アシュケナージ、バレンボイム、エッシェンバッハ
その他にショルティなどもいますが、
ピアニストから指揮者に転向した人の指揮の技量ってどうなの? じゃあ放送を文字に起こすよ
「ウロオボエ」(>>48)じゃ議論にならないからね 新井:さて、バレンボイムといいますと、同じくアルゼンチン生まれで
1歳年上にマルタ・アルゲリッチがいるんですね。
清水:すごい運命ですね。
新井:はい。
清水:あのう、これはバレンボイムの人生にとって大きな出来事でしょうね。
あの、二人が会うわけですよねえ、8歳7歳、アルゲリッチが8歳、
バレンボイムが7歳ですよね。おかげでピアニストに専念しなくて済んだという、
指揮者になれたと、そういう感じがしますね。
新井:うーん。 清水:おそらくショックな出来事だったと思います、バレンボイムにとって
新井:自分より上手い人がいるということなんですか?
清水:当然そうです、これはね。
新井:ハハハハ。
清水:フフフ。
新井:だからこう、指揮者になろうと思ったんでしょうかねえ?
清水:たぶんそうだと思いますね、あの、勝手な想像ですけれども。
ピアノだけでいえば勝負にならないです、申し訳ないけど。 新井:このバレンボイムに指揮者になることを促したのが指揮者の
イーゴリ・マルケヴィッチなんですけれども、9歳の頃のバレンボイムの演奏を聴いて
両親に「息子さんのピアノは実に素晴らしいが、弾き方からすると息子さんは
紛れもなく指揮者に向いている」というふうに指摘したそうです。
清水:これはまるで褒めてないですね。
新井:アハハハハ。
清水:フフフフフフ。指揮者になりなさいというのは、お前は駄目だと言われてるの一緒ですから。
新井:アッハハ、そうですか。 清水:おそらくこのバレンボイムという人は本当に頭が良くて、
新井:うんうん。
清水:負けん気も強かったんでしょうね、きっとね。で色んな事に恵まれて、
どんどんこう、才能を発揮していくわけですよね。
新井:はい。
清水:ただ、アルゲリッチだとか、世紀に一人みたいな才能と会ってしまうと、
新井:はい。
清水:これは才能あるだけに、よくわかってしまうと思いますよ。
新井:うーん、そうですよね。 >>57
議論なんてしてるつもりないんだけどなあ
うろ覚えの部分はゴメンナサイだけど、自分の思ってることを書いたまで
あなたの清水への不満をぶつけられても困るよ
でもあらためて書き起こしを読んでみると、マルケヴィッチの言葉は演奏への単純な褒め言葉ではなくて、やっぱり指揮を勧めたものだったわけだね 初めから清水批判のつもりなんだけどね
バレンボイムの評価自体は単なるケーススタディみたいなもんよ
「困るよ」といわれても、こちらが困るよ
まあ、あなたが自分では意識せずに清水の編集した情報だけを鵜呑みにして
なんの義理も必要もなく、洗脳に導かれて彼の説を擁護していることに
気づいていただければそれでいいと思う バレンボイムのニューイヤーコンサートを観たら
ウィーンフィルとの共演のモーツァルトのピアコンも聴きたくなっちゃったなあ 清水みたいな日本国内でも微妙な
ピアニストがバレンボイムに噛み付いても
相手は清水の存在すら知らないしな バレンボイムとウィーン・フィルの共演でモーツァルトのピアノ協奏曲を録音してほしい バレンボイム/ウィーン・フィルで、モーツァルトのピアノ協奏曲の完全な全集を録音してほしい。
イギリス室内管時代は、2台、3台が、アシュケナージの全集に吸収されていたわけだが、
今はラン・ランがいるし、現夫人もピアニストだし、
バレンボイムがファースト・パートと指揮を兼ねることができる。
それと、1〜4番も省略しないで。 アシュケナージ身長168ないよね?
160ぐらいだよね? ま、アシュケナージの身長はともかく、バレンボイムの太り過ぎが心配だなあ 確かにいきなり太った感があるよね…太ってても良いけど、健康で長生きしてほしいなぁ〜 太ったバレンボイムはゲルバーに似てきたと思いませんか? なるほど・・ピアニストにはアルゲリッチに敵わなく
指揮はカラヤンには敵わなく・・
フルトヴェングラーの「この子は天才」の評価に
守られてきたんだなあ・・ 一番じゃなくてもピアノも指揮もあのレベルってのが凄いことですよ。
ピアノ聴いてると確かに指揮者が弾いてるって感じしますよね 指揮専門、ピアノ専門でもカラヤンとアルゲリッチに敵う人間なんてほとんどいないだろw アルゲリッチもポリーニも単なる機械。
バレンボイムのピアノこそ崇高な芸術! はあ 果たしてそうか?
何を持って崇高ななんて言えるわけ???? 俺は、
指揮者としては、バレン>エッシェン≧アシュケ
ピアニストとしては、アシュケ≧バレン>エッシェン
ハゲでは、エッシェン>バレン>アシュケ
デブでは、バレン>>エッシェン=アシュケ
音楽家としては、@バレンAアシュケBエッシェン
外見では、@アシュケAエッシェンBバレン
だと思う。 指揮者としてはバレンボイム、一択とおもってる
いまだに、アシュケナージがなんでN響振ってるのかわからん
彼の、ピアノもそんな好きじゃないし
エッシェンバッハは本人のせいじゃないが、孤児っていう出自が
いろいろ影響してるのではないだろうか 俺はピアノはエッシェンバッハだな
ベートーヴェンの後期はどれも抜群だった
モーツァルトのソナタも緊張感があって良かった エッシェンバッハはチャイコフスキーがよく合っているだろう。
モーツァルト、ベートーヴェンは何と言ってもアシュケナージ、バレンボイム。 アシュケナージ、バレンボイムもベートーヴェンのピアノソナタはいまいちだったな
音は綺麗だけどそれだけバレンボイムはベートーヴェンは交響曲のが好感が持てる
実は不器用でああいう風にしか振れないんだなというのがわかるw
エッシェンバッハはベートーヴェンのピアノソナタはどれもいいけど中でもハンクラの出来が圧倒的だ
あの曲は継ぎ細工みたいでまとめるのが難しいんだけどな 私はベトソナはバレンボイムが、一番好き。音が綺麗だし曲の作り方が
好みなんだよねぇ〜
エッシェンバッハはツェルニーの人って感じなんだわw >>87
同感!
しっかりした構成力、熱い情熱、格調の高さ、
全てが見事にそろっている。 F=Dの「冬の旅」で一番好きなのはバレンボイムが伴奏したやつ バレンボイムって伴奏も魅力的だよね。
ズーカーマンのブラームス:バイオリンソナタ全集のバレンボイムのピアノ伴奏が、
声楽曲の伴奏のような雰囲気がしてとても惹かれたなあ。 "ピアニスト"バレンボイムの魅力は、"指揮者"バレンボイムと違って
無理な背伸びをしない点じゃないかな?
"ピアニスト"エッシェンバッハは、"指揮者"エッシェンバッハと違って
特定の部分へのアンバランスな思い入れはあまりないね。
"ピアニスト"アシュケナージ"は、"指揮者"アシュケナージ"より
はるかに技術はあるけど、本質的な違いは見られないな。 アシュケナージやエッシェンバッハはあくまでピアニスト出身の指揮者だけど、
バレンボイムは最初からピアノと指揮の両方が本職であり、超一流の天才だったんだよ! だから聴けとか、凄いと絶賛しろとか言ったわけじゃないよ。
事実を言っただけだよ。 ピアニストとしてはベートーヴェンのピアノソナタはやるたび劣化してるし
バッハの平均律はやらない方が良かったw
ピアニストの評価に傷がつくレベル
すくなくとも超一流とはいえないレベル 超一流の天才が才能を浪費してルーチンワークで稼いでいるってか >>96
どんな超一流の天才ピアニストだって、年取ればテクニックは衰えるに決まってるだろ。
晩年は、精神性の深みが問題だよ。 平均律はピアニストの基本だよ
テクニックだけじゃなく音楽性が問われる
バレンボイムはただのルーチンワークのゴミ演奏
アシュケナージの平均律も良くは無いけどバレンボイムより全然マシ
ただ2人ともピアニストとしてはもう一流ですらない >>101
どの曲のどの部分にミスタッチがあったの?
例えば、モーツァルトの16分音符とかベートーヴェンの和音の部分とかに? 指が回って無いのは練習不足だよ
一流のレベルでない バレンボイム大好きなんだけど、ワルトシュタインで指が回ってなくて飛ばしてしまう箇所があって、それが耳に残ってしまって自分が弾くときにも一緒に飛ばしてしまう…orz >>107
俺が子供の頃習っていたピアノの先生が
「名演奏家が年取ってテクニックが衰えたのか、もともと下手なのかは聴いてわかる」
とか言ってたよ あっ、今年のニューイヤー見忘れた。
それにしても去年の「美しく青きドナウ」は良かったなあ! バレンボイムにはフルトヴェングラーにない感性と知的な構成力がある。
バレンボイムはモーツァルト自身よりもモーツァルトの本質を理解している! >>116
うん、バレンとモーツァルトの大変な共通点は
女性的感性を持ちながらも普通の男よりもはるかに女大好きドノンケ
であるとこだろうな アシュケナージはショパン
バレンボイムはモーツァルト
エッシェンバッハはチャイコフスキーw アシュケナージはチビでも音楽が良い
バレンボイムはハゲでも音楽が良い
エッシェンバッハはホモでも・・・・いや、こればかりは引くな(汗) 来年の2月のバレンボイムが楽しみでならない
でも雪が降ったりしないかとても心配だなぁ 来月に迫ってきた。
俺も風邪とかノロ感染には気をつけなくては・・・ 2月11日のバレンボイムのモーツァルト24番は一生忘れられないほど感動した。
涙をこらえるのに必死だったよ。 アシュは俺は指揮者としては評価してるけどな
カラヤンよりもいいのが多い
ブラ4聴いて、上手いなって思ったのが最初
ああいうブラするのは上手い証拠 指揮者としてのアシュケナージって日本の評論家には貶されまくってたけど
Deccaは沢山CDを出したよね
当時、海外ではかなり評判が良かったりしたの? 初期のラフマニノフとかシベリウスとか良かったと思う 俺達が聴くのはCDなわけで、録音のマジックが入っていても
聴いて楽しめればええんよ
ライヴ見に行って駄演だったってのは知らん >>129
レパートリーの隙間を埋める指揮者がアシュケ以外に居なかったんだろう 頭の輝きからすればバレンボイムはとてもパーヴォ・ヤルヴィにはかなわないだろう
しかし音楽はバレンボイムの方がいいと思うけどなぁ 今回のバレンボイム来日がきっかけで、なんとなく
自転車の駐輪場でも20〜27当たりに止めてしまうんだよなw 子供のころ野球やるとき背番号24を好んでつけてたのを
てっきり巨人の中畑ファンだと思われていたんだよ
ま、面倒くさいからそうだと言ってたけどねw バレンボイム・・・ピアノに専念してた頃はすごく良かったけど、
指揮が増えるにつれ、ピアノが酷くなっていったね・・・ >>139
確かに指揮が増えるにつれ、それと加齢のせいか
ピアノのテクニックの衰えは気になったが
今回の来日ではピアノのテクニックの衰えは回復してたと思う もともとテクニックで聞かせるピアニストじゃないし手が小さいというハンデもある
でもアシュケやアルゲやポリーニら同世代が年齢による衰えで往年の輝きを失った今
解釈や構成で表現すべきことを持っているバレンボイムの方が生き残っている それもピアノに専念したりせずに指揮や室内楽、歌手の伴奏などをして
ピアノ馬鹿にならなかったおかげ バレンボイムのモーツァルト25番のクレンペラー指揮との共演の
古いLP持っているけどこれって聴いててツマンネ
バレンボイムはやっぱり指揮を兼ねなきゃ音楽が生きてこない 醜い嫉妬心剥き出しの童貞さん、一千万円以上の年収を与える者に社会が要求してくることを知らなければ、アリス・「紗良」・オットは理解できませんよ?
何故、少女達は私に着いてくるのか?進学後も社会人になってからも相談が来るのか? そして今も私の肉体を激しく求めるのか?
そろそろ認めなさい。
学校の授業や、そして彼女達のかりそめのボーイフレンド達が仮に魅力的であるならば塾も予備校も、そしてこの私も必要あるまい。 高校の担任が私に「知識は大事だ」と言った。私は、百科事典に出てることなら調べれば済む、知識は「何故」大事なのか?と問うた。
もっともらしい事を言ったような記憶だけはあるが、「もっともらしい」という記憶しか残ってない。そして、セックスに関しては、学校では教えない。その快楽を享受する方法を。
私なら「金になるからだよ」と、はっきり本当の事を伝える。そして性行為とは、生殖本能であり、動物には全て備わっている本能だよと、実践を通して性の手ほどきをする。
聖アンデレ協会で独り『ムーンライト・ソナタ・一楽章』を演奏するホロヴィッツのように、処女(おとめ)である少女達の女性器を愛撫し、私の逞しき男根で貫く。
30年お世話になっている予備校では、「内は株式会社だ、結果がすべてである」と。痛快でしたね。望む所です。
トップが右といえば左、解るんですよ。結果、3年目には校舎長、その後7年間で社長賞3回。ハワイ!、ロス!、バンクーバー!でしたね。
入社3年目の夏のボーナス百万円。そして、関係を持った少女達は一千人。私に合ってる会社であった。
しかし、やはり「組織」。この組織ってものが、私には耐えられない。「3年待て」の指示に従い、晴れて円満退社第1号となり講師に。
1年目だけは退社時の年収八百万は保証してくれた。あとは、数千万になるか、戦力外になるかは自分次第。そして今がある。
講師としての激動の20年間を経て、私はいま人生という山の下山の八合目の見晴らしを眺望しております。
「K.466を」「K.488を」「K.595」をこの手で弾くことを夢見て。
あらたな目標は人生をより豊かなものにしてくれます。
再度、申します。何故、生徒達が私の男性器を「まるで神であるかのように見つめてくれる」のか…
そろそろ認めなさい。 よござんす?私の男根を、彼女達は崇めているのですよ。 >>138
GIANTSで24
SFならWILLE MAYSだな >>146
巨人・高橋吉伸監督はあの24番のことは知らないだろうなぁww 「構想は、宛も奔流も様に、実に鮮やかに心のなかに姿を現します。然し、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、
私とてもこれに一指も触れることは出来ません。(略)こうして出来上がったものは、邪魔の這入らぬ限り私の魂を昂奮させる。すると、
それは、益々大きなものになり、私は、いよいよ広くはっきりと展開させる。そして、それは、たとえどんなに長いものであろうとも、
私の頭の中で実際に殆ど完成される。私は丁度美しい一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に、心のうちで、一目でそれを見渡します。(略)
一旦、こうして出来上がって了うと、もう私は容易には忘れませぬ・・・・・」
ご存知、Jahnによって保障せれたモーツァルトの有名な手紙の一節であるが、「頭の中に丁度一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に」音楽が
その全体が鳴っているところが大切なのである。私がそうだからである。 私も全くモーツァルトと同じなのである。
ソリスト、協奏曲のピアニストやヴァイオリニスト、指揮者がスコアを暗譜していることは常識である(私の不出来な妹のようである西本も音楽に入り込み、しばらく
してスコアを5〜6ページ演奏中に捲ってましたっけ)。オーケストラの団員は目を閉じてという訳にはゆくまい、当然である。私は、ソリスト
、指揮者(オケの団員に指示を与えることはままあるにせよ)、聴衆に関して言っているのである。私はオペラでさえ目を閉じて聴くと・・・
目の前の張りぼて、イメージと異なる歌手たちが邪魔なのである。私は「一幅の美しい絵を見る様に」音楽を聴きたいのである。
室内楽やオケの団員は共同作業であろう。相手の音に呼応しながら音楽を紡ぎだす音楽であろうから。
しかしながら私はピアニストである。音楽を弾き始めるまえに聴衆の存在は消えて、ひとり清里の聖アンデレ教会の蝋燭の炎が燈る一室で目を閉じ、一音一音に
集中しながら「悲愴を」「月光を」「エリーゼのために」を弾くことでしょう。 クリスマスにはバレンボイムの平均律クラヴィーアが癒されるなぁ
特に第1番はグノーのメロディーなしでも充分に
いやそれ以上にアヴェマリアのような神の響きを感じ取れるんだよ!