カール・ベームNo.10 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>623
そうか?
ベームの演奏は,十二分に際立ったものだが。
特に1960年代以前のものは出色のものが多く、きびきびとして引き締まった音楽はガチで心に迫ってくる。
ユルいものを探す方が難しい。
1970年代以降のVPOとの録音も、緩さを感じるものもあるが、それでもVPOの録音の中では緊張感の高いものばかりである。 まったく売れる見込みのなかったRシュトラウスのオペラ「影のない女」を
DECCAに説得して録音させた功績は大きい バイロイトのトリスタン、指環はそんなにいいとは思わない >>627
好みは人それぞれだから、そんな感想でもいいんじゃないかと。
ベームファンの俺でも、トリスタンは好きだけど、
ローエングリンとリングは別の指揮者のを聴くけどベームのはあまり聴かない。 DGはトリスタンが評判だったのでマイスタージンガーも発売しょうとしたけど
結果をみて発売を中止にしたことがレコ芸に詳しく載っていたな 放送音源のやつオルフェオ?からだったか出てるけど
ちょっと粗いんだよな
戦前のドレスデンの第三幕はカラヤンのやつとそっくり
特にベックメッサー ベームではダメと判断したDGは急遽ヨッフムを起用して録音したが
カラヤン盤には到底及ばなかった ちょうどあの頃はどのメーカーもオイルショックでレコードも薄っぺらになり
セット物の箱も貧弱なった
すべてが安っぽくなりレコードの終焉間近の時代を迎えようとしていた ベームのような堅物指揮者がベルクをとりあげてるので意外だった ベームのような堅物指揮者がピーターと狼をとりあげてるのは息子に仕事を与える方便だった Rシュトラウス管弦楽作品はカラヤンにかなわなかった >>637
カラヤンはR・シュトラウスに自分の演奏の感想を求めたら
「考えすぎじゃよカラヤン君!」と笑われた。 レコ芸ではRシュトラウス管弦楽曲はカラヤン盤がいつもトップランクだぞ
とくに志鳥栄八郎はVPO、BPOともにベタ褒めで推薦している カラヤンは、ベームがR・シュトラウスに自作オペラを
捧げられたのがうらやましくてならなかった。 >>639
評論家の意見なんて、そんなのいちいち気にして生きるなよ。 カラヤンのRは凄くいい
でも何度も何度も聴いてるうちに そこまでやらなくてもいいじゃん
と言ういつものカラヤン症候群が感じられて来る
で、少々素っ気ないベームに戻ったりで 行ったり来たり
入り口としてのカラヤンの存在感は素晴らしい
でも ずーっとそこに止まってるっちゅうのも なんだかなぁ >>642
恥ずかしいからだまってろ
ここに来るな ベームが来日したときの通訳兼世話係をした大町陽一郎も亡くなったね
月日がたつのも早い 60年代になってからカラヤンがベト全を完成させたとき
それを羨ましがったベーム
大町がその模様をレコ芸にコメントしていたっけ ザルツブルク音楽祭でベームとカラヤンがオペラを振り分けたとき、聴衆のベームへの反応はカラヤンの公演よりずっと大きかった。カラヤンは亡くなるまでその意味を理解することは出来なかった。 かってベームがメトに客演したときに小澤に対して言った言葉
アメリカのような騒々しい国に来たけどカラヤンと一緒になるよりはマシだ、と なんだか、やたらとカラヤンと対立させたがってるのって何なの? >>649
そのときの詳しいことは当時のレコ芸に載ってる
小澤、ベーム、大町の三人のフォトも 晩年のベーム翁の逸話
指揮途中で曲のどのあたりかが分からなくなり
コンサートマスターに
「おい、今どこなんだ?」と訊いたとさ
そしたらコンサートマスターが
「マエストロ、ムジークフェラインですよ」
と答えたとさ
そしたらベーム翁は
「このコンサートマスターはボケてしまっとる」
とおっしゃったとさ 読響への客演が実現しなかったことは、
痛恨の極みといえよう! そのかわりビルギット ニルソンを聴くことができた
あれも一生忘れられない思い出 ドレスデンの音楽監督やってた頃がピークだったな
「ばらの騎士」の名盤も残したし
あとベルリン・フィルとのブラ1番と英雄もよかった >>652
笑える
呆けてるのはベーム翁自身なのに・・・
その時のとぼけた対応をしたコンマス誰?
キュヒルさんかな? ばらの騎士は当時のDGの録音技術の優秀さをあらわしている
同時期に録音されてるリヒターのマタイも同様 もう少しオケのバランスが強ければ言うことないんだが
声の鮮度感には圧倒される>>薔薇 2年前のカラヤンの糞録音とは対照的だよな
あれだってレッグは時代遅れの石頭だったからモノラルで録音するつもりだったが
先を見ていたスタッフがレッグには内緒でステレオで録音したんだ
レッグが録音に理解のある人物だったなら、もっと優良な音質で発売されたのに 1955年、大戦中に破壊されたウイーン国立歌劇場が再建され音楽監督である
カール・ベームの指揮「フィデリオ」により開幕した。
ベームの総監督の地位はわずか2年間だった。
ソプラノ歌手ニルソンはベームが国立歌劇場を去った経緯を自伝に書いている。
ベームは各国からの公演依頼を引き受けウイーンを留守がちだった。
ベームが長期の外国公演を終えてウイーンに戻ってきたとき報道陣が質問した。
「ベームさんあなたはいつウイーンの監督として責務を果たすおつもりですか?」
という問いにベームは答えた。
「国立歌劇場のためにキャリアを棒に振るなんて見当違いだよ」。
翌日、新聞各社はベームのこの暴言をいっせいに書きたてた。
その夜、ベーム指揮による「フィデリオ」の公演があった。
ベームが現れたとき口笛と怒号のあらしがいつ果てるともなくつづいた。
翌日、ベームは音楽監督を辞した。
ニルソンはこの時、現場に居合わせている。(後任はカラヤン) 後のオーストリア音楽総監督か
確かにウィーン国立歌劇場総監督より上だな >>652
ベーム翁の言葉で読んだ記憶があるのが
「私がベートーヴェンと町で出会ったらうやうやしく挨拶するだろうがモーツァルトと出会ったら卒倒するだろう」
やはりモーツァルトの方が好きだったのか しかし、ベームの新譜が出ると狂喜し、カラヤンの新譜に
心躍らせた時代は良かったなぁ
今は、そんな指揮者はいない。 小三治はベームヲタとしても有名
レコ芸にもよく登場してマーラーなどを語っていた >>666
最初は第5と第9だけだったんだよな
普通なら両方で2枚組なんだけどこれは
別々に発売された 特に第5は片面2楽章ずつ
だったので音の厚みが尋常じゃなかったね
その後出た田園が更に素晴らしい録音だったし
演奏も良かった 当時はまだ田園といえば
ワルターと言う時代だったが だいぶ意識が変わった 門馬直美はベームが大好きな評論家だったな
BPO時代のものからVPOになってからも大絶賛していた >>667
羨ましい。
ベームが亡くなって随分と経ってからファンになったので、ただただ羨ましい。
カラヤンバーンスタインの最晩年からCD化の流れの頃。
だからCD自体は集められた方だけど、やっぱ健在の頃にファンだったらと思う。
年齢的に無理だけど >>668
松岡 修造の対談番組で、レコードとオーディオに拘った喫茶店に行って、
リクエストしてたのが、ベームVPOのブラ1だったね。 バブルの頃、
秋葉原の石丸電気で、
ライブ盤をやたらと買い集めたのだか、
3.11後にまとめて処分してしまった…
もう聴かないだろうと…後悔してます。 コーホーもベームがもっとも輝いていた時代は
1950年から1960年代までだとコメントしている ベームは例のウイーン・フィルを引き連れて来日した前に
1963年にベルリン・ドイツ・オペラと共に初来日してるんだよ
そのことを知ってる奴は一人もいない VPOからあの分厚い音を出せる指揮者はベーム以後にいないし、BPOからあの分厚い音を出せる指揮者はカラヤン以後にいない >>678
誰も知らないの?
そんなことはないだろう 当時のベルリン・ドイツ・オペラの歌手陣はすごいメンバーだった
Fディスカウ、ナイトリンガー、ルートヴィヒ、オットー、グラインドル、キング
グリュンマー、ケート、マティス、ベリー、グローブ
これだけの豪華な歌手陣が日生劇場で公演したんだから 50年代末から60年代初頭にかけてのクラシック界は
大物アーティスト来日の黄金時代だった
全盛期のデル・モナコ、テバルディ、シミオナートを擁したイタリアオペラ
カラヤンもBPO、VPOと来日しているし
ミュンシュBSO、バーンステインNYフィルといったアメリカを代表する指揮者とオケ
この時代のナマ演奏を聞いた人たちはほんとうに幸せだ 今でもたまに日生劇場行くけど座席数1300余の劇場で
ベーム指揮のオペラ聴くなんて贅沢過ぎるよな
あそこは一番安い二階の最後列が観やすくて音も良い
少し早めに行って日比谷公園を散歩するのも気持ちいいよ 日生劇場のフィガロ、第9、以前CD化されてただろ
うちの棚のどこかに埋もれているはずだが発掘してみるかな >>685
日生劇場のフィデリオを生で聴いた人がいるよ。
オペラが終わった時、息も出来ないくらいの衝撃を受けたそうだ。
その人は二期会の合唱団の人で、イタリア歌劇団の公演ではモナコやシミオナートらと舞台に立った。 フィデリオの東京公演はYoutubeで全幕見れるからありがたい 第1回ベルリンドイツオペラの公演では「ヴォツェック」も上演されている
もちろん日本初でベルクなど馴染みのない客層は面食らった 演奏後、興奮したファンが、舞台上のベームの脚に抱き付いて着て、
ベームは殺されるかと思ったって言ってたなw
でも、それが後の来日公演演奏後の、ファンとの握手が生まれる。 「ルル」「若い恋人達へのエレジー」もベルリン・ドイツ・オペラによつて日本初演された 若き日のマゼールも同行した
他にはベテランのホルライザー、ヨッフム、歌手では他にローレンガーもね
とにかく今考えたら超豪華な布陣で贅沢極まりない内容だった スレ違いっぽいけど、ヨッフムは二回めね。
ローレンガーはマゼールの『椿姫』だけど、あれも二回めかなぁ
(あんまりはっきりしない)。 ローレンガーのようなデブが椿姫やっても似合わない
ヴィオレッタは最後はやせ細って死んでいくんだから
マゼール盤を聞いててそう思った ピラール・ローレンガーをナマで見たこともないカスは引っこんでろ ローレンガーは美声だったね
グラナドスとかエグモントとか録音しか聴いた事ないけれど
同じスペインのベルガンサとは全然違う洗練された美声 スペイン出身のソプラノ歌手には1950年代からステレオ初期に活躍した
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスとテレサ・ベルガンサがいた やたら声のでかさを強調したモンセラ・カバリエもいた ベームの話をし給えよ
久々にレコ芸の表紙に登場したというのに そういえばベームはメンデルスゾーンとシューマンはまったく振らなかった
これは不思議だ >>701
なんだ、カラヤンも一緒じゃないか(-_-) シューベルトはベームがいちばん落ち着いて聞ける
オケがBPOなのもいい 若い頃はカラヤン一辺倒だったけれど
年をとってからベームの良さが分かってきたよ >>708
ベームか、カラヤンか、どっちが好きよりも、
どっちも好きの方が人生2倍楽しいよ。 >>703
バックハウスとシューマンのピアノ協奏曲を演奏してるよ。 ベームのピアノ協奏曲は数少ないね
ヴァイオリン協奏曲は一つもない
伴奏が苦手だったんだな >>712
ポリーニだけでもオフィシャル盤が4枚あるよ 「エレクトラ」を最初にステレオ録音したのがベーム
これは1961年度ADFディスク大賞になった名盤 ドイツオペラにかけては何たってベームがいちばんだな ヴィルヘルム・バックハウスによるモーツァルトとシューマンのピアノ協奏曲のカップリング。
モーツァルトはNo.27を選択しており、バックハウスの貴重なモーツァルトの協奏曲録音として、
しばしば音楽評論家たちが言及していたものだ。
伴奏はどちらもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だが、モーツァルトの作品がカール・ベームの
指揮なのに対し、シューマンは当時中堅指揮者だったギュンター・ヴァントが指揮を執っている。
ちなみにヴァントは、この録音でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に細かな要求を繰り返した廉で
団員に好かれず、また録音予定だったグリーグのピアノ協奏曲をバックハウスに録音しないでもいいの
ではないかとバックハウスに進言したという。
グリーグの協奏曲の録音が頓挫したことで、ヴァントはデッカの御用達指揮者の枠から早々にはずれて
しまったという。
バックハウスは、かつてモーツァルトのピアノ協奏曲No.26をフリッツ・ツァウンと録音していたことがあったが、
その時には主観的な緩急をつけるオールド・スタイルであった。ここでは、そうした主観的な演奏法を極力排し、
簡にして要を得たスタイルを確立している。モーツァルト作品の名解釈者として株を上げていたベームの指揮も、
落ち着いた足取りでバックハウスをサポートしており、安心感がある。
ただ、録音当時は、ステレオ録音の草創期ということもあって、弦楽セクションの音が少々ごわごわした感じになっている。
シューマンのピアノ協奏曲は、夢を見るような幻想というよりも、昔日の思い出を語るような枯淡の境地がバックハウスの
ピアノにある。思わせぶりな素振りは一切なく、語り口は淡々としているのだが、彼の長い人生の中で培ってきたものが
バックボーンにあるので、音楽が不思議と平凡化しない。ヴァントの指揮は、そうしたバックハウスのピアノに彩りを与える
のではなく、バックハウスの演奏に注釈をつけているかのような演奏である。 だから、シューマンの協奏曲は、ベームとバックハウスのもあるの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています