フレデリック・フランソワ・ショパン 15
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>313 その教材って、ミクリが書いてるやつだっけ? それこそあまり信用がおけないと言われてるんじゃなかったかな? >>311 しつこいな。 ぜひそういう論文書いて発表してよ。 あなたにとってはエーゲルディンゲルなんかの著作は俗説なわけなんでしょ? 結構その俗説は世に流布してるみたいだから、誰かが「それは俗説だ」という研究発表しそうなものなのに、 何故ないのでしょうね? >>314 ソースはミクリ、ミューラー、カミーユ・デュボア婦人だが コルトーがそう纏めてる。 >>316 なるほど。 リストの曲があるけど、何を教材にしたんでしょうね? >>315 誰も相手にしないから2chで書いてるんだろう >>317 「非常に限られた」と書いてあったから、なんかの練習曲1曲くらいじゃないかな。 とにかくショパンの弟子は今のマスタークラスみたいにある程度技術的には完成してて あとは細かい解釈を教えればいいような人は少数で、 大半はメカニックから叩きこまないといけないようなのだったから、 (なぜそうだったかはショパンの収入の大半はピアノ教授報酬だったから、とにかく金払いのいいのを弟子にしたからだが) 教材の曲の好き嫌いはどうでもよかったのだと思う。 >>319 そういう素人に与えるリストの教材なんてあったんだろうか。 ショパンが教師をしていたころのリストの作品は、とにかくやたら技巧的なものが中心で、 しかもその後の作品に比べると明らかに音楽的に見劣りするものがほとんどだからなあ。 「巡礼の年」のスイスの原曲あたりくらいかな。 弟子にベートーヴェンの協奏曲はやらせるのに モーツァルトの協奏曲は一切やらせないのがやっぱり不可侵領域だったんじゃないかなみたいな フンメルの協奏曲(2番・3番)も重要な課題になってるけどこれらは結構な俗っぽさを持ってるし >>321 その割にバッハは弟子にも弾かせてますよね? そのバッハも平均律フーガは熱心に取り組んでるし取り組ませてるんだけど フランス組曲やパルティータだったり今有名なバッハの他の曲がほとんど全く出てこないのも謎だな >>323 そう、それは以前から言われてることで、そもそもショパンは平均率以外のバッハの曲はほとんど知らなかったのでは、 とも言われてるね。 もっとも三台のクラヴィアのための協奏曲はリスト、ピラーと演奏してるけど。 バッハの楽譜が当時どれだけ出回っていたかも重要じゃないかな 平均律は鍵盤楽器の練習曲として使われていたけれど メンデルスゾーンのマタイ再演からバッハの再評価と研究が始まるまでは、一部の音楽家しか知らなかったんだから >>325 それもその通り。 ショパンはメンデルスゾーンとも知己の間柄で手紙のやりとりもあるけど、 バッハに関して情報交換したという話は聴かないね。 ショパンはヘンデルに関しては声楽曲もいくつも聴いていたらしいけど、おそらくバッハについては情報は当時はまだ各段に少なかったのだと思う。 どうかな? あの時代で頂点の音楽家だったカルクブレンナーなんかには 24の前奏曲とか24の練習曲とかがあって、これらはおそらくバッハを意識したものだろう 実際弟子にバッハをやらせていたから当時の音楽家の間でバッハは常識的な教材だったはず 誰が聴いてもインベンションのソナタ1番もいい資料になると思う 当時のコンサートのプログラムが全部わかったら面白いだがなぁ ショパンのコンサートプログラムは調べれば出てくるはずよ。 ネットにはころがってないかもしれんが。 生涯でのコンサート回数は非常に少ない。 >>315 あなたは勘違いが非常に激しい。 「ショパンはモーツァルトを神のように慕っていた」。 そもそもが、そんな珍説は一般的通説でも何でもないよ。 誰がそんな根拠薄弱な珍説のために反論の論文書くわけ? 馬鹿馬鹿しくて相手にされてないだけだよ。 どうしてそんな珍説を頑なに信じ込んでるのだろう? どこに流布してるの?どこの研究書や論文にそんなことが 真実だと書かれてるの? 出典を尋ねたのは、それが通説とは違うからだよ。 ガセに振り回されやすいのか モーツァルト絶賛本とかに洗脳 されてるのか知らんけど、モーツァルト中心に音楽史が動いてるみたいな 誤解が根本的におかしい。 >>315 そんなあなたに、日本語で簡単に読める本からの引用。 「ショパンは、あちこちのサロンに招かれ、そのようななかでも楽しみ にしていたのが、金曜日ごとにケスラー家で開かれる音楽の夕べだった。 壮麗な作品としてショパンが好んでいたのはシュポアの《八重奏》や、 フンメル、ベートーヴェンの室内楽で、なかでもベートーヴェンの ピアノ三重奏曲《大公》変ロ長調・作品97について、この作品は 世界を圧倒するほどのものだとティトゥスに書いた。」(引用終わり) 『作曲家 人と作品 ショパン』小坂裕子 著(音楽之友社) P.39〜40 ※シュポア(1784−1859):ドイツの指揮者・作曲家。 ※フンメル(1778−1837):ハンガリー出身のピアニスト・作曲家。 ベートーヴェンとも親交がありライバルでもあった。 ※ティトゥス・ヴォイチェホフスキ(1808−1879):ショパンの 初期の親友。ポーランドの政治活動家。 友達とか話し相手が少なそうだな、、、 芸術家って孤独なんだろうね、、 ショパンはモーツアルトを〜っていうのはそう思いたい人達の完全な思い込みってことか?(´・ω・`) >>330 横から失礼。 >どうしてそんな珍説を頑なに信じ込んでるのだろう? >どこに流布してるの?どこの研究書や論文にそんなことが >真実だと書かれてるの? >出典を尋ねたのは、それが通説とは違うからだよ。 これに対しては、>>295 である程度の証言が書かれているのでは? ちなみに、手元にあるジム・サムスン「ショパン 孤高の創造者」には、 「しかし、誰よりもモーツァルトにこそ、ショパンは惹かれていた」とある。 そしてショパン初期のコンチェルトの譜面を例に出し「ショパンはフンメルの 向こうにモーツァルトを見ていた」とも書いている。 また、葬儀にレクイエムが演奏されたことについても、はっきりと「ショパンの 遺言による」と書かれている。 これについて、日本語のWikiには懐疑的なことが書いているが、そのWikiに書かれて いる根拠のグートマンの証言というのがよくわからない。英語版Wikiにはこのことは 書かれていない。更に、日本語のWikiで、「ショパンの死から葬儀の間までにはパリでは彼に まつわる膨大な出版物が出回っており、その中のいくつかが創った事実無根の話が後に事実で あるかのように本に記載されていったようである」とする引用元がなんとニークスの 伝記で、これは1888年に書かれたものなのである。 で、「ショパンの死から葬儀の間までにはパリでは彼にまつわる膨大な出版物が出回って」 とあるが、彼の死去から葬儀まではおよそ2週間しかないのである。その間に膨大な出版物が 出回るというのはどういうことか? サムソンはショパン学者としてはかなり知られた存在だと思うが、いかがでしょう? 次に、エーゲルディンゲル。彼はサムソン以上にモーツァルトの信奉者ショパンの イメージを持っているようだ。「彼はモーツァルトの信望者」。「(ショパンと ドラクロアは)モーツァルトをこよなく愛していた」。「(ショパンの美学的傾向 として)よくしられた2点を確認しておこう。ひとつはバッハとモーツァルトへの崇拝だ」。 ここで、「よく知られた」とエーゲルディンゲルは書いていることに注意。 この他にも多々モーツァルトに言及している。 最後に日本の加藤一郎。「ショパンのピアニズム」の中で、ショパンがモーツァルト の作品を弟子の教育にあえて用いることが少なかった根拠として「モーツァルトの 音楽には特別の敬意を払っていたために教育的な目的で用いることを避けたのでは ないか」という説を披露している。 こういうのはショパン本人の手紙で 「私はモーツァルトを神のように崇拝しています」と書いてない限り どんな親しい人間や家族がそう言ってもただの推測にしかならないんだよ 故人の心の中を他人が勝手に推測してあたかも故人本人がそうだったと書く行為は 故人に対する最大の冒涜なんだよ 学者がそんな音楽評論家みたいな印象批評をしていいはずがないだろw >>334 どれもショパン本人の手記等でない点で、証拠価値が低いのでは? 当然のことですが、本人自身の発言と、他人の回想や推察とを 証拠価値の点で同等視することはできません。 ましてや、本人の内心に関わる事柄ですからね。 そのような視点で眺めたとき、モーツァルトへの傾倒については 直接的かつ決定的な証拠が何も存在しませんよね。 もしショパンがモーツァルトを他の音楽家とは違い 神聖視・特別視していたのであれば、ではどうして、ショパンはその点 を何一つ書き遺さなかったのでしょうか? 敢えて隠す理由でもあったのでしょうか? >>331 ショパンがこれらの室内楽を気に入ってたことがモーツァルトを崇拝してはいなかったことにはならないね。 その小坂さんが2010年に出した「フレデリック ショパン 全仕事」では、 例のモーツァルトのレクイエムを葬儀に演奏してほしいという遺言が疑念なくかかれているよ(p.251)。 >>336 だがしかし、エーゲルディンゲルもサムスンも小坂さんも学者であって評論家てはない。 >>330 には、「どこに流布している?」と問うたのに対して>>331 さんは学者の書いた流布している出版物を示したまでであって、 それを証拠価値が低いと言われてしまっては身も蓋もないね。 流布してるのは事実なのだから。 「ショパンはモーツアルトを敬愛していた」で間違いないようだな。 お前ら検証乙。 >>338 どの著者がどう言ったかが重要なのではなく、 重要なのは証拠があるかどうかですよ。 本人の手紙にある内容と、他人が推測で語った内容とでは 信憑性が全く異なりますよ。 レクイエムの件は伝承だけで、自筆の手紙などの物証が全くない。 だからショパン以外の誰がどう書こうが、物証がない時点で 信憑性は極端に低いわけです。 ショパンがモーツアルト嫌ってたなら弟子が葬式でレクイエムなんか演奏させんだろ。 状況証拠揃ってるのだから自白は要らんよ。 >>338 あなたの理屈でいくと、>>331 の内容の手紙が存在するからには、 「ショパンは特にベートーヴェンを好み、崇拝していた」という説も 十分に成立しますね。 本人が書いてる以上、他人の憶測より確実です。 >>344 まあ、確かに「ショパンはベートーベンを嫌っていた」みたいに書かれたものをみることもあるけど、 これこそ俗説であることは認める。 ショパンの手紙にはベートーベンに何度か言及してるし、演奏にも教材にもしてる。 >>342 じゃなんで「どこに流布してる」なんてきくんですか? ああ書かれれば、「はい、ここに流布してます」となるでしょ? それでご不満なら最初から書かなければいいのに。 この件につき、納得のいく説明を頂いておりません。 >>343 何の物証もない、レクイエムの遺言が仮に事実だとしても それは「ショパンはモーツァルトを神のように慕っていた」には 直結しない。 そんな事を言い出したらマイアベーア(マイエルベール) のオペラに感激して手紙で絶賛しているショパンは、マイアベーアの 崇拝者ということにもなりますね。これもショパン本人が書いてるの だから確実です。 >>346 バラード1番には明らかに熱情ソナタと似た音符進行があるしな。 一定の敬意は払っていただろう。 >>348 いいんじゃないの? マイヤベーアが好きで何が悪い? >>347 通説でもないのに、広く支持される通説であるような言い方を するから問われただけでしょう。 >>342 前にもあなたにおききしたけど、それてはあなたはショパンがモーツァルトをどのように考えていたと類推しますか? ショパンの残した作品の書法、傾向、弟子や友人の伝聞を勘案してみて、何かが言えるはずですよね? あなたはとても内外のショパンの文献にお詳しくていらっしゃるようなので。 是非お聞かせ願いたい。 >>351 ちょっと探してあれだけ出てきたら十分通説でしょ。 ショパンはモーツァルトを尊敬してたと思うよ でも神のように崇拝は無いと思う ロマン派時代の作曲家が他の作曲家を神のように崇拝はありえないだろう まして二重人格評論を書いてたシューマンより複雑な性格をしてたショパンがw おそらく一番素直に尊敬してたのはバッハだろう古典時代の鍵盤作品の集大成的な作品 基礎工事的な仕事に対して感謝していたと思う モーツァルトに対してはしてはもう少し複雑で 自分の創作分野のピアノ独奏曲に関してはショパンはモーツァルトを超えていると自負してたんだろう だから自分の創作分野でないモーツァルトの作品を素直に尊敬出来た だがベートーヴェンに対してはそうはいかないw まさに自分の創作分野のピアノ独奏曲の仮想敵がベートヴェンだからだ >>347 分かってないねー。 証拠が何もない主張は、真実とは見なされない。 これが学問の世界や知識人の共通認識(共通ルール)。 門外漢や一般大衆が信用しているからと言って、そんな事は真実 であることの証明にはならないんだよ。だから、流布とはどこで流布 しているのか聞いてるわけ。学界で全面的に支持されているのか? どの論文も件の珍説を真実と見なしているのですか?と問うてるわけだ。 ショパン以外でも経験ない? 大衆には流布しているが、科学的には間違っている思い込み、迷信の数々。 ある主張の内容が真実かどうかを決めるのは、 信用する人間の数ではない。大衆メディアへの露出度でもない。 主張内容を裏付ける証拠の有無だ。 「ショパンはモーツァルトを神のように慕っていた」。 これに証拠があるのなら出してみればいいいよ。 >>355 却下と言ったが、確認。 要するにあなたは、サムソンやエーゲルディンゲルの著作や研究は、研究とは認めないということなわけだね? なるほど、わかりました。 彼らは根拠のない俗説を触れて回るとんでもない似非学者だとさ、はあ。 出版社に抗議でもしたらいかがか。 >>357 しつこいと思うなら降りてレスしなければいいのに つくづく矛盾した人だ。 >サムソンやエーゲルディンゲルの著作や研究は、 >研究とは認めないということなわけだね? そんな事言ってないけど。ほんと思い込み激しいなー 「ショパンはモーツァルトを神のように慕っていた」。 これには証拠がないと言ってるだけ。 何もかもが信用できない、何もかもが間違いだなんて言ってないのに 曲解・誤解しまくりですね。 >>359 あなた、つまり「神の如く」という修飾詞にこだわってるだけ? つまり、ショパンはモーツァルトを大変崇拝していたのはおそらく事実であろうと思っている? でないと、エーゲルディンゲルが著作に書いていたことは根拠のない間違いであるということになるから。 あと、私の如く素人に喰ってかかるくらいなら、私よりもモーツァルトを大変崇拝していたと流布する学者に文句いうべきではないのかとおもうが、 上の如く認めていたのならわからんでもない。 それは単なる言葉の綾だ。 >>359 「神の如く」の修辞を取り払って欲しいならそれくらい譲歩してやってもいいぞw そのかわりどっかいってくれるか? ここまで意見が食い違ったら文章だともどかしいだろうね。 意見のくい違いじゃなくて とっくに一方的な絡みになってる 拍子のことでショパンに絡んだマイヤベーア並のしつこさ ピアノソナタ第1番がネットで簡単に聴ける時代が来るなんて・・・ 実際のショパンはモーツァルトなんかよりもベートーヴェンの価値をずっと高く評価していたんだろうね。 >>331 氏のいう手紙はその一例なんだが、ベートーヴェンが亡くなった1827年に作曲されたピアノソナタ第1番も 終楽章のコーダのフォルテ・フォルティッシモなんかは正にベートーヴェンを思わせるデュナーミクだよね。 >>367 それはどうだろうか。 まず、1827年のワルシャワで、そもそもベートーベンの音楽がどれだけ知られていたかという考証からはいらないとね。 >>331 でも紹介されている本の19ページに「エルスネル自身はベートーヴェンから多大な影響を受け、独唱曲、教会カンタータ、宗教音楽のほか 交響曲を作っていた。」とある。エルスネルが校長をしていたワルシャワ高等音楽学校にショパンが入学したのが1826年9月で 1827年はエルスネルに学んでいる時期。ベートーヴェンの影響もあるだろうことは十分考えられるね。 >>367 一定の敬意は払ってただろうが、モーツアルト以上というのはどうかな。 ショパンがウィーンにはじめて行った時 「ピアノの底まで打ち抜く当地のタッチはうんざりします」と言ってたが、 そのウィーンでちょっと前まで頂点にいたのがベートーベンなわけで。 ショパンのピアニズムとは相容れないのでは、と思うが。 自分の射程距離に入るものと射程距離に入らないものの違い? 射程距離に入るとは随分な言いぶりになってしまうけど、自分の中にあるものと近しいものを感じていたという感じなのかな 想像す >>370 >一定の敬意は払ってただろうが、モーツアルト以上というのはどうかな。 そもそもショパンがベートーヴェンよりもモーツァルトを高く評価していたなんて話、 ショパン本人の手紙などの確実な根拠がある話ですか? 弟子の証言でもモーツァルトの話題はあまり出てこないですが。 弟子証言ではクレメンティ、ドゥシーク、フィールドたちのほうが 重視されていたように見えます。 >>370 時代がずれてますよ。ショパンが最初にウィーンを訪問した1829年には ベートーヴェンはすでに死去してるし、ピアニストとしてのベートーヴェンの 活躍は若い時期だけで、早々に引退してますからね。 >>372 では、何人かの著名な研究者、それもニークスとかハネカーとかヤンケレヴィッチとか野村光一の時代でなく、 現代の研究者がショパンが最も敬意を払っていたのはバッハとモーツァルトだと述べているのは何故? 彼らはあなたや私ら2ちゃんねらーよりも遥かに深く資料にあたり研究してるはず。 >>374 証拠もないのに「誰々が言ってるから確かだ」とは言えないでしょ。 確かだと言えるのはショパン本人だけ。 それに現代の研究者は1人ではないし、小坂裕子氏の著書でもモーツァルト重視の言及は ない。事実なら言及が全くないのはおかしいでしょ。 >>375 小坂さんはしかしながらショパンの遺言でレクイエムが演奏されたことは認めている。 小坂さん以外で、ショパンにとって実はモーツァルトはさほど重要ではなかったという研究者の研究成果を示してほしい。 ショパンの弟子の中で最大の天才だろうフィルチ少年との話の中には 少年と2台ピアノで協奏曲1番を弾いた演奏会のあとに少年を本屋につれてって 少年にフィデリオの楽譜をプレゼントしたみたいなものがある フィデリオはベートーヴェン唯一のオペラだけど ここにはなぜモーツァルトのオペラじゃなくベートーヴェンのものなのか っていう面白い謎があるんじゃないかね >>376 ・ショパン本人が書いた手紙には言及がない。 ・弟子の証言にもない。 ・学者の論文にもない(エッセイとして書かれたものを除く)。 それを真実と考える方がどうかしているのであって、わざわざ労力を 費やして否定の証明をするまでもない。 「存在しないことが証明されない限り、幽霊は存在する」と言い張るの と同じぐらいナンセンス。事実だと言いたければ証拠がないと駄目。 遺言でのレイクイエム希望が仮に事実でも、それだけではモーツァルトを最も 重要視していたことの証拠にはならないよ。 そんなものが証拠になるのだったら、ショパン自身が手紙で賞賛していた ベートーヴェンたちの作曲家は確実に重要視されていたことになるね。 >>378 >学者の論文にもない ここがポイントになると思う。 本当に無いのかどうかは論文検索してみないとわからないな。 ところで論文がないのに何故単行本(それもきちんと参考文献がついている本格的なもの)では複数言及があるのか。 特に科学技術系とは違い、人文系は論文の代わりにいきなり単行本執筆することもよくあるのでは? あと、弟子の証言については、少なくとも>>295 にあるように、ミクリの証言はある。 >>379 >>295 ではミクリは「かれがどれほどモーツァルトを信奉していたかを説明するのは難しい」 と書いたと言ってるけど、ミクリはそんな事書いてないでしょ。 話作っては駄目だよ。 it is hard to say whether he loved Bach or Mozart more. は そういう意味じゃないって前に指摘されてなかった? ミクリの文章には他の作曲家名も多数出てくるから モーツァルトが唯一無二の存在として重要視されていたなどという内容は全然読みとれませんが。 一体その箇所を和文、仏文、、独文、英文のどれで読んだのですか? そろそろ落ち着けよ。こんな過疎スレがここ日で100伸びてるぞ。 ミクリは弟子で唯一モーツァルトを勉強したって主張する人だから使われるんだろうけど 他にも他の弟子との証言の裏付けが取れないような不正確な目録を作ってるから 無条件で完全な信頼を置けないよ 説得力をだしたいならデュボワ夫人だったりチャルトルィスカ夫人だったり あるいはテレフセンやグートマンの証言をもってこないとな >>380 ミクリが英語で書いたとは寡聞にして知らなかったが、それはともかく バッハとモーツァルトを同じくらい愛していたなら立派なものだな。 >>383 確かにミクリの証言には怪しいところがあるのは認める。 なんたって、ショパンからシューマンの作品を習ったなどとも言っているくらいだから。 それよりもショパンよりほんの少し後に生まれた同時代人のマルモンテルの証言、 「ショパンは夢想的でメランコリックな性格からロマン主義に著しく傾倒し、そしてまた 冷たく堅苦しいスコラ的技法にあれほど反対して青空の下での学校さぼりをやっていた にも拘らず、ショパンは古典的大家を愛して止まなかった。モーツァルトは彼の神で あり、J. S. バッハはすべての生徒に勧めるお気に入りの大家の一人だった。」 のほうが信ぴょう性はあるかもしれない。 ここでようやく「神」という言葉が出てくる。 私が最初に神のごとく慕ったと書いたのは、このマルモンテルの書物 「著名なピアニストたち」の表現を覚えていたからかもしれない。 >>381 みんな暇なんだよ。 釣りねたを持ってきた奴を叩くきらいねw ミクリはこんな事も書いてるけどね。 Naturally Beethoven was just as close to his heart. He had a great predilection for C.M. von Weber's works, particularly the Konzertstuck and the E minor and Ab major sonatas; for Hummel's Fantasy, Septet, and concertos; and for Field's Ab major concerto and Nocturnes, for which he improvised the most captivating ornaments. ショパンによってヴェーバーの曲が大変偏愛されていたとか、ベートーヴェンはショパンの 心情では親近感を抱く存在だったとか書かれているのに… モーツァルトが一番重視されてたという奇天烈な解釈はどこから導かれるのだろう(笑) >>379 ミクリの文章読むと ミクリの証言は、ショパンがモーツァルトを最も重視・敬愛していたことを 肯定する証拠ではなく、 否定するほうの証拠になってるんですけど(笑) >>388 どうしてそうなる? バッハと同じくらい愛していたとも書いてるわけで。 まあ、ミクリはあまりあてにならないから不毛だな。ミクリの話は無し。 リストの本から参考までに 宇野書店刊行『フレデリック・ショパン その生涯と藝術』 144P「ベートーベンの作品を高く評価していたにも拘わらず、その作品のある部分は、ショパンの目には常に粗雑に見えたのである。 その逞しすぎる構成は、ショパンの気に入らなかった。」 P147「ピアノ曲の作曲家のなかで、ショパンが最も楽しんで読み返した一人はフンメルであった。ショパンにとって、モーツァルトは理想的な人、すぐれた詩人であった。これは、モーツァルトが他の作曲家とは違って、容易に美から平俗への坂道を下ってこなかったからである。〜 ショパンが彼を崇拝したのは、大衆向けの點(点)がなかったからなのである」 P201「ショパンはかねがねモーツァルトの天才を極めて高く評価していたが、彼を埋葬する時はモーツァルトの鎮魂曲を演奏してもらいたいと言っていた。」 >>389 バッハを他の誰よりも愛していたという記述は存在しないので。 上記の通り、ミクリの文章では、 ヴェーバーの曲を例にとると「非常な偏愛」と書かれている。 モーツァルトに関してはそのような記述はない。 >ミクリはあまりあてにならないから不毛だな。ミクリの話は無し。 >>379 ではミクリの証言とやらを援用しておきながら、実は自分の主張に不利な 内容だと分かると「ミクリは信用できない」となるのか。支離滅裂だな。 そもそもミクリの文章をちゃんと読んでるのだろうか? ミクリ証言はショパン本人の告白よりは信用度が落ちるだろうが、 弟子でもない人間が言う根拠レスの主観的感想よりは信用度が高い。 ショパンはハンマークラヴィーアとか嫌いだもんな 弾いたのがリストだったのがまずかったんだろうけど ショパン自身も、他人の憶測や勝手な決め付けで モーツァルト崇拝者に断定されてしまうとは、実に気の毒だ(笑) >>391 すでに>>384 でミクリがあまり信用ならないと言ってる。 あなたは今までモーツァルトの話ばかりに拘ってたので、バッハについてはショパンの信仰を肯定的に捉えていたと思ってたのだが、 ここにきてバッハについても証拠がないときましたか。 >>393 多分今ここにショパンがいたら、「私はモーツァルトを崇拝してますよ」と言うような気はするねえ ショパンは「バッハの平均律の隅々まで耳にこびりついて離れないよ」といってたが、それでも敬愛してないとw >>396 そういう自分の考えを故人があたかもそうであるかのように語るのが 死者を最も冒涜する下衆い行為だと知れよW >>394 では、ショパンがモーツァルトに最も敬意を抱いていたとする主張の根拠で 信用できるものは何があると? ちなみに音楽家のリストが書いたショパンの伝記は、リストがショパンを どう見ていたかという資料としては貴重だが、ショパンの真実を伝えて いるかという点では、信用できない本として有名だよね。 >>395 「バッハを最も愛していた」という記述もミクリの証言にはなかったよ。 >>396 自分もそんな気がするわ >>398 どうしたらそんなふうに読めるんだw まあ落ちつけ >>396 だったら、どうしてショパン自身が書いた文章では残ってないわけ? そんなにモーツァルトが重要な存在であるなら 多数の物証が残っていてもおかしくないが。残ってない理由は何? それともモーツァルト嫌いの人間が手紙等を破棄して闇に葬ったとか?(笑) >>394 ではミクリの以下の記述も全部信用できないと? ベートーヴェンに関する記述はショパンの手紙での賞賛と矛盾しないし、 ヴェーバーやフンメルに関する記述には作品名まで書かれ具体性もあるのだが。 Naturally Beethoven was just as close to his heart. He had a great predilection for C.M. von Weber's works, particularly the Konzertstuck and the E minor and Ab major sonatas; for Hummel's Fantasy, Septet, and concertos; and for Field's Ab major concerto and Nocturnes, for which he improvised the most captivating ornaments. >>402 そんなのどれが信用おけるかなんてわかるわけないじゃん あと、ミクリの発言をあえて仏語でなく英語で引用するのはやめ給え >>403 英文で書くと何か問題でも? だったら、あなたは全部原語で引用すれば?日本語ばかり使ってないで。 >では、ショパンがモーツァルトに最も敬意を抱いていたとする主張の根拠で >信用できるものは何があると? この根拠は楽譜・ショパンの音楽それ自体にあるな ショパンは単音の音質や音色の格それ自体に相当な要求をしてくるけど その至高の音響の快楽の高みへピアニストを導くそのショパンのピアニズムの中に 自作の俗っぽさの自覚と快楽主義の奥に完全な純粋さへのショパンの渇望が隠れているように感じる シューマンを嫌いなのも同族嫌悪というか自分の俗な部分とそっくりだから見たくない感じ 純粋音楽への執着もコンプレックスの裏返しだろう っていうのをショパンを弾いてると個人的な感想としては感じるけど 文書が無いから個人の感想の域は出ないな やべえピアノでショパンをを弾くとモーツァルトを神のように崇拝したくなるという オカルト新説が出たW 精神病院でお薬を貰うとよいでしょう 個人的な感想でもそんな電波をまき散らすもんじゃないW ミクリの証言では ベートーヴェンはショパンの心情に近い存在であったことの他、 ヴェーバーの作品、とりわけコンツェルトシュテックOp.79(1821初演)と ピアノソナタ第2番変イ長調Op.39(1816) フンメルの幻想曲、七重奏曲(Op.74かOp.114かは不明)、協奏曲(複数) フィールドのピアノ協奏曲第2番変イ長調とノクターン(複数) をショパンが非常に偏愛したとある。 モーツァルト信者は 暇さえあればモーツァルトの神格化にいつも必死な人たちだから。 音楽史上のビッグネームは全てモーツァルトと深く繋がっていると 信じたいらしい。モーツァルト教とは、本当に困った宗教だ。 だから各所で馬鹿にされてるんだろう。 誰も神格化なんてしないやん モツアレルギーもここまで来ると信者と同様見苦しいだけ ショパン本人がはっきりと言及してないのに 神のように崇拝してたなんてでっち上げる方がよほど醜悪だけどね でっち上げてんのはどっちだよ これこれの書籍にこういう記述があったと出典元が出ても それを紹介した人をモツ信者だの神格化してるだとか言いがかりにもほどがあるだろ いつまでもショパンスレでクダ巻くのはやめてくれ まとめると唯一無二だとか、一番だとか、神のようにだとかはデマってことで決着 もしくは本人が一切書き残してないならすべて却下という事に従い たびたび引用される全ての証言はすべて信用できないものになり 何を評価して何を評価しなかったなどの話はすべて白紙 自分が信じたいからと部分的に信用するなんて愚か それはそれでスッキリします ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる