なんでマーラーの交響曲全集に
大地の歌が入ってないことが多いの? 大地の歌も一応交響曲でしょ? >>72 初版のスコアには交響曲と書いてあるらしいよ(柴田南雄「グスタフ・マーラー」154ページ)。 初版にあってその後の版にないのであれば交響曲にはしないという意志があったんでしょう。 ウヤムヤやあらへんがな 誰にも真意は分からんやろ、と言うとるんや あほやなあ 真実としての結論は出んやろ、っちゅうとるだけや それ前提で会話のやり取り楽しまんとな、あんたも 懐が浅すぎでっせ しかし「大地の歌」が交響曲かどうかなんて このスレ見るまでは考えたこともなかった。 というか、まさかこれが交響曲ではない と考えてるやつがいるなんて想像もしなかった。 私でよければ。 経緯についてお話、申し上げます。 1.交響曲の父呼ばれているハイドンが築き始めた。 (注:ハイドンが確立したのではなく築き始めた。)オ−ケストラ曲で 4つの楽章を持つであろうもの。 2.モ−ツァルトのプラハは3楽章ですでに型破り 3.ベ−ト−ベンは浪漫派ではなく、古典派に分類されます。 音楽で言うところの古典派は文学や絵画のような意味合いではなく、 様式を確立した時代を古典派と言います。と偉い先生が言っております。 このベ−ト−ベンが5番では第3楽章と第4楽章をクッツケたり、6番 では第5楽章まで作り、おまけに3,4,5楽章を連続で演奏させたり、 第9では合唱まで導入しています。このベ−ト−ベンを古典派とした事が 問題の発端です。ベ−ト−ベンが何でもアリにしたのだから何でもアリだ ろう派といやいやベ−ト−ベンは神様だから例外だ。管弦楽曲で4楽章を 交響曲と言う派に分かれ未だに結論が出ていません。 4.因みに日本人はブルックナーとマ−ラ−の曲を親戚みたいな扱いをするが 独、墺系の人間は水と油ほど違うと言います。またブラ−ムス派とワグナ−派 がありますが、ワグナ−の崇拝者がブルックナ−でしたが、派閥に関係なく ブラ−ムスもブルックナ−も4楽章の交響曲です。(9番は未完成の3楽章) ブルックナ−の弟子らしきものにマ−ラ−がいると言う皮肉な成り行きです。 上の話は発展性がなさそうなんで話題提起 マーラーの大地の歌と ツェムリンスキーの抒情交響曲 どっちも本人は交響曲だと思ってるでしょう 二番三番や八番が交響曲であって大地の歌はそうじゃない というのはちょい虫が良すぎる話 声楽も楽器として扱うなかで いろんな形態で創作してみたという話についてはどう思う? 九番という番号を付けたくなかったというエピソードはどう思う? 本人は思ってる のか? ナンバリングの話は、眉唾で受け止めている。 声楽を器楽として扱っているかなあ? >>84 > マーラーの大地の歌と > ツェムリンスキーの抒情交響曲 > どっちも本人は交響曲だと思ってるでしょう 根拠は? 霊界の本人と交信して 虫が良すぎると切り捨てられ 声楽を器楽として扱われ眉唾エピソードを真に受けられ いろんな形態で作曲した事実が、何かの『話』にされてしまった日にゃ 何をか謂わんや 会話の燃料投下しただけだから テレビの似非文化人コメンテーターみたいなへんなかみつき方するなw >>86 、>>87 なんてまるで住田弁護士みたいだよ かみつきたいからかみつく、みたいなさ >>91 その突っ込み方(はずし方)も住田そっくりだよw お前、とよぶところなんかも火病気味だし 初心者スレなら、もう少し丁寧に>>84 を扱ってくれるだろうし、適度な燃料になると思う。 釣りやスレに居る人の人格攻撃に来たんじゃないのなら、 少しは自分の根拠に基づいた見解でも書いてけよ 連作歌曲としても交響曲としても破格なのでな。 マーラーの躊躇が番号を省く事になったと考える ピアノ伴奏譜を作っているからには、 声を楽器として(器楽的に)扱っている訳ではなく、 歌曲としての性格が強いのではないかな 交響曲の定義は作曲家が交響曲だと決めたらそれは交響曲 つまり交響曲の9番と付けずに大地の歌とマーラーが付けたのだからこれは 交響曲扱いしなくていい。たとえエピソードが怖くてビビった末の決断だとしても 作曲家の意志を最優先するべき 直筆で楽譜に「交響曲」って書いた事実は見ないふりですか 何の予備知識もなしに、大地の歌を聴いて これは交響曲だと思う奴はいない これは逆説的に、この曲が交響曲だと本人の意思表示があった ことの何よりの証拠 初版に直筆で楽譜に「交響曲」って書いた事実あってその後の版にないのであれば 交響曲にはしないという意志があった証 う〜ん、なぜそうなる? 本人が、あれはやっぱり取り消すとか否定的な意思表示を 残してないだろ? アンタ、他人の言うことにはすぐに推測だとか言うけど、 >>99 だって単なる推測以外の何ものでもないだろ? 少なくとも1度はマーラー自身が交響曲だと意思表示した これは動かしようのない「事実」 それが本気だったか冗談だったか、その後気が変わったかは 本人しかわからないけど、上記「事実」がある限り 推測をいくら並べても「事実」にはかなわない まあ、別に俺はどっちだっていいんだよ だって、交響曲だろうと歌曲だろうとあの曲のすばらしさには 何の影響もないんだから なんで必死なんだか、正直理解に苦しむよ そりゃね、交響曲と書いた時点で じゃあ何番なんだよって話になるから消しといただけだわ。 大地の歌は交響曲だと思ってたに違いない、というのに同意。 >>103 君も毎日必死くんの一人だね 俺は今日初参戦だよ ところで、同意するなら理由や根拠くらい示せば? >>86 は君だろ 何を以て必死と言うかは置いといてw 俺は>>86 じゃあない 匿名掲示板で相手を特定しようというのが必死だろ 根拠も何も最終的に交響曲を取っ払った訳で ID確かめたり、登場回数を数えてから必死とか言いなさい なるほど、なるほど、それが根拠か ひとつ、最終的に取っ払ったというが、 交響曲の記載がないのは、ウニフェルザル出版社から 出版されている決定版総譜のことだが、 「大地の歌」はマーラー自身が演奏することがなかったし、 生前に出版されることもなかったという「事実」はどう思う これが直筆譜の記載が軽んじられる理由になり得るのかな? 無理があると思うが >>107 IDってのは毎日変わるもんだろ 今日だけじゃなくて、ここ数日の登場回数を数えたらどうだ? とりあえず、「マーラー自身」が最終的に取っ払ったという 事実を示してもらおう 最終的に取っ払ったからうんぬんを議論する前提となるものが ないんじゃ話しにならないからねぇ もう寝なきゃだ 滅多に来れないからもう現れないと思うよ 連投失礼した あと、必死と言ったことは悪かった 気を悪くしたなら謝罪するよ スンマセンけど 言いがかりも大概に 俺のアンカーを特定してから、回数云々の話をしてくれないか? それと情弱の真似も止めてくれw 大地の歌は緊密な構成感があって 普通に交響曲って感じがする >>59 違うよ。欧州じゃ大地の歌が「歌曲集」に分けられることがあるからだよ。 ものを知らんヤツだな。 >>114 賛成です。 一貫したモチーフもあるしね。 >>114 >普通に交響曲って感じがする マラ8は交響曲って感じがしないよねw っておまえの感覚なんてどうでもいいわアホ Das Lied von der Erdeが交響曲なわけないだろ 少なくともマーラーは自分の交響曲としてこの曲をナンバリングしなかった 判り易く書くとこんな感じ↓ 交響曲第7番 「夜の歌」 大地の歌 「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」 大地の歌を交響曲認定して7番を歌曲としますか?w もうDas Lied von der Erdeと呼ぶようにしようぜ マーラーは交響曲にタイトルなんて付けてないんだし ウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて 「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強い。 はいスレ終了 初演・出版前にマーラーが死んじゃったから、なおさらぼかされちゃったんだろうね 演奏の出来は半分以上歌手次第だし指揮者としては出来れば全集に入れずにすませたいんじゃねえの?w >>121 まったく説得力なしw >>122 こちらのほうが、うーん、なるほどなあ〜と思わせてくれるし楽しい 残念ながらオレがどうするかはオレが自分で決めることだ 交響曲「大地の歌」 はいこれでスレ終了 マーラーがちゃんと番号を付けなかったせいでベートーヴェンの戦争交響曲や チャイコフスキーのマンフレッド交響曲とかと同じ扱いになったんだよな つまりマーラーが悪い 悪いも何も交響曲認定なんてされなくていいし あれはDas Lied von der Erdeという曲ですから 認定とかw そういう話題じゃないし バカじゃねーの マーラーは、大地の歌を「交響曲」に分類しなかった。 「9」という数字を避けたとも言われるが、結局シンフォニー9番を完成させた。 8番は、ありゃどう見ても大規模なカンタータだが、マーラーが「交響曲だ」と 言ってるので、なんの文句もなく交響曲。言ったもん勝ちかも? 「大地の歌が交響曲だ」と言い張るのは、マーラーの意図を無視した行為。 むしろマーラーを冒涜している。 要するにだ マーラーの意図を無視し冒涜しているのは一体どっちなんだということ >>134 ウィットのセンスがないよ 誰も答えないから、教えてほしいんだよ謙虚に 「大地の歌」は、詩のテクストに寄り添って作曲された比較的自由な形式をもつ作品とみなされることも多いが、 作曲家・音楽評論家の諸井誠は、「大地の歌」を交響曲としてとらえる立場からこの曲の構造分析を行っている。 そのような視点で見るとき、ソナタ形式で書かれた第1楽章、緩徐楽章の第2楽章(諸井によればこの楽章もソナタ形式)、 そして第3楽章から第5楽章までを一つのまとまりとみなすスケルツォ風の部分、そして最後にシリアスで充実した内容を持つ最終楽章という、 伝統的な4楽章構成の交響曲の姿が浮かび上がってくる。 ID:15Q8PovI と ID:L/o7MmO1 は非生産的なのでID変わっても黙ってろ 作曲家の戯言と2chの戯言はたしてどちらの方が真実か?w 少なくとも大地の歌が交響曲としての内実をもつのは確か。 >>117 >交響曲第7番 「夜の歌」 >大地の歌 「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」 これが全て 国際的にはこう ■Symphonie Nr. 8 (Es-Dur) in zwei Satzen fur groses Orchester, acht Solisten, zwei gemischte Chore, Knabenchor, und Orgel. ■Das Lied von der Erde Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. ■Symphonie Nr. 9 (D-Dur) in vier Satzen fur groses Orchester. >>140 >交響曲としての内実をもつのは確か 何の根拠も示さず勝手に認定する馬鹿w >>137 のおやじの戯言と同レベル 誰もそんな根拠の無い意見を採用しない 「国際的」ならいろいろ当たるべきだろうけど、 まあ、まずはドイツ語圏からだろうな 引用先なんてここしかないし ”国際的”だけどなぁw http://www.gustav-mahler.org/english/ 突っ込んだつもりなんだろうけどw ウィキぺディアにも乗ってる題名を国際的とか偉そうにw そこのホームページで大地の歌についてなんでマーラーが番号付けてないのか 説明してるの?してるんだったら通訳よろしくね。国際派さん まさか出来ないことはないよね?w 出典は書くものでは? 突っ込んだ訳ではない、常識的なこと 一先ずお礼を >>147 何を貼っても非難したんだろうねおまいさんは 頑固じじいに何言っても仕方が無いな Synphony"Das Lied von der Erde”なんて表記は日本以外で見たこと無い 非難するならそっちが国際的にはそうではないという根拠を見せてくれよ 無いということを証明するのは困難だからね international gustav mahler societyだから 「”国際的”だけどなぁw」て書き込んだんだけどな つまんねーやつ >>148 >出典は書くものでは? ここ2chだぜ?w 誰が出典なんて書き込みながらレスしてんだよ このスレにすら見当たらないのに揚げ足取り杉 お礼は有難い 結局マーラーがこの曲に番号を付けなかった理由はわからないの? >Eine Symphonie in Gesangen, in sechs Satzen fur groses Orchester, Tenor- und Alt- (Bariton-, ad. lib.) Solo. これで交響曲だって結論が出て話は終わりって事? そいうことですね 「ノーサイドにしましょう、・・・もう」 ウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には 「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていない このウィキの記述にある決定版総譜の校訂をしたのが >>146 のウィーンの国際マーラー協会なんだけどなw >>157 いやいや、結局とどのつまりは>>153 で正解です >>157 素朴な疑問なんですが、なんでそのように思ったんですか? >>142 の引用した国際マーラー協会のサイトの曲の説明に Symphonie とあるわけですから 曲名に交響曲がつかなくても曲の認識としては(少なくとも国際マーラー協会では)交響曲であるということでしょう? 違います? >>159 しかし>>155 にある通りその国際マーラー協会が校訂したウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には 「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていない。このことに対する説明がサイトで言及されていれば多少納得いくが また国際マーラー協会の曲にたいする解釈には昔から少なからず異論や異議はとなえられて来た。 つまる所国際マーラー協会といえど絶対とはいえない、1つの指標ではあるが、そこがこんなあいまいなことをしてる時点で この曲の形式に対する疑問は決着が付いていないと言える。 まあ俺としてはアルマの回想にある 「この夏の間中ずっと、彼は熱に浮かされたようにハンス・ベートゲによって翻訳された テキストをオーケストラ歌曲 (Orchesterlieder) に作曲し続けた。その作品は彼の手に よって規模をだんだん拡大させていった。個々の歌詞を結びつけ、間奏曲をつくり、そ うやって拡大された諸形式は彼の大もととなる形式 (Urform) 、すなわち交響曲へと姿を 変えていった。」 この話通り始めはオケ付きの連作歌曲を作ってたらいつのまにか交響曲になっちゃて どっちつかずだしエピソードも怖いから番号を付けなかったんだと思う。 マーラーにとっては別にどうでも良かったんじゃないか >>159 そのサイトから抜き出して並べたのが>>142 日本語に訳したのが>>117 何が 交響曲「大地の歌」だよw 何が根拠なの?www あれはDas Lied von der Erdeという曲(歌があるから歌曲) 何で 交響曲「大地の歌」なんて勝手に言いたがるの?マーラーはそんな題名にしていないのに ねぇ何でなの? 自分自身が信じ込んできたことが否定されると不快だからなだけでしょ? 何だよその頭の固さは 馬鹿の典型 大地の歌(変則的で例外的な一種の交響曲)ではあるけどね 交響曲ではないな どうでもいいが曲からして第8番と第9番の間にくる交響曲ではないよね >>162 題名に交響曲と付けているなんていっていないのに 何を興奮してるんですかね? 初版のスコアには交響曲と但し書きしてある(柴田南雄「グスタフ・マーラー」154ページ)。 そしてマーラー自身はその後改訂も初演も出来なかったんだから マーラが書いた但し書きのSynphony"Das Lied von der Erdeは尊重されるべき >>165 > マーラが書いた但し書きのSynphony"Das Lied von der Erdeは尊重されるべき 本当にSynphonyと書いてあったなら笑えるな。 但し書きじゃなくて落書きじゃんw バルトークのオケコンも協奏曲にしちゃう人が落書き尊重派w >>162 歌があるから歌曲、ってw 交響曲と呼ばれたらアンタ何が不都合なの? ねぇ何でなの? 自分自身が信じ込んできたことが否定されると不快だからなだけでしょ? 何だよその頭の固さは 馬鹿の典型 いかに下品で無理のあるもの言いだったかが伝わればそれでいいんです >>166 >>149 の書き間違いをそのままコピペしちゃったんだろうねえ read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる