クラシックで「大嫌い!」って曲ある?
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俺はマラ5のアダージェットかな
あれだけはリッピングするときに除外するし、
CDで聴くときも必ず飛ばすレベルで嫌い >>132
全く同感
ブラームスのピアノソナタは若書きの習作の域を出ていない。
力任せにピアノを叩くばかり。
それからシューマンが流石というのも完全に同意。
シューマンはその評論活動で、無名の作曲家の卵を「天才だ!」と持ち上げたことが2度あり、
それがシューマンの評論活動の最初と最後にあたる。
そのもう一人が誰あろうショパンで、これまた習作の作品2の変奏曲の楽譜を見て熱狂したというのだから恐れ入る。
シューマンの本物を見抜く鑑識眼は只者ではない。 >>121 >>123 >>130
同じく、ピアノソナタは、ベートーヴェンの方がモーツァルトより断然聴いていて面白い。
ただし、ピアノ協奏曲については、モーツァルトもベートーヴェンもどちらも貴重。
今まであまり見向きもしなかったモーツァルトのピアノ協奏曲第11番、昨年からなぜか急に大ファンになった。 モーツァルトは食べるためとはいえ、機会音楽みたいな曲しか残していない。ベートーヴェンみたいに自分の才能の最後の一滴まで絞り尽くすような作曲をしていたらどんな傑作ができたか、ふと思う。 >>135
そんなことはないぞ
メシアンの曲は綿密にシステマティックに書かれている >>137
古典ロマン派を得た出涸らしの中
システマティックな構築を主張されても
聴く方は苦痛
ジャズでも聴いてた方がマシ
例えばドナ・リー等はトーナルセンターが
希薄だが聴く者を快楽へと導く >>123
後半同意
基本モーツアルトあまり好きじゃないんだけど、子の習い事の関係で、誰もが言うモーツァルトピアノソナタの恐ろしさはよくわかった >>138
基本現代音楽に向かない耳なのは分かった
クセナキスやファーニホゥ聴いたら失神でもするんじゃないか
両者とも近代以前の作曲家とは比べ物にないくらい緻密なシステムで
書かれているんだけどね >>140
>>137だけど、クセナキスのシステムと称するものはかなり怪しいと思ってる
メシアンのシステムは聴覚上明瞭だが、クセナキスのは結局のところカオティックな響きを創出するためのこじつけに近い 聴覚上明瞭なのかどうかがシステマティックかどうかの基準なのか?
それなら、あなたは現代音楽の聴き手としては138と程度の上でしかかわらんな
メシアンには聴覚上秩序を聴きとれて、クセナキスはそうでないというのだから
逆に、例えばコンピュータの一様ランダムの出力する音と、
クセナキスの音楽を聴き比べて、後者の方がカオティックだと感じたのなら、
それはクセナキスが予め構築されたシステムによって、単調でないカオティックな音響を
創造することに成功した、ということだ >>142
言って置くが、クセナキスの作品自体は好きなものもある
ただ、あんな確率論とか持ち出さなくても創作は可能だと考えるということ
リゲティはあんなイカサマ的な理論持ち出さずに素晴らしい音響を表出してるしね >>142
つまり、クセナキスも実際には最終的には自分の感性によって音群を操作してるくせに
素人を煙に巻く為かどうか知らないが、必要以上に複雑な理論を持ち出してるに違いないと自分は思ってるということ ゲソって結局聴衆置き去りの
「こんな理論とか音響効果考えたオレ頭いいだろ」合戦じゃない。
内輪で勝手にやってろ、としか言いようがない。 現代音楽の成果は映画で使われていると思うけど、それらも嫌いって人は少ないと思うな。 その頭いいだろの響きを聴衆が楽しめるかどうか、ってことじゃね?
普段クナとかブルとか言ってるおっさんが「ペルセポリスすげー」って言ってたり、
年齢関係なくその響きを楽しめる聴衆もいれば、ただの雑音の固まりにしか聴こえない聴衆もいるわけで
みんなが>>145みたいに楽しめないわけじゃないので、聴衆置き去りなわけでもない 映画音楽も普通の人が観るようなのは現音使われてないわな UFO とか 宇宙人が出てくる映画には特に沢山使われている気が…
普通の人が観るの定義があれだと思うよ。
むしろロマン派位までのクラシックをそのままかける機会は減ってると思う。 >>152
2001年は普通の人が見るような映画かいな?
マーティン・スコセッシなんか「シャッター・アイランド」でペンデレツキの3番使ったりしてるし、このあいだのホドロフスキーの新作にも
忘れたけど現音使われてたな。
気が付いてないだけで結構使われてるんじゃね。 >>153
え?
あれ、日本でもずいぶん流行ったのでは? 映画音楽のゲソは殆んど状況説明とか
心理描写の効果音じゃん。
まあそれいったら映画音楽自体がそうだが。
武満の初期の映画観たことあるがどれも
お化け屋敷のBGMみたいな安っぽい感じだったぞ >>155
武満の劇伴はそんなんばっかじゃないじゃん。
この間早坂暁の追悼でやってた「夢千代日記」久々に見たら、やっぱり武満でなければ書けない音楽でシビれた。 >>155
武満の映画音楽最初期はむしろ抒情的なしっとりとした作品が多いぞ
「怪談」なんかはその後
>>157
夢千代日記はかなり後の作品ですね
でもやはり最高傑作は「波の盆」でしょう バロック厨の俺はゲソオソなんて理解できんわ
武満徹とかクセナキスとか何人かの作曲家のCD聴いたけど、ポカーンだった
好みなので否定はしないが、あれを本気でいい音楽だと思う人がいるのが信じられない 武満みたいなポップスとクセナキスを同列にされると違和感ある
バロックの精神とて、ルネサンスに対する反動みたいなもんだったんでしょ?
詳しくは知らんけど
現音なんてロマン派の否定どころか世代ごと、同期ごとの否定、否定の連続よ
それが過度に音楽をアカデミックにした要因であることは否定できんが、
精神的にはバロックの精神と言っていいんじゃないか
あと別に無理して聴くこともないけど
ペルト、タヴナー、80年代以後のペンデレツキとか思いっきりルネサンス・バロック風の旋法音楽かいてるよ >>160
ちょっとまって
武満にはポップな曲もあるけど、1960年代の曲なんかは厳しい響きの曲も多いぞ
図形楽譜のコロナとかさ
>>159
まあ、いいと思えない人に熱心に勧めるものではないと思ってる >>161
うん、知ってるよ。
60年代はみんな尖ってて面白い時代だったね、
ちょうどポストセリエルの時代と重なってて、晩年に良くも悪くも穏健になった人たちは
みんな尖った音楽書いてた
そういう意味では程度の差さえあれ武満もクセナキスも同じか、シュトックハウゼンも松村禎三も
クセナキスも晩年は日和ったし
発言は撤回するよ。スマソ >>160
同列にはしてないよ、聴いたことのある作曲家数人のうちの2人を挙げただけだから
さすがにその2人の作風が違うのは理解できるよ
>ペルト、タヴナー、80年代以後のペンデレツキとか
機会があったら聴いてみるよ、ありがとう ペッテションは現代音楽への橋渡しのような曲を残した。殆ど交響曲だけだけど。一度聴いてみそ。
人によっては曲の中に引きずり込まれるかもしれない。 >>124
フーガか?
3番は好きだが、バッハさん何であんなもの発明wしたのかねえ >>153
ペンデレツキと言えばデビッド・リンチもよく使うな >>145
現音は舞台系術の要素も強いから実際聴きに見に行くと面白い体験となるものもある ↑の関連だけど、シュットックハウゼンの「光」の完全上演はいつの日か?ワーグナー後最大の舞台音楽になるはずのもの このスレの趣旨に沿っていうと「大嫌い」は好きになる入口だね
大嫌いというのは自分の精神の平衡をかき乱したから、その反動の照れ隠しみたいなものなんだよね
大人になるに連れ醜い部分も受け入れられるようになると、その大嫌いな曲も好きになってる場合もある
一番悪いのは何も感じないということなんだろうなあ 女でもそうだよな >>165
たしかに交響曲は愛想が悪いかも…
オケ付きならヴィオラのコンチェルトとかの方がいいな
オケといえないかもしれんけど、弦楽のためのパルティータなんか
近代的な響きの上に民謡が漂って、わりといい感じ >>166
べつにオルガンやチェンバロでやるならいい
弦でやったら下の方が大変
ヴァイオリンの速いパッセージをバスもやらなきゃいけない >>173
お前が下手なだけだろ
ラズモフスキー3番の終楽章の早いパッセージには泣かされたわ・・・
あとショスタコの弦四12番はみんなヒーヒー言ってたな >>172
チェロ協奏曲1,2番もプラスしてあげて
でもオラトリオ「ギルガメッシュ」はいまだに理解できない
ヘンな曲だ、と思う。 >>174
当たり前だ、こどもというか初心者だったんだから
誤魔化しようもなく呆然としてるだけ、ってこどもには辛い
クラシックってみんなこんな難しいのかと絶望してたら、
その後弾いたロマン派の曲はそれほどでもなくてホッとした >>178
同意
運命という呼び方も大嫌い
交響曲第5番と呼んでほしい 自分は第7番とかの方が嫌いだな。
第9も子供の頃実演を聴きに行って
不愉快なことがあったせいで嫌い。 かつて別のスレッドでも話題になっていたが
トスカニーニ対フルトヴェングラーで言えば
マーラー、バルトーク、ヒンデミット
トスカニーニ 指揮しなかった
フルトヴェングラー 指揮した
ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽
トスカニーニ 火の鳥とペトルーシカの一部を指揮
フルトヴェングラー 全曲指揮(それだけのために
アメリカのオーケストラに客演したことがある)
ムソルグスキー
トスカニーニ 好んで指揮(特にラヴェル編曲の展覧会の絵)
フルトヴェングラー 積極的に取り上げた形跡はなし
大体こんな感じ。
どちらかといえばフルヴェンの方が新しい物を好んだようだ。 第九。
ドイツ人の誇大妄想が行くとこまで行ったトンデモ曲
第九から影響受けたワーグナーやブルックナーも全部嫌い
この曲のせいで音楽史がめちゃくちゃになった
あのクソダサいメロディーに感動するなんてどうかしてるわ ラヴェル編曲の「展覧会の絵」とか
要らないけどな。
ドビュッシー、ラヴェルとかどうも好きになれない。
あとストラヴィンスキーの3大バレー音楽も
要らんわ。 シュトラウスのばらの騎士
この上なく陳腐
インテリ気取りが好むイメージ
元帥夫人に共鳴する奴もクソだが、オックス男爵を人間味があるといって大人ぶる奴もクソ
そうなることを狙って作ったシュトラウスとホフマンスタールはクソ以下
同じ陳腐でも中二病的なサロメやエレクトラの方が数百倍マシ 歌劇、宗教曲も要らない。
というか声楽自体要らんわ。
古楽器演奏も
エネルギーの無駄だろう。
(声楽は昔の唄い方を
復元するのは無理な筈だから
古楽自体が無駄)
協奏曲とかも
大体うるさいだけだな。
北欧の音楽は
どのジャンルを聴いても気が滅入る。
イギリスの音楽も
エルガーの交響曲とか協奏曲とか
冗長なだけだな。 室内楽は基本聴かない。あんなスッカスカな音楽を聴こうと思わない。
器楽曲でピアノ・ソロは全般聴けるが、管楽器を使う曲(ソナタやソロ)が苦手。
音に厚みがないと不安になるというか、身の置きどころがなくなるというか・・・
だから好きなジャンルはいつまでたっても交響曲・管弦楽・オペラ等になってしまう。
はやく室内楽を心から楽しめる心境に達してみたいw >>182
ただでさえ第九はオーバーなのに、一万人の第九とか色んな意味でオーバーすぎて笑ってしまう さっきまで犬HKでやってたマーラー巨人
兎に角やかましいわ
ヘビメタのがまだ静寂 考えてみたらクラシックの名匠で
歌劇を作曲しなかった、あるいは作曲しても
人気作は残さなかったという人は珍しくないな。
そもそも音楽の父とやらのバッハは
歌劇を作曲しなかったわけで。
モーツァルトの交響曲は死後百年以上経った頃
ロシアで演奏された時に(恐らく聴衆の大半は
初めて聞いたのだろうが)まるで子供の音楽だと
笑われたという話があるが
確かにそうした部分はあるな。
ブルーノ・ワルターは遊戯的なやり方を嫌ったと
自伝の中で認めているが。
ベートーヴェンの交響曲も
エロイカとか要らないな。
誰かの葬儀の時に第2楽章が流れているのを
よく聴くがそうした方面の需要ならあるかも。
(某音楽史家によればベートーヴェンは
ナポレオンに会いたいという希望を持っていて
この曲を土産にする気でいたらしい。
所詮はそうした俗物根性に基づいて作曲された代物だ)
シューマンやブラームスも交響曲辺りは理屈っぽくて
特に聴きたいとは思わず。
はっきり言ってこの両名自体要らない。
あとマーラーも。ポスト・マーラーとやらのショスタコーヴィチも
要らないな。ポスト・マーラーという言葉は所詮はレコード会社の
宣伝文句ではなかったか。確かCDが出始めた頃に聞き始めた言葉だ。
特にマーラーは長大でCDに合っていたからな。 言い忘れたが国民楽派の音楽も
大体要らないから。
ああ、わざわざ言わなくても良いかw わざとバカなこと書いて構ってほしいんだろう
スルーでいいよ バッハの管弦楽組曲第3番の終曲を聴くと
ルーティンというか、退屈な毎日という
言葉を連想する。
チャイコフスキーは交響曲第4番で
やはりルーティンを表現したかったらしいが
何十分かの交響曲よりバッハの数分間のほうが上だな。
つまりチャイコフスキーは芋作曲家。
そういえば悲愴を友人と一緒に聴いた時
第4楽章でついに笑い出すということもあったな。
あまりに表現が泥臭かったから。
(フルトヴェングラーのSPは世評が高いが
よく聴けば第4楽章辺りは多少投げやりに指揮している
感じもあった。ちなみに小生が友人と一緒に聴いたのは
ステレオ初期のゴルシュマン指揮のレコード)
トスカニーニは悲愴を指揮する時は
いつもより罵声が多かったというが
無理して指揮するほどの価値があったかどうか。
(フィラデルフィア管弦楽団のメンバーが
トスカニーニ批判の文章を書いているのを
見かけたことがあるが、発端は悲愴のリハーサルの時に
揉めたことらしい。当時のフィラデルフィア管弦楽団が
ストコフスキーヤオーマンディの影響力が強かったせいも
あるのだろうが)
19世紀の作曲家というのは
どうも芋が多いな。 ヴァーグナーの歌劇楽劇と、ヴェーゼンドンク歌曲集以外の作品すべて
この人の声楽じゃない作品はうんち 紛らわしい書き方になってしまった
正確には歌劇と楽劇とヴェーゼンドンク歌曲集を除いた作品全て >>201
少々意地の悪い質問だけど、では例えばタンホイザー序曲とか、
ワルキューレの騎行なんかを取り出したら、それはうんちですか? 有名作曲家で卒業制作に
ベートーヴェンの歓喜の歌を
もじった曲を書いたという
香具師が何人かいるからな。
(チャイコフスキー、ファリャ等)
あとブラームスの交響曲第1番の
第4楽章の主要テーマが
歓喜の歌に似ているというのも
初演当時から指摘されていることで。
我こそベートーヴェンの後継者、という
ナルシシズムなのだろうが
ある種の思い上がりとも言えるわけで。
この作曲家達の他の作品のレベルにも
精神の浅さみたいなのは
はっきり表れているな。
シューマンみたいに筆が立って
他の作曲家達(特に歌劇系)への攻撃に熱心だったが
最後は自壊、というケースもあったな。
本人が作曲家としても演奏家としても
落第品だったから無理もないか。 >>203
シューマンはそんな一筋縄ではいかないものがあると思う
若い頃の、例えば幻想小曲集やクライスレリアーナなんかのあるものは、
発想がそれまでのどの曲からもぶっ飛んでて、これこそ天才だと思わせるものがある ワーグナーの楽劇全般
誰か天才的な人が出て来て、ハイライトのみで短くして欲しい。
疲れる それな
ハイライト全集作って欲しいわ
物語なんてほんとくだらなくて大したことないのに イスラエルって国ではワーグナーは演奏会はもちろん、テレビ、ラジオ放送、CD販売一切禁止なのか? なんかうろ覚えだけど、
どっかのドイツオケの何百周年だかにプフィッツナーの大作「ドイツ精神について」を
公演しようとしようとしたらイスラエルがいちゃもん付けたんじゃなかったっけ? >>207
タンホイザーとリングならマゼールがライトモチーフつなげて1枚に収めたディスクがあるけど 松本零士が指輪を漫画にしたやつのアニメにBGMで付いてるだろ シューマンの歌曲。
恋愛至上主義みたいな感じを、音楽に加え言葉でシコシコやるのがついていけない
ピアノだけでやるのは熱に浮かされた感じでいいけれど
もろ言葉になっているのはチョットね。
他のロマン派の作曲家も大幅に異なるわけではないけれど何故かシューマンの歌曲だけは・・
苦手 >>209
サンクス
ワーグナーだけでなく他にもいるようですね マーラーは嫌いじゃないけど5番終楽章のフィナーレは好きになれない 聞くだけなら嫌いと言うのはないな。分からない曲ならあるけど。
ただ、オペラの現代化された演出はすべていや。
演出家の自己満足だけだろ。 チャイ4とチャイ6は凄い好きなんだけどチャイ5が好きになれない 逆だな。(^O^)
第一、第五はよく聴くが、あとは滅多に聞かない。ただ、アーベントロートとかシューリヒトとか名人芸的な演奏ならたまに聞きたくなる。 チャイコフスキーの交響曲第4番は
冒頭の金管のサウンド自体失笑ものだな。
ムラヴィンスキーはある時期から
この曲を全然指揮しなくなったらしいが
確かに頭脳優秀者には向くまい。
そういえば宇野功芳は
チャイコフスキー自体があまり好きではないと
いっておきながらフルトヴェングラー指揮の
この曲は激賞していたが
本当は曲も演奏もつまらないのだろうと
逆読みしてやったわ。
ワーグナーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスは
存在自体が失笑もの。
確か宇野はムラヴィンスキー指揮の
ワーグナーもけなしていたが
この3作曲家も頭脳優秀者には向くまい。 >>223
あたかも自分が頭脳優秀者といいたげなお前さんこそ失笑もの
まさに便所の落書きレベルw ドボルザークは好きなんだが、部分的にダセえところが最悪。 ラヴェルのボレロって同じフレーズの繰り返しだから好きじゃなかったけど、
今は好きだ。 モーツァルトの曲は嫌い
それ以外で嫌いな作曲家とか曲は無いね ブルックナー 交響曲第3番(全楽章)と
第4番、第7番の終楽章、大嫌い。 マーラーの交響曲3番ってあのトランペットの属7がしんどい。
来年1月に演奏会があるけど好きになれるだろうか?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています