モーツァルトの交響曲全集Part3
モーツァルトの交響曲全集は何がお勧めですか? 前スレ モーツァルトの交響曲全集Part2 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1233828135/ モーツァルトの交響曲全集 http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/classical/1157953889/ ラインスドルフ…「旧全集」による演奏。さすがに古く、ファーストチョイスには不適。 ベーム…職人芸。どの曲もそつなくこなしてる感じ。基本的に「旧全集」を使用していると思われる。 ファーストチョイスとしては薦めづらい。 マリナー…特に初期の作品が良い。「聞かせ上手」なマリナーならではの演奏。 ただ、オーセンティックなモーツァルトかと言われると… グラーフ…「新全集」使用。演奏解釈は伝統的なもの。 レヴァイン…繰り返し全採用、「新全集」による演奏。そつなくまとめてるけど…。 ウォード&ワーズワース…「新全集」使用(旧41曲の収録)。2,3番などを聴けるのはよいが、 いかにも演奏がダサい。室内オケによる全集。 アリゴーニ…買うだけムダ。解釈がスカスカなのに演奏がやたら遅い。つまらん。 マッケラス…ピリオド以上の鋭さをもった演奏。メヌエットは通常の倍のテンポ。 刺激的で面白いけど、ファーストチョイスとしてはどうか? ホグウッド…セレナードの「交響曲」版などまで含んだ、現状最も完全な全集。 ピリオド楽器初期のものながら、演奏レベルは今でも十分通用するもの。テンポ設定は 伝統的な解釈を受け継いでいる感じがする。 ピノック…現代のモーツァルト演奏の一つの規範たる演奏。楽しんで演奏している感じも >>124 不可侵なわけがないだろ カザドゥシュが作曲した贋作のヴァイオリン協奏曲の存在も知らないのか >>123 >>124 影響の意味も分からないバカ えいきょう【影響】 ( 名 ) スル 〔影が形に従い,響きが声に応ずる意〕 関係が密接で,他の物事に力を及ぼして, 変化や反応を起こさせること。 「よい−を及ぼす」 「選挙の結果が株価に−する」 >>132 日本語での会話が成立しないのは放っておけば せいぜい話題逸らししかできないのには定評があるからな 逸らすっていうより自分から逸れていっても気づけない池沼 スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデンの ハフナーやリンツやプラハ、良いです >>137 20世紀初頭まで交響曲第37番ト長調K.444として知られていた1784年頃の楽譜が存在するが、 冒頭部はモーツァルトの自筆ではあるものの途中からは他人の手で書かれているという不可解なものであった。 20世紀に入ってからの研究成果によって、これはフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟ヨハン・ミヒャエル・ハイドンの手になる交響曲であり、 モーツァルトは一部加筆したにすぎないことが判明した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC37%E7%95%AA_ (%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88) 全集CDに収めるに当たっては、まるまるカットするか、序奏だけを収めるか、序奏付きの第1楽章だけを収めるか、全曲を収めるかの方針が問われる いまだに交響曲全集はホグウッドが最高ってどういうこっちゃ オーデンセや新ランバッハなど、モツ真作ではないからとバッサリ切り捨てるにはもったいない曲が収録されているのもホグウッド盤の大きな魅力だと思う 個人的には、オーデンセの第3楽章が好きすぎてたまらない みなさん協奏交響曲は好きですか? 私は364は好きなんですが297bというのも あるんですね、、、今回バレンボイムと 来日する楽団が297の方を演奏するのでがっかりです。 なんで364ではないのだろうか、、、 297bのほうが知ったのが先だったな 疑作だというし協奏交響曲自体興味がなかった >>143 >いまだに交響曲全集はホグウッドが最高ってどういうこっちゃ そういう時期もあった。 マリナーもよく聴いた。テイトも好きだった。 ピノックに浮気もした。 で、今はベームに戻っている。 さんざん浮気はすれど本妻はベーム。 やっぱりベーム。 オレにとってオリジナル楽器の演奏は清涼剤的な役割なんだよね。 フレッシュな爽快感は味わえるんだけれど、一時的な快感に過ぎず長持ちしない。 本流はやはりモダン楽器だと思う。 >>143 いまだに…って新しもの好きですか? 何十年前のものでもいいものはいい。 マリナーが一番無難かつオーソドックスでいい演奏の全集 初期の交響曲何度か聴いただけで下らない曲だと思ってたが、 ひさしぶりに聞いたらそんなにつまらなくもなかった。 ハイドンの初期交響曲は確かにモツのに比べたら はるかに完成度は高いが、面白さではモツのほうが上だろ。 スコアを目で追いながらならなんとか緊張感が持続できそう ハイドンのは特に中期以降、ウィットというのか、知ってる人には通じる冗談、というのも特色になっている 60番など全編楽しい モツには色気があるが ハイドンにはそれがない ハイドンはドライ ☆ 日本の核武装は早急に必須です。☆ 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である 改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 モーツァルトの交響曲は、浸りたい時のための音楽 ハイドンの交響曲は、独創性を重視する(そのままベートーヴェンに通じている) 性質が全く違う ベートーヴェンも、若いころはモーツァルト寄りだったが年取ってからはハイドン寄りだった 何といっても、ハイドンは、交響曲と弦楽四重奏というジャンルをメジャーに引き上げた功績がある ベートーヴェンはそのレールに乗せてもらっただけ はあ? 交響曲1番二番がモーツァルト寄り? op18のカルテットがモーツァルト寄り? むしろどっちかといえばハイドンだと思うが。 で、年取ってハイドンぽくなった曲って例えば何? もうご承知のようにこのレスは私です。お早うございます。 いちいち「席」について言及し「キモイ」とのお言葉を頂戴してしまいましたが、ウィーフィルの魔笛公演でさえ90%目を閉じて聴いた私には「席」こそ音を認識する上で何より優先されるのです。 一番酷かったのが所謂「特等席」で聴いたトリトンスクウェアのザルツブルクモーツァルテウムK.550、次がNHKホール「2階席最前列中央で聴いた未完成交響曲」ですね。 前者は聴くに堪えず一楽章のみで退席、後者はオーケストラの音が『総音』になってしまうこと/私がオーケストラの生演奏に出掛ける一番の目的である『弦のユニゾンのあのえもいわれぬ音』がついぞ聴けなかったこと。 私が使用しているスピーカーは1970年代のビンテージ機種ですが、その同じメーカー製のスピーカーですら1980年代後半から販売を始めた現行製品はこのNHKホールの『総音』なんですね。 今あの弦のユニゾンが聴けるのはオーディオルームと生演奏会最前列〜10列目中央付近のみとなってしまいました。 さて、貴方方に音楽が解るかどうか、お題を一題。 バッハを始め、あらゆる音楽がモーツァルトという一点に集まり、モーツァルトという音楽に変質を遂げ、その音楽の核心は誰に引き継がれることなく「天空に」舞い上がった。 ベートーヴェンはバッハ、ハイドンから引き継いだものから独自の世界を築き上げ、その後の作曲家達の起点となった。 これは私の「直観」です。お解りですか?無理ですかね。ラファ。 ラファさん、今晩は。 それにしても、生徒さんの GDP also treats money the same no matter whom it goes to. の訳、 「ある国における商取引の総計にすぎなないGDPでは、お金が富裕な人に渡ろうが貧困な人に渡ろうが、その意味が失われ、金額だけが一人歩きするのである。 従って、GDPはその国の豊かさを示す尺度にはなり得ない」 は実に素晴らしいですね。 「従って、GDPはその国の豊かさを示す尺度には なり得ない」が一番重要なことでありますが、私の 「お金がどこに行こうがGDPにとっちゃ同じこと」では、 直接その意味が出てこない。 こじつけで出すものではなく、しっかり書かなくては なりません。 完敗です。 高校生でそこまで分かっているというのはさすがに ラファさんの生徒さんですね。 初めて会った時16歳だった「水原希子そのままのシロガネーゼ」、『i』さんが予備校を辞めて塾を立ち上げなければ、その出逢いは無かった。 私の人生でも唯一無二の思い出となったその後の5年間。 いきなり「モーツァルト レクイエム 怒りの日が聴きたい」と言い…… 新宿/ディスクユニオンで一緒に探し、君は「これがいい」と鳥の羽が拡がるカラヤン盤を選んだ。 いつでも連絡は取れるが取らない。思い出を大切にしたいから。 クラ板の達は『ケチをつける/罵倒する/嫌悪する』ことが目的で書き込みしてますので、あー言えば上祐よろしく、何を言っても無駄なのですね。 お嬢弟子さんや私に対するイメージ(彼らの切ないほどの願望なのですが)がすでに固定観念として出来上がっておりますので…… その固定観念に反する言動は必ず屈折しデフォルメされて受け取られる。 現実のお嬢弟子さんや私が、その固定観念と異なる予感がするやいなや『全力で反撃を開始し出す』人達なのです。 固定観念と異なるのが余程の困るのでしょう。恐怖感すら抱いている節がある。 一昨年位までは此方もフィクションを交えて相手をしておりましたが、さすがに飽きまして、今は専ら……… 『ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/ヴォイス・オブ・ザ・シアター アルテック』 にて、ミレニアムさんと国際政治(主に軍事)やオーディオ談義をしております。 関連スレッドに「ピュアオーディオ@オープン2ちゃんねる/大英帝国の栄光タンノイその11」もあり、こちらは私の日記帳のような按配なのですが…… 粘着「理屈と膏薬は何処にもつく」親父に付きまとわれ、現在は放置しております。 まだ25番以降しか聴いたことがないので全集を買おうと思ってるんですが、ピノックとマッケラスだとどっちがおすすめですか? ピノックにしようと思ってたんですが、マッケラスのポストホルンを聴いたら凄く良かったので迷ってます。 ちなみに、25番から39番はグラバーが大好きです。レヴァインもけっこう好きです。35番から39番とか。 40番、41番は圧倒的にアーノンクールの1回目が好きです。 どちらも合いそうです。 アーノンクールさん、コンセルトヘボウ管がお好きでしたら マッケラスさん二種も良さそうですが 新しいチャレンジならピノックさんかなと思います。 >>180 ありがとうございます。 とりあえずマッケラス注文してみました。 楽しみです。 でも、我慢出来ずにピノックのほうも 買ってしまいそうです。 >>177 >>176 「捏造コピペ阿呆」は放置と決めた。 したければすれば?いくら捏造コピペを書こうが、わたしは一切関知しない。頑張りたまえ。 >>181 ですが、マッケラスの全集届いて一通り聴いてみました。 なんていうかもう素晴らしい! 瑞々しくて、溌剌としていて、熱い力に溢れていて、言うことないです。 >>180 さん、ありがとうございました。 これをじっくり聴き込んでからピノックのほうを注文しようと思います。 >>183 ネタが尽きてきたようですね。大丈夫ですか? 905:G−LZ◆H6mBY5rVQU:2016/06/29(水)11:10:07 ID:WdU >>904 おはようございます。 オリジナルモニターGold Autographの音の佇まいがかなり良く表現されておりますね。カンターテドミノはわたしの試聴盤でもありました。 部屋もわたしの場合、南側一面が窓になっているところなど雰囲気はこの方と少し似ております。音響効果も大切ですが部屋の佇まいのほうが優先されます。 案の定、あちらのスレッドに「音響馬鹿」登場。ミレニアムさんはfanと仰いますが、わたしには「ゴミ」以外の何者でもありません。 今日は「チョン・キョンファ盤のシベリウス/ヴァイオリン協奏曲」をボリュームを11時にまで上げ、在りし日の音を思い出しております。 当然のことながら、音場感の広さ/床を這う低弦群のうねりこそ劣りますが、モニターGoldの音は健在です。 余りに良く鳴るので久し振りにボリュームを12時に上げ「カルロス・クライバー盤SACD/ベートーヴェン交響曲5番」をかける。まさに指揮台で聴いている如し。 モニターGoldのエッセンスである……… 「金管の炸裂、1楽章オーボエのみが奏でるフレーズ、オーボエの色気のある音の背後に広がる空気感、コントラバスの旋律まで手に取るように判る弦楽器群のハーモニー、ティンパニーの張り……」 まさに全開である。これ以上何を求めるのか?その為にはオリジナルモニターGold Autographを買い戻す意外には手は無い。 ここのネタ的には、25番(1楽章→アマデウスサウンドトラック盤SACD/2楽章以降はブリテン盤)一曲あれば十分な気もする(後期6交響曲は当スレにベスト盤を書いたが)。 全集ではないけど ケール/マインツ室内管弦楽団 米VOX はお気に入り。録音も悪くない >>185 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。 併し、モーツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。 外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の良さと言ったものを感ずる。この感じはおそらく正当ではあるまい。 だが、モーツァルトが僕にそういう感じを目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。 心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツァルトを離れられぬ」 >>187 「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。 捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。 生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。 だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。 これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」 >>189 「誰も、モーツァルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に彼の音を追うものは、彼の均整が、どんなに多くの均整を破って得られたものかに容易に気付く筈だ。 彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均衡を作り出す。到る処で唐突な変化が起こるが、彼があわてているわけではない。 方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の治療法を発明するためだ。 彼は、決してハイドンのような音楽形式の完成者ではない。寧ろ最初の最大の形式破壊者である。 彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以降のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった」 モーツァルト時代には オーディオ装置やCDはなかった 関係ないが(いぜんアマデウススレにも書いたんだけど) モーツァルト時代って今みたいにオケで楽器ひかない 専業の指揮者っていたんだっけ? なんか冒頭10分くらいの所で 自分の曲(グランパルティータ)を指揮してるんだが。 ハイドンみたいにヴァイオリン弾きながら指揮したのが多数派だろうね(コンサートマスター兼指揮者) C.P.E.バッハは交響曲には鍵盤楽器を加えるべきだと主張してたので、この頃には鍵盤楽器を加えるのは少なくなっていたとみられる >>204 言わんとするところは分からんもないがハードル上げすぎだな。 それだと、ほとんどの指揮者がゾンビになっちまう。 クリップススレから来た 輸入盤とタワレコリマスター盤、コンセルトヘボウの響きを楽しむなら、どっちがおすすめ モーツァルト交響曲全集を初めて完成させたのがラインスドルフ しかしこれは半分はモノラルであった ステレオによる全集はベームが初めて >>208 生を聴いているんじゃないから、短いほうがいい。 レヴァイン・ウィーンのプラハの第一楽章、反復でうんざりだった。 レヴァイン/ウィーン・フィルは全曲反復ありだからな Mozartの交響曲で1~24はめったに演奏されないですよね? >>213 テイトはモツよりも ハイドンの方が合ってる気がする >>214 故宇野氏も反復には苦言を呈してましたね 個人的にはそういう演奏もありかなと思うけど >>140 37番は全曲収めてほしいですな 珍しい曲でもあるし全集レベルじゃないとなかなか聴く機会がない 聴きたくない人はスルーすればいいし ピノックの25番と29番のCDを買ってきて今聴いてるんだけど、全集の同曲よりも良い演奏(私の好みの演奏)に聞こえる。 誰でもできる確実稼げるガイダンス 念のためにのせておきます グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』 KN9ZX read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる