なんでマーラーの交響曲全集に
大地の歌が入ってないことが多いの? 大地の歌も一応交響曲でしょ? 交響曲のただし書きがあるので 例外的に交響曲としましょう。 ピアノ伴奏版があるならもう結論は出てるじゃん オケ版→交響曲 ピアノ伴奏版→歌曲 ところでピアノ伴奏版では歌がない楽章はどうしてるの? このスレって大地の歌に歌がない楽章があると思ってる馬鹿が交響曲だと主張してるんだよね 指摘しても無駄 人のレスを読んでないから 曲の展開とかで交響曲と決まるとか言ってたんだからオケ版が交響曲でピアノ版が歌曲なんて矛盾してるし 大地の歌は聴いててかったるいからもう15年くらいマトモに聴いてません。 でも生活になんら支障はないんで助かってます。まだ聴かなくてもイケそうだな。 >>519 録音、リマスター、含め高品質なのはテンシュテット盤のHQCDだと思います。歌詞対訳無しだが1200円は安い。シンフォニックな盛り上がり。 歌曲集的な解釈で聴きやすいのがカラヤン盤。ソリストもコロとルードウ゛ィヒと超一流。通常盤、歌詞対訳付き1200円。 やっぱり演奏抜きには語れないよねぇ スコアの単なる記号だけで論議してるからいつまで経っても不毛な循環を繰り返すだけ 大体マーラーの時代には既にそういう厳密な分類は破綻をきたしているのを忘れちゃダメ >>519 録音、リマスター、まで含め高品質なのはテンシュテット盤のHQCDだと思います。歌詞対訳は付いてないが1200円は安い。 歌曲集的な解釈で聴きやすいのがカラヤン盤、ドイツ語の一言一句がハッキリと聞き取れる。ソリストも超一流で安心して聴ける。通常盤、歌詞対訳付き1200円。 >>531 >大体マーラーの時代には既にそういう厳密な分類は破綻をきたしているのを忘れちゃダメ マーラー自身が進んでそれにとどめを刺したという感じだなw 交響曲でもあり、歌曲でもある。 どやw 交響曲ではなく、歌曲でもない。声楽ソリストとオーケストラの協奏曲である。 どやww doredemoiidarouga, unnkotare www 6番は典型的な古典的ソナタ形式。第1楽章提示部も繰り返し記号が付いてる。 マーラーは古典的形式感を強く意識していたことの証左。 それから考えれば大地の歌は交響曲にあらずという結論になるのが普通。 >>541 二行目までは、その通りだが... その考え方だと、6番以外の交響曲も交響曲ではなくなる。 マーラー作品番号訂正 カンタータ「きたれ救世主なる精霊よ」「ファウスト最終場」 交響曲第8番『大地の歌』 交響曲第0番「嘆きの歌」 以上 >>544 第−3番 音楽院のコンクールのための交響曲(1876/78) 第−2番 交響曲 イ短調(1876/78)、 第−1番 ノルディック交響曲(1878/82) 異常 マーラー作品番号追加 室内交響曲第1番「さすらう若者の歌」 第2番「なき子をしのぶ歌」 第3番 第一楽章・ほのかな香りを 第二楽章・私の歌をみないで 第三楽章・私はこの世に忘れられ 第四楽章・真夜中に 以上 マーラーの交響曲全集に 『大地』『嘆き』『若者』『なき子』『リュッケルト』を入れないのは 明らかに欠陥である。 以上 終わり。 最初はとてもマーラー理解の助けにはならんと思っていましたが、ここにきてようやく理解を深める手がかりを得ることができました。 大地の歌の歌曲派の方の主張も、交響曲派の方の主張も、私の理解を深めるために十分役に立ってくれました。 この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました! >>551 『嘆き』まで入れろと言っておいて『角笛』は無視かよ? >>557 『千人』『大地』が交響曲なら『嘆き』『若者』『なき子』『リュッケルト』も交響曲とこじつけられる。 『角笛』は無理だな。タコ14番の例はあるが。 >>558 『角笛』は無理だと言う理由は? それと、3番のスケルツォとの関連のある『若き日の歌』は? タコ14番以外には、ツェムリンスキーの『叙情』もあるぞ。 >>559 『若き日』はオーケストラ版が無いから交響曲は無理。 『角笛』は12曲あるようだから、適当に4曲ずつ選んで適当に配置して4楽章の交響曲にして 「新角笛3部作」なんてCDだせば売れるかも。日本人は交響曲好きだし。 『角笛』無視したのは、単に好きじゃないし余り聴かないからだよ。 >>560 まあそう堅いこといわなくても。シューベルトの交響曲とか番号いつのまにかかわってたし。 マーラーも人様の交響曲、勝手にオーケストレーション変えたり、バッハの組曲を交響曲風に配置しなおしてるし。 マーラーは交響曲の枠をすっかり取っ払ったんで、歌曲も交響曲に、交響曲も歌曲に解釈してもあまり違和感無いと言いたかっただけさ。 別に丸くおさまらなくてもいいしw アホがどんなに歌曲と叫んでもこの先100年もこれは交響曲として扱われるだろう。 >>547-549 扱われていないケースもあり コンセルトヘボウの見識のが信用おける どっちでもいーけどw コンセルトヘボウの見識より国際マーラー協会の見識の方が信用置けると思うが?w 460 :名無しの笛の踊り:2012/08/09(木) 22:20:22.37 ID:tivD+bIu ヨーロッパの指揮者は国際マーラー協会に良く問い合わせてるよ。 あそこが楽譜の校訂元なんだからそこの意見は無視できない。 そして国際マーラー協会のホームページでははっきりと Das Lied von der Erde Eine Symphonie in Gesängen, in sechs Sätzen für großes Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. Textautor: Hans Bethge (1876-1946), Die chinesiche Flöte, Nachdichtungen chinesischer Lyrik, 1907. Entstehung: 1908-9 と記載されている。 クラオタの意見より百倍も重要だなw コンセルトヘボウが知らないと思う?それw 悪いけど、それは屁の突っ張りにもならん お前が引き合いに出せば出すほどな コンセルトヘボウが商売で売り出すDVDの箱の文字とHMVの詳細ページと 国際マーラ協会を比べてるのか?まさか同じ位の根拠があると思ってるのか? だとしたらお前らはクラオタ以下だねw だから、扱われていないケースがあるって話だろ、ボケ コンセルトヘボウが交響曲扱いしなかったのがそんなに口惜しいか コンセルトヘボウに文句言いな ひとつの見識だろ,商売だろうが何だろうが プッ >HMVの詳細ページと国際マーラ協会を比べてるのか? >まさか同じ位の根拠があると思ってるのか? お前何言ってるの? HMVの見解でいいんだな。 disc10に何て書いてある? 交響曲全曲映像 ってあるが, 他ジャンルの混入を排除しているわけではないだろ。 クラオタ相手のDVDと国際マーラー協会の見解が同等だと考えるのはお前らだけw >>573 HMVの作曲家検索のマーラー(Gustav Mahler)の作品一覧Symphonicの項目に大地の歌が入ってる すなわちそれがHMVの見解だろうが 都合が悪い情報に耳をふさぐのが真の情弱だ http://www.hmv.co.jp/artist/worklist/000000000019272/workgenre/SYMP?pagesize=1 HMVの見解って、ぷっ。 ただ売り場に並べるための区別にすぎないのに。 負け惜しみ強いっすね、見苦しい 自分も碌にHMVのサイトを読まずに逆に突っ込まれているのは見え見えだし, HMVを昨日真っ先に言い出したのは誰なのでしょうかね マーラー協会がなんぼのもんなんでしょうかね ただの一例を示されただけで何を必死なのか理解できませんがね >>561 >『若き日』はオーケストラ版が無いから交響曲は無理。 ベリオのオケ版があるよ。 >>580 なるほど、聴いたこと無いが5曲と6曲の組で編曲してるみたいだな。たぶん交響曲的配置を意識してるんだろうな。 なら、青春交響曲第1番、第2番として売る出せばいい。 ついでに誰か『角笛』も適当に4曲ずつ選んで、交響曲的配置考えてくれ。 適当ってのがいいんだよな。 マーラーの交響曲は適当でいいようなことをくどくど考えて、結局適当にやったのと同じような楽想積あけてくのが魅力なんだよ。 >>581 何でもかんでも、交響曲の形にしようとする考え方が理解出来ない。 あるのまま、聴けば良いんじゃないの? >>582 その通りなんだが、マーラー自身が何でもかんでも交響曲に詰め込もうとするところがある。 そこが魅力なんだよ。こだわりというか、アスペルガー的なんだよな。 このスレも、堂々巡りのぐだぐだ感がマーラーらしい。 スレ終了したら『千レスの交響曲』と名づけて売り出せばいいよ。 >>583 マーラーの残した言葉を思い出して御覧なさい。 「シンフォニーとは...」 アスペルガー的とか、そう言う話なのかな? 寧ろ、形式とかこだわりとかよりも自分が書きたい様に書いた のではないかい? >>584 自分の思いつく世界をすべて交響曲に詰め込もうという脅迫観念が強かったような、 そこがマーラーの面白いところ。 このスレも歌曲だの交響曲だのと、こだわり強い人がいて面白いんだよ。 ああ、でもオレはめんどくさくなったからROMに戻る。後はよろしくな。 凄いスレがあるんだなw どこがどう歌曲じゃないんだろう?全く根拠が示されていない件w 凄いスレがあるんだなw どこがどう交響曲じゃないんだろう?全く根拠が示されていない件w 基本的に交響曲だと主張する奴ってこんな書き込みばっかりですよね ピアノ伴奏大地を無いものと考えてたりどうしようもないぐらい自分勝手 >>588 基本的に歌曲だと主張する奴ってこんな書き込みばっかりですよね マーラー自身が副題として書いた「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」 (Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester ) を無いものと考えてたりどうしようもないぐらい自分勝手 >>586 、>>588 ID:hMpyM8S いつもの人乙wwwwww 国際マーラー協会による批判全集版がどれだけ今日のマーラー演奏に寄与してるのか本当にしらないの? 特別寄稿 マーラーの交響曲 −残された楽譜と演奏の実際についての考察 http://www.shinkyo.com/concert/p199-2.html >>590 もうピアノ伴奏版は無視ですかw それピアノ伴奏版と区別するための説明であって副題じゃないでしょw 交響曲大地の歌だと主張するなら大地の歌が副題でしょうに >>594 ならばピアノ伴奏版が歌曲で ピアノ伴奏版と区別するための説明がついてるほうが交響曲でOK? 曲の展開やら構成で交響曲だと主張していたのだからOKなわけないでしょう きっちり説明して欲しいです どういう曲展開だから歌曲とは言えなくて交響曲なんでしょう?具体的にお願いします 歌のある曲で歌曲じゃない曲なんて存在しますかね? 歌があるから歌曲って幼稚なようで実は主張として真っ当だと思いますがいかが? そもそもタイトルにリートとありますから歌曲なんでしょうけど何でこれを否定したがりますかね? 交響曲だったらこんな説明つけませんよね (Eine Symphonie fur eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester ) symphonieって交響曲のような音楽用語に限定された単語じゃないですよ ”調和的な組み合わせ”という意味です >>593 国際マーラー協会の扱い方は >>142 と>>117 にある通り交響曲とは異なるという扱いなんですが なぜかこのスレの途中から交響曲派がw Symphonie”Das Lied von der Erde” なんて記述はされていないというのに 一応交響曲としての展開を備えてはいるこの辺は学者が細かい分析をしてるよ第一楽章だけ 逆にあなたはどういう曲展開だから交響曲とは言えなくて歌曲だと思ってるの? 歌ってればなんでも歌曲と考えるのはフェアじゃないよね? テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための調和的な組み合わせ」はちょっと斬新すぎるw ほかならぬマーラーが使ってるなら音楽用語として普通とらえないか? 第1楽章(ソナタ形式) 呈示部(第1節) オーケストラ導入部「アレグロ・ペザンテ」 1 15 a 主部(1〜2行)(力いっぱいに) 16 32 経過部(3行)「テンポI」 33 52 d-g 副次部(4〜5行)「同じテンポで」 53 80 リフレイン(6行)「とても落ち着いて」 81 88 呈示部展開反復(第2節) オーケストラ導入「テンポI スビト」 89 111 主部(1〜2行) 112 125 経過部(3〜4行) 125 152 a-B-Ces 副次部(5〜7行) 153 182 es リフレイン(8行)「ア・テンポ とても落ち着いて」 183 202 as/As 展開部(第3節) オーケストラ導入(主部・副次部展開)「ア・テンポ」 203 260 f 第1部分(1〜2行) 261 284 第2部分(3〜5行) 285 325 再現部(第4節) 主部(1〜3行) 326 352 a 経過部(3〜5行) 353 368 リフレイン(5〜7行) 369 392 A/a 後奏 ソナタ形式のないソナタだってあるぜ ××形式だから交響曲の一楽章ってのはムリ つまりマーラーの考え次第だろ? そして副題(説明でもいいが)のsymphonieが交響曲で調和的な組み合わせじゃない限り この曲は交響曲だろ「調和的な組み合わせ」はなかなか魅力的だが おれは交響曲だと思う >>601 仕方ねえじゃん大地の歌は交響曲の形式は備えてるが ××形式だから交響曲の一楽章ってのはムリなのはマーラーの時代にはそういう言う形式がかなりあいまいになってて じゃあどうして交響曲か決めると言ったら作曲家自身が交響曲と決めたら交響曲なんだよ Symphonieを交響曲か「調和的な組み合わせ」かどちら選べと言われたら交響曲だと答えざるを得ない ID:hMpyM8S いつものように涙目じゃないか 質問と懇願ばっかりwwwww 同じことの繰り返しwwwww 「交響曲だったらこんな説明つけませんよね」なんて お前の個人的な浅い幼稚な感想など屁みたいなもの symphonieが調和的な組み合わせなら、Symphonieは交響曲 というより単語の語源にまでさかのぼる阿呆 言っておくがここで話されているのは タイトルの問題ではなく形式・ジャンルの話 副題もくそもあるか、阿呆が 交響曲としての扱いということで世界的には既に結論が出ている。 全集に入れる入れないはそれとはまた別次元の話。 なんか朝鮮人みたいなのが一杯いるねこのスレw 朝鮮人の特徴: (1)決めつけたがる (2)すぐに相手を罵倒する (3)間違ってても正しいと思い込む(洗脳の手法) (4)「実質的に」というロジックを好む(これを言い出すとなんでもできるw) あれ、スレ立って半年以上経ってるのにまだ議論してんの? ハッキリsymphonieって一転ジャン バカなの? 逆に質問だけどなんでこの曲は退屈なの? 交響曲にしては歌手の出来に左右され過ぎだし 歌曲としては駄曲のたぐいだからw >>608-609 退屈、駄曲と感じるのは主観の問題。 (5)「次元」という言葉で逃げ道を残しておくとなんとでもできる 確かに次元て便利だな 大地の歌を外す → 別の次元 ナンバー付きの交響曲を外す → あり得ない だろ >>607 確かにこのスレは鮮人っぽいのばっかりだ。 性格が歪むとこうなっちゃうんだな >>608 頭が悪過ぎてDas Lied von der Erdeが読めてないのか・・ リートってはっきり言ってんじゃん おまえの理屈だと歌曲になるだろ symphonieなんて説明は最終的なスコアに残ってねーよ >>615 >頭が悪過ぎてDas Lied von der Erdeが読めてないのか・・ >リートってはっきり言ってんじゃん 目から鱗wwww 些末な議論にかまけて肝心なものをスルーしてたわけだなw 交響曲としての扱いということで世界的には既に結論が出ている。 全集に入れる入れないはそれとはまた別次元の話。 曲名(タイトル)の中に文字があるとかないとかはまったく関係ない話。 Das Lied "von der Erde"ならリートかもしれんが "Das Lied von der Erde"ならそれはただのタイトル。 "Eine Symphonie fur eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester"は 曲の本質そのものをあらわす定義。 「実質」「次元」に加え「本質」も朝鮮人が好むロジック。 自分で勝手に「本質はこうだ」と決めることが出来るからなw 朝鮮人が好むロジックと自分勝手に決めたわけですねw 文献読んでも歌曲「大地の歌」とは表記されていないなw めんどくさいからさ 「大地の歌」という作品で歌曲集でも交響曲でもない でよしとしようぜ read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる