ストラヴィンスキーについて語りましょう
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春の祭典等で知られている、現代音楽の祖?
何でもいいですから、カキコして下さい ストラヴィンスキーって、ひとたび聴き始めるとどんどん別の曲も聴きたくなるから不思議だ 演奏時間の短い小品風の作品が多く、それがストラヴィンスキーの3大バレエ以外の評価を
微妙にしていたのだが、だからこそ最大の大作「放蕩者のなりゆき」は成功させる必要があった。
しかし結果は凡作に終わってしまった。 出張先のベルリンで聴いたんだけどチェンバロ独奏版プルチネラ組曲よかったよー★ ストラヴィンスキーの良さはどこか?
通の人は答えろ >>389
同委。ストラビンスキィのエッセンスのような曲だよな!
但しパブロピカソのためにはあまりにも短すぎて・・・ 火の鳥1910年版で録音もそこそこ良いBEST盤は何か?
教えて下さい。 ちょっと古くはなったけどデュトワ・モンリオールがマイベスト アンセルメなかなかいいよ。
ニューフィルとの再録よりもスイスロマンドとの1958年盤のほうが切れがあって好きだな。 既にいいところは出たようなので
インバルとフィルハーモニアを挙げておく カール・フィリップ・エマニュエル・セックスっ★気持ちいいおっ♡ 火の鳥の1945年版・・・新古典主義時代のストラヴィンスキーが原始主義時代の
ストラヴィンスキーの音楽をアレンジしたようで、まったく別人が編曲した
としか思えないような雰囲気になっているところが面白いぞ! 今の季節だと、やっぱペトルーシュカでしょ。
ブーレーズの新旧両方と、あとポリーニの再デビュー版で決まり。 あの大指揮者トスカニーニだけはストラヴィンスキーを嫌った
その理由は誰もが知ってる シラネーヨといえよう
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( ´皿`)
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\_____/ >>412
とはいえ、あれだけの改編をやるだけの勇気は、本人以外の作曲家たちにはないだろう。 人気曲だけに、4管編成や3管編成だとなかなか取り上げにくい中小オーケストラでも
演奏できるように2管バージョンを作るのを、単なる金儲けと考えるのか要望に
応えた作曲家としての当然の行いと考えるかは勝手だが・・・1945年版をただ
の編曲程度にしか認識できない奴は、ストラヴィンスキーの音楽とはまったく無縁の
センスの持ち主といえよう・・・?あれ?どっかの評論家みたいな文調になっちゃたよ!! 金儲けのために作曲や編曲をするのは当然だ。自分の曲が売れなければメシが食えなくなるんだからね。
それでも名曲を残すのが大作曲家というものだろう。 てっとり早く金が欲しいときはピアノの小品とか書いて
楽譜出版するのが普通なんじゃないの?
わざわざオケ曲、しかも自分の代表作を改編するとかすごすぎる 「楽」というのがよく分からないが、小編成だと演奏の機会が増える。
大編成は機会を作るのがたいへん。 424はオーケストラ運営というものが全く理解できていないただの知ったかぶりwww
日本でもアメリカでも世界も一緒で、大都市のある程度財政基盤が強くて
たくさん団員を雇える団体と、地方都市で財政基盤がそれほど強くなく編成の大きな曲
ではトラを特別に雇わなくてはならない団体との区別ができないアホwww 火の鳥の組曲は完全に地方都市でも容易に演奏できるよう配慮した縮小版だな。
全曲版の眩いばかりの色彩感は失われてしまったが、演奏頻度はこちらのほうが遥かに高い。
演奏会で取り上げやすくして楽譜をたくさん買ってもらうという意図は的中しているね。 演奏機会の話ならそうかもしれんけど、>>423は作業の大変さの話をしているだろ。
なんでピアノ曲の新作はてっとり早くて、オケの改編はすごすぎると考えるのか、って意味の質問だったんだけど。 どっちがすごいとかじゃなくて、ストラヴィンスキーの場合は管弦楽を使った音楽のほうに
より作曲家としての適性があったということじゃないか。 渡米後の改訂の理由の一つは著作権問題だとどこかで読んだ。
詳細は知らないが亡命者故に「火の鳥」からの収入はあまりなかったとかで、
米国で著作権を再取得して収入増を狙った由。
作曲当時からの音楽観の変化を反映させる意思もあったかも。 そんな分かりきったことをドヤ顔で披露されましても。 とにかく、火の鳥の3つのバージョンはどれも面白く、まったくのやっつけ仕事的な
マンネリになっていないところがすごいな。とかく、一度発表して尚且つ好評価を
受けた作品を改訂しても悪評のほうが先にたつことが多いからな。 ときにペトルーシュカの1911年版と1947年版はどっちが優れている?
演奏頻度は3管編成の後者が圧倒的に高いけど。 >>432
アンセルメやモントゥーには嫌われたようだがな。
俺は月並みながら1910年版が好きだが、まったく別の曲として1945年版も大好き。
>>433
何をもって優れていると判断するのかによるでしょ >>434
そうだ!1910年版と1945年版は、バレエ音楽火の鳥をベースにしたまったく
別の音楽として聴くのが良いんじゃないのかな。
>>433
ペトルーシュカの場合は(春の祭典もそうだけど)細部は別として響き全体として
火の鳥ほどの違いは大きくないから、バージョンの優劣は自分の好みで良いんじゃないの? そういえば、ペトルーシュカは派手に終わるコンサート形式という選択肢もあったね。 あれは派手に終わるというより途中でいきなり中断してそれっきり尻切れトンボのフィッシュだ。
ペトの幽霊のシーンが不気味だからカットしてくれみたいな要望でもあったんだろか。 尻切れトンボのフィッシュわろた
俺は初めて聴いたペトルーシュカが派手なラストだったので、さほど違和感はない。
火の鳥の組曲もナンバー一つ一つに抜粋演奏用のコーダが併記されているね。 最後を派手に終わらせないと気がすまない という欲求は少なくないからな。 火の鳥の1911年版組曲はカスチェイの踊りで終わるけど、なかなかの違和感だよな 火の鳥もペトルーシュカも最初の版が好きだ
無駄なところもあるのだろうが、大編成で延々と聴くのがいい カスチェイの踊りで終るとなんやら金返せと思ってしまう でも、終曲なんか鼻歌を引き延ばしたり刻んだりしただけでたいした音楽じゃない 終曲のメロディはロシアの古謡かなんかでしょ?
同じメロディを使った短い作品「ロシア民謡によるカノン」が
MTTの「ストラヴィンスキーinアメリカ」というアルバムに入ってる ストラヴィンスキーがメロディの展開が下手なのは確かだと思う。
当のカスチェイの踊りなんかもごちゃごちゃやってるように聞こえるけど、モチーフは基本形でしか出て来ないし。 メロディはメロディであって、展開したら変奏曲みたいなことになるのでわ? まあね、程度の問題かと思う。
にしても、もうちょっと上手いやり方ないんかと思ってしまうけれど、そのぶきっちょな感じもストラヴィンスキーの持ち味だと思って聴いてる。
オーケストレーションとかリズムの扱いの上手さがそのぶん補って余りあるし。 完成度が高く人気曲ではあるが
火鳥は処女作の「花火」からそんなに経っていないであろう作品で
しかもバレエ音楽。
ぺトにしてもほとんどロシア民謡などをそのままの形で引用してるじゃないかな。
そういった意味でもやはり後期の作品が彼の作風を語るうえで
より重要ではないかと… ねえっ★
カール・フィリップ・エマニュエル・セックスしようよっ♡ でも「花火」から「火の鳥」への飛躍はすごいよ。オーケストレーション一つ取ってみても、ほとんど別人みたいな変わりよう。 自分は火の鳥→ペト→春祭が物凄い三段跳びだと思ってる
春祭以後は一応安定
(春祭とそれ以後を断絶してるように言う向きもあるようだが
自分はそうは見ない。弦楽四重奏のための3つの小品は
春祭の抽象化じゃね?) 春祭のあと途端に編成が小さくなってしまったから、どうしてもそこで区切りをつけたくなる。 でかい戦争があって世の中の秩序が変わって大編成がむつかしくなっての編曲なら判る
ストコフスキーが嫌ったのはちまちま何度も編曲版を出すのが
金の亡者と映ったからだろうねそこまでして著作権延長したいのかと 今は著作権が逆に創造性を怠惰にさせる危険が伴なうわけだけど
ストコみたいに自分でどんどんアレンジしたい向きには邪魔なだけだからな ストコってストラヴィンスキーの曲はあんまり弄らないで楽譜どおりにやってるよな さすがに同時代の曲を勝手にいじったらマズいけど
ベルリオーズの幻想交なんかも楽譜どおりでちょっと意外。
というか同曲のベスト録音だな。スレチだが。
チャイコみたいにくどい曲は2小節くらいぶっ飛ばしたってかまへん
な感覚か 火の鳥で終わってたらリャードフ程度にしか評価されてないだろう。 そんなことはないだろ。
ファイヤーバード1曲でリヤドフ100人分以上の存在価値あると思うけど。 そりゃあ組曲も含めた火の鳥と、なんでもいいからりやどふの管弦楽曲の演奏頻度を
比べればおよそ100対1くらいで前者の勝ちだもんね。 んなこといったらチャイコフスキーは白鳥の湖だけで
ストラヴィンスキーの100人分の価値じゃねえかw じゃあチャイコフスキーはリャードフ1万人分ですね! ストラヴィンスキーはヴェルディの「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」
が好きだったんだね。 たしかブラームス嫌いでもあるはず
要するに後期ロマン派のアンチなんだよな ヴィヴァルディも嫌い。チャイコフスキーも嫌い。
でも尊敬していると言っているな。 大作オペラ「放蕩者のなりゆき」が成功作とならなかったのは実に残念だ けっこう面白い曲だと思うけどねえ。
成功作でないと断定する理由は? >>477
台本もマズイが、音楽的にも平凡な印象がある
ドビュッシーのペレアスも退屈だと言う意見あるが、実際に芝居と合体すると強烈な
印象を残す
そういう何かがあれば、もっと上演、録音の頻度も上がったはずだ ストラヴィンスキーは火の鳥とか春の祭典の頃に民族的な題材でオペラ作ってたら面白い作品が出来てたかもな
ワーグナーを十倍ド派手にしたような凄いオペラになったかもしれない
その点エディプス王も放蕩者も全盛期過ぎてから作った作品だから燃えかすみたいなもんだな 民族的な題材じゃないけど、ナイチンゲールの歌なんかを聴くとその可能性を感じさせるな。
残念ながら作曲の中断なんかがあって支離滅裂な曲になっちゃったけど。 全盛期のとらえかたがおかしい。
ド派手なオーケストレーションをしていたのは
駆け出しの頃かと。
ストラヴィンはクールになってからが本領であろう
派手なオケ好きからは人気がないのは事実ですがね。 ストラヴィンスキーの三大バレエと残りの全部の作品
以後どっちかしか聴けないとしたら当然三大バレエを選ぶ
ヴァイオリン協奏曲は惜しいが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています