ストラヴィンスキーについて語りましょう
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春の祭典等で知られている、現代音楽の祖?
何でもいいですから、カキコして下さい チマチマした解釈より大胆にアプローチしてほしい曲だもんね >>353
古い奴ほど自分に自信がないから具体性のない「時代」というワードに頼ろうとするw >>350
恐らく幕が下りてからも太鼓だけが(遠くで)鳴っている状態を
表現してるんじゃまいか トルコ行進曲の終結部のように遠くへ行ってしまうニュアンスだろうな >>354
古い奴ほど新しい解釈を欲しがるもんさ
しかし、今の世の中どこに新しい解釈がある?
世界は荒れ放題
右を向いても左を見ても未来がみえない真っ暗闇だ ゲルギエフはなぜMOでペトルーシュカを録音しないのかな 4つのエチュードとその元になった弦楽四重奏なんかも
ストラウィンスキーらしくていい曲だよね。
録音はあまりないけどな ストラヴィンスキーの写真に残っている、あの眼鏡二段着用。
あんなファションしてる奴他に見たことあるかい? ファションでやってるわけないやろ
モントゥのツーポイントだって当時はガラスレンズに穴を開けていた時代やし
現在はプラレンズだから再び技術的に可能になったわけで
一度は絶滅したタイプのフレームや。
もっと実用的な問題カト ジョンレノンの丸メガネもNHS(国民保健サービス)の
支給矯正器具だからな。今だったら意図的に探さないと見つからないタイプだ
完全にスレチだが ハァ〜、勉強になるなあ。
俺もトニー谷っぽい眼鏡が欲しくて、
眼鏡の真ん中を炙って曲げて
角度付けたことならある。 おされといえばココシャネルとヴィンスキーは実話なんかのう ほとんどフィクション
ココは認めていたが、ヴェラやクラフトは否定している 映画観たが、まず春の祭典の舞台復元からしてやる気なかったよな ジョン・レノンは日本の白山眼鏡店で買ったメガネを
愛用していると聞いたが・・・ >>370
それは眼鏡コンプレックスがトレードマークになってからの話だよ ストラヴィンスキーのファッションといえば、武満とサロネンの対談に指輪たくさんしてた記述があったな エサペッカはソニークラシカルに武満とストラヴィンスキーの録音を残したが
オリバーナッセンもDGに武満とストラヴィンスキーの録音をしている。 バレエではアポロ、妖精、カルタ、オルフェウスは退屈だが、最後のアゴンは素晴らしい 俺は>>374に同意。アゴン最高。NAXOSのクラフトの演奏が一番好き。 アポロやオルフェウスは退屈とはいわない。ある種のミニマリズムと言っていいかと
「妖精」や「かるた遊び」はむっつりしたパクリ音楽で
これもエネルギッシュで真面目な音楽に疲れた人御用達。 >エネルギッシュで真面目な音楽に疲れた人御用達
これは新古典時代のストラヴィンスキー全般に言えそうだ。
同時期の六人組やヒンデミットにも同じようなところがある。
一方では、いかにもパクリ音楽でございという顔をしている協奏曲類なんかは
実は意外に真面目音楽なんじゃまいか、と思ってみたり。 ダンバートンも単にブランデンブルクをパクっただけの曲じゃないしね メータNYPの春祭久しぶりに聴いたけどめちゃくちゃかっこいいね。
専門的なことは気にせず純粋に管弦楽曲として楽しむには一番の演奏だな。 >>380
>>381と逆に、他の演奏ではどんな専門的なことが気になる?
俺はシェーンベルクだろうがブーレーズだろうがセンモンテキなことはほとんど気にしないで
聴いてるけどな。(第一難しいこと分からんしw) 確かに、ロトとかジンマンなんか譜面のことばっかり気になるな。
原典考証流行りの今となっては、ブーレーズの演奏でさえユルユルの快楽派に聞こえる。 ストラヴィンスキーって、ひとたび聴き始めるとどんどん別の曲も聴きたくなるから不思議だ 演奏時間の短い小品風の作品が多く、それがストラヴィンスキーの3大バレエ以外の評価を
微妙にしていたのだが、だからこそ最大の大作「放蕩者のなりゆき」は成功させる必要があった。
しかし結果は凡作に終わってしまった。 出張先のベルリンで聴いたんだけどチェンバロ独奏版プルチネラ組曲よかったよー★ ストラヴィンスキーの良さはどこか?
通の人は答えろ >>389
同委。ストラビンスキィのエッセンスのような曲だよな!
但しパブロピカソのためにはあまりにも短すぎて・・・ 火の鳥1910年版で録音もそこそこ良いBEST盤は何か?
教えて下さい。 ちょっと古くはなったけどデュトワ・モンリオールがマイベスト アンセルメなかなかいいよ。
ニューフィルとの再録よりもスイスロマンドとの1958年盤のほうが切れがあって好きだな。 既にいいところは出たようなので
インバルとフィルハーモニアを挙げておく カール・フィリップ・エマニュエル・セックスっ★気持ちいいおっ♡ 火の鳥の1945年版・・・新古典主義時代のストラヴィンスキーが原始主義時代の
ストラヴィンスキーの音楽をアレンジしたようで、まったく別人が編曲した
としか思えないような雰囲気になっているところが面白いぞ! 今の季節だと、やっぱペトルーシュカでしょ。
ブーレーズの新旧両方と、あとポリーニの再デビュー版で決まり。 あの大指揮者トスカニーニだけはストラヴィンスキーを嫌った
その理由は誰もが知ってる シラネーヨといえよう
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∧ ∧
( ´皿`)
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\_____/ >>412
とはいえ、あれだけの改編をやるだけの勇気は、本人以外の作曲家たちにはないだろう。 人気曲だけに、4管編成や3管編成だとなかなか取り上げにくい中小オーケストラでも
演奏できるように2管バージョンを作るのを、単なる金儲けと考えるのか要望に
応えた作曲家としての当然の行いと考えるかは勝手だが・・・1945年版をただ
の編曲程度にしか認識できない奴は、ストラヴィンスキーの音楽とはまったく無縁の
センスの持ち主といえよう・・・?あれ?どっかの評論家みたいな文調になっちゃたよ!! 金儲けのために作曲や編曲をするのは当然だ。自分の曲が売れなければメシが食えなくなるんだからね。
それでも名曲を残すのが大作曲家というものだろう。 てっとり早く金が欲しいときはピアノの小品とか書いて
楽譜出版するのが普通なんじゃないの?
わざわざオケ曲、しかも自分の代表作を改編するとかすごすぎる 「楽」というのがよく分からないが、小編成だと演奏の機会が増える。
大編成は機会を作るのがたいへん。 424はオーケストラ運営というものが全く理解できていないただの知ったかぶりwww
日本でもアメリカでも世界も一緒で、大都市のある程度財政基盤が強くて
たくさん団員を雇える団体と、地方都市で財政基盤がそれほど強くなく編成の大きな曲
ではトラを特別に雇わなくてはならない団体との区別ができないアホwww 火の鳥の組曲は完全に地方都市でも容易に演奏できるよう配慮した縮小版だな。
全曲版の眩いばかりの色彩感は失われてしまったが、演奏頻度はこちらのほうが遥かに高い。
演奏会で取り上げやすくして楽譜をたくさん買ってもらうという意図は的中しているね。 演奏機会の話ならそうかもしれんけど、>>423は作業の大変さの話をしているだろ。
なんでピアノ曲の新作はてっとり早くて、オケの改編はすごすぎると考えるのか、って意味の質問だったんだけど。 どっちがすごいとかじゃなくて、ストラヴィンスキーの場合は管弦楽を使った音楽のほうに
より作曲家としての適性があったということじゃないか。 渡米後の改訂の理由の一つは著作権問題だとどこかで読んだ。
詳細は知らないが亡命者故に「火の鳥」からの収入はあまりなかったとかで、
米国で著作権を再取得して収入増を狙った由。
作曲当時からの音楽観の変化を反映させる意思もあったかも。 そんな分かりきったことをドヤ顔で披露されましても。 とにかく、火の鳥の3つのバージョンはどれも面白く、まったくのやっつけ仕事的な
マンネリになっていないところがすごいな。とかく、一度発表して尚且つ好評価を
受けた作品を改訂しても悪評のほうが先にたつことが多いからな。 ときにペトルーシュカの1911年版と1947年版はどっちが優れている?
演奏頻度は3管編成の後者が圧倒的に高いけど。 >>432
アンセルメやモントゥーには嫌われたようだがな。
俺は月並みながら1910年版が好きだが、まったく別の曲として1945年版も大好き。
>>433
何をもって優れていると判断するのかによるでしょ >>434
そうだ!1910年版と1945年版は、バレエ音楽火の鳥をベースにしたまったく
別の音楽として聴くのが良いんじゃないのかな。
>>433
ペトルーシュカの場合は(春の祭典もそうだけど)細部は別として響き全体として
火の鳥ほどの違いは大きくないから、バージョンの優劣は自分の好みで良いんじゃないの? そういえば、ペトルーシュカは派手に終わるコンサート形式という選択肢もあったね。 あれは派手に終わるというより途中でいきなり中断してそれっきり尻切れトンボのフィッシュだ。
ペトの幽霊のシーンが不気味だからカットしてくれみたいな要望でもあったんだろか。 尻切れトンボのフィッシュわろた
俺は初めて聴いたペトルーシュカが派手なラストだったので、さほど違和感はない。
火の鳥の組曲もナンバー一つ一つに抜粋演奏用のコーダが併記されているね。 最後を派手に終わらせないと気がすまない という欲求は少なくないからな。 火の鳥の1911年版組曲はカスチェイの踊りで終わるけど、なかなかの違和感だよな 火の鳥もペトルーシュカも最初の版が好きだ
無駄なところもあるのだろうが、大編成で延々と聴くのがいい カスチェイの踊りで終るとなんやら金返せと思ってしまう でも、終曲なんか鼻歌を引き延ばしたり刻んだりしただけでたいした音楽じゃない 終曲のメロディはロシアの古謡かなんかでしょ?
同じメロディを使った短い作品「ロシア民謡によるカノン」が
MTTの「ストラヴィンスキーinアメリカ」というアルバムに入ってる ストラヴィンスキーがメロディの展開が下手なのは確かだと思う。
当のカスチェイの踊りなんかもごちゃごちゃやってるように聞こえるけど、モチーフは基本形でしか出て来ないし。 メロディはメロディであって、展開したら変奏曲みたいなことになるのでわ? まあね、程度の問題かと思う。
にしても、もうちょっと上手いやり方ないんかと思ってしまうけれど、そのぶきっちょな感じもストラヴィンスキーの持ち味だと思って聴いてる。
オーケストレーションとかリズムの扱いの上手さがそのぶん補って余りあるし。 完成度が高く人気曲ではあるが
火鳥は処女作の「花火」からそんなに経っていないであろう作品で
しかもバレエ音楽。
ぺトにしてもほとんどロシア民謡などをそのままの形で引用してるじゃないかな。
そういった意味でもやはり後期の作品が彼の作風を語るうえで
より重要ではないかと… ねえっ★
カール・フィリップ・エマニュエル・セックスしようよっ♡ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています