiidarouga, unnkotare www 6番は典型的な古典的ソナタ形式。第1楽章提示部も繰り返し記号が付いてる。 マーラーは古典的形式感を強く意識していたことの証左。 それから考えれば大地の歌は交響曲にあらずという結論になるのが普通。 >>541 二行目までは、その通りだが... その考え方だと、6番以外の交響曲も交響曲ではなくなる。 マーラー作品番号訂正 カンタータ「きたれ救世主なる精霊よ」「ファウスト最終場」 交響曲第8番『大地の歌』 交響曲第0番「嘆きの歌」 以上 >>544 第−3番 音楽院のコンクールのための交響曲(1876/78) 第−2番 交響曲 イ短調(1876/78)、 第−1番 ノルディック交響曲(1878/82) 異常 マーラー作品番号追加 室内交響曲第1番「さすらう若者の歌」 第2番「なき子をしのぶ歌」 第3番 第一楽章・ほのかな香りを 第二楽章・私の歌をみないで 第三楽章・私はこの世に忘れられ 第四楽章・真夜中に 以上 マーラーの交響曲全集に 『大地』『嘆き』『若者』『なき子』『リュッケルト』を入れないのは 明らかに欠陥である。 以上 終わり。 最初はとてもマーラー理解の助けにはならんと思っていましたが、ここにきてようやく理解を深める手がかりを得ることができました。 大地の歌の歌曲派の方の主張も、交響曲派の方の主張も、私の理解を深めるために十分役に立ってくれました。 この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました! >>551 『嘆き』まで入れろと言っておいて『角笛』は無視かよ? >>557 『千人』『大地』が交響曲なら『嘆き』『若者』『なき子』『リュッケルト』も交響曲とこじつけられる。 『角笛』は無理だな。タコ14番の例はあるが。 >>558 『角笛』は無理だと言う理由は? それと、3番のスケルツォとの関連のある『若き日の歌』は? タコ14番以外には、ツェムリンスキーの『叙情』もあるぞ。 >>559 『若き日』はオーケストラ版が無いから交響曲は無理。 『角笛』は12曲あるようだから、適当に4曲ずつ選んで適当に配置して4楽章の交響曲にして 「新角笛3部作」なんてCDだせば売れるかも。日本人は交響曲好きだし。 『角笛』無視したのは、単に好きじゃないし余り聴かないからだよ。 >>560 まあそう堅いこといわなくても。シューベルトの交響曲とか番号いつのまにかかわってたし。 マーラーも人様の交響曲、勝手にオーケストレーション変えたり、バッハの組曲を交響曲風に配置しなおしてるし。 マーラーは交響曲の枠をすっかり取っ払ったんで、歌曲も交響曲に、交響曲も歌曲に解釈してもあまり違和感無いと言いたかっただけさ。 別に丸くおさまらなくてもいいしw アホがどんなに歌曲と叫んでもこの先100年もこれは交響曲として扱われるだろう。 >>547-549 扱われていないケースもあり コンセルトヘボウの見識のが信用おける どっちでもいーけどw コンセルトヘボウの見識より国際マーラー協会の見識の方が信用置けると思うが?w 460 :名無しの笛の踊り:2012/08/09(木) 22:20:22.37 ID:tivD+bIu ヨーロッパの指揮者は国際マーラー協会に良く問い合わせてるよ。 あそこが楽譜の校訂元なんだからそこの意見は無視できない。 そして国際マーラー協会のホームページでははっきりと Das Lied von der Erde Eine Symphonie in Gesängen, in sechs Sätzen für großes Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. Textautor: Hans Bethge (1876-1946), Die chinesiche Flöte, Nachdichtungen chinesischer Lyrik, 1907. Entstehung: 1908-9 と記載されている。 クラオタの意見より百倍も重要だなw コンセルトヘボウが知らないと思う?それw 悪いけど、それは屁の突っ張りにもならん お前が引き合いに出せば出すほどな コンセルトヘボウが商売で売り出すDVDの箱の文字とHMVの詳細ページと 国際マーラ協会を比べてるのか?まさか同じ位の根拠があると思ってるのか? だとしたらお前らはクラオタ以下だねw だから、扱われていないケースがあるって話だろ、ボケ コンセルトヘボウが交響曲扱いしなかったのがそんなに口惜しいか コンセルトヘボウに文句言いな ひとつの見識だろ,商売だろうが何だろうが プッ >HMVの詳細ページと国際マーラ協会を比べてるのか? >まさか同じ位の根拠があると思ってるのか? お前何言ってるの? HMVの見解でいいんだな。 disc10に何て書いてある? 交響曲全曲映像 ってあるが, 他ジャンルの混入を排除しているわけではないだろ。 クラオタ相手のDVDと国際マーラー協会の見解が同等だと考えるのはお前らだけw >>573 HMVの作曲家検索のマーラー(Gustav Mahler)の作品一覧Symphonicの項目に大地の歌が入ってる すなわちそれがHMVの見解だろうが 都合が悪い情報に耳をふさぐのが真の情弱だ http://www.hmv.co.jp/artist/worklist/000000000019272/workgenre/SYMP?pagesize=1 HMVの見解って、ぷっ。 ただ売り場に並べるための区別にすぎないのに。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる