カール・ベームNo.10 [無断転載禁止]©2ch.net
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自民党党大会にノコノコ出てスピーチした高木美帆は不見識にもホドがある。
日本国民の国富を首相夫婦が知合いへと高級官僚たちと一緒に詐取して奪い取り、
それを公文書まで改ざんして国会審議を一年も欺き続けたという行為の歴史的重大性にすら
鈍感な選手など、責任を取って金メダルを国に渡して引退すべき。
国政の健全性確保にくらべたら金メダルだの、氷の上を滑る時間記録などにはほとんど価値はない。 stayは名詞
headedは形容詞
都合の悪い人間はひとまとめに黒木認定
お礼を言ってくれる人はひとりひとり別人
今日もパォーンパォーンのえワ >>595
朝鮮人学校への「補助金、無償化」は即刻止めたもらわないとね。 >>602
朝鮮人学校への「補助金、無償化」は即刻中止すべきだと思うだろ? >>604
ID:nyd7stS/
ID:SroKJXNa
ID:5QH3klg2
ID:Az9Hkm6H
この書き込みを見たら、朝鮮人は馬鹿だと思うだろ? >>606
おそらく、死因は黒木真一郎の薬物のせいだろう。
量を間違えて致死量だったんだろうね。
「相棒」では、ハイになって飛べる気になって、マンションから飛び降りるという設定がある。
問題は、服を着たまま浴槽で死んでた、という状況で、
裸ににして浴槽に入れなかったのは、服に何か、薬物か黒木真一郎の痕跡が残ってたんだろう。
黒木真一郎と小薬さんの接点が見つけられなかった警察は、事故死と判定するしかなかった。 230 名無しさん@英語勉強中 (スフッ Sdea-oPU1) 2018/04/05(木) 18:39:40.29 ID:ITjE0iEvd
◆「朝鮮人」 穢大統領、国連人権高等弁務官を激しく非難
えワ国のカルロス・チン・クライバー大統領が3日、同国の黒木真一郎撲滅戦争を批判している国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のゼイド・ラアド・アル・フセイン弁務官は「朝鮮人」だと激しく非難した。
ゼイド氏は先月、周囲を一人残らず黒木認定するチン氏には「精神鑑定」が必要という見方を示していた。
チン氏はゼイド氏に対して反論しないように医師から助言されてたが、我慢できなかったようだ。
チン氏は演説で「ABCが全部分からないと、理解できないだろうね。
朝鮮人が無理するな、どんなに考えてもしょせん朝鮮人なんだから。」「どうやら、中学の化学の本に必ず載ってる「元素表」の見方が分からないみたいだね。
朝鮮人学校では、教えないんだろうね。」と語った。 私を忘考えない方が、「安らか」でいられるよ。
君は「ブチ切れた日本人の怖さ」を知らないだろう。
お手並みを拝見しようか。 DGGの「アイネク」、第2楽章の出し2音が均等に始まっていないのがオリジナル盤。
ガレリアシリーズまでオリジナル音源でリリースしていたが、それ以降のリマスタは、
編集されて均等な始まり方になっている。ユニテルの映像を音源化したものなので、
ベームが均等に振っていないので確認できる部分。 「棒銀」より、「端攻め」の手筋を知らない感じだね。
将棋世界の付録で、「プロの端攻めテクニックj」(108円)がお薦めかな。
香と歩二枚をもらってるんだから、受けより攻めを考えてもいいんだから。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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チン一郎監視用猫(名前:パオーン君) プラハで録音されたドンジョヴァンニは評価が低い
キャストがまばらなのがまずかったせいか フィッシャー ディースカウのドンジョヴァンニは
聴いてみたい 魔笛はピータースが最大の致命傷
なんであんなカス歌手を選んだのか
同時期に録音されたクレンペラーのポップがあまりにもケタはずれで素晴らしすぎた ソリストとか歌手が場違いにランクが下がるケースは、だいたい指揮者がその女と出来ている
意外にやるじゃん、ジャガイモも ベームはカラヤンのような派手さがないので損をした
地味すぎたんだよな
それがまたいいという人もいるけど >>623
そうか?
ベームの演奏は,十二分に際立ったものだが。
特に1960年代以前のものは出色のものが多く、きびきびとして引き締まった音楽はガチで心に迫ってくる。
ユルいものを探す方が難しい。
1970年代以降のVPOとの録音も、緩さを感じるものもあるが、それでもVPOの録音の中では緊張感の高いものばかりである。 まったく売れる見込みのなかったRシュトラウスのオペラ「影のない女」を
DECCAに説得して録音させた功績は大きい バイロイトのトリスタン、指環はそんなにいいとは思わない >>627
好みは人それぞれだから、そんな感想でもいいんじゃないかと。
ベームファンの俺でも、トリスタンは好きだけど、
ローエングリンとリングは別の指揮者のを聴くけどベームのはあまり聴かない。 DGはトリスタンが評判だったのでマイスタージンガーも発売しょうとしたけど
結果をみて発売を中止にしたことがレコ芸に詳しく載っていたな 放送音源のやつオルフェオ?からだったか出てるけど
ちょっと粗いんだよな
戦前のドレスデンの第三幕はカラヤンのやつとそっくり
特にベックメッサー ベームではダメと判断したDGは急遽ヨッフムを起用して録音したが
カラヤン盤には到底及ばなかった ちょうどあの頃はどのメーカーもオイルショックでレコードも薄っぺらになり
セット物の箱も貧弱なった
すべてが安っぽくなりレコードの終焉間近の時代を迎えようとしていた ベームのような堅物指揮者がベルクをとりあげてるので意外だった ベームのような堅物指揮者がピーターと狼をとりあげてるのは息子に仕事を与える方便だった Rシュトラウス管弦楽作品はカラヤンにかなわなかった >>637
カラヤンはR・シュトラウスに自分の演奏の感想を求めたら
「考えすぎじゃよカラヤン君!」と笑われた。 レコ芸ではRシュトラウス管弦楽曲はカラヤン盤がいつもトップランクだぞ
とくに志鳥栄八郎はVPO、BPOともにベタ褒めで推薦している カラヤンは、ベームがR・シュトラウスに自作オペラを
捧げられたのがうらやましくてならなかった。 >>639
評論家の意見なんて、そんなのいちいち気にして生きるなよ。 カラヤンのRは凄くいい
でも何度も何度も聴いてるうちに そこまでやらなくてもいいじゃん
と言ういつものカラヤン症候群が感じられて来る
で、少々素っ気ないベームに戻ったりで 行ったり来たり
入り口としてのカラヤンの存在感は素晴らしい
でも ずーっとそこに止まってるっちゅうのも なんだかなぁ >>642
恥ずかしいからだまってろ
ここに来るな ベームが来日したときの通訳兼世話係をした大町陽一郎も亡くなったね
月日がたつのも早い 60年代になってからカラヤンがベト全を完成させたとき
それを羨ましがったベーム
大町がその模様をレコ芸にコメントしていたっけ ザルツブルク音楽祭でベームとカラヤンがオペラを振り分けたとき、聴衆のベームへの反応はカラヤンの公演よりずっと大きかった。カラヤンは亡くなるまでその意味を理解することは出来なかった。 かってベームがメトに客演したときに小澤に対して言った言葉
アメリカのような騒々しい国に来たけどカラヤンと一緒になるよりはマシだ、と なんだか、やたらとカラヤンと対立させたがってるのって何なの? >>649
そのときの詳しいことは当時のレコ芸に載ってる
小澤、ベーム、大町の三人のフォトも 晩年のベーム翁の逸話
指揮途中で曲のどのあたりかが分からなくなり
コンサートマスターに
「おい、今どこなんだ?」と訊いたとさ
そしたらコンサートマスターが
「マエストロ、ムジークフェラインですよ」
と答えたとさ
そしたらベーム翁は
「このコンサートマスターはボケてしまっとる」
とおっしゃったとさ 読響への客演が実現しなかったことは、
痛恨の極みといえよう! そのかわりビルギット ニルソンを聴くことができた
あれも一生忘れられない思い出 ドレスデンの音楽監督やってた頃がピークだったな
「ばらの騎士」の名盤も残したし
あとベルリン・フィルとのブラ1番と英雄もよかった >>652
笑える
呆けてるのはベーム翁自身なのに・・・
その時のとぼけた対応をしたコンマス誰?
キュヒルさんかな? ばらの騎士は当時のDGの録音技術の優秀さをあらわしている
同時期に録音されてるリヒターのマタイも同様 もう少しオケのバランスが強ければ言うことないんだが
声の鮮度感には圧倒される>>薔薇 2年前のカラヤンの糞録音とは対照的だよな
あれだってレッグは時代遅れの石頭だったからモノラルで録音するつもりだったが
先を見ていたスタッフがレッグには内緒でステレオで録音したんだ
レッグが録音に理解のある人物だったなら、もっと優良な音質で発売されたのに 1955年、大戦中に破壊されたウイーン国立歌劇場が再建され音楽監督である
カール・ベームの指揮「フィデリオ」により開幕した。
ベームの総監督の地位はわずか2年間だった。
ソプラノ歌手ニルソンはベームが国立歌劇場を去った経緯を自伝に書いている。
ベームは各国からの公演依頼を引き受けウイーンを留守がちだった。
ベームが長期の外国公演を終えてウイーンに戻ってきたとき報道陣が質問した。
「ベームさんあなたはいつウイーンの監督として責務を果たすおつもりですか?」
という問いにベームは答えた。
「国立歌劇場のためにキャリアを棒に振るなんて見当違いだよ」。
翌日、新聞各社はベームのこの暴言をいっせいに書きたてた。
その夜、ベーム指揮による「フィデリオ」の公演があった。
ベームが現れたとき口笛と怒号のあらしがいつ果てるともなくつづいた。
翌日、ベームは音楽監督を辞した。
ニルソンはこの時、現場に居合わせている。(後任はカラヤン) 後のオーストリア音楽総監督か
確かにウィーン国立歌劇場総監督より上だな >>652
ベーム翁の言葉で読んだ記憶があるのが
「私がベートーヴェンと町で出会ったらうやうやしく挨拶するだろうがモーツァルトと出会ったら卒倒するだろう」
やはりモーツァルトの方が好きだったのか しかし、ベームの新譜が出ると狂喜し、カラヤンの新譜に
心躍らせた時代は良かったなぁ
今は、そんな指揮者はいない。 小三治はベームヲタとしても有名
レコ芸にもよく登場してマーラーなどを語っていた >>666
最初は第5と第9だけだったんだよな
普通なら両方で2枚組なんだけどこれは
別々に発売された 特に第5は片面2楽章ずつ
だったので音の厚みが尋常じゃなかったね
その後出た田園が更に素晴らしい録音だったし
演奏も良かった 当時はまだ田園といえば
ワルターと言う時代だったが だいぶ意識が変わった 門馬直美はベームが大好きな評論家だったな
BPO時代のものからVPOになってからも大絶賛していた >>667
羨ましい。
ベームが亡くなって随分と経ってからファンになったので、ただただ羨ましい。
カラヤンバーンスタインの最晩年からCD化の流れの頃。
だからCD自体は集められた方だけど、やっぱ健在の頃にファンだったらと思う。
年齢的に無理だけど >>668
松岡 修造の対談番組で、レコードとオーディオに拘った喫茶店に行って、
リクエストしてたのが、ベームVPOのブラ1だったね。 バブルの頃、
秋葉原の石丸電気で、
ライブ盤をやたらと買い集めたのだか、
3.11後にまとめて処分してしまった…
もう聴かないだろうと…後悔してます。 コーホーもベームがもっとも輝いていた時代は
1950年から1960年代までだとコメントしている ベームは例のウイーン・フィルを引き連れて来日した前に
1963年にベルリン・ドイツ・オペラと共に初来日してるんだよ
そのことを知ってる奴は一人もいない VPOからあの分厚い音を出せる指揮者はベーム以後にいないし、BPOからあの分厚い音を出せる指揮者はカラヤン以後にいない >>678
誰も知らないの?
そんなことはないだろう 当時のベルリン・ドイツ・オペラの歌手陣はすごいメンバーだった
Fディスカウ、ナイトリンガー、ルートヴィヒ、オットー、グラインドル、キング
グリュンマー、ケート、マティス、ベリー、グローブ
これだけの豪華な歌手陣が日生劇場で公演したんだから 50年代末から60年代初頭にかけてのクラシック界は
大物アーティスト来日の黄金時代だった
全盛期のデル・モナコ、テバルディ、シミオナートを擁したイタリアオペラ
カラヤンもBPO、VPOと来日しているし
ミュンシュBSO、バーンステインNYフィルといったアメリカを代表する指揮者とオケ
この時代のナマ演奏を聞いた人たちはほんとうに幸せだ 今でもたまに日生劇場行くけど座席数1300余の劇場で
ベーム指揮のオペラ聴くなんて贅沢過ぎるよな
あそこは一番安い二階の最後列が観やすくて音も良い
少し早めに行って日比谷公園を散歩するのも気持ちいいよ 日生劇場のフィガロ、第9、以前CD化されてただろ
うちの棚のどこかに埋もれているはずだが発掘してみるかな >>685
日生劇場のフィデリオを生で聴いた人がいるよ。
オペラが終わった時、息も出来ないくらいの衝撃を受けたそうだ。
その人は二期会の合唱団の人で、イタリア歌劇団の公演ではモナコやシミオナートらと舞台に立った。 フィデリオの東京公演はYoutubeで全幕見れるからありがたい 第1回ベルリンドイツオペラの公演では「ヴォツェック」も上演されている
もちろん日本初でベルクなど馴染みのない客層は面食らった 演奏後、興奮したファンが、舞台上のベームの脚に抱き付いて着て、
ベームは殺されるかと思ったって言ってたなw
でも、それが後の来日公演演奏後の、ファンとの握手が生まれる。 「ルル」「若い恋人達へのエレジー」もベルリン・ドイツ・オペラによつて日本初演された 若き日のマゼールも同行した
他にはベテランのホルライザー、ヨッフム、歌手では他にローレンガーもね
とにかく今考えたら超豪華な布陣で贅沢極まりない内容だった スレ違いっぽいけど、ヨッフムは二回めね。
ローレンガーはマゼールの『椿姫』だけど、あれも二回めかなぁ
(あんまりはっきりしない)。 ローレンガーのようなデブが椿姫やっても似合わない
ヴィオレッタは最後はやせ細って死んでいくんだから
マゼール盤を聞いててそう思った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています