>>317
「セリア(悲劇)は短調、ブッファ(喜劇)は長調」という原則からすると、ドン・ジョバンニ(セビリアの女たらし、あるいは石の客)は騎士長の場面以外はブッファだと思われ

因みにウィーンで「たわけた一日、あるいはフィガロの結婚」が不評だったのは、聴衆である貴族にとって奥方との冷戦&女中との情事というテーマがあまりに生々し過ぎたからで、いくら舞台がスペインのセビリアとゎいえ、みんな引いてしまった。
それを気の毒に思った皇帝ヨーゼフ2世が、モーツァルトを呼び出して貴族への毒を抜いたオペラをもう1作注文してあげて、みんなが楽しめる「コシファントゥッテ~恋人たちの学校〜」が生まれ、
ウィーン貴族へのコンプレックスがあるプラハでは大ヒットし、逆に(ウィーン)貴族への毒をさらに過激にして、婚約者マゼットの目の前で露骨なまでの女中ツェルリーナとの火遊び(お手を取って・薬屋の歌)=ドン・ジョバンニの受注に結び付いた。

フィガロの毒抜き版→コシ、フィガロの毒増し版→ドン・ジョバンニ、

>>319>>320
でもウォークマンで外出先で聴く時なんか、CDだとトラックが付いてて、(今のアリアもう一回!)なんて時、便利なんだよね

>>329
クレタの王イドメネオ(ミュンヘン選帝侯カールテオドールの謝肉祭用)、ローマ皇帝ティートの慈悲(レオポルト2世のボヘミア王戴冠式用)などオペラセリアって、
ルネサンスで見直された古代ギリシャ・古代ローマの物語に、バロックの宗教曲を被せてあるから、少し違和感があるけど、そこがまた面白い

さらに古代ローマ帝国(ラテン語)の後継者=神聖ローマ帝国(ドイツ語圏)においては、敢えてイタリア語で歌われることが、庶民には理解できない王侯貴族(支配者層)の特権だったのかも

映画「アマデウス」で、「クレタの王イドメネオ」を作曲したモーツァルトにドイツ語「後宮からの誘拐」を注文する時、特権階級にしか理解できないイタリア語にすべきか、庶民にも理解できるドイツ語にすべきか、
宮廷内のイタリア人グループとウィーン貴族の間で揉める場面が描かれる