※ドビュッシー・ファンの集うスレ※その9
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男は一生に一つ仕事をすれば良い。
俺は満州事変をやった、というのは関東軍の存亡、石原莞爾の言葉だったか。
一つ輝く仕事が出来ればいいんじゃない。ほとんどは花さかないままだから >>190
滑ってるから皆が優しくフォローしてくれてるんだろ >>165
最近のクラシック?楽部もそうだけど、演奏者が演奏前に偉そうに講釈して、後から弾くパターンは止めてほしい
肝心の演奏がショボかったら本当にがっかりするし、演奏者は何より演奏で自分自身と曲と作者を語るべきだろう
児嶋桃には本当にがっかりしたw 児玉さんの7月のピアノリサイタル行きたかった
(ドビュッシーのエチュード、ラヴェルの夜のガスパール、メシアン) >>189
ドビュッシーは作曲だけ、それで永遠に輝く、
リストは作曲と演奏だが、演奏は伝説だけが残った ドビュッシーの前奏曲集でお勧めの奏者、CD教えて
昔の人と現役、両方教えてくれると嬉しい
ミケランジェリとポリーニは持ってるからほかの人で >>197
そうね、録音は古いけどギーゼキング、ベロフの旧盤('70) 新しいところでは、小川典子あたりは一聴に値する名演。 F Chaplinの演奏をよく聴く。全集にもなってるのが良い。ドビュッシーの曲は奏者に関わらず楽しめる気がするので、新しい録音を好んでる。 「ペレアス・・・・」は日本では上演されない。
生誕何年とかでも、最高傑作はやれない日本楽界 ペレアスは若杉弘の指揮で聴いたなあ
今年はミンコフスキが金沢とやるんだっけ 音楽と言葉の響きは美しいけど、それだけで三時間は辛い
25分くらいの演奏会用のでいいやと思ってしまう >>204
ドビュッシーの世界にたっぷり浸れる幸せな3時間だよ。
金沢公演は楽しみ 長いったって、ワグナーの長さのほうがきつい。
長くても聴衆を厭きさせない、というセンスはR・シュトラウス、プッチーニ
ヴェルディのほうがある。
オッフェンバック、グノーやマスネーなども職人なんだね。オペラも芝居である以上
そういうセンスが大事 「海」くらいのダイナミズムがあればいいんだけど、
「ペレアス」はほわほわほわ〜と、音と香りが夕暮れの大気に漂ってばかりで 俺も昔はペレアス苦手だったけど、歌なしで20分くらいにまとめた交響曲を聴いてなんとなく魅力を感じてそれから全曲にもハマった
なんというか、ドビュッシーがあれだけ感情が乗せて作った音楽はこのオペラが最初で最後なんじゃないかと思う ペレアスとメリザンドはドビュッシーの作風が開花していくどちらかといえば
初期のころに作られて良かったと思う。
自分の印象ですがより平易で甘美な雰囲気な作風の初期の頃。
もっと作風が開花し発展していった頃に作曲されていたら偉大かもしれないが、
ちょっと取っ付きにくいものになってしまったのでは。 もっと後期に作られた「セバスティアンの殉教」は純オペラでないけど、
ちょっと取っ付きにくいですよね。
「ペレアス〜」のほうが親しみ易い ペレアス、優しい、そう・・・この劇そのものね、哀しい運命を負った人たちの
物語にふさわしい音楽ですわ ペレアス、優しい、そう・・・この劇そのものね、哀しい運命を負った人たちの
物語にふさわしい音楽ですわ >>209
>放射能が漂うよりマシ
キエフのことを言っているのか、東京のことを言っているのか
(キエフだとムソルグスキーか) 海を謳った曲は良い曲が多いわね♪♪
我は海の子、白浪の・・・
松原遠く消ゆるところ・・・
あした浜辺をさ迷えば、昔のことぞ偲ばるる・・・
トレネの「ラ・メール」
海行かば・・・ 海はブーレーズ盤が好きだす
印象派のイメージからは遠くて、もっと抽象的かつ硬質で澄み切っている ドビュッシー若書きの放蕩息子、初めて聞いたけれど良いですね
クリュイタンス指揮のRAIトリノ交響楽団演奏の放送用録音(1962年)。
こんなにもクリアなそして素晴らしい録音とは知らなかった
オネゲルとカップリング オーケストラアンサンブル金沢/ミンコフスキのペレアスとメリザンド、金沢公演良かったよ。
作曲家の創作時の版らしく間奏曲が短いところがあり、あれっと思ったけれど解説に書いてあった
なかなか実演で接する機会がない作品なので、一生の良い思い出になった。
私自身の感動はやばいレベルで、3時間はあっという間であった。 「ペレアス 」を1回で好きになることはないけどね、
3回ぐらい聴いて、初めて目覚めるw
5回で完全にはまるw >>229
今時オペラの実演にいきなり接したりはしないだろうね。
十分に録音で聞いた上で実演に接している人がほとんどでしょう。
今回初めてペレアスとメリザンドの実演を聞いて、
改めてワグナーの楽劇を聴きたくなった http://www4.nhk.or.jp/meiensou/x/2018-08-05/07/68754/4665441/
8月5日日曜
NHKFM 午前9時00分〜 午前11時00分
名演奏ライブラリー ▽没後100年 ドビュッシーゆかりの音楽家による録音を聴く >>232
メリー・ガーデン、ドビュッシー自身のピアノロール、
マルグリット・ロン、アンゲルブレシュト、モントゥー
ピエルネ、などの演奏だった。
全部は聞いていないけれど、こういうのをまとめて聞くのは面白かった 田村ゆかり
二階堂ゆかり
山本ゆかり
宇佐美ゆかり
他にもいるはずなんだけど思い出せない
顔は思い浮かぶのに >>238
あきらめなさい。すべてをあきらめるのです。 みなさんはペレアスとメリザンド,誰の演奏を聴いてるの?
私はセルジュ・ボド。10人くらい聞いてこれとブーレーズ70年に落ち着いた ツジイさんは音は綺麗なんだけど、何が言いたいのか全く分からないから退屈 あの人の世界では退屈はないのです。
我々の世界では退屈は沢山ある 今日のオペラ・ファンタスティカペレアスとメリザンドだ
ちゃんと聞いたことないんだわ 一昨日上野であったピアノ独走曲全曲演奏会はどう思われましたか。
一人も美人さんがいなかったのが意外でした。 そう?俺は最近まで海ってタイトルなのに全然海っぽくないから敬遠してたわ
絶対主義音楽として聞いたら美しい >>257
タイトルのせいで振り向いてもらえる機会が多いと思うんだよね
マーラーの交響曲のタイトルなんて根拠ないと言われながらもなかなか消えないのも
そういうことだろう
俺も個人的にはタイトルの類は無視して聴いてることが多いんだけど
そういうものがあると何か分かった気になる人も大勢いるみたいで、
「家庭交響曲」の或る箇所を「ここでリヒャルト射精」なんてコメントしてるのもあったw 自分は初めから海をすごく感じたよ。
それを度外視しても海を初めて聞いたときは衝撃を受けたものだった 「タイトル」の付け方となると、日本語の付け方によっても影響が
出てくる。
ドビュッシーの曲は日本語の表題で得している曲と、損をしている曲
ある。
「牧神の午後への前奏曲」、「小舟にて」
ピアノ曲で、「水の反映」「月の光」「亜麻色の髪の乙女」「アラベスク」
「グラナダの夕暮れ」「帆」「雨の庭」「花火」などは邦題で惹きつける
だろう。
「遊戯」「夜想曲」
ピアノ曲の「運動」「塔」などはダメな日本語のタイトル。
「月の光」も「月光」と書くより良い。 ピアノ曲でいえば「沈める寺院」は素晴らしいタイトルだと思う ドビュッシーは独特の調性を持っていると聞いたことがありますが、どういうことでしょうか? >>262
アラベスクはカタカナに直しただけでしょw ドビュッシーが出たから、ラヴェルの曲のタイトルを一望しました。
三つの曲の日本語タイトルは、私には「良い」と思いました。
「水の戯れ」「ラ・ヴァルス」「マ メール ロワ」
「水の戯れ」を「噴水」などと訳さなかったのはよかった、
「ラヴァルス」を「円舞曲」としなかったのは非凡です。
特に感心するのは「マ メール ロワ」ですよ、原語のまま。
これも日本語に訳するよりいいです。 >>265
全音音階が好きだったってことじゃないのか?
それとも何か別の >>263
題名を原語から日本語へ訳すときに、NHKや大学など言葉の専門家が
集まっている委員会が検討して決めているのかしら? そんなことしないよ(特殊なケースは別にして普通は)
翻訳なんて本当にいい加減な世界だから
単に初期に本とかレコード解説とかで訳されたものが普及して定着しただけ
後から置き換えられることはあるにしても 「月に浮かれたピエロ」だの「追複曲」(フーガのこと)だのは駆逐されたけど
「アイオリスの人々」はそのまんまだな ドビュッシーは前奏曲の表題を控え目に書いたそうです。
それでも、今では「前奏曲集」を番号で語る人はいない、
表題が定着しました。
「前奏曲集 2巻」の「交替する三度「だっけ? あれだけどうして
あんな投げやりなタイトルなのかと不思議に思います。
後続作の「練習曲集」の題名みたい。 聴き始めには入り口として意味があったかもしれないが、
長く聞いてるとそこまで題名に強い意味は無いような
特に前奏曲集でそう思うけれど、題名に左右されずに聞くほうが
自由なイマジネーションを持って聞けて良い。 >>275
そんな曲あったのか。
タイトルだけで、そそる! え、プレリュードの中にあるから、みんな知ってると思ってた 「西風の見たもの」って変なタイトルだけど、あれは何?
ゴジラでも見たのか??? せっかくの詩的なタイトルが台無しw
このタイトル見たら、関係ないけど西脇順三郎の「雨」を思い出す
こっちは西じゃなくて南風
「南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、この静かな柔い女神の行列が私の舌をぬらした。」 >>279
似たようなこと感じてた。謎めいてたタイトルだよねえ 西風に見られて恥ずかしいピアニストや鑑賞者も多かろうw この西風というのは偏西風で、ドビュッシーの体験からくるイメージはかなりの強風なんだね
ヨーロッパの偏西風を体験したことがないので俺は想像つかないけど、日本の春一番みたいな、あれぐらいの感じかねえ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています