そもそもさ、クラシックの敷居を高くしているのは、その芸術性(?)だと思うんだけど、
例えば、モーツアルトの有名な手紙のくだりがあるじゃん?
「ウィーンで一発当てるためには、オペラをぶち上げるしかない。そのためには、
御者でも口ずさめる親しみやすい旋律でなきゃいけない」っていう。

これ、今の小室哲哉とかと一緒のスタンスだよ。
逆を言えば、今のポップスはモーツアルトの時代の模倣から出ていない、ってことになるけど。

シカネーダーは秋元康、彼の劇団員はAKB48、魔笛は、今でいえば電撃文庫だ。

もっとも哲学的で、「ためになる」とされている教養主義の牙城、ワーグナーだって、
仕えていた殿様が、今でいうディズニーランドみたいなアトラクションを作る手伝いをしてたんだから。
娯楽主義。それが乱暴なら民主主義的な音楽の先鞭をつけたわけだ。

繰り返すが、だから、今の音楽は(現代音楽除く)十八世紀、十九世紀の
模倣の域を出ていない。