ストラヴィンスキーについて語りましょう
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春の祭典等で知られている、現代音楽の祖?
何でもいいですから、カキコして下さい 細部やオーケストレーション、拍子の割り振りがちがうと言われているけど、自筆譜・初演稿・初期の出版譜もそれぞれ違っていて、かなり面倒な状況になっている模様。 レ・シエクルってどういう団体なの?まるで古楽器オケみたいな名前だけど。 ジンマンにはベートーヴェンのときの前科があるからなあww どっちがってロトはピリオド楽器やん
かのデニスブレイン時代までは使われていたという
ピストンホルンなんてヒストリかる録音以外では
聴けないのでわーると >>218
たしかヤルヴィの組曲版がスタカットでやってたような。
全曲版に改訂版がないからみんな普通にやってるのでわはは クラフトのナクソス盤の管楽器交響曲なんかも最後の音はかなり
短めに演奏してる。 火の鳥全曲は冗長なので
よほど好きでなければ組曲版でさくっといきたい。
その他の曲、プルチや兵士などはぜし全曲版で聴いてもらいたし。 宇野も火の鳥は冗長だと書いてたな
そしてペトルーシュカと春の祭典の決定盤はドラティらしい ドラティの春の祭典って今となってはトンデモ演奏の部類だと思う 火の鳥が冗長というのもわからなくはないが、それを補って余りある魅力もたっぷりある。
俺は断然全曲を支持するよ。ただ4管編成ともなると演奏するのが大変だ。
長さも編成も半分の縮小版が作られたお陰で上演回数も格段に増えたわけだし、
組曲の存在意義は非常に大きいとは思うけどね。 >>234
> ペトルーシュカと春の祭典の決定盤はドラティらしい
同意。デトロイトとのDECCA録音は非常に素晴らしい。 ロシアの人に聞いたらロシアの春って「春の祭典」みたいに
氷がバリバリと割れて川を下っていくらしい。
冬から春への変化が著しいと言っていた。 ああそういえば映画の中に出てくるね。
ところでアゴンって阿含宗のこと? >>240のIDがちょっとアゴンっぽい
「What Agon?」みたいな コパチンスカヤのヴァイオリン協奏曲に別トラックでカデンツァが収録されてるんだが、
これは楽譜か断片があってそれを演奏してるって事? >>245
HMVの商品詳細ページには
「ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲のためのカデンツァ(ピーター・シェーマン作)」
と書いてあるな フランク・ザッパが生きていたら「春の祭典」とか指揮してたのだろうか? ロトの時思ったんだけど、ハルサイの時でもまだ古楽器なのか 古楽器で演奏したがる奴って一定数いるなw
ハルサイなんてバリバリ最新で演奏してほしいわ 古楽器のハルサイなんてまっぴらだね。そうでもしなけりゃ新録音の存在価値をアピールできないと思ったんだろうけど。
ベトやモツでもモダン楽器でばりばり演奏してほしいな。モダン楽器で奏法古楽器というのもやっぱり不自然だよ。
どう賛辞を並べられても、音楽より手段や方法論に目的の重点が置かれている感が拭えないんだよね。 それだけ古楽器屋からいい演奏がまだ出ていないということかもね。
ロトの春の祭典は、とにかく音を抑えればいいって感じで、使用楽器うんぬん以前に演奏がつまらんわ。 作曲者自身は古典の舞踏曲みたいなイメージを意識してたからあの演奏をやる意味はある つーか、ドイツものでしばしば使用されるロータリートランペットを
春祭のような曲でわざわざ使ったりはしないだろ?
ロータリーバルブのフレンチホルンよりピストンバルブのほうが
音の反応がいいに決まってるから、当時の楽器でやってみても悪かない。
演奏がつまらんどうこうは聴く人による。まったく現今のサウンドに耳馴れしてる人に
限ってその違いに違和感をおぼえるだけやもしれんしね。 「音を抑えればいいって感じ」というのは
よく古典曲を現代のスタインウェイのようなガチガチのコンサートグランドで
音を抑えて演奏されたりするが
ピリオドはトロンボーンなどの管楽器も現在のものより管径が細くて
音にボリウムがない。
大音響を好む人はピリオドは聴かないほうがよかろう。
てんぷらやカツ丼の気分なのにざるそばを注文するかみたいな。 曲にもよるだろうが、まず春祭に求められるのは大音響じゃないのかね。
新しい試みを否定はしないけど、ボリュームの出ない春祭なんてちょっと方角が違いすぎる気がするな。 セカンドチョイス、サードチョイスとしてはありなんじゃないの。
当時の楽器の音を知るという意味でも、録音の意味はあるんだし。
だいたい大音量の春祭なんて中学くらいでさんざん聴いたでしょ。 ピリオドから現代楽器への変化した時代ってマーラー、Rシュトラウスからトスカーニー、フルトヴェングラー、ワルターとか壮々たる巨匠が活躍してたんだよな
もし当時現代楽器の音に不満があったらトスカニーニみたいな演奏ミスしただけでヒステリー起こすような人間が黙ってるわけがない
ストラヴィンスキーにしても自作を指揮してるけど普通のオケを振ってるもんな 要するにネタ切れなんで古楽器にしましたってことだろ
姑息すぎて萎えるわw ピリオドから現代楽器への変化した時代
ってちょっと違うよ・・・
古いものが良いとされる弦楽器は事情が異なるが、
ピアノとか管楽器は、今プロで例えば1911年製の楽器を使っている人はまずいないよな?
ストラヴィンスキーが自作を指揮してるオケだって今のオケが使ってる楽器とは
ちと違うわけよ。音としての差はほとんどわからないかもだが
それが当時のピリオド(時代)の楽器で、時代が遡るほど音としての違いが顕著。
だからストラヴィンスキーとかドビュッシーなんかはピリオド楽器で演奏する人は
あまりいない。だから珍しいわけ。 まあ趣味の問題よね。当時のサウンドが復元されたから何なんだって感じ ペトリューシュカのラッパのソロって
昔の楽器なら吹き易かったの? それは実際に両方吹いた人にきかなければわからないだろう。ここの住人にそんな人いるのかなあ。 管楽器はむしろ逆で昔のものほど難しい。
バロック時代から構造的に大きな変化がないといわれてるトロンボーンですら
管の径が今のものより細くて音が弱い。
あえて演奏が難しく聴き映えのしない楽器でやるのだから
興味がない人、意にそわない人はかかわらないほうがいい。
さんざんぱら聴いてもっとなんか違うものを聴いてみたい人が手を出すもんだな
ピリオドつうのは。プロの演奏家だって生半可で手を出せるものではない。 ネタ切れってのは当たってる
まぁ正当化の為の後付けの理屈はいくらでもw
宣伝耐性が無さすぎてボンボン丸出しやな 古楽器を使う理由は当時の響きを復元するためではないと思うな。建前がそうであってもね。
やはり、これまでと全然違う音の響きによって未知の世界の扉を開けたいという思いに突き動かされてのことだろう。
常に新しい表現を求めてやまないのは優れた芸術家の本能みたいなものだから、ネタ切れが事実だとしても新しい試みに対しては敬意を表するよ。 そういう意味では春の祭典をジャズバンドで演奏したりするのと同じことか 全曲じゃないけど、ヒューバート・ロウズとか?
あと、FIREFORKSとかいうロックバンドが全曲録音したやつはわりに面白かった。 原曲の一部を使ってだけどドン・セベツキがそこそこ大きい編成でやってた。
あんまり面白くなかった。 バッドプラスのハルサイはいいの?
なんか4手版をアレンジしたとか サンプルで聴いた感じではジャズ的な即興は入れずに
原曲そのままの感じやん?
コリエルのギター版を思い出した。 トリオのやつですよね?
サンプルで聴いた感じではジャズ的な即興は入れずに
原曲そのままの感じやん?
コリエルのギター版を思い出した。
>>274
つべのプロムス映像で見たけど、今では特注であろうピストンホルンを揃えるなんざ
ニケのヘンデルみたいに金かかってるな
ピリオドはバブル時代に隆盛したけど、いま近代をピリオドをやるってことは
べらぼーに採算度外視もいいところ。ネタ切れなんて言っちゃ失礼やもしれぬ。 そこまでしなきゃネタがないとも言えるけどw
普段ダブとか聴いてるんでバッドプラスのハルサイ面白そう、聴いてみるわ でも録音はともかく実演ではどうなんだろね。
以前ある古楽器演奏会に遅刻していったとき、1曲終わるまでロビーで今演奏中の放映を見ていた。
そのあとホール内でナマ演奏聴いたら音が小さくて、ロビーでの放映のほうがよほど大きく聴きやすかった。
やはり古楽器の演奏は現代のホールには向かないんじゃないかと考えてしまったな、そのときは。 人数が少ないのもあるんじゃない?
モダンオーケストラは楽器の音量も大きいうえに人数が多いので、そりゃうるさくなる。 録音いいしな
大きめの音量で聴かないとなんないけど このコンビで来日してくれないかな。
ついでにラヴェルあたりやってくれたらなお面白いんだが。 フォルジュルヌで来日してなかったっけ?
デリケートな古楽器を持ち出すのがメンドクセって感じで
モダン楽器編成だったらしいけど…
このオケはバーゼル室内管と同様に両刀使いのようで
よく知らんけど… 古楽器のストラビンスキーなんていらんけどなぁ
彼は唯一の高い知性を伴ったパンク野郎なんだから
ストラビンスキー自身が古楽器使った演奏なんかしてないでしょ?
特にいまだに尖りまくったハルサイは常に最新の形態で表現すべき曲 そうそう。コントラバスなんか6本くらい
弦ある奴でさw 知性を伴ったパンク野郎ならあえて古楽器でやるのもありじゃんw
作曲者自身に倣って知性を伴ったパンク野郎的演奏するなら
ストラヴィンスキー自身がやらなかったからって
関係ないでしょ 聴いてから書けば
聴いても今さら良くは書けないだろうけど >>291
ストラビンスキーがオリジナルの古楽器で演奏しなかったのは意味も価値もなかったから
そもそもオリジナルが古楽器なのになんで古楽器で演奏するのが「あえて」になるんだ?
ネタ切れなら上の人も書いてるように大胆な編成にするとかもっと尖ったことしろよと
だいいち古楽器愛好家とかヌルい奴がなんでストラビンスキーのスレにいるのかも訳わからんわw 十分尖っていると思うが、お前は聞いてみたのか?
ハルサイはピアノで弾くこともあるんだが、お前は一々意味や価値を考えるのか? 古楽器演奏がぬるいとか本当に保守なんだなw
要は自分が嫌いなだけでしょ
ストラヴィンスキーの生きてた時代に古楽器演奏がいまほど隆盛してたら
ストラヴィンスキーだって興味を示したかもしれないだろ
楽器の響きが異質で彼が好きそうな要素がてんこ盛りだし
そういうのを踏まえてハルサイを演奏してみて評価されてんのに
単に作曲者がやらなかったから無しなんてのがまず保守的なんだよw 冒頭のソロは完全にフレンチバッソンの苦しい音域を
想定して書かれてるわけですよ。
ドイツ式のファゴットではないわけ。
わっかるかな〜ちみぃ 作曲家の聴いた感じなんじゃまいか?
テクニック的なことは一般人はわかりません。 つまりね20世紀にオーケストラのインターナショナル化がはかられて
失われてしまった音色を再現してみよっかてのがピリオドってわけ。
それを受け入れるかどうかは人それぞれだけど
まず50年くらい時代錯誤の人には通じないし、意味不明なんだと思う。 それより自分が知らないことを一般人とかに拡大して主語にする話し方をやめなよ。 18世紀ごろの楽器を使って20世紀の曲を演奏しているわけではない
ということ。
フレンチバソンは「のだめ」で有名かもね。 まぁ古い奴ほど人のことを古いとか保守的とか言いたがるわなw
古楽器演奏の発想自体が70年代頃の発想で噴飯もの
作曲者自身が古楽器演奏に興味がなかったのは十分に意味があるわなぁ
古楽器愛好家はモーツァルトあたりのスレに行って茶でも飲みながらヌルい会話を楽しんでくれw ロト盤は春の祭典作曲当時の楽器を使ってるだけで古楽器とはいえないだろ
3大バレエ作曲してた頃のもっとも先鋭的な作曲家だったストラヴィンスキーの
頭の中で鳴ってた音楽を再現するコンセプトだし筋は通ってる そろそろ春の祭典から離れろよお前ら
ストラヴィンスキーが泣いてるぞ 「兵士の物語」は偉大な曲だけど、
俺の日々の生活においても、
街を歩く時はあの最初のマーチ、出勤時は王様の行進曲、
嫁の顔を見ればアレ、排泄中はコレと
常に頭の中で鳴り響いている。
誰かに怒られているときには、意味は分からないけれどコクトーの声で
「バヒガン!バヒガン!」と再生される。 ストラヴィンスキーが来日したとき、チンドン屋を見て「あれいいな、いいな」と興味を示した。 >チンドン屋を見て「あれいいな、いいな」と興味を示した。
センスあるなあ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています