モーツァルトとハイドンはどっちが凄い
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ピアノソナタ、ピアノ三重奏はハイドンの方が良い。
弦楽四重奏はハイドンの圧勝。
オーケストラが入る曲は同じくらいかな。
モーツァルトが明らかに優位なのは、木管がメインになっている曲。 今日立ったスレなのか?
ハイドンがすごいのは人脈と創作力の多さ。
モーツァルトがすごいのは感性と表現力。
まあ、どっちもすごいのは変わらないと思う。 ハイドンはスルメ
突然味が濃くなり病みつきに
例えが悪くてスマン ハイドンはすごいけどモーツァルトと比べてはいけない。 どっちも凄いんだし優劣とか付けれんよ。
モーツァルトはハイドンを敬愛し、ハイドンはモーツァルトの才能を誰よりも評価していた。
同時代の18世紀には無数の作曲家がいた中で古典派の代表としてこの2人は名を残してんだしな。
ただ、現代ではモーツァルトの曲のほうが取り上げられる機会が多いからもっとハイドンの曲も取り上げて欲しいと思う。
ハイドン晩年のザロモン交響曲は愛称が付いてないの含めどの曲も第一楽章から終楽章までハズレがない完成度だと思う。 >>2
圧勝て数がね。
例えばハイドンのピアノトリオなんて全部チェロ付きのヴァイオリン・ソナタじゃん。
ピアノの左手パートにをチェロにもなぞらせてるだけという。
一方、モーツァルトのは後期の2曲くらいはチェロにも独立したメロディーが与えられていてハイドンの同曲よりも内容がある。 ピアノ・トリオの例に挙げたが、少しクラシック音楽をかじると、モーツァルトを持ち上げるのは初心者みたいで
格好悪いとか、一方ではモーツァルトは感性と天才性の人などと言う風潮があるよね。
モーツァルトを過大評価するのも過小評価するのもいかがなものかと思います。
その辺がまだ日本のクラシックファンは成熟していないといいますか。
そういう私も偉そうな事は言えないのですが。
念のために言っておくが私はモーツァルトオタクではないです。
モーツァルトもハイドンも好きです。
実際に生活の中で音楽を聴く時間はモーツァルトよりもハイドンの方が多いですね。 モーツァルトは過大評価というか、トルコ行進曲とかアイネクライネとか、出だしが耳に残りやすい曲多いから、その分CMとかのBGMに使われる頻度も多くなって素人からしても『この曲知ってる!これもモーツァルトなんだ』となる。
同じようにベートーヴェンも運命のジャジャジャジャーンの出だしがよく使われる。
出サビとでも言うんかな?
ハイドンの曲は交響曲も出だしは序奏だし、出だしから飛ばすんでなく曲の途中途中でいいなと思うフレーズが出てきたりのが多いからCMとかで使われる頻度も少なくなる。 ハイドンは裕福に生涯を終えられたのに、モツはなんでお金に困ってたの? >>14
そうなんですか。ありがとうございます。
裕福だったら健康も保てたかもしれないし、もっと名曲を残してくれたかもと思うと残念です。 >>15
モーツァルトが晩年貧困の内に死んでるから、才能を世間から評価されずに低収入だったのか?とか誤解されてるけど、モーツァルトは現在の貨幣価値で年収2000万近く稼いでいて多い年は5000万くらい稼いでたらしい。
ハイドンはロンドンでの大成功で晩年の収入凄かったけど、エステルハージ家の学長時代は800万円くらい(それでも高収入だけど)らしいから、それよりモーツァルトは稼いでた事になる。
モーツァルトはギャンブルや貴族趣味の派手な生活スタイルが収入以上のものだったからだと言われている。 モーツァルトの最後の年はバリバリ作曲して金稼いでたし
新しい職も内定したしで、いよいよこれからという時だったのだよな
無念だったに違いない 18世紀当時としても早死にのほうだしな。
ハイドンがロンドンに立つ前にモーツァルトと会って、ハイドンの年齢的に心配だと話したエピソードあるけど、まさかモーツァルトのほうがその一年後に死んで、20才以上年上のハイドンのほうがモーツァルト死後も長生きするとは誰も想像つかんかったろうな >>10
圧倒的なのは弦楽四重奏ね。
ピアノトリオは比較すればハイドンの方が優れていると思う。
どちらも全集で聴いた感想。
確かにチェロが独立していないが、それにも関わらずかなり多くの作品が音楽の魅力に溢れている。 >>19
>圧倒的なのは弦楽四重奏ね。
それはあなた個人の好みではないの?
私はハイドンセット以降の10曲はハイドンのそれと互角の内容だと感じますが。
もちろんモーツァルトの10代の頃の弦楽四重奏曲はほとんどディヴェルティメント的なものばかりですが。 モツの交響曲37番は弟ハイドンの交響曲に序奏をつけただけ
ってことらしいが
これってボンボン育ちがなせる業か
ここまでした人って後にも先にもモツくらいかね
お調子者ヘンデルだってテレマンの曲をくずして自分の曲として
仕立てている >>20
まあ個人的な感想である事は否定しないが、ハイドンセット、プロシア含めて複数のカルテットで聴いた感想としては、ハイドンのop33以降の足元にも及ばないと思っている。
全体的に弦楽器の使い方がつまらない。 >>21
バッハもヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲をそのままチェンバロ協奏曲やオルガン曲として演奏したり、
ペルゴレージのスタバトを少々音型をいじっただけでほとんどそのまま演奏しているし、大物はそういった
ちゃっかりした行為も多少はあるものだよ。 >>21
モーツァルトはそのハイドン弟が病気で倒れたときに6つの弦楽二重奏曲のうちの二曲を補完してあげて
弟ハイドンを助けてあげたというナイスガイな奴なんだよ。
そのときの事を思えば、その翌年の37番の件くらいはまだ元が取れてないよw >>21
オルガン協奏曲かな?あれはオラトリオの幕間に演奏されたそうだが、当時の有名曲(自作ではハレルヤコーラスやパッサカリア)をパロったりして場を楽しませるエンターテインメントと考えるとそこまでマイナスイメージは出てこないな。 >>25
にしてもテレマンの曲から何曲も拝借してね?w
ま、そもそも2人はヘ親友だったしヘンデルも英国から珍しい植物を送ってあげたりの間柄だったしテレマンには断り済みだった可能性もあるけど。
ハイドンとモーツァルトの場合も、ハイドンが英国に渡るってところが共通してて面白いな。 >>22
個人的な感想だがモーツァルトの弦楽四重奏の価値がわからないとは
聴き込みが足りないね
全集なんか買ってさらっと表面的に聴いてもなにひとつ残らないと思うよ
個人的な意見だけどね >>27
それなら、あなたのお薦めする演奏を教えてほしいものだな。
是非聴いてみたいものだ。
所であなたはハイドンの弦楽四重奏に関しては有名曲以外にも聴いているのかな。まさかモーツァルトを低く評価されただけで反論している、ってわけではないよね? >>16
詳しいご説明ありがとうございます。
結局自業自得の金欠だったんですね。 とにかくバッハに敵うものはないわ
それだけは言える >>24
ハイドン弟がその時の御礼として曲を提供してくれたっていうのか
元が取れてないなんてどこまで厚かましいんだ
モツってのはひととなりも曲もどこかこびてるんだよな
ボンボン育ちにはちょうどいいかも
いや別に苦労したから偉いとかそういった低次元なことを
言ってるわけではないけどよ まぁそもそもクラシック音楽って
演奏してるのも聴いてるのもボンボン育ちが多いわな ハイドン弟の弦楽五重奏って、初めて聴いたけど結構いいな。 >>34
モーツァルトの伝記くらい読めよ
子供向けのマンガじゃなくてさ >>36
聴いたことあるフレーズが出てきますよね? モーツァルトはボンボン育ちどころか、
オヤジ率いる芸人一座の稼ぎ頭 ハイドン兄弟の生い立ちはモーツァルト父のそれに少し似てるがモーツァルト父が大学に行けた所などが違う モーツァルトが高度な早期教育を受けられたのに、ハイドンはネグレクトされて遅くなってから独学しなければならなかった。楽器演奏が名人まで行かなかったのはそのため。
にもかかわらずあれだけの音楽が作れたのだから、本来持っていた天才はハイドンの方が上ではないか。 ハイドン弟の弦楽五重奏、CPOで最近出たやつを聴いてみたが、ハイドン兄のOP17までの四重奏に雰囲気が似ていると思った。
モーツァルトに影響を与えたという話を聞いたことがあるが、モーツァルトとは基本的に似ていないな。
音楽的にはハイドンの初期四重奏も好きなので楽しめたが、あまり各楽器が独立してフレーズを奏でる事がないような気がした。
古典派で弦楽五重奏と言えば、やっぱりボッケリーニがいいな。 弦楽五重奏のハイドン弟からの影響と言われるのは単純にヴィオラ五重奏という編成だからじゃね?(ボッケリーニはチェロ五重奏) >>42
ハイドンは長生きだったのでいろいろな時代の音楽を吸収できた
音楽としては理想的な人生だ >ハイドン弟の弦楽五重奏、CPOで最近出たやつを聴いてみたが
その演奏聴いたことがあるけど、演奏は良いけど音像が遠くてボヤけた音質なので中古屋に売った。
私が好きなCDはフンガロトン盤です。すでに廃盤で入手困難ですが。
ちなみにモーツァルトの弦楽五重奏曲の1番はそのミヒャエルの弦五の影響を受けた物と言われていますね。
作曲時期からも。 >古典派で弦楽五重奏と言えば、やっぱりボッケリーニがいいな。
でも具体的にどの曲が良いのかは言えないでしょ。
ボッケリーニの弦楽五重奏曲は全体的にどれも良いくらいな漠然な感じなんじゃないの?
ちなみにモーツァルトのは最初の1番と最後の6番が特に好きですね。
ボッケリーニはセットでいうと、Op.29なんかが好きかな。 >>45
でも大半を過ごすことになる辺境エステルハーザでは
誰からも批評されず影響されず独自に作曲せざるを得なかったらしい
とにかく農民(車大工の息子)出身で兄弟共に宮廷作曲家に就いた
それだけで充分凄いことだよ >>47
いや、確かに全曲はまだ聴けてないが、曲数で言えばモーツァルトやハイドン以上に聴いた上での評価だよ。
具体的に好きな曲を挙げろと言われれば、今のところop11-5、25-1、25-4辺りが好きかな。作品29だったら29-4がいい。 >>48
エステルハージは大貴族だし、音楽の造詣も深かったから
屋敷にいろいろ音楽家は訪ねてきたのではないかな エステルハージ侯は寛大でハイドンに楽譜出版の自由を与えたところが大きい
あと、パリで高い地位を得たゴセックがハイドンの交響曲のファンで、ゴセックのコンサートでしばしばハイドン作品を取り上げたとか モーツァルトの主がエステルハージだったら、
もう少し安定した生活だったろうね >>50
これはアントニーニの全集2巻「哲学者」の
「身近に口出ししてくれる人がおらず
おのずと独創的になった」という「ハイドンの言葉」より
引用しましたです >>53
ハイドンの名言の一つだよね
あと有名なのは「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」という問いに対し
「5つめのパートが思いつかないのです」
実際は「5人目の奏者がいないのです」と言いたかったんだろうがそれ言っちゃうとカドが立つ >>52
でも夫婦そろって金遣いが荒かったのでしょう?
誰がなってもという気がしないでもないが・・・
ハイドンも義理で性格も器量も悪かった姉の方と
一緒にさせられた悪妻というのは共通ね 独創的ねえ。。
ハイドンに意見する人はいないだろうが
時代の様式にしっかりついていってるような
ショパンのいたワルシャワ程田舎ではないからな >>55
コンスタンツェの真価はモーツァルトの死後に明らかになる
膨大なモーツァルトの借金を返した上に
資産まで作り上げたからね
最初から女房にマネージャーやらせとけばよかったのではというくらいの有能さだw >>56
ハイドンの言を否定してどうなる…
そもそも20歳以上下の世代のモツと
比較ってどうなの。
むしろ末っ子バッハとか父レオポルトあたりとの比較ならまだしも >>58
自分が思ってる程独創的ではないよ、ということw
音楽史上で振り返ってみると独創的なのは、バッハ、ベートーベン、ショパン、
チャイコフスキー、ドビュッシー、プロコフィエフあたりかな
勿論ハイドンはバッハ以外知らないわけで、自認するのも仕方ないが >>54
>実際は「5人目の奏者がいないのです」と言いたかったんだろうが
そんなわけないだろw
ヴィオラ奏者2人もいなかったら交響曲とか演奏するのがかなりキツいだろw
もちろんヴィオラ1だけでも演奏できない事はないけど。
よって、「5つめのパートが思いつかないのです」は本心だよ。 >>59
ずいぶんとスパンを広げちゃったなあ
それじゃお話にならんだろ・・・
ここに出てきていいのは
バッハはバッハでも末っ子バッハね。
おそらく一通りのクラシック音楽を聴いたうえでの判断でしょうが
ザロモン交響曲などの晩年の数曲を聴いただけでは
ハイドンのおいしい部分をほとんど棄ててしまってるようなもの
と付け足しておこうか。 >>60
本心というか
弟は弦楽五重奏を作曲してるが
それに対して5声である必要はないんじゃないか?余分では?
ということだろう?
個人的にシェーンベルクの傑作は弦楽三重奏曲だと思うし
もう大バッハにしろ、古典派以降にしろ音数大杉ね。うるさいだけ
あ、これは個人の感想です。 >>61
お話にならんて、なんのお話だよw
ハイドンは長生きしただけにいろいろな様式に通じてるが
後世からみれば別にハイドン自身や君が思ってる程
独創的でも画期的でもないよ、って話をしてるだけ なんのお話かというなら
つ「モーツァルトとハイドンはどっちが凄い」
ですが? >>64
「個人の感想野郎」ってのはイヤミな知ったか野郎というくらいの意味 ザロモンセットがパリセットに比べて独創的ではない…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
というのは冗談だが、そんなに違うかね?
確かにザロモンセット後半はあまり魅力的だとは感じないが、あれはあれで晩年のハイドンの音楽と見ているが。モーツァルトっぽいところが駄目なのかな? >>62
弦楽四重奏曲と弦楽五重奏曲は性質が全く違うんだよ。
単純に弦4部の室内楽と弦5部の室内楽の違いというだけではない。
ハイドンのように対等な4声部というコンセプトである弦楽四重奏曲思考の人間はそりゃあもう1声部は余計に思えて当然だわな。
このスレで、どなたかがボッケリーニの弦楽五重奏曲はチェロ五重奏曲をと言っていたけど、弦五になるとそういう協奏曲的な
手法も使えるようになるんだよ。
対等な弦五部、ヴァイオリン五重奏、ヴィオラ五重奏、チェロ五重奏、これらを1曲の中で自由にチェンジしていく事も可能なわけで。 恐らくハイドンは>>69のような認識、理解に欠けていたんだろうね。
じゃなかったら、「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」という問いに対し「5つめのパートが思いつかないのです」
なんてトンチンカンな返答をするわけなし。
協奏曲を何曲も作曲したハイドンが5つ目のパートが思いつかないわけがないので、つまりハイドンは弦楽五重奏曲も
弦楽四重奏曲と同じように対等な5声部を維持したまま作曲するものという思考だったために「5つめのパートが思いつかないのです」 と、
発言したと見れば辻褄があうよね。
それか、質問者が音楽の知識が無い人だと見下して>>69のような説明をするのが面倒なので適当な返答をしたかのどちらかだなw ハイドンは過去にバリトンオクテットという
弦四にバリトン、ホルン2とベース加えた編成で
喜遊曲的な楽曲を数曲、作曲している。
ベト、シュポア、シューベルトらにより
sextet septet octet nonettと作曲されゆくなか
結局は弦楽四重奏が弦楽器のみのガチなフォーマットとして定着
したことに意味があるような気もするけど
何が優れてるとかはさておき… ハイドン(第1ヴァイオリン)、
ディッタースドルフ(第2ヴァイオリン)、
モーツァルト(ヴィオラ)、
ヴァンハル(チェロ)
そこに弟が入り込む余地はないよ
ということもまんざらでもない気がす
ハイドンは作曲家としては弟に先を越されていて
弟の弦楽五重奏にライバル心がなかったのかといえば
ゼロではあるまい。 もっとも室内楽なんて仲間内で楽しくやれたらハッピぃてなもんで
聴衆のために作曲され、後世に残すぞといった位置づけではないと思う。 室内楽に限らずモーツァルトやハイドンの時代は後世に残すことより
一夜の楽しみのために作曲し、その報酬を貰うのが目的で作曲されている
まさか自分の曲が円盤のようなものに記録され、
自動車とかいう馬車なしで走る車のなかで繰り返し聴かれるとは
想像だにしなかっただろう 当時は交響曲、協奏曲みたいな大編成の曲でさえ数回の演奏だったと言うしね。
もちろん評判の良かった作品は何度か演奏されたんだろうけど。
まさか200年くらい経っても聴かれてるとは想像つかんかったろうな。 まあ、古い時代の曲をまったく演奏しなかったわけではなく、たとえば
1726年にロンドンで作曲家のペープシュらにより創立された"The Academy of Ancient Music"は、
17世紀以前の音楽を研究・演奏するための団体だった
主流ではないけどね >>75
聴衆の為に、の方が引っかかる。
後世の方はそうだと思うけど。 >>80
お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな よくある勘違いの一つに、
「交響曲をコンサートの主役にしたのはベートーヴェン」
というのがあるが、もちろんこれは間違いで、実際はハイドンである
(19) 独り立ちする「交響曲」 | 聖光学院管弦楽団
http://seiko-phil.org/2011/03/21/174219/ >>82
ハイドンはロンドン渡って交響曲で大評判になって金持ちになったんだしね。 もっと言えば、ハイドンが、交響曲とは性格を異にする
弦楽四重奏曲を得意としていたことも
この頃大きくメディアで取り上げられたため、
当時の作曲家の間で弦楽四重奏曲人気が一気に膨れ上がった
ベートーヴェンもこれに乗じたのは明らか 今ではメジャーではないが当時メジャーだった作曲家でよくある自慢話が、
「交響曲をXX曲、弦楽四重奏曲をXX曲書いた」
というもの。これはハイドンの影響としか考えられない モーツァルトの交響曲38番「プラハ」
最初聴いた時は極めて独創的のように思えたが
バロックのコンチェルト・グロッソを知ったら
これはコンチェルト・グロッソの応用だなと感心する >>79
「聴衆の為に」と書いたのは>>73
勿論、一夜の快楽の為なのだからその中にはその場にいる聴衆も入るだろうさ 一般的に弦楽四重奏に対して五重奏が寡作なのはハイドンが沢山書いた以外にも、四重奏という形態自体に可能性を見出したというのもあるんじゃないか?
ピアノトリオが常に作られていたのと同じように。
まあ、弦楽五重奏はボッケリーニが何十曲も書いているわけだが。 すでに出てるようにモーツァルトの弦楽五重奏は
ハイドン弟の弦楽五重奏と同じく、ヴィオラ+弦楽四重奏という編成のために書かれた
ボッケリーニのようなチェロ+弦楽四重奏とは根本的に異なる ハイドンの初期の弦楽四重奏曲でヴィオラ、チェロが地味めなのに対し
ボッケリーニの弦楽四重奏曲では自身がチェロ奏者であるためか
当初からヴィオラ、チェロにも対等な役割を与えていたことでも有名 >>81
また古典的な煽りやね草
人間好きなものに
本当の事言われると誰でも怒るんやでぇ >>89
普通に需要が少ないからだろ
一緒にプレイできる仲間を三人や四人なら簡単に集められるが
五人はなかなか、となると貴族が作曲を注文するのは
トリオ、カルテットまでとなる >>93
それはそうかもしれないが、ロマン派以降でも弦楽五重奏の少なさは変わらないからな。代わりにピアノ五重奏が流行りだしたが。 そもそもボッケリーニが比較対照になるの?
ボッケリーニはイタリア出身でスペイン宮廷の作曲家でしょ
地理的にモーツァルトやハイドンとは接点がない
バッハとラモーとヴィバルディが同時代に生きながら全く接点なかったように モーツァルトやハイドンが、300グルテンやるから弦楽のクインテットの三曲セット作れと言われたら間違いなく引き受けるだろう ボッケリーニは「ウィーンでの知名度を上げようと、当時ウィーンでもてはやされていたハイドンの作品を研究したり、ハイドン自身と交流を持とうと手紙を書いたり」(YAMAHA「音楽ひめくり」)していたそうだから、
ハイドンを意識していたのは間違いない。モーツァルトも当然知っていただろう。
比較するのはおかしくはない。
ボッケリーニはティンパニやトランベットの入った大規模な管弦楽曲を書く機会がなかったので損している気がする。 >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています