ヴァイオリン レイトの会 46巻目
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「レイト」とは、大人になってからヴァイオリンを始めた人たちのことです。
何歳からという厳密な定義はありませんが、
概ね12歳迄に良い先生に習ってまじめに練習した人達『以外』の事です。
大人から始めたと自分で感じる人はみんな「レイト」です。
ひき続き、レイトが上達するために、まったり楽しい雰囲気で情報交換しましょう。
アーリーやプロの人は温かい対応をお願いします。
前スレ
ヴァイオリン レイトの会 45巻目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1504150650
過去スレ
第3〜41巻 search.(ウンカー・オルグ)/2ch?q=ヴァイオリン%20レイトの会
第1巻 (みみずん・コム)/log/2ch/classical/1170484026/
第2巻 (みみずん・コム)/log/2ch/classical/1179926915/
以下の論争はすでに終結しています。
1.プロ演奏者に関する鑑賞系の話題
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
2.音律・ビブラートのしつこい論争
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
3.スズキメソッドの是非のしつこい論争
●スズキであろうが、サンマであろが、使い方次第。
4.アーリーとレイトのどちらが上達するかのしつこい論争
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
5.チューナーの是非のしつこい論争
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
うpロダ 必要 これ とても大事
http://twitsound.jp/musics
http://fast-uploader.com
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 医師だろうが何だろうがバイオリンレッスンの前ではみな平等に上達という観点で評価される。
常識的に言えば医師は知能が高く上達も早いだろうと推測され、実際うまい子が音楽ではなくて
医学の道に進んでしまうという嘆きはよく聞く。
練習しないのは悪というのがうまいか下手かにかかわらず若いころに習った人たちの基本認識、
練習しなくてもいいというのが多くのレイト。ここには越えられない溝がある。練習しない前提なら
上達を目指すという前提すら成り立たない。上達を目指さない習い事って何だろう。特に音楽は奏者
のためにあるわけではない。実際はいなくても観客に聞かせることができるレベルを目標にするのが
前提。それをガイドするのが音楽教師のはず。 練習のやり方は色々あります。
こうでなければいけないということはないと思います。
例えば楽譜にあるメロディーを
1オクターブ上げて弾いてみる。二人の敵弾兵とかいい例だと思います。
習っている先生にメロディーに対して3度や6度下の
副旋律をつけてもらって弾いてもらい。ハモリを体感する。子狐やゴセックのガボットとか
手拍子や楽器で拍をつけてもらい拍の感覚を体感する。バッハのメヌエットとか
音楽っていうのは要は楽譜通り正確でなくても
間違っているように聞こえなければ良いのです。
正しく弾いてなくても正しく聞こえればそれでいいのです。
個人的にはエチュードはお勧めしません。細かいリズムを弾く練習にはなるかも
しれませんが、バイオリンを歌わせたり朗々と弾く練習にはならないからです。
それに大抵の人にとってエチュードは苦痛でしかないと思います。
それにエチュード弾けないとバイオリンを上手く弾けないというわけでもないと思います。もちろんエチュードやりたい人はやればいい。 >>202
遅かれ早かれ正確に弾く技術の必要性に気が付く。 そうですね。
あなたの思うようにやればいいと思うし、
必要だと感じて練習する人もいるかもしれません。
でもそれを他人に押し付けれるべきではないとも思います。 300だと10000時間に届くのに30年でも足りんね。 >>199
チャイコンは弾けないんじゃなくて弾かないのかwww
>>レイトは2種類に分かれるよ。アーリーでいうところの小1レベルの出戻り組と、上達の見込みのない初心者大人。
スポーツにしてもバイオリンにしてもある程度は必死にやらないと形にはならないのだけど、一応やってみる程度の
情熱しか持たない人たち、練習時間が取れない人たちがうまくなる訳はないので。
余計なお世話www
ガキじゃないんでwww >>204
そんなのわかってるよ。年間たった300時間でチャコン弾けるわけないじゃん。 >>199
>> それ「ネット内」の話だろ。
>>一応やってみる程度の情熱しか持たない人たち
というのは確かにいて、youtubeにアップしている人たちは
そういう人が多いが、
音楽が好きで、まじめに練習しているレイトは普通に居る。 >>年間300時間を遥かに超える時間と金を費やして練習を積んだにもかかわらずチャイコンも満足に弾けない
んだろwww わたしは若い頃は、全身全霊を病気で苦しんでる患者の治療に捧げました。バイオリンを練習する時間なんてあるわけがない。年をとって、自分の時間をほんのすこしだけバイオリンに振っています。人生になんの悔いもありません。 わたしはレイトです。楽器は自己満足です。レッスンは、お茶会です。桐朋の先生はもったいないです。
しかし、わたしは、自分の青春をバイオリンにではなく、医師になるための努力に、そして医師という職業に捧げました。これでいい、と思っています。「オマエには音階どころか、ただの一音も弾けない」と言われるかもしれませんが。
繰り返しますが、人生になんの悔いもありません。 まだ弾けないが、そのうち弾けると思うよ。
あんたは1日数分の練習でキラキラ星も満足に弾けないんでしょ?www あと、医師医師うるせーんだよ。
訴えられるのがコワくて通り一遍のことしかしてねーだろ。
特に勤務医なんて患者なんか流れ作業でこなすだけ。 いや、練習ありきと語る人もいるから、アーリーも参戦中でしょ。皆さみしいのよ。 医者って時々ピアノだのバイオリンだの腹が立つほどうまいのがいる。石上真由子だけじゃないよ。
医師ってインパクトでもう少しうまい音大卒なんかもけちらしてしまう。 医者だろうが何だろうが下手な奴は下手、うまい奴は上手い。別の才能だから。バイオリンの前ではみな平等。
俺はパイロットだとか学者だとか、社長だとか自分の職業に誇りを持つのはいいことだが、
それは趣味とは関係ない。オリンピックメダリストだって本職を持っているのはいろいろいる。 自分はチャイコンなんてかっこよく弾けるようにはならない。でもブルッフだって十分受けるし、
クライスラーの小品やらバッハ無伴奏やらノバチェクの方が弾く機会はある。結婚式の場つなぎの余興とかね。
コンチェルトは発表会用だし、もう少しうまくサンサーンスとかの方がまだ結果が出せる。
バッハだってフーガやシャコンヌなんて重すぎて場違い。素人がやったってシリアスなだけ下手さが目立ってかっこ悪いだけ。
アレグロアッサイやらプレリュードみたいなノリのいい曲の方がボロが出ず喜ばれる。 学者の卵、ドクターコースやらポスドクでレイト初心者やっている人がたまにいるが、
お勧めしない。趣味なんかに費やす時間はないよ。仕事の没頭しないと塾講で人生
を終わる羽目になるよ。うまく転職できればいいけどね。現実逃避はいい加減にしないとね。 なんで本職を別に持つ人間が
到達できないのは当然の事として、
遥かプロバイオリニストを目指して日夜練習に励まなければならんのか。
バイオリンは他の楽器と違って人前で弾けるようになるのは容易ではない事は確かだが、
それを自覚してさえいればそれでいい。
では、なかなか人前で弾ける様にはならないのになぜバイオリンをするのか。
好きだからだろ。そのうち、簡単な曲なら人前で弾いて喜んでもらえるようになる。
自分が楽しむ事は、人を楽しませる事に通ずる。
子供の頃のつらい練習の毎日の中で、「自分が楽しんでいないのに人を楽しませることができるのか」
という疑問を持つアーリーもいる。
答えは、よくわからないが、「楽しい」と「美しい」とは厳密には別の物ではある。
しかし簡単な曲なら練習すれば両立できる。 誰も日夜励めなどと言ってはいない。お稽古レベルの場合でも一日1時間は練習しないと進歩しないというのは昔から言われていること。
練習しなければなかなか上達しないどころか全く上達しない。
したがって全く人前で弾けるようになどならない。無理に弾けばうるさがられるだけ。簡単な曲ですら美しくは弾けるようにはならない。
というか簡単な曲が美しく弾ければ難しい曲もそこそこ弾けるはず。難しい曲を下手くそに弾く人は優しい曲すらきれいには
弾けない。
社会的地位、例えば医師等であれば製薬会社の人間等付き合ってくれる人はいるだろうが、楽しむどころかただの仕事上の我慢だ。
上手な人特にアマでは、バイオリン技術の習得を喜びにしている人ばかりだ。プロを目指すと途端に楽しくなることはあるようだ。競争だからね バイオリンを弾けるようになりたくて、いい先生に一生懸命見てもらっているのだから頑張ってうまくなってその期待に応えたい。
だから一生懸命練習して頑張る、という単純なことはお稽古事をやる上では当然の心構えだと思うのだが、
それを貧しいといわれるとはね。
そうではない考え方がある。上達に必要な練習をしなくていいという考え方がリッチならそれでもいいが上達はしない。 一日30分は練習しましょうというのが趣味の子供相手の指導は今も昔も変わらない。
練習不要と先生が言うならそれは進歩を放棄していることに等しい。だからバイオリン体験といっている。
それにお茶会が重なったところで上達とは全く関係ない。それがレイトのニーズであるというなら
もはや芸の上達を目指したお稽古事ではない。 だから、その君の「脳内レイト」はネットの中の話から君の脳内に形成されたものだろと言っている。 >>226
私も毎日一時間ずつ練習しているけれど、そうじゃなきゃダメとか思わないけれど。
私の友人は博士論文が佳境に入った頃にもピアノのレッスンを続けていて、練習辛いことはないのとたずねたら、ただお茶を頂きながらお話して帰ることもあると言っていて、それはそれで素敵な先生だと思った。
貧しいと言ったのは、頑張らなければ趣味ではないという狭量さなのだけれど。
あなたのやってるのは音楽じゃなくてお稽古ごとなのかもしれないね。 「お話にならないレイト」「レイトはお話にならない」という「イメージ」を自分の脳内に作り上げて、
「お稽古事のいろはもわからないとは。最低だな。だからいろはを教えてやろう」
というのをオナニーと言う。 >>226
何をもって貧しいと指摘されているのかも理解できない貧しい知性 >>212
医師殿の誠実なカキコにグウの音も出ない涙目のアーリーの俺が通りますよ 練習しない=上達しない。
そんな当たり前のことが受け入れられないってどうよ。
こいつは何をどうしたいんだか?
どこが脳内なのかまったく理解できない。
練習せずに上達できるおまじないとかお薬があるなら是非教えて欲しい (意訳)
あーあ。ぼくちん3歳でレッスンはじめて、いちにち18時間15年も練習して
音大入学したけど回りは天才ばかりで簡単にザセツ
なんとか卒業したけど演奏家になんかなれるわけもなく、
地元の音楽教室の講師(アルバイト)にようやく採用。
ぼくちんは、本当は、ステージでチャイコンを弾いてるはずの男なんだぞ。
それにしてもレイトはおはなしにならん。ぼくちんのほうが、ずっと上手! 最後の一行はその通りでしょw
上手ければ勝ち。どこまでいってもヘタクソの遠吠え >>236
レイトの医師殿はバイオリンを楽しみ、人生を楽しんでいる
アーリーのあなたにとっては音楽とは技術であり、「上手ければ勝ち」という貧しい価値観でカツカツな人生を歩んでいる。
そういうことね。 自分は本当にダメな生徒だった。左手どころか右の指もつるような、脱力どころではなかった。
親が勝手に始めさせただけでフォローもなくだらだら一応やっているふりをしていただけだった。
練習は週1時間くらいかな。むろん全く何もできなかった。今はやりのレイトと同じ状態だった。
ある日、たまたまブラームスの3番を聴いて猛烈に弾きたくなった。バイオリンらしい音が出せる
ようになりたいと思ってバイオリンを抱えて開放で綺麗な音を出すようにしてみたりいろいろやった。
学校から走って帰ってきて10時まで練習したりした。親が遅いからやめろいっても無視した。
もちろん才能はないのでそう簡単にうまくはならない。自分ではマイナスの才能だといっていた。
次第にザイツだのエアバリエだのどのような音を出せばいいのかは分かってきた。出せないけど。相変わらず下手なままだった。
でもって大学受験も近づいてきたので、先生¥はできてもできなくても知識として教えることにしたようで
記念モツコン、記念バッハ、記念クライスラーという感じでできたとみなしていろいろ教えてくれた。
カイザーと合わせてとにかくゆっくりじっくりさらいなさいと。気に入った曲があれば弾いてみたらとも。
これらの曲は一生ものの傑作でその後もずっと練習し続けた。一応自己満足的には弾けるようにはなった。
本当だったら一年以内にやめてしまう大多数の中に入っているレベルだったのに、弾いて見せればアマオケ
でも誘われる側に入れた。先につながることを土壇場でもやってくれた有り難い先生だった。ただし、向こうはうん
ざりしていたようで手が切れてほっとはしていたようだ。男の子は突然化ける子がよくいるからと何とも微妙
な激励はしてくれた。メンコンもフルッフも一応弾けるようにはなった。
曲で練習するなとは言うけどバッハはやはり燃えるよね。いったんきっかけをつかむと
全体がいい方向を向きだす。 バイオリンを楽しみ、人生を楽しんでいるようなひとは、こんな場所でわざわざ主張する必要はない。
あなたに欠けているのは想像力だ。アーリーだから楽しんでいないという論理も綻んでいる。 バイオリンを楽しむということは、苦労して弾けるようになることと同義であって、
進歩のないレッスンごっこをだらだら続けることではない。本当に生徒の進歩を考える
先生は、生徒にやらせることをそのレベルに合わせて一生懸命考えてくれる。自分の場合は
とりあえず弾けても弾けなくてもバッハ無伴奏をやってみなさいということだった。
まあ失敗してももともとものにならないものだから失うものはないからね。
先生にしてもプロとしてお金をもらっていれば、能力はなくてもやる気がないわけではない生徒を
目の前にすれば、なにかしら邪道であってもベターな方法を考えるものだよ。 「アーリーだから」楽しんでいない、などとは一言も書いていないです
「上手ければ勝ち」というあなたは、音楽を楽しんでいない 下手でもやる気だけはあって指板がへこんでいる生徒に対しては、練習負担が増えてもやめる心配はないから
先生も安心して課題を与えられるのだろう。
音楽への需要が急激に縮小している今時分、生徒にやめられたくないという本音もあって
練習すらしてこない生徒のおしゃべりのお相手すらしてしまうということなのかもしれないけど
気持ちだけでも熱心な生徒には豚に真珠かもしれないけどきちんと考えてくれるものだよ。
それが嬉しくってまた頑張ってしまう。先生というのはやる気を引き出すのがうまいよ。なにげない
一言に見えて実は熟練した殺し文句テクだったりするよ。 ピアノも習わされたことがあったんだけどこちらは全く練習しないと音のしないキーボードで
居残り練習させられた。今から考えるといい先生だったんだね。後藤みどりよろしくピアノは
つまらないとしか思えなかった。 先生だって本当は、レイトの生徒にも進歩してもらいたいと思っているよ。
ロマン派のコンチェルトはとにかく、かわいらしい小品をかわいらしく弾いてもらいたい、生徒を
成長させた結果を周りの人に見てもらいたいと思っていると思う。
まずは収入確保が最優先。
あと付け加えると、演奏家はスポンサーを見つけることが大事なので、接待みたいなことも学んでいる。 気軽に何かを体験することを「楽しんでいる」というのは言い過ぎではないかと思う。
楽しむというのはある程度首を突っ込んでからのこと。体験というのは何に首を突っ
込むかを選んでいるプロセスに過ぎない。 ダンクラだのザイツだのエクレスでは正直燃えない。細かいところができなくてもごまかせばいい程度にしか考えない。モツコンあたりになると聴いていると自分も弾きたくなるような
演奏が沢山ある。でもって録音してみるとあらが許せなくて練習するのだが基礎力の無さに気が付いて…となる。こういうことを「楽しむ」というのではないだろうか。 楽器演奏を水泳と同様なものと捉えるのは間違いだとおもう。
自分のペースでのんびり泳いで楽しんでタイムとか意識しない
ことは結構なことだとは思う。要はカロリーを消費して筋肉を刺
激することが目的だから。
音楽はある程度の美的水準の達成がその目的だからね。卓球とかテ
ニスだってある程度の技量があってラリーが続かないと面白くない。 >>211
>わたしは若い頃は、全身全霊を病気で苦しんでる患者の治療に捧げました。
>バイオリンを練習する時間なんてあるわけがない。
え?
18歳までにたくさん時間あるんだけど >>252
しかし、わたしは、自分の青春をバイオリンにではなく、医師になるための努力に、そして医師という職業に捧げました。
って書いてあるよ
18までは勉強してたんだろ >>234
>>244
この人物の論理では
レイト=練習しない=上達しない
アーリー=(アーリーだから)楽しんでいない(という論理も綻んでいる)
となっている。
小学校の算数ができるなら間違っているとすぐわかるのだが、この人物は小学校の算数もできないのか
因みに「レイト=練習しない=上達しない」については途中で「ほとんどのレイト」とこっそり言い換えているが、
考えている事は同じで、「レイト=練習しない=上達しない」 レイトのアーリーに対する妬みと妄想は、貧乏人が金持ちに対する妬みと妄想に似ている。 いい事を思いついた。
君、勘違いユーチューバーの所へ行ってこの内容をコメントして来いよ。なかなかいいぞ。 >>255
自らの願望を事実であるかのように言ってはいけない 子どものころから弾いてる人に対して、妬みなんかないけど。
むしろ弾けて当たり前って思う。
私も別の楽器で子どもの頃からやってたけど、そう思ってる。
それだけ長い時間練習し、経験積んできてるから、弾けて当たり前。
偉そうにする意味わからない。 >>246
例えが悪くて恐縮だが、回転寿司食ってるヤツの目の前に乗り込んできて、それは寿司ではないって説教するような真似をしてなにが面白いんだ?
自分がなに食ってるかくらい承知している。押し売りは結構だから他所のスレに行ってくれ。 バイオリンを回転ずしに例えれば、いわゆるアーリーのかなりの部分も回転寿司だよ。
本物を食っているのはごく一部。その中にも格差はあって高級ネタを食えるのはもっと少ない。
バイオリンというすしの特徴は、かっぱ巻きから順に高級ネタに進まなければいけないこと。
練習しないレイト(頻出する自称医師が典型例だが)は、デパ地下の試食コーナーでかっぱ巻
きのかけらの試食を毎週繰り返すことに例えられる。寿司なんか食ってないよ。
自分の場合大トロ(チャイコンとか)は食えないし超高級珍味(エルンストとか)なんて無理。無理に食っても下痢するだけだ。
縁側を食っているつもりでも実はオヒョウだったり。精々トロ(メンコンとか)が食えればラッキーだろう。
俺のメニューには大トロだのウニは入っていない。よほどうまくいけば追加してもらえる可能性があるが。
言葉の定義を勝手に変えるのもいいが、昔からの言い方に従えば、レイト初心者は全く進歩せず、バイオリンを楽しんでいない。
こういう生徒については、先生は何とか練習させるのが仕事とと考えたり向いていないと考えてやめさせたりしていた。これが
上達する人の普通の感覚。練習しても進歩の遅い生徒については、拾う先生がかならずいた。
バイオリンの楽しみというのは、自分のダメな点を認識して修正してその結果を自他ともに認めてもらうことにある。
そして桐朋だの芸大だのの講師は有能な人が多い。ただし、初心者相手にバイオリン演奏のイメージを持たせることは
また別の能力で、低レベル音大生であってもそれが得意な人はかなりいる。ましてや子供相手に教える場合はもっとその
傾向が強くなる。
練習しないレイトの典型として自称医師が現に登場している点は改めて指摘したい。 練習しないレイトの万年初心者が、練習なしの「レッスン」でおしゃべりをしてokなのは、
新たな「レッスン」という名の接待業が誕生したからだ。プロバイオリニストが務めるサロンだ。
女子大生キャバクラやらランジェリーパブよりはハイソに感じられる雰囲気が売り。
市場縮小と供給過剰の業界の事情が、バイオリンをネタにした別産業を誕生させた。
こういうとこの顧客は、食道楽と同じで要は語りたいだけ、SNSを使えば世界に
発信できて同類同士で交流できる。そして自己満足。
練習しないレイト初心者は最近出てきたもの、練習しない子供は昔からいたがじきにやめて行った。
アマオケにしても音を出さないで金を出してくれるなら歓迎なんだよね。 永遠のレイト初心者の実態はアマオケで見られる。上達を目指す人はモツコンも弾けないのに
アマオケなんか行かないよ。 なあ、それ勘違いユーチューバーの所へ行ってコメントしてくれよ。
此処はお門違いだからね。
でコメントしたらURL貼ってくれないかなあ。見に行くから。 そんなに練習したくないなら、何にもならない時間をむだにしてないで、他の趣味にすればいいのに。 >>267
誰も練習したくないとは言っていないでしょ。読み返してご覧。
人の楽しみを頭ごなしに否定するから、それは傲慢だと言っているだけ。
大事なことは先生に教えて頂くので、腕自慢の素人はお呼びじゃありません。 練習したくないのもやる気はあっても練習できないのも、練習していないという結果において相違はない。
その反対として練習したという概念が存在するのみ。たまに練習できないことがあるの当たり前だがいつもしないのは
ダメでしょう。
練習しなければ進歩はしないし練習を伴わないレッスンは時間の無駄。
練習したレッスンと練習を全くしなかったことと両方経験しているからよくわかる。
弁解しても結果は変わらない。弁解に意味はない。大人なら当然に認識していることのはずだが。 練習していない生徒に教えられる「大事なこと」は存在しない。
先生からしてみるとお話しして接待してお金をもらっているだけ。
それをレッスンを受けていると勘違いしているようだね、 まあ、きれいなバイオリンの先生とお話しできれば一時間5000円もいいかもね。
キャバクラでバカ姉ちゃんと話しているより楽しいかもね。 練習してレッスンを受けましょう、さもないと全く進歩しませんという当たり前の経験則を
指摘しただけで貧しいとか非難されるのだから、レイト様のバイオリンレッスンというのは
リッチすぎて理解できない。 練習しないでレッスンに挑むのは怠惰で恥ずかしいこと、という認識でずっと生きてきたよ。
違うの? 練習なしの無駄なレッスンってそんなに楽しいことなの?
普通の先生って生徒の記録をつけて進歩するようにいろい
ろ工夫していると思っていたが?
その期待に応えたいと思うのはいいことかと思っていたが
期待を裏切ることこそ貧しいふるまいと思っていたが? この人達は習い事のイロハさえわかっていない。
金払っているから生徒だ、練習してないけど金受け取っている以上プロなら上手くさせてみなさいよ、ってこと。
上手くならないのは、楽器のせいで、分不相応の楽器を買って、その上、名前なんか付けて喜んでいる。キモイ。
「ほとんど」と言い換えたのは、何事にも例外があるから。
ここにはいないだろうが、世界には1人くらいいるかも知れないからな。念のため。
練習がイヤなのでなければ、四の五の言わずにすればいい。それなら何の文句もないわ。
それどころか、レイトだろうが何だろうが応援するわ。 レイトの皆さんに言いたい
俺は小さい頃からバリバリにバイオリンを弾いてきたが、ここで暴れているような馬鹿ではない
なにをもって貧しいと評されているのかも理解できない貧しい知性、おそらく平均をかなり下回る知能、下劣な人間性はこの人物特有のものであって決して楽器の修練がもたらしたものではないことを強く指摘したい おそらく、本人には何を指摘されているのか理解できないので間違いなくトンチンカンなレスが付く
スルーに限る 練習もしない輩に、アーリーで練習もして金もかけたのにチャイコンも満足に弾けねぇくせに、とか言われたくないわ。
大体、何が弾けるかが問題じゃなく、キラキラ星だろうが、チャイコンだろうが、何が弾けるかが問題じゃなく、どう弾くかが問題なのかがわかっていない時点で話にならない。 どう弾いたらきれいに聞こえるかを学ぶことが大事だよね、それを積み上げていった先に
チャイコンがあるわけで。楽器演奏を楽しむということは階段を上がっていくことだから。
アマリリスだってスコットランドの釣り鐘草だってうまく弾けると嬉しいし、あらを完全に
つぶすのはものすごく難しい。
宴会芸で下手なバイオリンが嫌がられるのは曲が易しいからではない。音が不快だから。
簡単な曲であってもきれいに弾ければ嫌がられはしない。人に嫌がられない演奏を目指すのが
楽器の楽しみだと思っていたが違うのか?それは貧しい考えなんだろうか?
昨日よりはましな明日を目指すのが貧しいというのか?
結局は練習しない自分を正当化しようとして頓珍漢なロジックを展開しているだけなんだろうな。 レイト初心者の不思議な点をもう一つ、やたらと弦とかに凝る人がいる。
まともな音が出せないのにどうして弦の批評ができるのか不思議。
楽器にしても初心者なんて10万のセットで十分。モツコンでも形になってか
ら買い替えればいい。自分の先生なんかプレスの楽器が歪んできたといっても
お前の腕で買い替えは早いと突っぱねられた。
楽器屋に行くとたまに初心者が幽霊みたいな音を出して感想を言っているけど
違うだろうと思っている。でブログに新しい楽器の写真と感想を載せるんだろ
うけど。
練習しないで不快な音のままで当人は「楽しんでいる」と悦に入っていて、得意げに披露するから
レイト初心者は馬鹿にされる。それが永遠に初心者のままなのにますます増長しているからバカ
にされる。そのことが全く分かっていない。下手なのに頑張っている俺を応援してねってか。
肉体的精神的努力は一切せず、財布にあかせて趣味人気取り。こういうのを無粋という。 いくら練習しても自分の演奏に満足することは絶対にないといっていい。
うまくなればなるほど自分の欠点が分かってくる。奥が深いとはそういうこと。
そしてそのはるか先を行っている先生に畏怖の念を持つんだよ。 下手なのにいつまでもやっていることに価値はない。下手が進歩するから価値があるし楽しい。
というか楽器に触っていないからいつまでも下手。要領が悪くて進歩が遅いなら頑張る価値があるし、先生もサポートするのがアマの世界。 >>284
自己弁護でしかない。
自分も練習しない頃があったのだろう?それは許して人には辞めろというのか?
まぁ、あなたがここで何を吠えても現実は変わらない。現実があなたを不快にさせるならば、あなたがこの楽器を続けるのは時間の無駄だからあなたが楽器を替えれば良い。 今の時代はネットを有意義に活用すべきだとは思いますよ。
中国の人なんかは日本語を話すにしても書くにしてもばんばん投稿して
手直ししてもらって、学校でたいして勉強していなくてもそれなりに覚えてしまっているように
見られる。
自分の演奏ばんばん投稿すればいいんですよ。投稿する演奏に関しては誰かが聞くかもしれないと
思いうまく弾こうとだいたい意識は働くのですから、(少なくとも習っている先生は聞いてくれるでしょう。
)それを続けてれば上達するんじゃないですか?自信なければ一部以外視聴できないようにとか
いろいろできるし。それも楽しみ方の一つだと思いますよ。私は推奨します。
最近のセリーナ・ゴメスの話題をみれば分かるとおり、もしくは最近の事件とか見ても
人間なんてだれもかれも欠点ばかりなのだから、自分のことはともかく
他人のことをいろいろといわないほうがいいですよ。 レイトは、バク転出来なくて練習する気もないくせに、新体操のきれいなレオタードを着てリボンを振るだけでいい「新体操もどき」で満足する。
しかもロシアの一流選手のレオタードを着てリボンを振りたい。
それがアマオケだ。 >>288
平行線なんだからもうやめようよ。同じことの繰り返しを言い換えてるだけじゃん。 実際に弾いてみて初めて知る美しさ楽しさってあるから、レイト様を歓迎しろよ
どうせ聴き専も馬鹿にするんだろうし
勘違い知ったかが生まれるのは副作用、仕方ねえ
ただ、レッスンは教えを乞う場所で練習する場所じゃあないから、
練習を完成してからレッスン受けろ 自分で録音して聞いてみるのは大事、ネットに投稿して励みになるならそれもよし。
とにかく練習、
弾きなさいということだ。 アウアウイー Sa31-saE1はヴェンゲローフ君>>16 ブログとかSNSってテンプレができていて、インスタもそうだが登録してスマホで撮影すれば
すぐに情報発信できる。それでもってにわかグルメだの旅行だので「リア充」をアピールするブームを
演出している。アップル社とfだのtはハードのみならずその使い道まで提供しているわけだ。
中身のない充実自慢、生き甲斐追及の代名詞となっている「インスタ映え」だがこれも趣味産業といえるのだろう。
初音ミクとかなら音楽でもそういう使い方ができるのだろうけど、バイオリンはお手軽の対極にある
ものだから。金をかけて高級ホテルのバーだのナイトプールで写真をとればリア充アピールできるが、
いくら金を積んで高いバイオリンを買ってみたところで汚い音には何も変化がない訳だが、歪んだ自己顕示欲から
恥知らずというか胸を張って「演奏」を披露してしまう。まともに練習していないから弾けるわけはない。
簡単な曲でもきれいに弾くのがバイオリンのあり方、レイトがバカにされるのは、簡単な曲を弾いているからではなく
開放弦すらまともな音がでていないのに恥じるどころかその自覚もなく、他人に聞かせて「充実ぶり」をアピールしている
から。自分は高級なリア充のつもりが、客観的には馬鹿丸出しだから。それを「楽しんでいる」と思い込んでいるから
救いがない。京都流にいうなら無粋ってやつかな。 おシャレな女性たちのための場にしようと喫茶店を開業したオーナー。
最初のうちは店の雰囲気からオシャレな女性で満員になった。
ある日、一人のチンピラ男が店に入ってきた。おっ、ここはイイ女がたくさんいるな。
チンピラ男が常連になったので、数人の女性客が店に来なくなって、オーナーは少し気がかりになった。
そのうちチンピラ男は、ここにイイ女がたくさんいるからいいぞと、チンピラ友達を連れた来た。
店の雰囲気が悪くなってきたので、女性客はますます減った。
チンピラがそれぞれまたチンピラ友達をどんどんクチコミで連れて来るので、店の大半はチンピラ男で埋まり、女性客は寄り付かなくなった。
店はチンピラ専門店になってしまい、オーナーは嘆いて閉店にした。
チンピラたちは、せっかくいい店だったのに閉店なんて残念だったなあ、と言った。
アマオケに入って来るレイトはこういう感じ。 アマオケのバイオリンパートというのはアーリの階層構造と音を出さずに金を出す金ヅるレイトとエキストラの音大生で成り立っている。アーリーは一定以上集まると椅子取りゲームの喧嘩が始まって喧嘩別れするので、一定以上は増えない。アーリーか
ら見ると初心者レイトは扱いやすい。何しろ音は出さずに喜んで参加費を払ってくれて自分の地位を脅かす心配がない。
うまいアーリーを集めたドリームなアマオケバイオリンパートなんてものは存在しない。アーリーといっても素人を集めた集団なんて所詮ボロ楽団でしかないし。プロとは次元が違うよ。 永遠の初心者レイトなんてものは「リア充」ブームにあやかろうとして、供給過剰と少子化で
行き詰ったバイオリン産業が金と暇を持て余している「リア充」層に食い込もうとして誕生した。
「リア充層」とは、金にあかせて高級品で固めることを「充実」と考え、金をかければ全て解決
すると思っている。才能と努力の集積であるバイオリン習得とは本来相いれないのだが、生徒を叱咤し
て上達させるのではなく、単に金と時間を浪費させ、それを浪費と感じさせないトーク術を組み合わせ
て大人のバイオリン教室という商品に仕立て上げた。何しろ子供の生徒が集まらないから、「インチキ先生」
どころは一流音大卒までその市場に群がろうとしているわけだ。責任は受け入れ側にある そこまで偉そうに言うならさ、素人が1日1時間ぽっちの練習でなにか極めたようなこというのやめてくれない? 一日一時間の練習で普通の感覚の持ち主が自己満足できるレベルでメンコンが弾けるようになるとは思わない。
実際はアマでももう少しやっていると思うよ。特に小さいころはね。
いくらごまかしても演奏させれば弾けないことは一発で明らかだが、お金をもらっている先生はレイトに対してやる気をなくさせるようなことはいはない。
今は知らないが、昔の先生は練習しない子供に対しては優しく言うか厳しく叱るかはとにかく一日30分は練習するように言い聞かせていたし、
人によってはやめさせていた。今は少子化の影響やパワハラに敏感な世相から、引っ張りながら練習する方向に少しずつ誘導していく「太陽政策」が
主流なのではないかと想像するけど。 つまり、一日1時間程度は練習しましょう、というのは先生が生徒に本音ではやってもらいたいと
思っていることなんだよ。レッスンを本当の意味で成り立たせるためにはそれが当たり前で必須と
昔から考えられてきたことだ。 先生は生徒を上手くさせたい。そのために最低限度の練習をしない子に対してはそれを要求する。
それは職務への忠実さというものだ。練習しないレッスンokというのは、生徒の上達という
本来の目的を既に放棄しているんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています