モーツァルトとハイドンはどっちが凄い
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なんですぐ極論つーか曲論するかね
ケンカ売って叩かれたらキレるとか
もうたくさん >>339
テレマンのトランペット協奏曲は第三楽章が美しいしほんといい曲
テレマンはヴィオラ協奏曲もいいし、もっと評価されるべき。 テレマンやハイドンって多作ゆえ
よほど好きでない限り聴きどころの焦点を合わせにくく
それは演奏者側も同じようで
50-80年代に跳びぬけた名盤もそんなになく
つまらんと思ってる人は多いかもね
かのブリュッヘンすら指揮者に転向したらもうテレマンは吹かなくて済む
なんて言ってるし。
当たり前のことだが、楽曲に共感してない演奏ってのは聴く側もつまらん
演奏テクニックが上手い下手ではないというこってす。 それは言えているな。最近ハイドンを録音するような奏者は、ハイドンに対しでリスペクトを 失敗した。
最近わざわざハイドンを録音するような奏者は曲自体に共感しているし、ハイドンに対するリスペクトもあるように感じられるから、気合が入った名演が多い。 クラリネット協奏曲はイギリスのJohn Mahonの奴が好き J.C.バッハの影響が濃厚 モーツァルトと比べると低音が少ないのが欠点かな ちなみに第2楽章はスコットランド民謡による。第3楽章のロンド主題はトマス・アーンの主題による >>350
蛇足だけど
Sinfonia Concertante Es-DurはJ.C.バッハ作曲の協奏交響曲
Konzert Es-Durは、Hookの協奏曲
他はJohn Mahonのクラリネットを含む室内楽 >>346
テレマンやハイドンって何曲書いたの?
なおハイドンの交響曲31番『角笛の合図』(ホルンを4人使うやつ)は子供のころにN響のテレビで見て気に入ったことをおぼえてる。 テレマンはギネス載ってるよねたしか
ただ鍵盤曲は少ない >>355
テレマンの鍵盤曲では36のファンタジア集ってのが気に入ってる >>350
そのCDよりもこっちのイギリスのヴァイオリン協奏曲集の方が好き。
トーマス・リンリーは10曲以上ヴァイオリン協奏曲を書いたそうだが、現存しているのはこのCDに入っている1曲だけなのは残念。
もちろんこのCDの他の作曲家の曲も古典派好きならお勧め。
https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDH55260 >>346
テレマンは小学1年の音楽鑑賞でなんか聴かされてなかった?
あと、シュッツも。
小学校低学年から意外にもバロック以前のドイツ古典派ってけっこう聴かされてたりする。
バロックも小学ではヘンデルの方が先に聴かされる。
「見よ勇者は帰る」 >>358
まずった、途中送信した。
あと「もろびとこぞりて」も。
バッハは中学になってから「トッカータとフーガ」から聴かされるハズ。 短調の交響曲ならハイドン、モーツァルト、ヴァンハルそれぞれ素晴らしいな 間違えた
×フランツ・クサヴァー・ベック
○フランツ・イグナーツ・ベック ちなみにフランツ・イグナーツ・ベックのOp.3の出版は1762年らしい ハイドンやモーツァルトがこの曲を知っていたかどうかは不明 古典派の短調曲ならこの曲もお勧め。
ルブランのオーボエ協奏曲ニ短調
1770年作曲
https://www.youtube.com/watch?v=jpiVCKRNBEg(第1楽章) テレマンなどのバロック作曲家やベートーヴェンの話をするよりも、ハイドンとモーツァルトの同時代の
音楽の話題の方がよっぽどこのスレに相応しいと思うけど。 テレマンやベートーヴェンが許容範囲で、ベックやルブランがスレチとはおかしな話だと思わないのか?
思わないら>>365なんだろうな。 >>367
アホか
テレマンやベートーヴェンもスレチに決まってんだろ >>368
このスレではハイドンとモーツァルト以外の作曲家名を出すのは禁止という事でO.Kですか? 他の名前は出るだろ
伝記に一人の名前しか出てこないのを読んだことがあるかね
いつものリンク貼り付け厨の悪乗りと
それにのっかってる取り巻きは放置しとけば >バッハよりも多作だからなあ
大バッハが多いのはカンタータだけで
室内楽や管弦楽曲はバロックの作曲家としては多いどころか
少ないほうでしょう。(室内楽ならブクステフーデやヘンデルの方がある)
鍵盤曲が現代のピアノピースになってるから強みなんだけど。 >ハイドンとモーツァルト以外の作曲家名
ハイドンとモーツァルト、あるいはモツとベトって
古典派といっても世代が違うのに
比較されるということはちょっと凄いことだよね。
モツならクレメンティやサリエリなんだろうけど
同世代じゃてんで勝負にならんということなんか?
そこまで凄いとも思わんけど
やはり映画音楽(古いけど「みじかくも美しく燃え、愛と哀しみの果て」)などで
効果的に挿入曲されるとぐーんと知名度アップする。 >最近ハイドンを録音するような奏者は、
これまでハイドンというとあまりセールスが伸びず
レコード会社サイドがおkを出さなかったという
小エピソードが小島芳子のCDにあった。 >>358
いちおうカリキュラムに沿ってはいるだろうけど
音楽鑑賞って教諭の趣味もけっこう入るんじゃない?
たぶんピアノ科卒の教師であればシュッツは出てこないだろう。
ミッション系ならありかもだが。 >>372
考えてみればハイドンとモーツァルトは20才くらい年の差あって、ハイドンとベートーヴェンだと40才くらい差あるよな。
信長、秀吉、家康の年の差より離れてるな 信長:ハイドン
秀吉:モーツァルト
家康:ベートーヴェン ハイドンとモーツァルトの年齢差はシューマンとブラームスの年齢差と同じくらいだったな イグナーツ・ホルツバウアー(1711-1783)のオペラ『ギュンター・フォン・シュバルツブルク(英語版)』は
その名前の由来となったギュンター・フォン・シュヴァルツブルク王の人生を題材としており、
ドイツの国民的オペラとして最初期のものとなったこの作品の公演にはモーツァルトとその姉も訪れている。
モーツァルトはこの作品に触れた感想をこう記している。
「ホルツバウアーの音楽は大変美しいが、詩はそのような音楽に相応しくない。
私が何に一番驚いたかというと、オペラは信じられないくらいに炎で満ちており、
ホルツバウアーのような高齢の人物(66歳)がいまだにこれほどの情熱を保ち続けているということだ。」 ハイドンの協奏曲を聴いていると、和声としてはシンプルで木管はあまり活躍していないが、どんどん引き込まれる音楽を作っていると感じる。
転調?オーケストレーション?そんなものは音楽のメインではない。隠し味のスパイスのようなものだと思うよ。 シンフォニーはシンフォニー
コンチェルトはコンチェルト
のように、その書式は驚くほど厳格だったりする。
もちろん音楽には堅苦しさみたいなものはないが。
おそらく作曲というものを自力で構築したからに違いない。 コンチェルトを最初に厳格に確立させたのはヴィヴァルディのそれだと思う
まあ厳格に確立させる前の方がヴィヴァルディは面白い http://www.youtube.com/watch?v=o8p5z-TcWiY#t=1h04m44s
No. 8の続きだけど、
こういう瞑想的な雰囲気の緩徐楽章はヴィヴァルディは多数書いていて
ヴィヴァルディの最大の特徴だと思う ヴィヴァルディ : 26のファゴット協奏曲集
http://www.youtube.com/watch?v=KW_v0HPVnyw
意外かもしれないが、
ヴィヴァルディが書いた協奏曲でヴァイオリン協奏曲に次いで多いのが
ファゴット協奏曲
ヴァイオリンと比べると地味な楽器だけに、工夫が多い 蛇足だけど、ファゴット協奏曲における独奏ファゴットの
トゥッティ(全合奏)においての役割は、当然当然、低音なんだよねえ
そこがいい味出してる ロマン的な音楽の楽しみ方または演奏解釈で時代を遡ってゆくと
おそらくモツでいったん立ち止まる。
古楽から時代を下るとCPEバッハで違和感をおぼえる。
演奏する者、聴く者にとってハイドンはちょうどその狭間の壁
なんじゃまいかと。 ハイドンの曲は途中で楽想が思いつかなくなって理屈をこねくり回しているのがわかって面白くない。
曲の流れが自然なモーツァルトとは大違いなんだな(^O^) >>383
そもそもシンフォニーとコンチェルトは歴史的経緯から別ジャンル その通り。
モツの時代になるともはやシンフォニーもコンチェルトも
さほど違うように作曲しようという意識もなくなる。
とにかく流麗すぎるし
タラちゃんタラちゃんタラちゃんら―…みたいにキャッチーな
旋律が脳裏に延々とエンドレスちゃって
もう2度と聴きたくもない (+Д+)
父モツやハイドンの頃の音楽が性に合ってる。 >楽想が思いつかなくなって
いやあなたの頭がハイドンの展開についてけないだけ(^O^) ハイドンの音楽はそれ程理屈っぽく聴こえないし、音楽に無駄がないから冗長さも感じない。
モーツァルトはソナタにしても展開が稚拙な所があり、しかも音楽が冗長と感じられる場合が多い。5分で終わる内容を10分かけて演奏されているような感じ。 ただ、モーツァルトのピアノソナタは全体的にすっきりとまとまっており、あまり無駄は感じられないな。 モツは手紙でウンコとか楽譜にチンコ(ホルン協)とか書き込んでるわりに
音楽はいたって優等生なんだよね。よく言えばピュアというか。 >>390
途中で楽想が思いつかなくなってってどの曲聴いてそんなイメージ持ってんだ? >>394
ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲を聴き比べてみると愕然とするよ
後者は本当に平板で冗長に聞こえる
当然ハイドンをお手本にしたのに、模倣できてないのが驚きだ
ただし、モーツァルトの緩徐楽章だけには独特の情緒があると思う モーツァルトには展開(development)がしっくりこなかったのかなと思う
ベートーヴェンも言われているほどには展開が上手くない
ハイドンの展開は本当に自由自在、よくあれだけ展開できると驚嘆する
ロマン派ではシューマンが意外と展開が上手い、
弦楽四重奏曲も(あのシューマンらしいクセはあるが)ハイドンにいちばん似ているかも >>397
どの曲ってだいたい全部だよ
途中で立ち止まって考え込んでるのが聴いててわかるだろ 名前の出ている人に展開が下手とか冗長とか楽想が浮かばなくて理屈こねくり回してるだけとか感じたことはない そもそもハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも、当時無数にいて消えてった音楽家達の中でこうして音楽史に名を残してるんだし、凡人があーだこーだ批評するとか図々しい話なんだよ 自分の耳で聴いた感想を表現するのは悪いことではない。
音楽の価値を知名度や偉い音楽家、演奏家が評価している事で左右されるよりずっと健全。 だから、自分の耳で聴いた感想だと言っているだろうが。
誰々が評価しているとか、歴史に残っているとかそんな理由を音楽の価値の根拠にするよりもずっといいと思うぞ。 自分の耳で聞いた感想?
それ以外の何があるのというのかな?このスレにさ
このスレに出てくる作曲家が
>音楽の価値を知名度や偉い音楽家、演奏家が評価している事
から逃れることは不可能だし我々もすでに知っていよう 逃れることはできるさ。
他人がどう評価しているかどうかなんて関係なく自分が聴いた感想を出し合えばすむことだろう。
上にあるようなハイドンの音楽は理屈をこね回しているというのも立派な評価だ。
それを歴史的に評価された作曲家を素人風情が…云々と否定する方がよっぽどおかしい。 そんなのにいちいち突っかかるのもどうかと思うが
一応根拠を持って先人たちが評価してきたとすれば
それを覆す根拠を持たずに感想さえ述べていればいいんだというのは健全さとはほど遠い 先人の評価を覆すって所に最初の立ち位置からして違い、平行線だなあと思った。
それでは結局先人の評価から逃れられないんだと。
覆すつもりなんて最初からないのに。 ハイドン、モーツァルト、ディッタースドルフ、ヴァンハルのシンフォニーをいくつか聴いてみたがこの中だとディッタースドルフが構成力少し落ちるように感じた >そもそもハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも、
なぜベートーヴェンが出てくる? ディッタースドルフは、オウィディウスの「変身物語」による6つの交響曲と、交響曲「バスティーユ襲撃」がよかった 先人の評価といっても
モツ、ベト以外の古典派については
それなりに不満もあるわけで
コンサートの集客やレコードの売り上げだけの
評価みたいなのも混じっているからなあ。
それに乗っかってるだけの取り巻きも
多い少ない、どっちどっち? 先人の評価とは誰の評価を指しているのか?
まさか老害の音楽鑑賞感想文を有り難く読んでるとか? 古くはハイドン自身がモツを高く評価し
モツもハイドンをだな でも実際、交響曲が生涯で100曲超だけでなく
エステルハージ期のみのバリトントリオだけでも100曲超えてるので
途中で立ち止まって考え込んでいる暇はないだろう。 クラビコードの前で考え込んでいるようなハイドンの肖像画はあるけど
それにしたって、
後世のあーでもないこーでもないといった大シンホニィとは
種を異にする作曲であったに違いない。
モツもそうとう速かっただけに交響曲37番のていたらくがある。 モーツァルトの交響曲37番がていたらくとは?
他人の曲を演奏してはいけないんですか?
他人の曲をアレンジしてはいけないのですか? 37番はミヒャエル・ハイドンの交響曲に序奏を書き足しただけ
35番(1783)は自作のセレナード(1782)にクラリネットを加えてるから編曲と言える 37番はそういう作曲事情の曲を交響曲37番扱いした後世の人間が悪い。
モーツァルトもあの世で、あれを僕の交響曲扱いしてほしくないと思っていることだろう。 転用はハイドンの交響曲にもあるしね
有名なのでは、50番、59番、60番、62番、63番、73番など
オペラからの転用 ロッシーニは序曲の作曲が間に合わなくて
序曲を使い回してたようだなw
ゲネプロの日の朝に二時間でドンジョバンニの序曲書き上げたモーツァルトはエライ 逆に言うとハイドンの「序曲集」と題されたディスクはもっと聴かれてもいい
「無人島」や「アルミーダ」序曲などが好き 個人的な好みではマンフレート・フス指揮ハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンによる演奏がいい
http://ml.naxos.jp/album/BIS-CD-1818
両翼配置なので邪道かもしれないがヘッドフォンで聴くと左右の振り分けが見事で面白い 「エステルハージ公とナポリ王のための音楽集」もいいね
http://ml.naxos.jp/album/BIS-CD-1796-98
管弦楽曲を網羅するだけでも結構膨大 先人の評価が低く録音も限られていた例では
シューマンの交響曲第2番な
シノポリ・ウィーンフィルのDG録音や
バーンスタインPMFの熱演で日本でも人気になったが
世評関係なく4曲の中で一番好きだな。
>>429
自作品の使い回し流用と
他人の作品に手を加えたモツの#37を
一緒にしてほしくないね モツの#37て、べつにモーツァルトがオレの交響曲37番と主張したわけじゃないからな。 後世の人間が作品を整理して番号振っただけだしな。
愛称しかり ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル (1715-1777)
低弦のための四重奏曲集 - ソナタ第3番 ハ長調 「小品の組曲」
http://www.youtube.com/watch?v=W4-8_DX4d6E スレ違いの二流音楽家の作品貼ってる奴ってなんなの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています