なぜ我々は同曲異演盤を買い続けるのか?
手垢の付いた名曲を何回も聴くよりも、
今までに聴いたことのない作曲家の作品を
優先して聴くべきではないのか? 楽だからじゃね?
新規開拓するのは結構骨の折れる作業だし >>6
これなんだよなぁ
新しい曲聞くのは何故か疲れる >>8
演奏する側も売る側もそれは同じでしょw
>>7
蛾っ モダンとピリオド、鍵盤と弦楽のように演奏楽器が違うなら明らかに意味がある。 新しい作曲家、ジャンルの開拓ってやり始めると止まらなくなるから
クラシックに限定して聴く意味も考え直さなきゃいけなくなるし
結局好きな時代の知ってる作曲家掘り下げる方がラクだし楽しい
最近はネットでパブリックドメインの楽譜簡単に手に入るし、知らない作曲家とか、名前は知ってるけど曲は聴いたことないみたいなのを自分で弾いたりもしてるけど ぶっちゃけ飽きるよな
最近は別のジャンルに浮気してる >>11
お気に入りの作曲家がいて、もっと掘り下げたいと思ったとしても
自分で演奏しない、ただ聴くだけの人は
同じ曲しか録音されない場合、それを違った演奏で繰り返し聴くだけ
ということになりませんか?
例えばべトベンなら交響曲ばかりで室内楽の分野はまだまだ少ないのでは。
マンドリンのための曲だってあるのに録音は少ないし認知度も低い。というように。 >>1
俺最近「できるだけ知らない曲を聴いていきたい」というスレを立てようかと思った
スレ立てしばらくできないからあきらめたけど
俺は最近できるだけ知らない曲、作曲家を聴いていってるな
同曲異演も楽しめるけどね 古今東西、多く演奏・録音される作品には、それなりの価値があるんだよ。 最近生まれて初めてテレマンのアリアなる曲を聴いた
こんないい曲を今まで知らずくだらないブル5の同曲異演を何枚も集めてた
自分の愚かさに愕然とした ものには限度というものがある。
いいとこ4〜5枚まで。
それで満足できなければいったい何を聴いてるんだか疑問。 テレマンはブロッケス受難曲を聴いたがよかった
最近はヘンデルのオペラ色々聴いてるがどれも傑作揃いでいいわ
色んな演奏集めるのは「この演奏こそこの曲の良さ分からせてくれるかも」という期待感じゃない?
正直聴いてあまり面白くないものほど集めてしまう傾向があると思う
ブル8とかゴルドベルクとか ベト全ばかり大量にあるな
そしてたいして聴いてない え、好きな作曲家、好きな曲の演奏がどんどん溜まるんじゃないのか
嫌いな曲とかイマイチな作曲家のCDなんてほとんど買わない
最近は図書館やネットでメジャーな曲はほとんど聴けるし、自腹切って家のスペース割いてのCD購入はますますジャンル・作曲家・演奏家共に偏重気味
もう好きなもんしかない感じ わかっちゃいるはずなんですが
ついバッハコーナーに… 「同曲異演はクラシック特有の現象!(キリッ」
でもこれ、はっきり言ってバカみたいだよね
というか再現芸術の弱点だよね
ポストロックとかエレクトロニカなんかだと、CDそれ自体が名盤だったりするから、
それ買えばいいわけで
クラシック初学者が、同曲異演盤の膨大さを前に萎縮してしまうのは良くないこと まぁあれだな、ラーメン好きがいろいろな店を食べ歩くようなもんだろう
時には調味料たっぷりなカラヤン亭のを食べたくなったり
ステーキや金粉が乗ったストコ軒のを見てニヤニヤするような感じ ラーメンは同じ醤油でも差異を楽しみつつ味わうけど
多分心のどこかで自分の中心にピタッと的中する味を探し求めてる
演奏もそういう面があるな。
自分にとっての中心の盤が見つかると嬉しいがそれに執着し過ぎるのもどうかと思う フルヴェンファンの人達なんて同曲同演を何枚も持ってるんだろうなw
で、ちょっと気になって自分のを探してみたら、最多は第九の7枚
(バイロイトの第九がEMIとORFEO版が被ってるだけで、あとは異演)
全然少ない方だろうな
最近は新規開拓志向だから同曲は買ってないけど
ふと見たら古楽器演奏の奴を持ってなかったから、また増えるかもしれんな ガチの古ヴェンファンは、バイロイト第九を別レーベルで11枚持ってるとか
得意げに言い出すからな
ああ言うのがクラ界の癌だわ 自分は同曲同演を買う趣味はないけど
結果としてかぶっちゃったことが何度かあって
聴き比べるとかなり違って聴こえることもあるから気持ちはわからないでもない あぁすまん書き方が悪かったな
俺は特にフルヴェンでもないよ
フルヴェンで持ってるのはバイロイトの第九2種類だけ
他の5枚はカラヤンとかバーンスタインとかだよ
良かったらお前らも同曲異演を最多何枚持ってるか書いてよ >俺は特にフルヴェンでもないよ
↓
×フルヴェン○フルヴェンファン
危うくおかしな人になるとこだった 私はリヒテルとかコンドラシンのファンだから、チャイコピ協1番が7,8種
展覧会の絵はリヒテルだけで7種。
たいしたことねえな〜 同じ曲何十枚も買う奴は単なるコレクター意識
どうせろくに聴いてない これ一枚と言うやつは大概頑固で了見が狭いタイプが多いけどなw >>34
自分の中心にピタッと的中する味は見つかりましたか 結構まじめに考えたけど
クラの名曲には同じ曲でも解釈によって見えかた聴こえ方が変わるだけの深みがある
かつ、演奏者側の作業にもそういうことを期待出来るだけの質があるから
くらいのありきたりな理由しか思いつかんかった
で、変な作曲家に手を出すより楽しめる確立高くてがっかりする確立低いって言うね
ジジーになる頃には同じ曲聴くのにも飽きるだろうし
暇あったらばくちだとおもって色んな物に手を出すのも悪くないかと思うけど 本当に好きな曲なら何枚買ってもいいと思う
ただフルヴェンの同曲同演を何枚も買う行為だけは
AKB48のファンが同じCD何枚も買うのと同じレベルで
心の底から軽蔑するが CD何枚もってたってバイロイトのライブを聞いたことにはならないのにね
実際の演奏はどうだったんだか ルトスワフスキの交響曲3番が7枚、シュニトケの弦楽四重奏4番が5枚
多分出回ってるのはコンプ
現代音楽の同曲異演は、絶対数が少ないからコンプしやすい 20枚超えたあたりから継子扱いが激しくなってマトモに聴いてやんなくなるよな 初期に聴き始めた演奏の方が耳に馴染んじゃうから、後から知った演奏より無意識にひいきしちゃうってのは間違いなくある 買ったCDはどんなものでも最低10回以上聴くようにすれば耳馴染みでひいきせずに聴ける 聴いてないから買っちゃうんだよ
大工100枚なんてまともに聴いたら・・・
私設ライブラリーとか大工喫茶ならいいですけど でも好きな曲は最低でも100回は聴くだろ?
通しで聴いて飽きたら第三楽章だけ聴くとか合唱だけ聴くとか楽章をシャッフルするとか
楽譜や合唱譜を見ながら口すさみながら聴いたりすればすぐだよ 新しいのを聴いても直後に「耳直し」とか言ってまた古いのを出してきて聴く。
新しいのは買っても殆ど一度きりしか聴かれないが、愛聴盤の出番はなくならない。
ひょっとして俺は、愛聴盤を聴く機会を作るために新盤を買っているのかと.. サンソンフランソワですら慣れてきてしまったから
ジャズピアニストがショパン箱とか出してたら聞きたいんだけどある?
譜面変えてたらつまらんから譜面そのままのやつ聞きたい どんなにいいパートナーでも、違うプレイをしたくなる。
新しいパートナーならいつものプレイでも満足できる。 お前ら凄いな
俺なんて同曲異演は5枚程度が限界だわ。それ以上は食傷気味になる もっといい演奏があるんじゃないかって思っちゃうんだ。
でも、大抵は最初の頃に買った盤を越える演奏がなくて、
結局は1回しか聴いてないCDが増えるだけなんだよね… エロイカは理想の演奏が頭にある
それはシューリヒト並みの速いテンポで録音がクリアでモダン楽器で
第1楽章コーダ655小節目のトランペットをちゃんと最後まで吹いてるということ
ところがこれに合うのが一つもない
ケンドリンガーとかいうどっかの金持ちが道楽でやってる録音にまで手を出した お気に入りの指揮者が複数いるから、つい被っちゃうな
それと長大な曲になると全ての楽章に満足がいく事は珍しいので あれだよな。
だいたい一番最初に聴いた演奏が一番良く感じるもの。
しかし演奏する側は「他とは違う演奏」をするわけだから、
聴く側が「それを超える演奏」を探すのは、単なる徒労。
同じような演奏は二つと無いと思った方がいい。 むしろ最初に聴いたのと真逆の解釈なりが次に聴けるとおもしろくなって
あれこれ漁ってしまいそうな気もする
人は認識を混乱させられると答えを求めて彷徨いだす生き物だからね 選択の余地がないほど種類のない曲が吉 新しい曲との出会いが最も楽しい なら同曲異演盤は聴くなってことですね、分かります
初めに聴いた演奏を超えるものに出会った経験はないのか? はじめは大抵カラヤンで
交響曲はチャイコとシベリウス以外は鞍替えしてるw >>63
聴くなとは言っていない。
「一つの物差し」で聴くな、とは言いたいかも。
どの指揮者や演奏家も個性があり、
また同じ曲でもオリジナルの解釈、演奏をするわけだから、
その一つ一つの個性を聴く側も受け入れていった方がいいのではないかと思う。
ナンバ−1を追い求めるな、オンリ−1を聴き分け、受け入れろ、といった所かな。
人にもよるけれど、同曲異演盤を買い漁る人って、
物凄い酷い言い方をすると、
「ナンバー1の女」を追い求めて、不倫浮気を繰り返す好色男に似てる。 曲を知るレファレンスとしてある程度おさえておいて
後は演奏会に行くのがクラヲタ基本なんじゃないかな?
>>65の言うように
音楽を女漁りと同列に見るならCDは付き合った女との記録に過ぎないだろうw
音楽と女は常に生きてる現前の物を楽しまなければw 一つの物差しだけで女を見て
「あの女を超える女が見つからない」とか言っている単細胞な男が嫌だ。
それから演奏に関しても、すぐ「駄演」「糞演」とか言う人も嫌だ。
録音できる演奏家や団体というのは一定のレベルに達しているからで
どの演奏も一定の価値が有るもの。
あとは個性があるだけで、それを判断するのは好みの問題なのに、
好みに合わない演奏をすぐ駄演という人には
「あんたの感性の幅が狭いだけ」と言いたい気持ちになってしまう。
そんな自分もそんなに幅が広いわけではないが。 モテるわけでもないのに女に例えてるのが笑えるwww そうは言ってもしっくりくる演奏はあるだろ
いわゆる愛聴盤ってやつ
>>63ではないけど
初めに聴いた演奏を超えるものに出会った経験はないのかね 超えるものに出会った経験あるし、愛聴盤もあるけど、
あくまで「自分にとっての」。
でも違う演奏は違う演奏で、それぞれ楽しんでいる。 >>71
クラヲタは人の意見をほとんど読まず
一方的に自分の言いたいことを言うのでよくこういうことが起きる 個人的な経験だと、初めに聴いたものが一番であることはほとんどないな
むしろ何十年も初めに聴いたものが一番なんて思うほうが少数派だと思うけどね
もちろん人それぞれだしそれは悪いことじゃないけど >>73
そりゃそうだと思う。
初めに聴いたのが一番愛着ある ←まあわかる
初めに聴いたのが一番 ←は?
って感じ
初心者には昔の巨匠より、音質よくて行く気になれば聴きにいける現役勧めたいし 自分の頭自体をレコードにして同じ曲に執着なんてしたくないわwww 美しいものに執着するのは人のサガであろう
美しいものの様々な面をもっと見てみたいと願う饕餮も
いまだ仏と成り得ぬ人として当たり前のこと
善哉善哉 好きな1曲だけいつの間にか40枚ほどいってしまった >>78
ちなみにその曲は何の曲なのか、とても気になります。 >>82
難しい質問ですね
よく聴くのはハイティンク/フランス国立管弦楽団のやつです >>83
やはり、たくさんの演奏から一つだけ選ぶのは難しいですよね。
それぞれ違っていて、それぞれの良さがありますから。
ありがとうございました。 >>77は未聴スレ住人っぽいけど、一生ちがう曲聴き続けても聴き切れないほどレパートリーあるのに同じ決まった曲ばかりも何種類も集めたり聴くのはなあ…
最近中世ルネッサンスと現代音楽の渉猟をしてる 現代音楽の同曲胃炎も楽しいもんだぜ
ルトスワフスキとか 演奏録音ともに恵まれているけど
ルトスワフスキが現代音楽と言われると違和感あるな まあそうだけど、もっと後の世代、40年代生まれや50年代生まれは、一曲にひとつ
録音があればいいくらいなんで、同曲異園楽しめないじゃないですかー
あとはティペットやサーリアホなんかも同曲言えん多い 最近ヴィトマン知ったけど結構いい感じ(もっとも売れっ子らしいが
好きな曲の胃炎聴くだけじゃなく好きな演奏家追っかけして知らん曲にたどり着くのも多いよね
ユニヴァーサル系はレパートリーも似たようなものだがなw >なぜ我々は同曲異演盤を買い続けるのか?
なまじ違いが分かるから〜 最近買った数百枚のうち9割以上は初めて聴くレパートリーだな
しかしミヨー、マルティヌーなんて腐るほど作品あるのにプーランクやらにCD点数劣るとはどういうこっちゃ 未聴を掘り出すのはどうしてもバロック中心になってしまうな
クヴァンツ・ヴィターリ・グラウプナー・ダングルベール
名前すら知らなかった作曲家を買って聴く楽しさよ
皆それぞれ美しい
フルヴェンの同曲同演を何枚も買って細かい差を研究してるような
低俗な薄らバカはこのような音楽を一生知らずに終わるのだろう >>95
え、同曲同演異盤聴き比べを?
最近クレメンチッチ作曲カバラを買ったが正直いまいちな曲
でも買ったこと自体は充足感あるわ
曲自体は外れでも未知の曲を買うのは同曲異演買うより何倍も楽しい >>96
未知の盤も買えば同曲異演盤も聴くということな
もう少し落ち着いて、視野を広げて解釈しろよな >>97
同曲異演ならいいけど
同曲同演は何の言い訳も出来んぞ >>94
他人のことを低俗な薄らバカと言ってる時点で
未聴を掘り出す事を他人に対する優越感でやってるのがまるわかりw
低俗な薄らバカとはお前みたいな人間のことを言う