【クラ板には】名曲喫茶 4店目【必須?】 [無断転載禁止]©2ch.net
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大作曲家が短命なのはみんなアル中だったから:
「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、
英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが
飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。
「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、
「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。
調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、
ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワイン
を飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。
一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。
ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について
「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。
そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、
場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。 上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。
酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。
シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」
が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、
街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。
また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、
宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。
このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、
バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?
という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。
作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、
作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、
シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。 しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。
ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、
ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。
一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。
ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。 >>474
ベルリオーズの阿片は「幻想交響曲」のストーリーでわかりますね
ワグナーの誇大妄想の芸術は阿片の産物ですか! 京都の祇園に名曲喫茶があるらしいですが
行ったことある方いらっしゃったら感想お聞かせ下さい。 >>463
海外物ではないのですが・・・
鉄道捜査官14 2014 05 04
という YouTube 見ていたら、犯人が喫茶店の二階で密談している・・・
何とシャンデリアの奥にはあの非対称SPがデンと鎮座しているではないか!
これは?! 金沢には必ず年数回行っているが、来年も行く。行くと必ず立ち寄るのが名曲喫茶「ぱるてぃーた」だが、音響システムがイマイチなのと
コーヒーが不味い(多分インスタント)
マスターは寡黙な良い人なんだが、何度行っても慣れないんだよな。 20年程前に出張で福島の郡山駅近くの名曲喫茶に度々寄ったんだが店名忘れたな
マスターも年配だったしもう無いだろうな ぱるてぃーたは金沢が文化都市であるシンボルだと思うよ。今は小都市だが、かつては加賀百万石の大都市で江戸、大坂、京都に次ぎ、名古屋を上回る大都市だったんだって。 電車男のSPの失恋レストランはライオンの1階そのまま貸し切って撮影してたでしょ >>484
懐かしいものを見させてもらいました、ライオンの二階席
さっそく明日にでも思いしかど...道玄坂は余りにも遠い >>484
ライオンの2階席はよく通ったなー
懐かしい >>487
ライオンは滅茶苦茶音が悪い
2度と行かない ライオンは店内はあのままでよいが、肝心の音源は変えてほしいね
そう書いている人たちが増えている。
やっぱり変えた方がいいだろう。懐メロのお客さんだけで、いつまで
もつかな 正直、あそこは雰囲気だけなんだよ
オーディオ・音響的には、まるで大したことない
ドリンク等も、まるで大したことない
でも、たまに無性に行きたくなる なぜ?
だって、もう都内にあんな場所は残ってない
そしてノスタルジーも多分にある 名曲喫茶において音質とか味は関係ない
音源がそこに存在するのが大切
ライオンはさながら仏閣にある大伽藍ようなモノで俺的には癒しの空間 「ジ〜〜(ノイズ)…え〜ただいまの曲はお客様のリクエストにより…(聞き取れない)」 まぁね、アットホームでお気に入りのオーディオシステム組んで
ライオンが不満のクラヲタはいるだろう、それは道理なんだが…
名曲喫茶の味わいはまた違うだろうね アンプが10万円くらいのやつだから、いくらなんでもヘボすぎる
あの大きさで鳴らしきるにはマッキントッシュの1000Wとかじゃないと >>494
いや マルチアンフ構成だが1こ3万のプリメインアンプを2台、これなら5000円の
中華アンプ2台の方がまし。
それとスビーカー並び、上下2台に並べ
それぞれにウーハ、ツィータ スコーカ、これじゃステレオじゃねーよ
案の定モノラルも、ステレオも疑似ステレオで聴ける。
音楽をバカにしすぎ。 >>496
ライオンの音はオケのバイオリンがまともに左から
聴こえないんだ、こんなところによく行くな。 ライオンは別格というかね
ドラマの撮影に使われたり、小説に登場したり、
昭和レトロが、現代の若者にも受けてみたり、
ことライオンに関しては、ガチの音楽好きが集う「名曲喫茶」とは、
違う「用途」が広がっている
学生時代の思い出を探しにくる私のような中年には、
くたびれたライオンの音響が、逆に心地よい 最近引っ越しして、オーディオを破棄して、4K装置を揃え視覚的にも聴覚的にも良い自分達の部屋を作り、美味しいお茶を飲んでクラシックを観ているので、暗い名曲喫茶に行く気がしなくなった。 ライオンは「村の古い地蔵さん」みたいな存在かな、いや、奈良の大仏さんか。
汚いから洗って補修する発想じたいが、とんでもないアイディアと言うか。
ライオンも改装するのしないの、音源を変えるの変えない等々は話題にしては
いけないことらしい。 >>500
>音源を変えるの変えない等々は話題にしてはいけないことらしい。
いや変えてているんだよ
モノラル音源をステレオ音源にそれも最近の安すぎるプリメインアンプで実現
問題はモノラルの時に立体音響を目指した左右非対称なヘンテコなスピーカーの並びで
無理やりステレオ化したとんでもない音
2度と行かない 自分で2度と行かないって思うんなら、それ以上批判の書き込みしないでね >>501
>左右非対称なヘンテコなスピーカーの並びで
まったくその通りでヘンテコなんだが、
「ピサの斜塔」がヘンテコだから、まっすぐにしようか、
みたいな話で、「まとも」にすると、
あそこの「個性」死んでしまう
難しいねー >>503
一般的なオケの編成で弦楽器の場合左から
第一バイオリン 第2バイオリン ビオラ チェロ
チェロの奥にコントラバスが並び
ステレオ録音の場合どんな安い機器でもこの編成を忠実(?)に再現できるけど
ライオンの左右非対称スピーカーの並びではそれができないどころか、音のひずみができているはず。
それでいいんであればいいんだろうが
>>504
二度と行かないならどうでもいいだろう? >>505
それで音楽ファンか?
糞音聴かされるやつは被害者だと思うが。 >>499
私もだ。4Kかライヴに行くか。喫茶店はドトールしか行かない。 俺は古臭くて薄暗い喫茶店が好きだから、
帝都随一を誇る音響装置が無くても
ライオンが近くにあれば通うかも 京都には名曲喫茶もいくつがあるが、それ以上にお洒落な喫茶店がたくさんある。
私は感じのいい喫茶店に行ってスマホで音楽聴くという方法を編み出した。 >>509
京都は音楽喫茶が似合う街。洋の東西、古いもの新しいものが融合しているから、古臭い名曲喫茶に行く人もいる。流石千年の都。懐が深い。 京都と言えば、柳月堂
東のライオン、西の柳月堂
といって過言でない >>511
京都には柳月堂の他にもアルペジオーネとかミューズとかあったが知らないうちに潰れてしまった。
八坂神社の近くに新しい名曲喫茶ができたらしいけど、昔風の名曲喫茶では無く、雰囲気を楽しむ喫茶店だろうと思う。何れ捜して行ってみたい。 もうすぐ大晦日ですね
東京在住の方は、毎年恒例の渋谷ライオン15時のコンサートでバイロイトの第九聞きながら今年を振り返りましょう 令和の渋谷表通りと昭和以来変わらぬライオン
上京組としてはワクワクするわ 昔、京都のアルペジオーネに行ったら、店主が、ウィーン・フィルのライナー・キュツヒルやヴォルフガング・シュルツらが来店した時の写真を見せてくれた事があった。店はもう無い。シュルツ(首席フルート)も亡くなった。 うむ、気が付けばもう第九の時期か
自宅の「究極」のシステムでバイロイトでも鳴らしてみるか
・・・ だが10畳の狭い部屋に籠っているのも人情味がないな
31日は街の様子を見がてら出かけるのも悪くない 毎年年末にはフルベンバイロイトを御約束のごとく流していたが
ある年に違うレコード回したら常連たちが騒ぎ出したという
老害どもめ 50年も前だが、「ライオン」に何回も通った、
昼間に入るとサ、小さなゴキブリが壁を這っていたりしてサ・・・
大して美味しくもないブレンドを注文して、それも2口ぐらい
飲んで、それからず〜と、曲を聴いているw
コーヒーも冷めてしまって、もう飲まない、そんな日々でしたな >>518
1970年代ですな
その頃は、2000Wのラックのパワーアンプ使っていませんでしたか?
それがし、通い始めたのは80年代、パワーは確かスマートなソニー製(?)
に替わっていました。一度、ドでかいパワーで聴きたいと思うも願い叶わず サイゼリヤでランチ(税込み500円)とドリンクバー(110円)ケーキ(税別299円)を飲食してスマホでクラシックを聴けば約1000円でゆっくり寛げます。
私達夫婦は最初サー・トーマス・リプトンでケーキセットでクリスマスをしようとしたのですが、ふとサイゼリヤがあって入ったら、
ごはんが食べられてケーキも凄く美味しい。
クリスマス音楽を聴きながら粘っています。
リプトンのケーキセットは1300円ですぞ! 金額の問題ではなくどっちが心豊かになれるかが大切
店にそんな迷惑をかけて音楽を楽しみたくない
店員に「長居する老害夫婦」などと思われないうちに席を立った方がよい
巻き添え食ってる奥さんも可哀想だ ライオンかぁ
懐かしいなぁ
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番をリクエストして
ラスト2分前に音を背に店を出るのが
イキだなんてやってたなぁ >>522
別にそんなに長くいた訳じゃないよ。
食事して飲み物飲んでケーキ食べてると1時間半ぐらいはかかる。
その間、イヤホンで音楽聴いている間にバスの時刻になったから店に迷惑はかけてないよ。
それにしてもサイゼリヤのアルバイト君は良く動き、気が利く。概ね何処のサイゼリヤでもそうなんだが、時給950円で時間あたり何キロ歩く(走る)んだろう?
最近の若者は私達の頃と違ってとても真面目で優しい。いいクリスマスになった。
プレゼント交換も出来た。私は妻に着物の帯を
妻は私にタックピン(ピンバッジ)を贈った。 >>521
だから何?
そういうこと言い放って何がしたいの
何を目的にここでそんなこと言うの >>525
私達の夫婦はクラシック好き。
今日のクリスマスは幸せに過ごせました。
私達は苦労の果に丁度22年前の今日結婚しました。(ホントに)
私と妻は音楽喫茶で出会い(アルペジオーネ)
お互いバツイチでそれまで苦労に苦労ばかりの人生を送っていて、付き合う様になり、
クリスマスイヴに私がプロポーズして、翌日結婚届を出して、やっと幸せになりました。
妻には前夫との間に30歳になる娘さんがいますが、6歳から逢えていません。
私は両親も兄弟もいず、前婦との間にも子供はおらず天涯孤独だと思っていましたが、やっと幸せになりました。
プラベートを告白し、すみませんでした。ご迷惑かけました。 本当に、
クラシックは心を和ませます
穏やかな人生を送りたい
クラシックほど良いものはないと思っています >>528
私もそう思います。人生いろいろありましたが、事ある毎に音楽に癒され助けられ楽しまされて来ました。
今年も残り少なくなりました。
お互い来年も良い年であります様に。 水を差すようで済まなんだが・・
クラシカル、ジャズ、ポップス、演歌、フォーク、ロック・・
(その時々で聴くジャンルも変わります)
いろいろ聴きながら、この1年、辞めようかな、辞めさせられるかな
と思いながら、何とか乗り切ってこれました。
大みそかは第九で〆たい。 飛騨高山に名曲喫茶ある?正月ぶらっと行くんだけど。 ライオンは最近、若者に人気らしい
******
少女純喫茶特選〜渋谷・恵比寿・目黒編〜
駅からも近い、クラシカルで、レトロな喫茶店巡り。
特集は、名曲喫茶の金字塔
「名曲喫茶ライオン ロングインタビュー」です!
\ \読み終わる時、あなたはこの街を好きになる //
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=596701 大昔に金沢にカラヤンと言う喫茶店あったな
名曲には全く関係なかったけど >>534
門仲にカラヤンというカラオケスナック我ある >>534
「ぱるてぃーた」はまだやってるか?
金沢21世紀美術館そばの。
あそこは純然たる名曲喫茶だったが。 オーディオ的に理想とは、とても言い難いライオンで
なぜバイロイトの第九を聴くのが有難いか・・・
以下の文章で腑に落ちたので参考まで引用
「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは
音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに
限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』
聴こえることが重要だ。
フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音では
なくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が
溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森の
ような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が
合っている」 片山杜秀 解析可能な音もナニも・・・
今も昔も原音は原音だろうに 片山はご専門の政治史のからみもあって、
フルトヴェングラーのコメントをもとめられ、
真面目な方なので、ホイホイ答えるのだけど、
ご本人はこの指揮者に、強い思い入れがないのは明らかで、
大して聴き込んでもいないのも明白で、わりとステレオタイプな
発言を繰り返していて、そこらへんはちょっと残念かな
政治学者でいえば、丸山真男あたりは聴き込んでいて、
ガチのフルトヴェングラー・ファンだった 丸山真男は宇野功芳のフルトヴェングラーの名盤を座右の書にしてたんだな
レベルがわかるだろ 小林秀雄は音楽関係者全員から
文章が上手いと得だな
と言われていた
レベルがわかるだろ 吉田秀和も顔がなんかかっこいい
しかし、中身ゼロで業績も名著もゼロ
小林秀雄も吉田秀和もカッコだけなんだな 知性・教養ゼロでカッコ悪い宇野功芳は今でも5ちゃんにスレが建ち
姿勢と教養があってカッコいい吉田秀和はもう完全に忘れ去られた
本当に偉かったのはどっちなのかな? 音楽批評家は時代が変れば忘れ去られます、19世紀、20世紀にロンドン、パリ、
ウィーン、ミラノで活動した批評家の著書を、今、読む人はいないでしょう。
日本は翻訳書大国ですが、彼らの本を訳す人はいないでしょう。
小林秀雄氏は音楽の書より文学や歴史など諸々の別の分野に関連して書かれた
本が、今でも読まれている。小林さんは非常に特殊なケースです。
戦後に活動された有名な音楽批評家、野村光一さんも現在はすっかり忘れ
去られています。 ト短調の弦楽五重奏曲K516 ・・・かなしさは疾走する。涙は追いつけない・・・
これ、言ったモン勝ち!
誰も追いつけない、至高の感想文ですわ >>548
確かに『モオツァルト』では、
まずk550のアレグロ・アッサイぼ楽譜を載せてモーツァルトの悲しみについて
述べられている。このテーマはずっと続いて、k516のアレグロのところで件の
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」
と述べている。
モーツァルトの悲しみを論じた一連の評論で、強く印象づけられるのは、
「彼は泣く。併し人々が泣き始める頃には彼は笑っている。」
のくだり。モーツァルトの音楽をよく突いてるなと...
おそらく、悲しさは疾走する・・・ の意味を補う一文かと。 マジレスすると
小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、吉田秀和、遠山一行、
といったかつての(音楽)評論は、文章力が隔絶していた
「いえよう」とかそういうキャッチーな表現はない
それでも、格調高く、教養を感じさせた
読ませる力があった
吉田さんの欠点は、それでも2点あって、
1つは身内にやや甘いこと たとえば小澤さんあたりは、
いわば桐朋の弟子筋にあたるので、可愛がっていた
もう1点は、断定を避ける傾向があった
無能に無能、才能なしに才能なしと言えない優しさがあった
断定的に演奏家を評価する、宇野功芳や許光俊などとは、
正反対であったが、佐村河内を絶賛して恥をかくよりは、
よほど、まともな評論家だったと思う 大晦日ですね
東京在住の方は渋谷ライオンで会いましょう >>551
そうそう思い出した。NHKの指揮者をしていた小澤征爾さんが楽団員
たちと合わなくて、総すかんを食って指揮者を降ろされた。
あの時、小澤氏を徹底して批判したのはコンサートマスターなのは、
N響楽団の代表だから当然だが、外野では野村光一氏がかなり手厳しく
小澤さんを批判した。
吉田秀和氏は弁護していた記憶が、たしかにあった。 >>554
あなたはその時もう生まれていて物心ついてたの?何歳なの? >>545
>音楽批評家は時代が変れば忘れ去られます、
今でもまだ読まれ続けている終戦直後の評論家
名曲決定盤 (上) (中公文庫) あらえびす(野村胡堂)
裏表紙にあるとおりの古典的名著かと思います。
吉田秀和さんの評論がベストだと思っていましたが、双璧かそれ以上かもしれません。
本当に買って良かった!!ここ最近手に入れた10冊程度の最近のピアノ本の単なる情報羅列、知識羅列、名盤羅列なところに欲求不満だったところに
このあらえびすさんの本。
深い思索、演奏への愛情、文章の卓越。ピアノファンですが一生大事にしたい本です。
昭和初期中期らへんの本で、紹介されているのがやはりコルトー、バックハウス、シュナーベルなんかです。
評論を元に聞くスタイルなので、どうしても、こういう素晴らしい評論で扱われている古い演奏家のリスナーに偏っている自分が・・・。
最近のピアニストをああいう筆致で論じたものってないのでしょうか・・・あればぜひ手に入れたい。。。
著者について
1882年生まれ、岩手県出身の作家・音楽評論家。本名:野村長一(おさかず)。野村胡堂(こどう)の筆名で『銭形平次捕物控』の作者として知られる。
東京帝国大学法科中退後、報知新聞社入社。記者時代に「あらえびす」の筆名でレコード評論等を執筆、日本で初めて「レコード批評」を文筆の一分野として確立させた。
音楽レコードの一大収集家としても著名で、入手に困難を極めた当時にあって、1万3000枚ものレコードを収集、
そのコレクションは現在、岩手県紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館に収蔵されている。
音楽関連著書としては『バッハからシューベルト』(名曲堂/1932年刊)『楽聖物語』(レコード音楽社/1941年刊、のち角川文庫に収載)、
『名曲決定盤』(中央公論社/1949年刊、のち文庫化)『紙上音楽会 レコードの選び方』(1950年/音楽之友社音樂文庫)など。 小林秀雄や吉田秀和は死んだらすぐに忘れられた
一方、宇野功芳や野村あらえびすは、死んでから何十年経ってもその人気が衰える事はない
本当に価値があるのはどっちか明らかだね 15時のほう行ってきたけど、やっぱりアンプがヘボすぎるな
家の8畳マンションのマッキントッシュプリメイン+カンタベリー15と比べて、解像度が全然ない >>558
野村あらえびすは、作家野村胡堂としてなんとか残っていて、一度文庫本が出たのは随分前に買ったが、一般のクラファンは知らないんじゃないか? 生きている人間ってのは、全く何をやりたいんだか、
何を言いたいんだかサッパリ分からない。
そこへいくと、死んだ人間ってのは大したもんだ。
その主張も評価もビシッと固まっている──
と言ったのは死んだ後の小林秀雄だったなあ。 >>562
「棺を蓋いて事定まる」 ですね、
特に文筆家は、「棺を蓋いて言さだまる」でしょう
>>561
「 あらえびす氏」を知っている人は少ないでしょう?
氏の著書は街の古書店でも見たことはほとんどなかったです。
おそらく知っている人は、家の書斎に収まっていた父親の古い愛読書を
読んだ人ではないでしょうか? SP の名盤を調べるには 野村あらえびす
モノラルの名盤を調べるには
20世紀的脱Hi-Fi音響論
http://quwa.fc2web.com/
LP・CD の名盤を調べるには 宇野功芳
最近の演奏家を調べるには
ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/
GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/
というのが定番だよね。
吉田秀和の演奏評は見当外ればかりで何の役にも立たない。
だから死んだらすぐに忘れられたんだ。 >>566
>最近の演奏家を調べるには
>ハルくんの音楽日記
>定番だよね
定番じゃないし
ハルくん、ハルくん、うるせーよ >>562
小林秀雄さんの言葉は、実は昔から言われていることばかりなのよ。
でも、エッセイで巧みに語られるので、読者は感心してしまって、
「そうだ!」「なるほど・・・」と納得し、共感するのよ。
そういう上手な説得法を吉田秀和さんは小林さんから学ばれたのよ。 戦前から戦後にかけて、山根銀二という批評家がいたな
朝日新聞に書いていた。
「アカ」い人という評判だった >>562
死んだ後w
「無常といふこと」もただの随筆だよなぁ
近代評論の祖みたいに教科書には載ってるが >>569
ベートーヴェンなんて著書もあったようだが、
いまや武満の曲を「音楽以前」と評した老害として知られてるくらいかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています