ベートーヴェン ピアノソナタ総合 その34 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>616
本人死ぬとは思ってないんだから
勝手に意義づけすんなって いや、長くないと思ってたんじゃないか?
最初からプログラム変更ならともかく
3楽章まで弾いて止めるってのは相当なことだぞ?
4楽章弾いたら死ぬと思ったから易しめのシューマンやシューベルトにしたのだと思う。 単に技術的な意味で選んだものとは思えない
正に別れの意味だよ曲目はもちろん 演奏それ自体
それを感じ取れないのならもう.....
いやなんでもない 単に技術的な意味で選んだものとは思えない
正に別れの意味だよ曲目はもちろん 演奏それ自体
それを感じ取れないのならもう.....
いやなんでもない モーツァルトが南アルプス登山とすると、ベートーベンは厳冬のチョモランマ登山
1番から10番は、一生懸命登攀中で7番で一休み
11番から20番中盤までは、登頂付近の絶景で、18番がてっぺん
27番以降は登攀の満足感を胸に、静かにお山を下りていく心境 >>623
頂上征服の満足感を胸に山を下りようとしたら
いきなり29でさらなる高峰を前にして絶望するんだな 南アルプス名物の泥臭くて長い樹林帯の登り(苦悩)から森林限界の絶景(歓喜)ってとってもベートーヴェンっぽいけど、どこ登ったんだろう(´・ω・`) ベートーヴェンは一曲一曲に個性を持たせているけど、ピアノソナタならピアノソナタ全体で見たときに、ベートーヴェンという一人の作曲家の生涯が大きな弧のように見えてくるんだよな
だからピアノソナタの全体を山脈に喩えるのは分かる話だ
遠くから見ると一つの稜線に見えても、登っている人間には、自然の造化が豊かで個性的な光景とした現われるものだ >>629
秀逸な解釈、しかし「遠くから見ると一つの稜線に見えても、登っている人間には、
自然の造化が豊かで個性的な光景とした現われるものだ 」は、難しい表現 文学的な表現だけど、言いたいことはわかる。
しかし、一本道ではないだろう。色々な稜線、色々な登山道がやがて一本に収斂していくおもしろさはありそうだな。 弾いたことないのだろうが、モーツァルトのソナタはみかけよりずっと難しいぞ モツのピアノソナタは聞いたことない初心者です
でも、演奏機会少ないんじゃない
ちなみに、ここはベトソナのスレですよ わはははは!
登山道の途中の水飲み場や休憩場所がモーツァルト。ベトソナスレの立場では。(^O^) >>630
陳腐だな
記述については小中学生にも失笑されるレベル >>629
音楽を言葉で表現するのは大変難しいと古代よりいわれるが、その難しい事業に
見事に成功している。
>自然の造化が豊かで個性的な光景とした現われるものだ
に、特に感心した。ベトソナの万華鏡のように千変万化する魅力をみごとにとらえている。 >光景とした現れる
に感動を禁じ得ない
音楽の新約聖書 という喩えに百倍するな
自然現象になぞらえているあたりで相当にアタマが良い
造化されたものが自然だしな 29番を園田とバックハウスで聞いてみた
下山途中に表れた、切り立つ断崖といったイメージ
園田で聞くと、それがやや恐怖となって滑落するのでは?といったイメージ
バックハウスの場合、その断崖が晴天の元、鮮やかに見えて、「絶景かな」ってイメージ
そういえば、園田先生の話題があまり出ませんね、このスレでは 塔の、園田氏のCD最終在庫セールに釣られて、ベトソナ集をいくつか注文
DENONから出てた旧盤も、金欠で組合に放出してしまったけど、
かつては持っていたんだけどなあ
ハンクラ第3楽章は、新旧両盤とも捨て難い 「年末になると、一般大衆は、第九、第九と騒ぐけど、
つうになると、ベトソナを園田で聞いてしみじみするもんだ」
なんて、誰かテレビで言ってたの思い出した 「私がベトソナを園田で聞いて間は部屋を覗かないでほしい」 「私の正体を見てしまったあなたとはもう一緒のスレで暮らしてはいけない」
バタバタバタバタバターー >>639
ケチを付けるつもりはサラサラないんですが……
>光景とした現れる?
「光景として現れる」の間違いなのでは?
私自身はベートーヴェンのピアノソナタを山脈に喩える意図はサッパリ分かりません。
悲愴ソナタ/ムーンライトソナタで「モーツァルトのK.310/331を超えられないと」悟ったベートーヴェンが、ピアノソナタでは「自分の行くべき道」を突きとめた音楽。
交響曲分野でジュピターを超えられないと悟ったベートーヴェンが「エロイカ」で交響曲をオペラに匹敵する音楽にしたにした点に似ている。
ピアノソナタは「熱情」でベートーヴェンのモーツァルトを超えようという頂点に達する。音楽の性質がまるで違うのでK.310との優劣はつけられない。
交響曲も5番でジュピターと対抗する音楽(優劣ではない)の頂点に達する。
作曲家としての苦しみはベートーヴェンの場合はこれ以降始まる。
ピアノソナタ作品109/110/111を経て、終着点は作品131だと個人的には思っている。
わたしのような凡人には遠く及ばぬ精神世界だが、この時、ベートーヴェンはモーツァルトは、モーツァルトK.622「2楽章」で遥か天空を駆けていた気がしたのではないか。
繰り返すが曲の優劣ではない。わたしの直観にすぎない。
はっきりしているのはモーツァルトにはその音楽を継ごうとする作曲家が皆無だったこと。こんな音楽を書いた作曲家は彼の前にも後にもいやしない。
ベートーヴェンの晩年の苦しみを誰よりも最初に理解したのがワグナーであること。リングはその結果生まれたと思っている。
もうひとりはブラームス。交響曲1番は傑作だが、ベートーヴェンとはまったく異なる音楽になってしまっている。
特に4番は1〜2度聴いたきり。
曲は短いが、ショパン/バラード1番(ルービンシュタイン番)のほうがわたしは遥かに好む。 >>650
オペラに匹敵する音楽ににしたにした(×)
オペラに匹敵する音楽ににした(◯)
ルービンシュタイン番(×)
ルービンシュタイン盤(◯)
失礼。 >>651
オペラに匹敵する音楽ににした(×)
オペラに匹敵する音楽にした(◯)
再度失礼。 >>650
The mediocre cannot understand the great. >>650
「ベートーベンはモーツァルトを超えようとした」で一貫していますが
はたしてそれだけどしょうか?
ディトワも言っている通り、ベートーベンは完璧な音楽を目指したのです
5番は、その完成形だと思っています
モーツァルトのような印象音楽とは違います
人間の尊厳を極めたベートーベンと、天賦の才だけで作曲したモーツァルトの軽い音楽と
比較してはいけません >>655
モーツァルトの場合、音楽家は貴族に使える立場で立ち位置は庭師以下だったとのこと。
他方ベートーヴェンは、貴族/平民を問わず「俺の音楽を聴け!」と言う芸術家としての意識を持った最初の音楽家であったのではないかと。
2人に優劣を付ける気はさらさらありません。私の人生には2人とも必要ですから。
この2人に次いでわたしが好む音楽家はヴィヴァルディです。ヴィオラ・ダモーレ協奏曲、調和の霊感を特に好んでおります。 >>653
>>639にレスするようなことじゃないよな 久し振りにTVを見ていたら、チョコレート(明治だったか?)のコマーシャルに、ベートーヴェンピアノソナタ31番2楽章冒頭が流れた。
頻りに聴きたくなりバックハウス盤をかける。やはり凄い音楽です。 犬にはまだ出てないな。23%クーポン還元が終わってから出るんだろうな わしはベーとベンを聞くときは、正座して聞いておる
モーツァルトは、かあちゃんに食器洗いを頼まれた時、BGMで流しとる
これがまた、結構はかどる
まあ〜それくらいの格の違いがあるということだ
ベトソナのスレだから、一応ベートーベンの肩を持っておく >>1
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俺はトイレでウンチするときはベートーベンだな。
ベートーベンを聴くと便座に座ってからすぐウンチがコンニチワしてくる。
まあ、それくらいの格ということだ。 犬が国内盤CDの10%クーポン還元を急に始めた
しかしレーゼルはまだ出てこない >>664
なかなかユニークなやつfだな
「合格!」 うちの会社にも、こういう人材も必要だ
昔の森重久弥の駅前社長の三木のり平のような人材だな ハンマークラヴィーアのオススメあります?
ずっとシュナーベルの演奏で聴いてて、評判の割にはいまいちな曲だなと思ってたが、バックハウスで聴いたらいい曲過ぎて泣いた
テンポって大事よなぁ シュナーベル下手だからな。しょうがない。
オススメはグルダ。何年のやつかは分からないがそんなに違わないと思う。 俺はシュナーベルの無茶苦茶なテンポで初めてOp. 106好きになれたわ >>667
656ですが、ハンマークラヴィーアのステレオ盤だけ、どうしてバックハウス盤は録音が悪いのでしょうかね?その所為かハンマークラヴィーアだけは「これだ!」という演奏に出会えておりません。
最高の聴きどころであるアダージョ、音が悪く残念でなりません。バックハウスのモノラル盤はやはり音が物足りません。
作品109/110/111が演奏、音ともに最高ですから無い物ねだりはしておりませんが。 >>670
バックハウスの29番はモノラルしかないでしょ
ステレオ版の全集もモノラル >>671
では「あれ(LP)」は疑似ステレオ盤という訳ですね。だから「あの妙な音」なんですね。
LP時代に聴いたきりですので、今のCDではどうなっているのか分かりませんが。
やはりギレリスなんかが良いんですかね?
内田光子盤には大変失望しました。
アニー・フィッシャー盤の作品109(洋盤HCD-31632)はバックハウス盤の次に気に入っているのですが、内田光子盤のハンマークラヴィーアを聴き、「女性にはベートーヴェンの後期ピアノソナタは無理だ」と思わせる典型だというのが私の認識です。 ここで質問繰り返したり駄文を弄してる暇があったら音源聞けばいいのに まず聴いてる自分が男か女か女の腐ったヤツなのか書けや>>670 >>674
ハンマークラヴィーアには、それ程の「思い入れが無い」証でしょう。
モーツァルトは言うに及ばず、「作品109」「後期弦楽四重奏曲」は片っ端から購入してましたから。
◆「作品109」→バックハウス、次点アニー・フィッシャー
◆「後期弦楽四重奏曲」→スメタナSQ
(作品130/大フーガのみラサールSQ) >>677
そりゃ、ハンマーグラビアなんて無様に間違えて何度も嘲笑われてたくらいだから思い入れはないんだろうな >>673
だからグルダだってば。
自分はバックハウスだの内田だのをいいとは言ってないぞ。
グルダだよ。29番なら。 デッカが(CDになってから)疑似ステレオを作ったことなんか、あったっけ? >>681
済まん
俺が持ってる(た)のはLPの全集で それには疑似ステレオと
解説してあった
CD化のはめぼしいのは買ったが全部は買ってない 29番も
どうせあの音だろうと買ってない CDでもLPでも擬似ステの記憶は無い
バックハウスのLP全集でも29番はモノラル >>680
君はデッカの回し者だな
きっと、グルだ!!!! グルダは迫力と爆発力はあるが
何とも音楽が軽く
音が平面的で立体感がないのが難点 今聴き比べたがLP全集は擬似ステCDはモノラル
擬似ステレオにする必要の無い美しい音でワロタ>CD なぜいまの日本ではバックハウスがこんなに人気があるのか?
1954年に一度来日しただけで、当時の日本の聴衆には人気が出なかったのにな・・・ >>658
自分もCM観ておっ、と思ったw
わざわざ31番2楽章を使った感じがして、
製作監督がこの曲に拘ったんだろうかw ワシ的には29番はソロモンじゃ
他のが悪いのではない、好き好きじゃ
皆んな好き好きじゃ 俺は、CDのライナーノーツに世紀の名演と書いてあったので好きになったのだ、
これでいいのだ!!!! ギレリスと全盛期ポリーニはタッチが強すぎて聴き疲れするんだよな >>687
「まともな」クラシック演奏会に出向いき出したのは……
(1)小澤征爾指揮のベートーヴェン交響曲9番(目白の聖カテドラル教会5列(辺り正確な記憶無し)中央)→→合唱団の人数が少なく迫力が今一不足、それ位の記憶しかない。チケット購入時、小澤征爾の俳優の兄にチケットを渡された事の方が記憶が鮮明。
チケット代金の半分がどこぞへの寄付金とかでえらく高かった。
それからだいぶ経て……
(2)ポリーニ初来日公演会(ベートーヴェンハンマークラヴィーア/サントリーホール10列辺り(正確な記憶無し)中央付近
→→ポリーニが弾き出した瞬間、「あ、オートグラフの音だ」ですからね。
演奏の記憶はまったく無し。
実演で聴いてもポリーニ、まったく記憶無いんですね。バックハウスとは真逆。 みんなベトソナ全集っていうとバックハウスやグルダを推すと思うけど
自分はギャリック・オールソンの全集が好き
なんで好きかって言われても「なんとなく」としか言えない
それでも好き >>696
>実演で聴いてもポリーニ、まったく記憶無いんですね。バックハウスとは真逆。
バックハウスの実演聞いたんですか?
何歳ですか? >>698
失礼。
所謂一流ピアニストの独奏演奏会を聴いたのはポリーニ初来日の時が最初です。
バックハウスの実演は聴いたことはありませんが、作品109/110/111の3曲には聴く度に感動をおぼえます。
実演を聴いたポリーニ(まだ30才前後のだったかと)、LPはジャケ買いしましたが、余りに機械的な演奏で、長期入院中に1000枚ほど処分したLPの中にも含まれておりました。
バックハウスはLP→CDのみのお付き合いですが、40年程手放さずにおります。
大好きな作品109も数年前にCDを購入し、作品109はバックハウスに次ぐ愛聴盤になっております。
その意味で真逆と申しました。 >>700
大好きな作品109も数年前にCDを購入し、作品109はバックハウスに次ぐ愛聴盤になっております。 (×)
大好きな作品109も数年前にアニー・フィッシャーのCDを購入し、作品109はバックハウスに次ぐ愛聴盤になっております。(◯) >>700
なるほど
バックハウスは録音のみで実演では聞けてないが、録音と実演で聞いたポリーニより断然記憶に残るという意味ですか
しかし、今度は
>大好きな作品109も数年前にCDを購入し、作品109はバックハウスに次ぐ愛聴盤になっております。
ここが分かりませんw
作品109はバックハウス以上の愛聴盤があるのでしょうか? 29番はソコロフが最高
ソコロフ聞くまではギレリスとぐるだがあればいいと思ってたけど >>696
記憶が定かでない、というよりデタラメ過ぎ。
認知症が相当進んでるね。
ここまでボケが酷いと、本人は幸せなんだろうけど周囲はたまらないだろう。
>ポリーニ初来日公演会(ベートーヴェンハンマークラヴィーア/サントリーホール10列辺り(正確な記憶無し)中央付近
(現実)
1974 ポリーニ初来日
サントリーホールなし
演目にハンマークラヴィーアなし
1978 来日3回目
演目にハンマークラヴィーアあり
1986 サントリーホール落成
1998 来日10回目
サントリーホール公演あり
演目にハンマークラヴィーアあり
ポリーニが来日公演でハンマークラヴィーアを演奏したのは1978,1989,1998,2005,2012
このうちサントリーホールでは1998,2005,2012の公演で演奏 >697
実際演奏家の好き嫌いなんて、みんななんとなくだよ
批評はそのなんとなくに無理やり理屈付けするだけのこと
実際に感性に合うか合わないかもあるし、どこかで見聞きした批評での思い込みや刷り込みもあるし、
それも全部含めての好き嫌いでいい なぜ日本ではバックハウスのベートーヴェンの評価が高いのか? バックハウスはあの欲の無い素っ気なさに
ハマるとモーツァルトもブラームスも
天井から降り注ぐ音楽に聴こえる バックハウスは清純で重みもあり神々しい素晴らしさがあるが
ベートーベンに関しては そのデモーニッシュなまでの迫力
狂気も含まれていると思うので その点は若干物足りないことも事実
まあ たまに嵌るリヒテルとかの演奏で部分補充するしかないと思っている >>705
サントリーホールでないとしたら、上野の文化会館ですかねえ?いずれかだとは思うのですが。
平均、年に10回ほど演奏会に出向いたとしても300回以上は出向いておりますので
◆感動した演奏(2006年オペラシティ最前列ややヴィオラ寄り/中村紘子&秋山和慶/モーツァルトK.446(最初に演奏されたフィガロ序曲の印象はあるが、K.466の後に演奏されたK.550の印象は全く無し))と
◆失望した演奏(2005〜2006年?晴海のトリトンスクエアにある◯◯生命ホール10列中央辺り/ザルツブルクモーツァルテウムK.550)
はハッキリ記憶しているんですがね。
まあ、目的は「生音(特に弦の音)を聴きに出向いていた」訳で、演奏会中も90%は目を閉じて聴いてますからね。
ウィーン国立歌劇場のモーツァルト魔笛公演会は上野の文化会館だったような?
コントラバスの音がチェロに聞こえるほど艶やかで軽いんですね。
まさに「モニターGoldAutographの音で鳴っていた」事はハッキリと記憶しておりますよ。 最近は演奏会も年に4〜5回に減りましたね。
12月末に秋山和慶&東京交響楽団/ベートーヴェン交響曲9番(サントリーホール◯列中央辺り)
来年2月にメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲+モーツァルトレクイエム(東京郊外の700名収容ホール最前列中央)
今の所チケットを所有しているのはこの2公演ですね。
そろそろ『音』ではなく、「音楽会?あんなの楽しみに行くんですよ」(小林秀雄)
そんな気持ちで出掛けたいものです。 >>705
ハンマークラヴィアばかり弾いてる印象だな レーゼル箱、あちこちのネットショップで登録され始めたが、
大元のキングレコードでは、発売日が 12/6 にこっそり変更されているな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています