デモーニッシュなマーラーでなく、ブーレーズが起点となった今流行の演奏様式。
情念とか怨念とか無縁のマラ6。アバドよりあっさりしているので驚いた。
基本的には好きではない演奏なのだが、説得力があった。
しかし相変わらず、名古屋フィルの音はフォルテが汚い。金管や打楽器が個別に主張して
全体としてのハーモニーをぶち壊すギリギリのところ。
今回のマラ6。アンダンテが2楽章に来てしまったのがとても残念。
イ短調で激しく終わる1楽章から、急に変ロ長調の穏やかな楽章に以降するのは
何度聴いても、全体のバランスを壊しているとしか思えない。
ベートーヴェンの第九で2楽章と3楽章を入れ替えたら?ブル8で2楽章に崇高な
アダージョの後に3楽章に野暮ったいスケルツォが来たら?全体の感動は半減。
今回それと同じ事を感じた。個別の楽章はとてもいいと思った。