※ドビュッシー・ファンの集うスレ※その9
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>>464
フォーレのスレでも見てみるといい オススメの歌曲もわずかしか出てこない。
フォーレの歌曲でさえ聴く人は我が国は稀なんだよ、いわんやドビュッシーをや >>466
だからドビュッシーも歌曲を聞くひとは稀だと前から繰り返し言ってるじゃないか >>467
昔、昔のレスを全て読む人はいない (笑) >>468
だから繰り返しいう必要性があるのである
繰り返すと
ドビュッシーの歌曲を好んで聞くひとはレアである >>470
それじゃ面白い話を続けてください。
歌曲のことはよく知らないから、内容は薄くても色々ネタがあって少しは興味深い 「ノクチュルヌ」は3曲目が異質でね。
あれは合唱曲の変曲みたいな。 「シレーヌ」なんて何だかわからない。
ただ、1,2曲目こそ、まさに「印象派ドビュッシー」の真骨頂。 合唱が入るのが面倒って話を聞いたことがあるけど本当かな
フランクの「プシュケ」も合唱入り全曲は録音も稀(短縮版もあまり演奏されないけど) 歌詞も無いしママさんコーラス呼んでくればなんとかなるだろうに 管弦楽でさえ牧神、海、イベリアを除けばさほど演奏機会は多いとは言えないとの議論も
この1ヶ月の間にあった。 映像すらオケには不人気
バラで演奏したっていいのに ドビュッシーは本邦ではピアノ曲を除けば広い人気を勝ち得ているとは言えないかもしれない
それが最も著しい分野が歌曲であり、日本ではドビュッシーの歌曲を聞くひとは稀とまで言い切ることができよう ピアノ曲も取り上げられるのはせいぜいCD二枚分
オケ曲はCD一枚分、室内楽が一枚分
全ジャンルあわせて四枚分しか演奏されない作曲家を挙げると
ストラヴィンスキー、ラヴェル、スクリャービンあたりか 歌曲はまだ良さわからないな、いつかわかるようになるのか。
クラシックの歌曲全般においてだけど。 ドビュッシーの歌曲は他の編成に比べて作風渋いわ全体的に オペラは海外でも言葉をわからずに聞いている人が多数だろうし、
それで鑑賞が成立するだろう。
やっぱり歌曲は歌詞と言葉対する理解がないと本当の理解にはならないだろ。
ピアノとの2重奏としてサウンドとしてのフランス語の歌を聞いてるのは理解とは言えないんじゃないか
聞いてる人がそれで満足するなら構わないけれど、
ドビュッシーの他の作品を超えてあえて自分は歌曲が好きなんだという人はどう考えても少ないだろ
シューベルトの歌曲ならそういう人もいるのかもしれないけれど多数派までいくのかどうか
しつこく言ってる人が指摘するようにドビュッシーの歌曲は人気ない >>479
1曲で、ただただ長ったらしい時間がかかる作品を作っているブルックナー、
マーラーみたいな人もいる。
繰返しの多い曲で、CDの枚数は8枚だ10枚だとあるけどね。
CDの枚数が多いから大作曲家ということはない。 >>482
オペラや歌曲で実際に言葉をきっちり理解してきいている日本人というのは
どれくらいいるんだ。
歌曲のようなコアな分野で原語の歌詞を読めずきいて楽しいという人はどれくらいいるのか 語学以前に、詩を味わう文化そのものが廃れたのかもしれない
今の日本人は短歌も詠まなくなったし 短歌が廃れたのは言葉の韻律を鑑賞するセンスが衰えたということ
ですか...
西洋の歌曲に慣れて、歌は旋律に依頼し過ぎるようになった。
歌曲は歌詞と旋律は一体のものだけど、鑑賞者が歌詞以上に旋律の美しさ
やリズムの面白さに重きをおいて味わうようになったから、次第に歌詞
を味わうセンスが弱くなったんでしょうね。 ドビュッシーの歌曲の歌詞となっているヴェルレーヌやボードレールなどなどの詩は
フランス語の韻文と言われるものなんでしょうか。散文と異なる形式をもち独自性を持つものなの?
更にそう言った韻文の特性が実際にドビュッシーの歌曲の中で有効に活かされてるんだろうか
韻文であることとは関係なく、純粋に音楽的に心地よく聞こえるように作られてるのでしょうか 友人デュカスが「ドビュッシーは同時代の音楽よりも詩から強い影響を受けた」と証言している フランス韻文との関連性が他の作曲家(ラヴェルやドビュッシーなど)と比べ
ドビュッシーの場合により特徴的で独自性があるのか、one of themにしか過ぎないのかどうなんだろう。 各々作風の違いがあって簡単に答えられるような問いでは無いが、興味があるなら
クセジュ文庫のルテール著「フランス歌曲とドイツ歌曲」を読むのが良いと思う。
一文を抜き書きすると「彼の才能は本質的に詩の原理に支配されているようにみえる」
フォレとの比較論も面白い。 >>491
これはありがとうございます。
ずっと歌曲に関してはこういう問題が頭にあったのでとても助かります
もちろん簡単にわかったと言えるような問題ではないのでしょうけれども もうちょい抜き書き
「ドビュッシーの歌曲の声の動きは、厳格な均斉、用意された支点、
いまや時代遅れとなった均斉形式からは自由であって、内的法則
――思いがけない曲線にそれを導いたり、あるいは、ほとんど不動の状態に
それを休ませたりする――と、歌詞の法則のみに従うのである。
それは言葉に、言葉の意味に、言葉の音楽に粘着する。」
ベルリオーズからラヴェルまで数十頁が割かれていて読み応えがあるよ ペレアスとメリザンドに関しては台詞の会話文をそのままメロディに発展させた
ようなものなので、これは歌曲と違うというかその先を行っている。
ヤナーチェクが会話からメロディを起こしオペラにしたのと同じことを同時期にやってる 私はフランス歌曲はフランス詩の作曲家にによる解釈であって魅力的な解説であると考えて
聞いている。フランス語に造詣が深いわけではないしましてやフランス韻文を理解する努力をする余裕もない。
フランス詩の一つの理解をドビュッシーやフォーレがわかりやすく歌曲を通して魅力的に提示しているというスタンスで鑑賞している。
一方で日本語の詩たとえば和歌の理解するとき、言葉のみの理解だけで必要十分と思う。
音楽があったとしても、詩歌のそれ自身のもつ美しさの自由な理解を阻むと考える 古典派のドイツ音楽が好きなんでしょうね、そこに多くのドイツ歌曲も
放り込んでしまっている。
ドイツ語のが発音しやすい、と日本人は思っている面もあるらしい。
フランス語は、母音やR、Jの発音、リエゾンなど、日本人が
ちょっと戸惑う発音体系を要請されるので嫌われるのかもしれない。
でも、仏語、独語のどちらも話せる人から聞いたのだが、仏語の方が
慣れると日本人には容易だとのこと。
たしかに、独語は身体全体から吐き出すような発音が、非常に習得が
難しい言語という印象がある。 >>496
明治以来のヨーロッパの学問芸術の輸入がドイツ中心だった影響が今に至るまで残ってるせいでは?
どう考えても、日本ではドビュッシーの歌曲を好んで聞く人は稀だね >>498
ドイツ文化の影響を受けた世代は吉田秀和さんのお歳と同じぐらいの
人たちですよ。
今は居られないと思うけど。 日本ではドイツ歌曲は比較的聞かれてるのに、ドビュッシーのようなフランス歌曲が
あまり聞かれてない理由はなんなんだろう。
それ以前に少なくともドビュッシーの歌曲を聴く人は稀だという前提はいいよね 「ドビュッシーの歌曲を聴く人は稀」とかいう渾身の持論が誰にも賞賛して貰えなかったから発狂してるんだな
そういう全くどうでもいいことにいつまでも病的に固執するのは
自分が音楽に詳しいと勘違いした聞き専によくあるパターン ピアノを習っている女の多くが「ドビュッシー好き」という
そこでメロディの話題を振る
沈黙が訪れる そうはいっても一つの話題で色々な情報が出てきているのは事実。
読ませてもらっているよ。継続は力なりかもしれない シューベルトの魔王みたいなインパクトのあるフランス歌曲を学校の授業で流したらいいよ 海外の音楽の授業でも国の区別なくシューベルトの歌曲が使われてるんだろうか。
そうならドイツ歌曲の普遍性の証拠にもあるかもしれない。
そうでないなら日本におけるクラシック音楽受容のあり方の影響を示唆するものとも言えるかもしれない。
ところでフランス歌曲でインパクトありそうという曲はあげるとしたら何ですか?
魔王とは趣は異なるだろうけれど 思いつかんな、魔王がストーリー性とインパクトありすぎなんだよだいたい
好きなの流していいぞって言われたら俺ならベルリオーズの未知の島とかフォーレの海は果てしなくとか
まあ教科書に載せるとかなったら夢のあとにみたいなとこで落ち着くんだろうな フランス歌曲の名曲っぽいのは色恋とかほのかな官能性を
微妙にオブラートに包んで言ったような洗練されたエロを感じさせる気がする。
教育現場には似つかわしくないだろうね 特にフォーレの歌曲集にそのようなイメージを持っている >>507
魔王のインパクトには及ばないが
雰囲気だけなら
デュパルク「ロズモンドの屋敷」かな 歌曲ではないがドビュッシーの聖セバスチャンの殉教の全曲版(抜粋版??)
の声楽や語りの部分はインパクトはあるかもしれない。
殉教を題材にしたものであり肉体や流れる血を想起させるような音楽や語りが聞かれる。
私自身はドビュッシーの作品の中でもっとも生々しい感覚を呼び起こされ、
ホラー的な気味悪ささえ感じる。
多くの人にインパクトを与えることは無いだろうけど。作品として長くて散漫だから バーブラ ストライサンドがクラシックの歌を歌ったアルバムがあった。ドビュッシーやフォーレの作品も一つずつ含まれる。特別に感じないんだよね。現在の歌と比べて。
むしろシューベルトの方が新しさを感じる。
使われている曲の問題もあるだろうが >>511
デュパルクなら「旅への誘い」がいいですね、
歌い出しから実に深い思いを感じる 6つのソナタ完成させずに死んだこと俺は絶対に許さんからな 癌を恨みなさいよ、
癌医療にあんたのカネを全部つぎ込んだらいいですよ 音楽評論や楽譜校訂のバイトでかなり時間を無駄にしちゃったね 音楽の家庭教師で女漁りもしたようだし。
仕事と趣味が一致していた ショパンの校訂の仕事であの偉大なエチュードの着想を得たから、アルバイトもマイナス面ばかりではない 有名になってから前妻へのお金の支払いが滞って、法的に支払いを命じられたあたりは
非常にせこくダサい。それが作品の価値を貶めるものではないが 「西風の見たもの」を聴いていたんだが
ドローン撮影のように風と一緒に飛ぶイメージ
固定カメラで風の吹き付ける風景を見ているイメージ
どっちだろう >>507
フォーレの連作歌曲イブの唄だね
神が創造した世界にて初めての創造物の一つであるイブ
が目覚め、世界の初めての一日が始まる。
イブが物に対して発する言葉によって、様々のものは生命を得る、、、
のような感じの内容の神秘的な詩的世界がフォーレの音楽に乗って繰り広げられる
なかなか無いと思うんだけどな
ドビュッシーに関してはあげられない 100年経っても歌曲、就中フランス歌曲は日本に根付かなかったね。 むしろものすごく根付いてないか?
演歌なんてシャンソンの影響モロに受けてるよ。あとイタリアのカンツォーネとか。歌謡曲と歌曲区別しないならの話だけど。ドイツより影響が多い気がする。 >>527
本当にそうだろうか?
このドビュッシースレで細々とではあるがたゆみなくコメントが出ているではないか。
有名作曲家の主要作品分野を鑑賞する人が稀なんてないだろう。
多くはないだろうが、多くないというのと稀というのは同義語ではないでしょ
論点のすり替えだな ドビュッシーいいよね〜という人に出会ったら「好きな歌曲は?」たずねてみるとよい
気まずい沈黙が訪れるだろう >>531
艶なる宴第1集。結構好きだけどな
このスレでも具体例があげられてるよね 本田美奈子が歌ったときがドビュッシー歌曲の日本受容の頂点だった フランスの有名な作曲家で歌曲をよく聞かれる人はいるのに、
ドビュッシーの歌曲を聴く人は非常に少ない。
フォーレ、グノー、ビゼー、サンサーンス、アーン、プーランク、
ラヴェルの曲は日本人にも人気がある。
ああ、それなのに、ドビュッシーの歌は聞かれない。 >>535
不躾な質問で恐れ入りますが、
貴方はドビュッシーの歌曲を好んで聞かれるのですか? そのいつもの人はドビュッシーの歌曲を理解して聴いている(と思い込んでいる)自分をひけらかしたいだけ
ドビュッシーの歌曲が誰にも聴かれるようになれば他の作曲家や作品に心移りするに違いない >>537
貴方はドビュッシーの歌曲あるいはフランス歌曲一般をよく聞かれるのですか そもそも触れる機会が無いからな
夜想曲すら滅多に聴けない 俺はプレリュードはツイメルマンだな
ドビュッシーの歌曲はベロフが伴奏してヘンドリックスが歌ったやつだ 最近の演奏で事足りる。長く聞いてると録音の演奏の差に対するこだわりは減ったな。しかしながら記憶に残るのは結局少ないチャンスを探して聴く実演な気がする。昨年聞いたロジェの前奏曲全曲は一生の記憶になると思う >>537
ドビュッシーの歌曲が誰にも聞かれるようになる日が来るとは思えないので
いつもの人はドビュッシーから他の作曲家に目移りすることはないだろう
深く考えずにただ単に言ってるだけじゃないの。
エキセントリックさはある意味興味深い 有名な割に作品が聴かれていない作曲家、ドビュッシー 当スレの住人のドビュッシーの楽曲の視聴頻度イメージ
ピアノ曲 >> 管弦楽曲 > 室内楽 > オペラ >>>>> 歌曲
頻繁・・・・・・そこそこ・・・多くない・・より少ない・・・・・稀 日本オケにドビュッシーは無理とか言うと演奏されなくなりますよ。 このスレはなぜ一つの話題が執拗に続くんだ
前は遊戯だけでずっと埋まってたな 三曲の協奏作品はもっとコンサートで取り上げられても良い
客寄せにもなるだろう >>552
昨年のOKEのペレアスとメリザンドは素晴らしかった。 >>553
クラ板のどこのスレでも少しコメントがあると、
すぐに揚げ足取りが出て白ける。
それよりは同じ話題である程度の期間続くのも
いろんな情報が出て良い側面もある
レトロに見直すと2ヶ月は続いてるな 「レントより遅く」っていかにも大衆向けだけど、その割には知られてないな >>557
円熟期以降の名作が多々ある中どうしても目立たないよね。
ドビュッシー自身も管弦楽編曲しているので気に入っていたのかも。
いわゆる名作ではないだろうが、ドビュッシーらしさのあるナイスな作品だね
この頃1910に前奏曲集1集を作曲したとのことなので、
なくなるまでの8年の間に数々の名作を生み出したのだから
ものすごいproductivityだな https://pia77.blogspot.com/2018/08/blog-post_7.html
「それほど上品ではない普通のカフェで当時流れていたあまり上品ではないワルツを題材にして、
それを皮肉タップリに、しかし、極めて上品な形で作曲しました」 ドビュッシーとプーランクだったらどっちの歌曲の方が日本では人気があって聞かれてるの? >>560
プーランクでしょ
なぜなら我が国ではドビュッシーを好んで聞くひとはレアだから なぜかわからないけど私自身はドビュッシーの管弦楽は誰の演奏ということにこだわりが少ないめ。
ドビュッシーの透明で透けるようなオーケストラ曲はクリアな録音を望むくらいかな
ドビュッシーの作品の録音が極めて少ない小澤征爾に是非ともドビュッシーの管弦楽や望めないけれどオペラの録音をしてほしい
あの繊細洗練の極みの”選ばれし乙女”の録音を聞くにつけおもう。
夢の名演奏とならないうちに・・ パスカル・ヴェロ指揮仙台フィルの「海」に結構感心したことある
今聴いたらどうだかわからんけど あれで管弦楽法に自信なかったっぽいのが面白い
実際海の1楽章なんかは標準(要はリムスキー=コルサコフ仕込み)からはちょっと外れた発想があるように思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています