クラシックで「大嫌い!」って曲ある?
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俺はマラ5のアダージェットかな
あれだけはリッピングするときに除外するし、
CDで聴くときも必ず飛ばすレベルで嫌い >>86
チャイコフスキーはゆるゆるな感じだけど、悲愴にだけは脱帽する
あれは傑作と認めざるを得ない 悲愴にダメ出しとか中二病っぽいが
ブル4にはやや同意する
通俗名曲扱いされるわりには退屈で聴いてられん >>90
ブルックナーで退屈とはほめ言葉に他ならないからね チャイ子の交響曲4番ええよ
オペラはきついな、イオランタはいいけどあれもオペラじゃない何かとして楽しんでる Rシュトラウスの器楽曲全般
オペラや歌曲はいいのに楽器だけだと何かダメ >>83
魔王は私が中学時代に授業で鑑賞して
クラス中不評でしたな(私も嫌い)
詩を書いたゲーテにも不評だったとか >>98
一般に評価高いものを敢えてけなすのは高二というらしい ミサ曲とかレクイエム、受難曲、
ああいったキリスト教丸出しの曲は大嫌いだ。
どうしても好きになれん。 >>104
歌詞なんて無視して割り切ればいいのに
当時の人だっていちいち歌詞の意味なんて考えてないでしょ >>104
ということはロ短調ミサもマタイ受難曲も、モーツァルトのレクイエムも良さがわからないということですか
それはうらやましい
というのも、人生にまだまだそれらの宝の山に気付く機会を残していらっしゃるからです
きっといつの日にか、忽然とそれらの曲の素晴らしさに気付かれる日が来ることでしょう >>106
あら素敵
こういうレスが出来る人に俺もなりたい >>111
シェヘラザードだけはなかなか良いと思うが、あとの曲は同感 北欧の音楽。なんか出てきそうな雰囲気が怖い。友人が聴いてみなとペッテションの交響曲第七番を寄こしたので聴いた。始めから10分も経たないうちに、こんな曲聴いてられるか! >>106
モツレクはワルターのLPあるけど
A面しか聴かなかった。
ラクリモーザまで。
あとは弟子の付け加えだから
一度も聞いた事がなかった。
だからK626なんて作品番号がふってあるのは
おかしいと思うんだ。
モツにとっては未完成の作品にすぎない。
一昨年に西本智実指揮でモツの戴冠式ミサやってたけど
眠いだけやったわ。 自分は以前平均律が退屈で、こんなのが鍵盤楽曲の旧約聖書って呼ばれてるのかぁ・・って不思議だったけど、今では全クラシック曲の中でも一番好きな位好きになった。
オルガン曲も、オルガンの音自体全然受け付けなくてむしろ嫌いだったんだけど、最近突然好きになって、バッハは勿論スウェーリンクやブクステフーデなんかも毎日聴くようになった。
いつか歌物と、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に感動出来る日が来ればいいなぁ。 オルガンだったらレーガーだな
俺もオルガンの音色って嫌いな方だけど、
レーガーは曲の凄さがそれを凌いでる
もちろんバッハも
ブクステフーデは全集買ったけど一回も聴いてないや 私はモーツアルトのピアノソナタは苦手です。
大嫌いまではいかないけれど進んで聞かない
加えて曲によって出来不出来の差もかなり有る気もするんだが
どうなんだろう ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲第1番第1楽章
何故か気持ち悪い
第2楽章も結構気持ち悪い >>121
わかります。
モーツァルトのピアノ協奏曲は大好きなんですが、自分もピアノソナタはちょっと物足りないというか、今ひとつピンときません。
逆にベートーヴェンはピアノソナタは大好きなんですが、ピアノ協奏曲はどうもピアノが余計な気がしてあまり好きになれません。 バッハのブランデンブルクの3番
弾いた時の辛い思い出
スレをざっと見たけど、こういうレス無いな
本番で失敗してトラウマってわりとあると思うが >>124
それなら俺はブラームスのハンガリー舞曲第5番だわ
30年経ってるのに、未だに小学生の時の嫌な思い出が残ってる よし、認知療法と思って、辛い思い出を自分は悪くないのに、と脚色して書こうず。 >>125
そういうのが「大嫌い」というのはある
でも聴いてて入ってこないのは、「よくわからない」から「大嫌い」まではいかんな
そもそもわからない時点でちゃんと聴けてないから、「嫌い」とまで断言できない 最近聴いたメシアンのオルガン曲(曲名わからん)が怖い夢に出てきてヤバかった >>123
同意!好みが全く同じだ。ただ、モーツァルトを弁護するけど、ピアノソナタは教材用に作曲したものがほとんど。ベートーヴェンのように己の作品を世に問うものではなかった。けれど、16番なんかモーツァルトしか書けない曲であるのも事実。16番以外はいらね。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲は無くてもいい。( ^ω^ ) >>128
メシアンはデタラメなんかじゃないよ
常に秩序を重んじている ブラームスの作品は殆ど好きなのに、
ピアノソナタだけは何度聞いてもだめだ
1番の楽譜を見て「生まれながらの天才を発見したよ!」と褒め称えたシューマンは流石だと思う >>132
全く同感
ブラームスのピアノソナタは若書きの習作の域を出ていない。
力任せにピアノを叩くばかり。
それからシューマンが流石というのも完全に同意。
シューマンはその評論活動で、無名の作曲家の卵を「天才だ!」と持ち上げたことが2度あり、
それがシューマンの評論活動の最初と最後にあたる。
そのもう一人が誰あろうショパンで、これまた習作の作品2の変奏曲の楽譜を見て熱狂したというのだから恐れ入る。
シューマンの本物を見抜く鑑識眼は只者ではない。 >>121 >>123 >>130
同じく、ピアノソナタは、ベートーヴェンの方がモーツァルトより断然聴いていて面白い。
ただし、ピアノ協奏曲については、モーツァルトもベートーヴェンもどちらも貴重。
今まであまり見向きもしなかったモーツァルトのピアノ協奏曲第11番、昨年からなぜか急に大ファンになった。 モーツァルトは食べるためとはいえ、機会音楽みたいな曲しか残していない。ベートーヴェンみたいに自分の才能の最後の一滴まで絞り尽くすような作曲をしていたらどんな傑作ができたか、ふと思う。 >>135
そんなことはないぞ
メシアンの曲は綿密にシステマティックに書かれている >>137
古典ロマン派を得た出涸らしの中
システマティックな構築を主張されても
聴く方は苦痛
ジャズでも聴いてた方がマシ
例えばドナ・リー等はトーナルセンターが
希薄だが聴く者を快楽へと導く >>123
後半同意
基本モーツアルトあまり好きじゃないんだけど、子の習い事の関係で、誰もが言うモーツァルトピアノソナタの恐ろしさはよくわかった >>138
基本現代音楽に向かない耳なのは分かった
クセナキスやファーニホゥ聴いたら失神でもするんじゃないか
両者とも近代以前の作曲家とは比べ物にないくらい緻密なシステムで
書かれているんだけどね >>140
>>137だけど、クセナキスのシステムと称するものはかなり怪しいと思ってる
メシアンのシステムは聴覚上明瞭だが、クセナキスのは結局のところカオティックな響きを創出するためのこじつけに近い 聴覚上明瞭なのかどうかがシステマティックかどうかの基準なのか?
それなら、あなたは現代音楽の聴き手としては138と程度の上でしかかわらんな
メシアンには聴覚上秩序を聴きとれて、クセナキスはそうでないというのだから
逆に、例えばコンピュータの一様ランダムの出力する音と、
クセナキスの音楽を聴き比べて、後者の方がカオティックだと感じたのなら、
それはクセナキスが予め構築されたシステムによって、単調でないカオティックな音響を
創造することに成功した、ということだ >>142
言って置くが、クセナキスの作品自体は好きなものもある
ただ、あんな確率論とか持ち出さなくても創作は可能だと考えるということ
リゲティはあんなイカサマ的な理論持ち出さずに素晴らしい音響を表出してるしね >>142
つまり、クセナキスも実際には最終的には自分の感性によって音群を操作してるくせに
素人を煙に巻く為かどうか知らないが、必要以上に複雑な理論を持ち出してるに違いないと自分は思ってるということ ゲソって結局聴衆置き去りの
「こんな理論とか音響効果考えたオレ頭いいだろ」合戦じゃない。
内輪で勝手にやってろ、としか言いようがない。 現代音楽の成果は映画で使われていると思うけど、それらも嫌いって人は少ないと思うな。 その頭いいだろの響きを聴衆が楽しめるかどうか、ってことじゃね?
普段クナとかブルとか言ってるおっさんが「ペルセポリスすげー」って言ってたり、
年齢関係なくその響きを楽しめる聴衆もいれば、ただの雑音の固まりにしか聴こえない聴衆もいるわけで
みんなが>>145みたいに楽しめないわけじゃないので、聴衆置き去りなわけでもない 映画音楽も普通の人が観るようなのは現音使われてないわな UFO とか 宇宙人が出てくる映画には特に沢山使われている気が…
普通の人が観るの定義があれだと思うよ。
むしろロマン派位までのクラシックをそのままかける機会は減ってると思う。 >>152
2001年は普通の人が見るような映画かいな?
マーティン・スコセッシなんか「シャッター・アイランド」でペンデレツキの3番使ったりしてるし、このあいだのホドロフスキーの新作にも
忘れたけど現音使われてたな。
気が付いてないだけで結構使われてるんじゃね。 >>153
え?
あれ、日本でもずいぶん流行ったのでは? 映画音楽のゲソは殆んど状況説明とか
心理描写の効果音じゃん。
まあそれいったら映画音楽自体がそうだが。
武満の初期の映画観たことあるがどれも
お化け屋敷のBGMみたいな安っぽい感じだったぞ >>155
武満の劇伴はそんなんばっかじゃないじゃん。
この間早坂暁の追悼でやってた「夢千代日記」久々に見たら、やっぱり武満でなければ書けない音楽でシビれた。 >>155
武満の映画音楽最初期はむしろ抒情的なしっとりとした作品が多いぞ
「怪談」なんかはその後
>>157
夢千代日記はかなり後の作品ですね
でもやはり最高傑作は「波の盆」でしょう バロック厨の俺はゲソオソなんて理解できんわ
武満徹とかクセナキスとか何人かの作曲家のCD聴いたけど、ポカーンだった
好みなので否定はしないが、あれを本気でいい音楽だと思う人がいるのが信じられない 武満みたいなポップスとクセナキスを同列にされると違和感ある
バロックの精神とて、ルネサンスに対する反動みたいなもんだったんでしょ?
詳しくは知らんけど
現音なんてロマン派の否定どころか世代ごと、同期ごとの否定、否定の連続よ
それが過度に音楽をアカデミックにした要因であることは否定できんが、
精神的にはバロックの精神と言っていいんじゃないか
あと別に無理して聴くこともないけど
ペルト、タヴナー、80年代以後のペンデレツキとか思いっきりルネサンス・バロック風の旋法音楽かいてるよ >>160
ちょっとまって
武満にはポップな曲もあるけど、1960年代の曲なんかは厳しい響きの曲も多いぞ
図形楽譜のコロナとかさ
>>159
まあ、いいと思えない人に熱心に勧めるものではないと思ってる >>161
うん、知ってるよ。
60年代はみんな尖ってて面白い時代だったね、
ちょうどポストセリエルの時代と重なってて、晩年に良くも悪くも穏健になった人たちは
みんな尖った音楽書いてた
そういう意味では程度の差さえあれ武満もクセナキスも同じか、シュトックハウゼンも松村禎三も
クセナキスも晩年は日和ったし
発言は撤回するよ。スマソ >>160
同列にはしてないよ、聴いたことのある作曲家数人のうちの2人を挙げただけだから
さすがにその2人の作風が違うのは理解できるよ
>ペルト、タヴナー、80年代以後のペンデレツキとか
機会があったら聴いてみるよ、ありがとう ペッテションは現代音楽への橋渡しのような曲を残した。殆ど交響曲だけだけど。一度聴いてみそ。
人によっては曲の中に引きずり込まれるかもしれない。 >>124
フーガか?
3番は好きだが、バッハさん何であんなもの発明wしたのかねえ >>153
ペンデレツキと言えばデビッド・リンチもよく使うな >>145
現音は舞台系術の要素も強いから実際聴きに見に行くと面白い体験となるものもある ↑の関連だけど、シュットックハウゼンの「光」の完全上演はいつの日か?ワーグナー後最大の舞台音楽になるはずのもの このスレの趣旨に沿っていうと「大嫌い」は好きになる入口だね
大嫌いというのは自分の精神の平衡をかき乱したから、その反動の照れ隠しみたいなものなんだよね
大人になるに連れ醜い部分も受け入れられるようになると、その大嫌いな曲も好きになってる場合もある
一番悪いのは何も感じないということなんだろうなあ 女でもそうだよな >>165
たしかに交響曲は愛想が悪いかも…
オケ付きならヴィオラのコンチェルトとかの方がいいな
オケといえないかもしれんけど、弦楽のためのパルティータなんか
近代的な響きの上に民謡が漂って、わりといい感じ >>166
べつにオルガンやチェンバロでやるならいい
弦でやったら下の方が大変
ヴァイオリンの速いパッセージをバスもやらなきゃいけない >>173
お前が下手なだけだろ
ラズモフスキー3番の終楽章の早いパッセージには泣かされたわ・・・
あとショスタコの弦四12番はみんなヒーヒー言ってたな >>172
チェロ協奏曲1,2番もプラスしてあげて
でもオラトリオ「ギルガメッシュ」はいまだに理解できない
ヘンな曲だ、と思う。 >>174
当たり前だ、こどもというか初心者だったんだから
誤魔化しようもなく呆然としてるだけ、ってこどもには辛い
クラシックってみんなこんな難しいのかと絶望してたら、
その後弾いたロマン派の曲はそれほどでもなくてホッとした >>178
同意
運命という呼び方も大嫌い
交響曲第5番と呼んでほしい 自分は第7番とかの方が嫌いだな。
第9も子供の頃実演を聴きに行って
不愉快なことがあったせいで嫌い。 かつて別のスレッドでも話題になっていたが
トスカニーニ対フルトヴェングラーで言えば
マーラー、バルトーク、ヒンデミット
トスカニーニ 指揮しなかった
フルトヴェングラー 指揮した
ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽
トスカニーニ 火の鳥とペトルーシカの一部を指揮
フルトヴェングラー 全曲指揮(それだけのために
アメリカのオーケストラに客演したことがある)
ムソルグスキー
トスカニーニ 好んで指揮(特にラヴェル編曲の展覧会の絵)
フルトヴェングラー 積極的に取り上げた形跡はなし
大体こんな感じ。
どちらかといえばフルヴェンの方が新しい物を好んだようだ。 第九。
ドイツ人の誇大妄想が行くとこまで行ったトンデモ曲
第九から影響受けたワーグナーやブルックナーも全部嫌い
この曲のせいで音楽史がめちゃくちゃになった
あのクソダサいメロディーに感動するなんてどうかしてるわ ラヴェル編曲の「展覧会の絵」とか
要らないけどな。
ドビュッシー、ラヴェルとかどうも好きになれない。
あとストラヴィンスキーの3大バレー音楽も
要らんわ。 シュトラウスのばらの騎士
この上なく陳腐
インテリ気取りが好むイメージ
元帥夫人に共鳴する奴もクソだが、オックス男爵を人間味があるといって大人ぶる奴もクソ
そうなることを狙って作ったシュトラウスとホフマンスタールはクソ以下
同じ陳腐でも中二病的なサロメやエレクトラの方が数百倍マシ 歌劇、宗教曲も要らない。
というか声楽自体要らんわ。
古楽器演奏も
エネルギーの無駄だろう。
(声楽は昔の唄い方を
復元するのは無理な筈だから
古楽自体が無駄)
協奏曲とかも
大体うるさいだけだな。
北欧の音楽は
どのジャンルを聴いても気が滅入る。
イギリスの音楽も
エルガーの交響曲とか協奏曲とか
冗長なだけだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています